翌日。あの重傷以来となった大倶利伽羅さんを含めた部隊が出陣のためにゲート前に集まっていた。
先輩が彼らを送り出すのを、私は昨日のこともあって遠くから見ているしかできない。
先輩が部隊長の山姥切国広さんに声をかけているのを眺めていると既視感があって、そうして思い出したのはまさに大倶利伽羅さんが重傷になったあの日のことだった。
出陣のたびに見送りの様子を見ていたけれど、そういえば私がここに来た時からずっと部隊長は大倶利伽羅さんだったのに、あの日は山姥切さんが部隊長を務めていた。
なんだか嫌な予感に知らず体が震えた。慌てて首を振って、まさかと嫌な考えを追い出す。
あの時と状況が似ているからって同じようなことが起こるとは限らない。
考えすぎだと自分に言い聞かせながら視線は自然と大倶利伽羅さんのほうを向いていた。
彼が先輩と山姥切さんを見て、視線を逸らすのがちょうど見えた。
あの日のような何かを言いたげな表情が浮かんでいなかったことに安堵し、昨日冷たく拒絶されたのに諦めきれない自分の気持ちを見出して落ちこんだ。
しばらくして、部隊が帰還した。
ちょうど門のそばで掃き掃除をしていたときで、急に騒がしくなったかと思うと視界に飛び込んできたのは重傷を負って意識を失っているらしい大倶利伽羅さんを山姥切さんや加州さんたちが抱えている光景だった。
手から箒が滑り落ちる。
手入部屋に向かう姿に私はいてもたってもいられず後を追っていた。
手入が済んでも、大倶利伽羅さんは目を覚まさなかった。
駆けつけた燭台切さんがもはや心得た様子で大倶利伽羅さんを抱えて隣の医務室へと運ぶ。
準備よく太鼓鐘君がすでに布団を敷いていたらしく、彼はそこへと横たえられた。
燭台切さんがそばに腰を下ろし、太鼓鐘君は用事があるからと医務室を出ていった。
他の男士のみなさんも手入を受けたり、自身の当番へと戻って行ったりと、瞬間的な騒ぎはあっという間におさまって静かになった。
そんな状況に戸惑いつつも大倶利伽羅さんの様子が気になって医務室に足を運んだけれど、昨日言われた言葉を思い出してしまって、中に入れずに戸口で立ち尽くしていた。
そんな私に燭台切さんが優しくほほ笑んで、そんなところで立ってないで中に入っておいでと手招きをしてくれ、おそるおそる近づいて座った。
医務室内はしばらく静かで、私は黙ったまま横たわる大倶利伽羅さんを見ていた。
目が覚めたら彼はどうなっているんだろう。
もしもすべての記憶を失っていて、自分が何者であるのかも、主である先輩のことも仲間のことも、私のこともわからなくなっていたらどうしよう。
そう考えて、でも昨日のことを忘れていてくれたら、なんてことをふと思ってしまって慌てて振り払った。
何をバカなことを考えているんだろう。それこそ大倶利伽羅さんが言っていた、都合のいい解釈そのものだ。
何より、このまま目覚めない可能性だってゼロじゃないのにこんなことを考えるなんて最低すぎる。
膝の上で握りしめた両手が思わず震えていた。
「君が心配した通りになってしまったね」
「え?」
静かな空気を破った燭台切さんの声に顔を向ける。
彼は大倶利伽羅さんを労わるようなまなざしで見つめていた。
「長谷部くんから聞いたんだ。君が伽羅ちゃんの出陣が決まったことにいい顔をしていなかったって」
「それは、まだ早いんじゃないかって心配で……でも先輩が決めたことですし」
膝の上で握った手が震えた。
私の中で先輩に対して憤りの感情がふつふつとわいてくるのを感じているせいか、声が硬くなる。
「そうだね、あの子が決めたことだ。そして伽羅ちゃんも戦いに出ることを望んでいた。だからこの結果はなるべくしてなった。誰の所為でもない」
その言葉にハッとして燭台切さんのほうを向くと、彼の炎で照らされたような金色の目とかち合った。
「あの子が望んで、彼をこんな目に遭わせると思う?」
「いえそんなことは……!」
私は慌てて首を横に振った。
先輩が大倶利伽羅さんをどうにかしようと思って戦いに出したわけがないことくらい、もちろんわかっている。
彼の戦いに出たいという意思を酌んだだけで、記憶を失った前回の出陣でのことも事故だし、今回のだって単なる偶然だ。それはわかっている。
だけど、防げたんじゃないかって思ってしまうことだけはどうしようもなくて、心の内側にもやもやしたものがあるのも確かだ。
「もっと日が経っていたとしても、今日のような事態を避けられたかどうかは誰にもわからない。だから君には、僕たちの主へ怒りを向けるのではなく、伽羅ちゃんが無事目覚めるように祈っていてほしいかな」
燭台切さんの言葉に思わず肩が跳ねる。
彼は隻眼を優しく細めて口調も穏やかでありながら、しっかりと私の心を見抜いていた。
瞬間、脳裏をよぎったのは、先輩に大倶利伽羅さんと距離を置いてほしいと頼んだ時のことだった。
膝の上の手が大きく震え、思わず両手を握り合わせる。全身から血の気が引いているような気がした。
「私、は……」
「いいんだ、言わなくて。君を責めたいわけでもないから」
「でも」
「誰かに何かを言われたとしても、それを受け入れたのは主だ。そのことを悲しいとは思っても責めようとは思わないよ。主が……あの子が選んだことだから」
そう言って燭台切さんは大倶利伽羅さんへと視線を戻す。
いたたまれなくなった私は医務室を飛び出した。燭台切さんは私を呼び止めたりはしなかった。
私が先輩に何を言ったのかきっと知っているから彼はあんなふうに言ったんだろう。
はっきりと言えば済むのに、そうしないで何もかもを知っているとでも言いたげに遠回しに気づかせようとしていた。
距離を取ってほしいと頼んだ時、その場にいたのは私と先輩だけ。
いつもそばにいる長谷部さんもいない状況で燭台切さんが知る機会があるとすれば、先輩から打ち明けられた以外の理由は考えられない。
でもあの時、先輩に他の誰にも言わないでほしいと頼んだわけではないし、誰に話してもそれは先輩の自由だ。けど、こんなの不公平だと思う。
先輩を主と慕う刀剣男士が大勢いる中で、単なる見習いで他人でしかない、きっと先輩にとってはすでに完成された場所に現れた異物でしかない私を、遠回しに追い詰めていくような真似が出来るなんて信じられなかった。
悔しさと腹立たしさと、でもきっと先輩に対して何も言えない、何も出来ないだろう自分の不甲斐なさに落ち込みながらぼんやり歩いていると、ぶつかるよと後ろから声をかけられて慌てて止まった。
すぐ目の前にあったのは、少し前にうっかりぶつかって結構痛い思いした柱で、声をかけてきたのは加州清光さんだった。手には畳んだばかりらしいタオルがいくつも重なっている。
「なにぼんやりしてんのさ」
「っ、すいません、ありがとうございます」
反発心と、けど声をかけられたおかげで痛い思いをしなくて済んだことに複雑な気持ちになりながら一応はお礼を言うと、加州さんは肩をすくめた。
「別にー。下手に大きなケガでもされたら面倒だしね」
何かあったら主の責任になるし、というつぶやきにふと思い出したのは大倶利伽羅さんを意識するきっかけになったあの助けられた時のことだ。
ドクン、と心臓が大きく高鳴る。
あの時彼は、何と言っていた──?
『それより充分気を付けろよ。あんたに何かあるとこっちに迷惑がかかるんでね』
鼓動が激しくなっていくのがわかる。
ほとんど無意識に心臓のあたりを強くつかんだとき、どうしたのと加州さんの声がした。
「顔色悪いじゃん。部屋で休んだら?」
「……あ、の。さっき私に何かあれば先輩の責任だって……」
「ん、ああ。だってそうだろ。俺たちは主によって顕現したからここで何かあったとしても本丸内の問題だけど、後輩ちゃんは違う。よそから預かってるんだから何かあれば気遣うし、気に掛けるに決まってんじゃん」
何をいまさらとでも言いたげに加州さんは首をかしげる。
加州さんの言葉で私の中にあった先輩への反発心が急激に大きくなって、カッとなって思わず言い返していた。
「だからってこんな真似しなくてもいいじゃないですか!」
ハッとして、口元を慌てて手でおさえる。
けれど加州さんは何のこと、と不思議そうにした。
「こんな真似って何?俺、後輩ちゃんになんかしたっけ?」
そう言って加州さんは首をかしげるが、いまの私の目には白々しくしか映らない。
「誤魔化さなくていいですよ。どうせ加州さんも先輩から聞いて知ってるんですよね、私が先輩になんて言ったかを」
瞬間、加州さんは無言で赤い目を細めた。
「……やっぱり」
なんだか急にバカバカしくなって、渇いた笑いがもれた。
「そっか。だから加州さんたち急に私に対してよそよそしくなったんだ……ようやくわかりました」
彼らは先輩が顕現させたんだから当然先輩の味方だし、私が距離を置くよう頼んだことを知って、きっと部外者が余計な口出しをしてきたみたいに思ったんだろう。
私はただ、純粋に大倶利伽羅さんを心配していただけなのに──!
「……そんなに、先輩が全部正しいんですか」
「何?」
「あの時は偶然でも、今回は先輩の所為じゃないって本当に言えるんですか。もっと休んでから戦いに出していたら、大倶利伽羅さんがまた目覚めないなんてことにならなかったかもしれない!」
一歩間違えたら彼は折れていたかもしれないのに、どうして先輩も燭台切さんたちも落ち着いていられるのか、理解ができなかった。
大倶利伽羅さんがかわいそうで、彼のために自分が何もできないのだと思うと悔しくて涙が出る。
泣くなんてみっともない所を見せたくないのに、拭っても拭っても後からどんどん流れてきてしまう。
「こすったら腫れるからこっちで拭きなよ」
そう言って加州さんは手にしていた重なったタオルから一枚とって私の顔に押し付けてくる。
反射的に受け取って、顔をうずめた。
悔しさと腹立たしさでうずめたまま唸りながら泣く私に、加州さんはため息をついて、あのさ、と切り出した。
「なんか早合点してるとこ悪いんだけど、俺たち主が何か言われたってことは察したし、たぶん後輩ちゃんだろうなってのも考えてたけど、実際には主は何も言わなかったんだけど?」
「え……」
思わずタオルから顔を上げると、加州さんが浮かべるどこか面倒くさそうな表情とかち合った。
「ていうか消去法っていうの?俺たちの誰も言うはずがないんだよ。主に大倶利伽羅と距離を取ってやれ、なんて」
「なんでそんなこと断言できるんですか」
加州さんはそこで黙り込んだ。とっさに答えを返さないのを見て、やっぱりその場しのぎなんだと眉を寄せてタオルを握りしめると加州さんが苛立たし気に頭を掻いた。
「あー、もう!」
そうして大きく息を吐きだして、本当は言いたくなかったけど、と前置きをしてある事実を告げた。
「──主と大倶利伽羅はさ、恋仲なんだよ」
言葉の意味を理解し、反応するまでにいくらか時間を要してしまった。
「……嘘、ですよね、そんなの……だって、だって……!」
私の口から、反論の言葉が無意識に出ていた。震えてしまった声に思わず唇を噛む。
代わりのようにタオルを握りしめる手が戦慄いた。
「だってそれじゃあ私……先輩に、私は!」
大倶利伽羅さんへの想いが反論をさせたのではなかった。
だってそうしなければ、私が先輩に大倶利伽羅さんのことを好きだと打ち明けていた事実に打ちのめされそうになるからだ。
だってこんなのあまりに……。
「私、先輩に大倶利伽羅さんのことを……」
預かっている見習いから、よりにもよって自分の恋人を好きだと告げられて、先輩は何を思ったんだろう。
内心で、叶わない想いを抱いているなんて滑稽だって嘲笑ったりしたんだろうか。
惨めな気分で顔を再びタオルにうずめると、呆れた様子の加州さんの声が聞こえてきた。
「後輩ちゃんが主のことをどう思うのかなんてそれは後輩ちゃんの自由だから言わないけどさ、確かめもしないうちに決めつけるのはやめとけば」
その言葉にゆっくりと顔を上げる。それはどういう意味なのかと問う前に加州さんはさらにつづけた。
「うちの主は隠し事がすぐ顔に出る癖に都合が悪いとだんまりになるんだよね。俺たちはそこから推察するしかないわけ。だからいまの後輩ちゃんを見てれば何考えているのかなんとなくわかるんだよ」
しばらく沈黙があたりを漂う間に涙はすっかり乾いていた。居心地の悪さに身動ぎする。
加州さんは私の前から立ち去るつもりはないようだ。だからといって私がこの場を去るのは逃げたような気分になるだろうから譲れない。
「……あの、まだなにか」
「んー、後輩ちゃんこそまだ聞きたいことあるんじゃないの」
「私は、別に……」
答えながらも一つの疑問が浮かんで、思わず唇を曲げていた。
やっぱり、という加州さんの声になかば自棄になって彼を睨みながら口を開いた。
「どうしてあのとき言ってくれなかったんですか。私が大倶利伽羅さんのこと話したとき、先輩と彼がそういう関係だって言ってくれていたら、私……!それに先輩だって、私が打ち明けた時に言ってくれていたら今ごろは」
口にしながら、何を言っているんだろうとも思う。こんなことを加州さんに言っても仕方ないのに。
こんなのただの八つ当たりだ。そう思うのに口に出してしまった言葉は取り消せない。
「主のことは主にしかわからないけど、俺たちが言わなかったのは、そんな資格がないから」
「……資格?」
「たとえばさ、あの時言ったらその場で気持ちを無かったことに出来た?」
「それは、たぶん」
いまの状態だと断言はできないけれど、あの頃ならまだ深入りせずに済んでいたはずだ。
人の恋人を好きになってはダメだってきっと自制できた。怖そうだけど実際は優しい人だった、で終わらせられたと思う。
私が結論づけてうなずくと、だからだよと加州さんはため息をつく。
「どんな形であれ、気持ちを変えたくなかった。俺たちに言われたから諦めるしかなかった、なんて後で言われたくないし。それに、主から大倶利伽羅を奪う、なんてこと言う可能性だってゼロじゃなかっただろうし」
「そんなこと……」
「どう転ぶかなんて誰にもわかんないだろ。それに、どうせ大倶利伽羅は見向きもしないと思ってた。こう言っちゃなんだけど、脈はないなって」
私は何も返せず黙り込む。
「あ、勘違いすんなよ。別にあんたのこと嫌いでこんなふうに言ってるんじゃないから。それに研修期間もあるから、お互いに気まずいのとか嫌だろうし」
「……」
「けど大倶利伽羅が記憶喪失になって正直言ってちょっと焦った。でも主が何も言わないなら、俺も言わないって決めた。たぶん他の連中もそう」
「それって、みなさんも知ってるんですか、私が大倶利伽羅さんのことを、その……」
「逆に聞くけど、気づいてないと思ってた?」
「でも私、先輩にしか言ってないのに……」
加州さんたちには大倶利伽羅さんが素敵だって確かに話はしたけど、でもそれだけだったはずで、彼を好きだって気持ちは先輩にしか打ち明けなかった。
「先輩が言いふらしたってことなんじゃないんですか」
「後輩ちゃんがそう信じたいなら信じればいいんじゃないの。あんだけ大倶利伽羅のこと気にしていて感づかれないと本気で思ってたならびっくりだけど」
「……」
「あと、さっき俺たちがそっけなくなったって言ってたけど、逆じゃない?俺たちが話しかける暇もないほど、大倶利伽羅にしか関わってなかった気がする」
「……」
「ま、これは俺がそう感じたってだけだから、後輩ちゃんにとっての事実は違うんだろうけどね」
タオルは洗濯室にでも適当に放り込んどいて、と言い残して加州さんは去って行った。
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