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亡失の呪い-if/restart 17-

すすり泣く声が響く茜色に照らされた部屋で、大倶利伽羅は主を抱きしめる腕に力を込めた。
何度も子どもの名前を呼んで謝る主の姿は彼に胸の痛みをもたらす。
主が悲しむ気持ちは痛いほどわかるが、それでもこれ以上は涙を流してほしくなかった。
精霊の子どもにもう会えないことよりも、泣いている相手をどうしてやればいいのかわからない情けなさを突きつけられるほうが彼にとっては衝撃が大きかった。

「それ以上泣くな。サクラが心配する」
タオルに顔をうずめて、わかっているけど止まらないのだと主はしゃくりあげる。
それでもうめきながらなんとか泣き止もうと身を折ると髪の毛が肩から流れた。
大倶利伽羅はその髪に手を伸ばし、ひと房掬う。
あの子どもよりも濃いのだなとぼんやり思いながら灰がかった桜色の髪の先に口づけを落とした。

主の髪は生きていた時はごく普通の黒色だったが、いまは桜の木の精霊だった子どもよりか幾分濃く、けれど染める以外にはありえない色へと変わっている。
それこそが精霊であるサクラと一体化したことの証であり、姿かたちは間違いなく彼の知る主でありながら人間ではなくなったことを示していた。
だが彼が安堵したことに、髪色は大きく変わっても感触は記憶にあるのと変わらなかった。

精霊の子どもは、自身がお姉ちゃんと慕う存在がいなくなれば自分も消えると言っていた。
大倶利伽羅にとっては恋仲でもあった死んだ主が本丸から消えた時に何かと気にかけている子どもを同時に失うことになるわけで、動揺しないわけにはいかなかった。
サクラはそんな彼の動揺を見抜いてか例の大人びた笑みを浮かべ、だからお姉ちゃんと一つになるのだと言った。

「お姉ちゃんと一つになるの。そうすればわたしはお姉ちゃんのなかに残って、お姉ちゃんはわたしとして……桜の木の精霊として生きることができるんだよ」
サクラがそう言って大倶利伽羅たちを驚かせたあの場に実は主もいた。
そして子どもの話を聞くや否や、そんなのはダメだと、どんな形であっても生き返るなんてと拒否しているとリンが代わりに伝えてきたが、サクラの意思は固かった。
なにもしなくても消えることは変わらないしそれだけはイヤだと首を振り、そして大倶利伽羅たちのほうを説得しにかかった。

「俺は……主に戻ってきてほしい」
最初に山姥切国広が口を開いた。先に言われてしまったなと冗談めかした口調で鶴丸がつづいて同意し、大倶利伽羅は息を吐きだして、本当に主にまた会わせてくれるのかとサクラを見つめた。

サクラが彼らの前に現れ、そして審神者として新たな本丸を始めることが決まった時、彼らの中に引き継いだ審神者が主としている本丸からサクラの元に移れないかという意識が生まれ、それは即座に実行に移された。
手始めに山姥切国広と鶴丸国永が移り、徐々に他の男士も移譲を希望していく予定だったのだ。
だが今回のことであのリコという審神者は捕まり、二度と主として戻ってくることはない。
そして示された、自分たちを顕現させた主が戻ってくる可能性。

サクラが表面上は消えてしまっても主の中で生き残るのなら。そして主が戻ってくるのなら。

彼らに迷いはなかった。ただもう一度、主に会いたかった。

そうして本丸で、刀剣男士たちが見守る中でサクラは主の魂と同化した。
その場は眩しいほどの光に包まれ、やがておさまった時にそこにサクラの姿はなく、代わりに彼らの知る主が両腕で自分の体を抱きしめる格好で涙を流していた。

歓喜に沸き、最初に主の体に抱き着いた男士がいた。それが愛染国俊だったのか乱藤四郎だったかははっきりしない。そこから次々と刀剣男士たちが主を囲んだが、その間も主の目からは涙が止まらず、困惑した彼らは顔を見合わせて無言でうなずいた末に大倶利伽羅にすべてを丸投げしてきた。

泣き止ませるのは恋人の役目だと言ったのは加州清光、あるいは大和守安定だったような気がするがやはりこれもどちらかはっきりしない。ただそれを皮切りに他の刀連中が彼に声をかけてきて、自分たちは主を迎える宴会の準備をしてくるから後は頼んだとさっさと行ってしまったのだ。
気がつけば庭で泣きじゃくる主と二人きりで残されていた。

無駄な一致団結に大倶利伽羅は怒る気にもなれず、ため息をついて状況を受け入れ、主の体を抱き寄せるとしまっていた通行手形を出して宙にかざして庵へと移動した。
どんな口実であれ、主と共にいられる時間があるのならそれを逃すつもりはなかった。

「落ち着いたか」
ようやく涙は止まったようで、主はしゃくりあげながら二度三度とうなずく。
タオルに顔をうずめ、ごめんなさいと謝るので泣き止んだならもういいとささやき、うつむいている所為で顔の前に下がった髪を耳にかけてやると、主がタオルから顔をあげた。
赤く腫れた目元が痛々しい。こういう時は冷やすべきなのか温めるべきなのかという知識がないことに気づき、自分は気の利いたことひとつしてやれないのかと思って大倶利伽羅は眉を寄せた。
そんな彼の表情に主は、自分は泣いてよほどひどい顔をしているのだと誤解してタオルで顔を隠して彼に背中を向けてしまった。

それが見られたくないがゆえの行動だとわかっているので、大倶利伽羅は逃げ出しさえしなければいいと後ろから抱きしめ、耳に口づけを落とした。

しばらくそうして抱きしめていると、主はゆっくりと息を吐きだして大倶利伽羅の腕の中で力を抜いた。
泣きすぎだってサクラちゃんが怒ってたと苦笑するので、当然だろと呆れ交じりに返す。
そうして主の肩に額を乗せてサクラはどうしているのかと尋ねれば、疲れたから眠ると言ってすぐに寝入ってしまったのだと答えがあった。
そうか、と答えながら大倶利伽羅も抱き心地の良さに眠気を感じて、このまま眠ってしまうのも悪くないのではないかとぼんやり考えていたとき、庵の玄関の戸が開く音がして二人を呼ぶ太鼓鐘貞宗の声がした。


「言っとくけど、俺を恨むのは筋違いだからな。俺だって主と伽羅がいちゃついてるとこ邪魔したくなかったんだけどさ、宴会だから呼んで来いって言われたら断れねぇだろ?」
これから大広間で戻ってきた主を祝い、夕食を兼ねた宴会が行われる予定だ。
そのために主と大倶利伽羅を迎えに来たのは太鼓鐘貞宗と山姥切国広で、彼の横に並んで決して故意ではないと言い訳をする太鼓鐘に対して大倶利伽羅はため息交じりに別に気にしてないと返し、山姥切と並んで前を歩く主の後ろ姿を眺めて奥底でうごめく不満を抑えつけた。

「あー、俺布団敷いてきたっけかなぁ」
目の前のポテトサラダに箸をつけながら、加州清光はふとこぼした。

宴会も兼ねた食事の時は、用意される料理も酒の肴にもなるようなものが多い。
その一つであるポテトサラダは普段よりも粒マスタードが強く主張している。これを作ったのはおそらく和泉守兼定だろうと思いながらまた箸を伸ばす。

不定期に開かれる飲み会のルールには、刀剣男士たちは各自であらかじめ部屋に布団を敷いておくというものがある。
これを忘れた者は酔いつぶれると無情にも廊下に転がされることになるのだが、加州は酔いも回ってきた所為か自分がちゃんと布団を敷いたのか自信がなくなってきていた。
「忘れてたらちゃんと廊下に転がしといてやるから安心しなよ」
隣に座る大和守安定が味をつけたキャベツをひたすら食べながら独り言めいた加州に答えてやると、横合いからその皿を奪われそうになったので慌てて死守する。 チッと加州は舌打ちして横目でにらんできた。
「最悪ー。どうせなら、代わりに布団使わせてやる、くらいの太っ腹なこと言えよな」
「なんで僕が清光に譲ってやんないといけないのさ」
「どうせ同じ部屋なんだから融通しろよー」
大和守の肩に自分の肩でぶつかって、加州は文句を言いながら頭をぐりぐりと押しつけるので、うざいとそれを引きはがす。
「やめろ酔っ払い。てか今日はやけに酒の回り早いな」
「なんかハイペースで飲んじゃった……なんでだろ」
そう言って加州は突然机にぶつかる勢いで突っ伏した。
大和守はその様子に呆れてため息をつきながら、加州の頭を軽くなでてやる。
「浮かれてるなぁ……まあしょうがないか」
理由が理由だしとつぶやき、大和守はその『理由』である主はどうしているかと大広間を見回すと、三日月宗近と何かを話していた。

話し声は聞こえないが、三日月が嬉しそうにしていることは遠目にもわかる。
新しい審神者の就任挨拶のあと、真っ先に無言で大広間を出ていく三日月宗近を見ている記憶があるので、大和守にとっても感慨深いものがあった。
「……あれ、そういえば気分悪くならないのかな」
まだ本丸飲み会が小規模の、太刀が寝起きしていた部屋で行われていた頃に主は巻き込まれてお猪口一杯のお酒を飲み、酔いで苦しんだことがあった。
あの時は参加者全員が酔いが回った後で誰も止められなかったらしく、事情を聴いたへし切長谷部や歌仙兼定、石切丸が飲み会の主催者である鶴丸国永と獅子王に対して立て続けに説教していたはずだ。
以来主はお酒のにおいだけで気分が悪くなるようになってしまって、たとえ何かを祝っての宴会でも最初だけ顔を出すようにしていた。
なのに今日は宴会が始まってもう三十分以上経とうとしているのに、主の様子は変わらない。

ぼんやりと主を眺めて、ああそうかと大和守は唐突に理由に思い当たってつぶやいた。
「人間じゃ、なくなったから」
それが悲しいのかあるいは嬉しいのかよくわからないまま大和守はコップに残っている分のお酒をあおって、大きく息を吐きだした。

「そういえば、あの女はこれからどうなるか聞いているか?」
眠っている男士を踏まないようにまたぎながらへし切長谷部が山姥切国広に声をかけてきたとき、周囲ではすでに半分ほどの刀剣男士が酔いつぶれて眠っており、酒に強い面々だけが元気にしていた。
山姥切は食べる方に集中していたので、始まって一時間以上経つのに飲んだのはコップ二杯程度であまり酔いは感じていない。
隣に腰を下ろした長谷部は、持参した酒瓶を山姥切の空のコップにかたむけた。
「……いや、まだ詳しいことは聞いていない」
首を振り、注がれたお酒を口にする。
思いのほか辛口だったのでこれだけで酔ってしまいそうだとそっと舌を出した。

「しかし、こんのすけから知らされたときには正直言って驚きより納得が強かったな」
手酌で注いだ酒を飲んでそう口にする長谷部に、舐めるように少しずつ口をつけながら、そうだなと返した。

実際何かをやらかしてくれることを期待はしていたが、そこまで希望を持っていたわけではない。
だからあの審神者が主の遺骨の保管場所を訊いてきたとこんのすけから知らされたとき、これで何かが変わるならどんなことだろうと協力は辞さないつもりだった。
詫びとしてお参りがしたいなどと殊勝な理由を挙げて場所を知りたがったそうだが、それでごまかせると思ったのだとしたら浅はかだし、今さらどの口が言うのかと呆れるしかない。
本丸を移る山姥切国広を理由にまず最初に分骨を望んだ時点でこんのすけの不審を招いたことに気づけていたら、今ごろはまだ審神者を続けていられただろう。

「それにしてもあの女……主への逆恨みから時を遡行するだけに飽き足らず、呪いをかけるために主の遺骨を盗もうとまでするとは。俺がその場にいたら問答無用で圧し切ってやったものを」
憤りを混ぜながら悔しそうにする長谷部に、もう酔ったのかと山姥切は声をかけたが、この程度の酒で酔うものかと一気にあおった。

「そういえば大倶利伽羅は主の遺骨を囮に使うことに反対しなかったのか?」
「もちろん反対していたさ。だから説得するしかなかった」
「また鶴丸国永お得意の丸め込みか」
ハッと鼻で嗤い、長谷部は目の前のだし巻き卵に箸を伸ばす。
「いや、俺が説得を任された。自分じゃ大倶利伽羅をいいように丸め込むだけでしかないと言っていたな」
「……あの男、わかったうえでやっているのか。大倶利伽羅が苦手にするのも当然だな」
卵焼きを咀嚼し飲み込んだ長谷部が嫌そうな表情を浮かべたので、山姥切は苦笑した。
「それで、なんと言って納得させた?」
長谷部の問いに山姥切のコップを持つ手が揺れ、酒が波打った。その様子に長谷部はもう一つ卵焼きに箸を伸ばそうとしていた手を止めた。
「どうした」
「……いや。結局俺では説得できなかった。主が強引に納得させたからな」
「主が?」
姿は見えなくとも死んでからも本丸に留まっていたと長谷部はもちろん知っていたのでそのこと自体に驚きはない。
おそらく事情を知ってサクラを通じて伝えてきたのだろうと思って尋ねたが、山姥切は首を振って、オルゴールのおかげだと答えると酒を一口飲んでそのまま黙り込んでしまった。

オルゴールと聞いて長谷部が思い出すのは、元は主の母親の形見だったという細工の施された箱だ。
彼は近侍を務めることが多かったので、執務室の机にそれが置かれているのをよく見ていた。
そのオルゴールはたしか主の祭壇に置いていたはずだ。

どうしてオルゴールが説得に一役買ったのだろうと疑問に思いながら山姥切を見たが、彼の表情からどうやらそれ以上話すつもりがないのを見てとって、長谷部は息を吐きだして追及するのはやめておいた。
たとえ強引だろうと主が大倶利伽羅を納得させて今の結果がある。
それだけで充分でこれ以上は無粋というものだろうと、箸を動かした。


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