「あるじさま!」
今剣がぴょんと跳ねてリンに抱き着く。
この場に駆り出された刀剣男士たちはみんなリンの元に顕現した男士たちだ。
飛び込んできた体をなんなく受け止め、リンはリコたちのほうへと向き直ると、男士たちに彼女を解放するよう言った。
「けどまた暴れたら」
「平気ですよ和泉守。散々暴れた彼女にもうそんな力は残ってないですから」
訝しみつつも主がそう断言するならとリコを抑えていた和泉守兼定を始めとした男士たちが警戒しつつ距離を取ると、リコの体は支えを失って床に崩れ落ちた。手錠が床にぶつかって耳障りな音を立てる。
そしてリンの言う通り、立ち上がろうとするもののうまくいかずに床に這いつくばる格好になっていた。
そんなリコの元にリンが歩み寄る。
「リコさん。あなたは前の主さまの魂を呪いで消そうとしたそうですね。なぜそこまで前の方を恨むことが出来るのでしょう。あなたとは面識が無いとおっしゃってましたよ」
「っ、うるさいっ、あいつが!あいつが悪いのよ!大倶利伽羅を奪って、私を苦しめた!だからっ」
起き上がれずとも喚くだけの気力は残っているようで、そばで警戒する和泉守などはリコから感じる執念深さに辟易して思わず顔をゆがめる。
リンは返答を聞いて首をかしげて不思議そうにした。
「奪う?ですがあの大倶利伽羅様とあなたとの間には何の関係もないですよね。それにあなたがいまの本丸に就任するより前には面識もないはずです」
「私はっ!」
「つまり一方的にご存じだったのですね!でもそれは世間ではストーカーと言って立派に迷惑行為ですよ」
リンはリコの反論を封じるように両手を軽く打ち合わせ、ことさら軽い調子で言ってほほ笑んだ。
「出たな、主のあの顔……」
リコに対して警戒している男士たちはそれぞれに顔を引きつらせ、その中で御手杵がつぶやいた。
主であるリンが浮かべた笑顔は、聞き分けのない霊に対して最後の手段に出るときに見せるものだったからだ。
よもや生きている、それも同じ審神者相手にそんな表情を見せるとは思ってもいなかったので、自分たちの主はよほど怒っているのだろうなと彼らは推察することができた。
そんなリンの明らかな侮辱にリコは顔を真っ赤にして喚いた。
「ストーカーじゃないわよ!」
「ではストーカーではないと断言するならどうして大倶利伽羅様のいらっしゃる本丸に就任できたのでしょう?」
「そんなの立候補したからに決まって」
「聞きましたよ。立候補されたとき、前の主さまがまだ快復される可能性がある段階だったそうですね。不安ではなかったのですか?確か就任できないとなれば順番が後に回されてしまうとか……」
「……っ」
「だとするとリコさんはとても幸運な方ですね!一方的に面識のある方がいる本丸に就任できたんですもの。でもそれならどうして、前の主さまにお線香の一本もおあげにならなかったのでしょう」
リンは悲しそうな表情を浮かべる。
彼女の男士たちはそれが死んだという前の主を憐れんでのものだとすぐに察し、そんなリンの言葉に山姥切国広たちも反応を見せ、三人とも改めて怒りを感じていた。
そしていまとなっては下手に取り繕われることがなくてよかったのだとも思う。
本性が露見した時には主の遺した本丸が失われているなどという未来を回避できたのだから。
「乱暴な言い方をしてしまえば、リコさんが就任できたのはその方が亡くなったおかげとも言えます。でしたらご霊前に手を合わせるくらいはされるべきだったのではありませんか?」
「……!」
リンの言葉に、リコは繋がれている両手を強く握りしめて歯噛みした。
こんな状況に陥れられたうえに気に食わない相手から上から目線で説教されるなど、これ以上の屈辱はなかった。なんとかこの偉ぶった女を打ちのめしてやりたい、とリコは前の主に対する以上の憎悪を抱く。
新たな怒りに震えるリコを、リンは哀れみを込めて見下ろす。
「それもしたくないほど前の主さまを嫌っていたのですね。そういえば先ほど言っていましたね。彼を奪われた、と。ですが大倶利伽羅様はあなたのことはご存じではなかった。前の主さまも覚えが無いとおっしゃっています。ねえリコさん。あなたはいったいいつ、前の主さまに恨みを抱くことになったのですか?やはりそれも一方的なものなんでしょうか」
問いかける口調は柔らかいだけに内容の辛辣さが際立つ。
「このっ、いい加減に……!」
リコは怒りを原動力にして立ち上がろうとするが、上半身は起こせてもなぜか足が言うことを聞かない。
仕方なく不格好なほふく前進の状態でリンに近づこうとするが突然見えない何かに押しつぶされたように床に起こした上半身を打ちつけた。
何が起こったのかわからずリコは目を白黒させる。
そんな彼女にリンはもはや何も言わずに首を振り、そうして息を吐きだすと自分の男士たちにうなずいてみせる。連れて行きなさいと言う合図だった。
呆然として倒れているリコを男士たちは抱えあげ、その場から連れ出した。
「あの、彼女は……」
職員が気づかわしげに声をかけると、しばらくおとなしいままですから大丈夫とリンはほほ笑んだ。
それによってその場に居合わせた者たちの間にようやく安堵の空気が満ちていく。
リンは残った自身の男士たちにもそれぞれ持ち場に戻るよう指示して、そうしてサクラのそばにいる職員に場所を変えましょうと提案した。
小会議室と呼ばれる一室に山姥切国広たちは案内されてリンが来るのを待っていた。
この直前にはこんのすけに本丸で留守番をしている男士たちに主の席が空くことを知らせるよう頼み、サクラとともに騒ぎを起こしたことを職員やリンの刀剣男士たちにも謝って、そうしてようやく一息つけていた。
「まったく、きみには驚かされたよ」
オレンジジュースを飲むサクラの頭を鶴丸が軽くぽんぽんと撫でる。
「ごめんなさい。ずっとどうしてあの人の中は真っ黒なんだろうって気になってたの」
「なんだそれ。腹黒ってことか?」
からかう鶴丸に、だがサクラは真剣な表情で首を横に振った。
「ちがうの。本当に真っ黒なの。お兄ちゃんたちはいろんな色がキラキラしててきれいなのに、あの人だけは真っ黒だったの。それに声がきこえるの。やり直したのにどうしてって。私は間違ってなんてないって。あれ、あの人の声だった。だからどういう意味なんだろうって思って……でもお兄ちゃんたちにいっぱいめいわくかけちゃった。ごめんなさい」
しゅんとして肩を落とすサクラを山姥切と大倶利伽羅が両側からそれぞれ頭を撫でて気にするなと慰めたが、その声が揃っていたのでお互いを複雑そうな表情で見やることになり、そんな様子に鶴丸が声をあげて笑った。
ドアをノックする音がして、姿を見せたのはリンと先ほどサクラから話しかけられて戸惑っていた職員だった。さらにはこんのすけもいる。
「ごめんなさいね、お待たせして」
リンと職員が席に座り、こんのすけはサクラの膝の上に抱えられた。
「それでサクラちゃん。さっきのお話、もうすこし私たちにもわかるように説明をしてもらえるかしら」
座るサクラの目線に合わせるようにリンは頭をかたむけ、笑顔を見せる。
サクラがうなずいて職員のほうを見るので、職員も背筋を伸ばしてしっかりとサクラのほうに向き直った。
「さっき言っていたのはどういう意味かな?」
「わたし、お姉ちゃんが本丸にいるあいだだけいられるの。でもいなくなっちゃったらわたしは消えちゃう」
「サクラ、それは……どういうことだ」
大倶利伽羅の声には戸惑いがある。無理もないと鶴丸は思う。彼自身も先ほど同じように告げられたときに困惑したのだ。
リコはもう自分たちの本丸の主として戻ってくることはない。
ならばその空いた席をサクラに埋めてもらおうと思っていたところへ、突然の消失宣言など困惑するなという方が難しい。
「わたし、ムリしちゃったけどお姉ちゃんに会いたくて出てきたの。だからお姉ちゃんがいるかぎりわたしはこうしていられるの。でもお姉ちゃんが本丸を離れたら、わたしは消えるの」
だからお姉ちゃんが本丸に戻れるようにしてとサクラは真剣な表情で職員を見つめる。
戸惑いつつも職員は子どもの言いたいことをなんとか理解し、言葉を探りながら返す。
「つまり、戻れるようにしてって言うのは……その方にもう一度審神者として本丸に就任してもらうってことでいいのかい?」
サクラが大きくうなずく。正解だったかと職員は安堵したがふと疑問がわいて説明を求めるように鶴丸たちを見た。
「あの、でもたしか亡くなられていますよね……?」
鶴丸はうなずき、サクラの頭をそっと撫でながら硬い表情を浮かべた。
「サクラ。きみのいうお姉ちゃんは……あの子は死んだんだ。いくらなんでも死者に審神者の役目は無理だ。無理を言うもんじゃない」
死んだ主をどうやって再び審神者として役目に就かせることが出来るというのだろう。
サクラのように種族としては人間ではない審神者も存在している。
だが彼らは『生きている』のだ。生きて肉体を持っている。
そばにいると言ってもその気配も姿もわからないままではこれから先どうやって本丸を営んでいくのか。
鶴丸がたしなめるが、サクラは首を振って、そうして頬を膨らませた。
「ムリじゃないもん。わたしがお姉ちゃんのなかで生きるの。そうすればお姉ちゃんは私として生きていられるの」
サクラの言葉を反芻し、理解した大倶利伽羅たちはそれぞれ表情を強張らせた。
そんな三人の様子を見てサクラは自分が言いたいことが伝わったのだとそっとほほ笑んだ。
「ねえ、でもそうしたらあなたは消えてしまうのよね?」
気づかわしげなリンの問いにサクラは気負った様子もなくうなずく。
「消えるよ。でもなにもしないままだと、わたしは本当に消えちゃう。だからお姉ちゃんのなかで生きるの。わたしの姿がお兄ちゃんたちには見えなくなるだけ」
「サクラ……」
思わず大倶利伽羅は手を伸ばして子どもの桜色の髪を撫でた。サクラは嬉しそうに笑い、そうして自分の髪を撫でる手を取ってやさしく手の甲を撫でる。
そのしぐさや表情は顔立ちもあってやはり主を思わせた。
「お兄ちゃんにはお姉ちゃんといっしょにいてほしい。さみしい思いをしてほしくない。お兄ちゃんたちと直接お話しできないのはさみしいけど、これからはお姉ちゃんといっしょだからなにも怖くないの。……あ、でもときどきでいいからわたしのことを思い出してくれるとうれしいな!」
そう言って少しだけ寂しそうな笑みを見せるサクラを、大倶利伽羅は衝動的に抱きしめていた。