山姥切国広、鶴丸国永が示された部屋に入ると、目の前の窓の向こうに引き継いだ審神者が拘束されて椅子に座り、その背後には政府所属の刀剣男士たちが立って見張っている姿があった。
審神者の前には政府職員が数名いて、机を挟んで取り調べをしている。
窓からは隣の部屋の様子もうかがえた。そこには拘束されてないものの座って何かを話している男の姿があり、それを見て山姥切国広が目を瞠った。
「あいつは……!」
「知っているのか?」
「主の元担当医だ。なぜあいつが」
それを聞いて驚く鶴丸と思いがけない状況に愕然としている山姥切に、この部屋に案内した政府所属のへし切長谷部が、あの男がお前たちの主に呪いをかけた張本人だったと告げた。
男の右手には切り裂いたような形の傷があったとも言われ、鶴丸はとっさに懐にしまい込んでいた紙を取り出した。くたびれてしまったその紙には大倶利伽羅が見たという傷の形が描いてある。
政府の方にも男の特徴は伝えてあったが、それらしい目撃情報はなかった。
「本当にこの傷があの男にあったのか?」
長谷部が苦々しい表情を浮かべてうなずく。
彼らとしてもまさかこれほど身近にいたとは想像していなかった。
呪いは毒を使ったもので特定の相手を対象としておらず、知識さえあれば作れるものだったという。
そのため作成者を特定するのが難しく、しかも目撃された傷のある男はばら撒くのが役目だけの単なる使い捨てである可能性も考えると、容疑者を絞り込むこと自体が現実的ではなかった。
結果として手に傷のある男を捜すよりも、呪いにかかった場合の対処のほうが優先されることになった。
話を聞いた山姥切国広の顔から血の気が引いていく。
主はあの医者を犯人とは知らずに担当医にしていたことになる。だが何よりおぞましいのは──。
「……あいつ、最初の時に誤診したんだ。でもあいつが犯人なら、あれは……!」
「誤診は意図的なもので、そうして手遅れにさせて最期を見届けるつもりだった、と」
長谷部の答えに一瞬で怒りに支配された山姥切は飛び出しそうになったが、鶴丸がとっさに抑え込んだ。
放せと抗議しかけた山姥切は自分を抑える鶴丸の顔が強張っていることに気づくと歯噛みして、いくらか落ち着きを取り戻してそうして息を吐きだした。
「……すまん、取り乱した」
鶴丸は気にするなというように首を振る。長谷部にもすまないと謝ると、お前たちの怒りは正当なものだと慰めるような言葉が返ってきて山姥切は目を瞬かせた。
「たとえ主が違っても、主という存在あってこうして在る俺たち刀剣男士にとって、その怒りは理解できるものだ。だがこの場では耐えてくれ」
別の騒ぎを起こしてしまっては本丸の存続にかかわると、長谷部は悲痛さをにじませた声で言った。
「……俺は、主になんて詫びればいい……診察に一緒に行ってあの男には何度も会っていたのに、傷のことだって知っていたのに、なんで俺は何も疑いもしなかったんだ……!」
廊下の長椅子に腰掛けてうなだれ、涙する山姥切国広の背を鶴丸国永はそっと無言でさすってやる。
こんなときにはどんな言葉をかけても慰めにはならない。
ただ泣き止むまでそばにいてやるのが鶴丸にしてやれることだった。
ふと目の前を足音ともに何かが横切った。とっさに鶴丸は視線で追いかけ、それがサクラであることに気づくと目を瞠って長椅子から立ち上がった。
「サクラ!?」
声につられて涙で目元を赤く腫らした山姥切も顔を上げ、かろうじて見える小さな後姿にどうしてここにと訝しむ。
引き継いだ審神者が拘束されたと連絡があったとき、本丸でみんなと留守番をしているように言ってこの場には山姥切と鶴丸だけで来たはずなのに。
二人は顔を見合わせると急いで後を追った。
二人が追いついたとき、そこにはサクラと拘束されて両腕を抱えられているリコが対峙してる光景が広がっていた。
リコは鬼の面でもつけているのかと錯覚するほどの形相で抱えられながらサクラを一心に睨んでいる。
さきほど取り調べをしていた職員がサクラに危ないから下がってと連れて行こうとするのだが、どうしてかびくともしないようで困り果てている。
「サクラ。留守番をしていてくれと言ったはずだぞ」
そこへと近づいて叱れば、サクラはごめんなさいと謝りはしたが、鶴丸を見上げるその目には彼に一瞬口をつぐませる何かがあった。
「サクラ……?」
怯みを覚えたというよりも、心を見透かされるような不安にも近いものを鶴丸は感じた。
サクラは鶴丸から視線をリコに戻し、首をかしげた。
「どうしてお姉ちゃんを悲しませるの。どうしてお兄ちゃんを苦しめるの」
「なんですって……」
「どうしてあなたの中は、そんなにまっ黒なの。あと……やり直すってなに?」
「何をっ……!!」
リコは息を詰めて顔色を失い、そして突然取り乱した様子で自分を抑えている男士たちから逃れようと暴れる。
「暴れんな!おとなしくしろ!」
「おいガキンチョ、危ないからさっさと下がってろ!」
手を離してしまえば手錠をかけられていようと構わずこの女はこの子どもに襲いかかると、抑えている男士の和泉守兼定と同田貫正国がサクラに声をかけ、職員にも早くその子を連れて行けと言うのだが、職員もわかっていると答えながらなんとかサクラを引き離そうとするのにまったく動かせない。
大の大人が幼い子どもを持ち上げられないなど普通に考えればありえないことだ。
見た目の年が近い相手なら話して聞かせることが出来るのではないかと短刀の男士に応援に来てもらったが、それでもサクラは動かない。
困惑しながら人手を増やすよう他の職員に指示を出す。
応援に駆けつけた別の男士たちも加わってリコとサクラを引き離そうとしたが、リコはともかくサクラはどうしてもその場から動かせなかった。
「離してっ!お前さえ……お前さえいなければ全部うまくいったのに!」
暴れるためなかば引きずるようにして男士たちがリコを連れて行こうとするが、リコは抵抗を見せてサクラを罵倒する。
幼い子どもに対するにはあまりに常軌を逸した反応に怪訝になりつつ、彼らは抑えるのに手を焼いていた。
人間、ましてや女性の力と戦に特化した刀剣男士では力量がありすぎるため、本気で抑えようとするとケガを負わせてしまう可能性があるからだ。なのに肝心の本人はお構いなしに暴れている。
「いい加減にしろって。いい大人が子ども相手に喚いてみっともねーだろ!」
とっさに口を閉じさせようと和泉守が手を伸ばしたが、それは思い切り噛まれてしまう。
「っ、この野郎っ!」
「おいやめろって!」
反射で手を出しそうになる和泉守を慌てて御手杵が抑える羽目になった。
その場は混乱していた。なぜか重しにでもなったかのように大人でも動かせない幼い子どもと、それに向かって喚き散らす女とそれを抑える政府所属の刀剣男士たち。
事態の収拾をどうつけたものかと困惑している政府関係者たちと、当事者のはずなのに何も手出しをできずにいる山姥切国広と鶴丸国永。
鶴丸は戸惑いながらもとにかくはサクラをこの場から連れ出そうと手を取り、おいでと引いたのにまるで根が張っているようにサクラの足は微動だにしない。
一瞬、桜の木の精霊だから根を張っているのだろうかと考えたのは鶴丸の混乱を表していた。
首を振ってとっさの考えを振り払い、厳しい表情を浮かべて背をかがめた。
「サクラ。ふざけたことをしていないで帰るぞ。伽羅坊も待ってる」
「ダメなの。あの人に聞かないといけないの」
そう言ってサクラはもう片方の手でリコを指さす。
リコは歯ぎしりしてますます激しい形相になった。
鶴丸はそれを冷ややかに一瞥し、サクラに向き直る。
「あの女に聞くことなんてもうないだろう?」
もはや鶴丸は、彼女という三人称すら使わなかった。
主を死なせた呪いの犯人と、そうとは知らなかったとしても結託し、あまつさえ主の魂を消滅させようとしていたと聞いてこれまでと同じ態度でいることなど出来るはずがない。
「あの女はきみの言うお姉ちゃんを愚弄したし、俺たちにとっても新しい主なんかじゃない。サクラ。きみに俺たちの新しい主になってほしいんだ」
本丸に残っている刀剣男士たちに尋ねてはいないが、おそらく反対はされないだろう。
その話が聞こえたのか、リコが本丸は私のものだと喚きたてるので鶴丸はとっさにサクラの耳を塞いで舌打ちした。
カツンと床を打ちつける音がして、何かが飛び上がる気配があってそちらを見ると、サクラの説得に駆り出されていた今剣がいつのまにかリコのほうへと近づいて、御手杵の肩に乗っかっていた。
その手には布があり、すばやくリコの口に噛ませて物理的に声を塞いでしまう。
「みぐるしいですよ。ちょっとだまっててください」
ため息と共に言い捨てると足場にしていた御手杵に謝りながら今剣は床に降りた。
だがリコはなんとか布を振り払おうと足掻き、うめきつづける。
「……ありがとう鶴丸お兄ちゃん。でもそれはダメなの」
「え?」
「私、このままじゃ消えちゃうの。だからお兄ちゃんたちのそばにはいられない」
「サクラ?何を言って……」
鶴丸が戸惑っているとこちらへと走ってくる足音が聞こえ、振り向くと大倶利伽羅が姿を見せた。
おそらく連絡を受けて駆けつけたのだろう。息を切らしている。
「伽羅坊……」
「……すまん。少し目を離したらいなくなっていた」
大倶利伽羅は大きく息を吐きだして呼吸を整えると、この場の状況に不可解そうな表情を見せた。
離れた場所から聞こえるうめき声を無視してサクラのほうへと歩み寄り、目線を合わせるように片膝をつく。
「ケガは無いか?」
「平気だよ。だってわたし、何も怖くないもん」
「そういう問題じゃない。どうして何も言わずにいなくなったりした」
「ごめんなさい。どうしてもあの人に聞きたいことがあったから」
あの人とは引き継いだ審神者のことだろうと大倶利伽羅はそちらを一瞥して、サクラに視線を戻すとため息をつき、そっと頭を撫でた。
「お前があの女に関わる必要はない」
おいで、と大倶利伽羅は立ち上がって手を差し出す。
サクラがその手に触れようとしたところで、甲高い叫び声が響いた。
「ッ、大倶利伽羅!!おねがい助けて!大倶利伽羅っ!」
どうやら噛ませたはずの布が外れてしまったようだった。
自分は何もしていない、無実だと喚きたてている姿は大倶利伽羅に就任初日に声をかけてきたときの必死さを思い出させ、不愉快な気分に陥らせた。
「おとなしくしろって……!」
「早くその子を連れて──」
行ってくれとつづくはずだった膝丸の言葉をさえぎる形で、突然あたりに鋭く何かを打ちつける音が響いた。
誰かが喚くリコの頬を張り倒したのかと政府職員は思わずそちらを見たが、しかしそんな様子は見られなかった。
だがリコは目を見開いたまま言葉を失っているし、彼女を抑えている男士たちも突然動きを止めたことに驚き、戸惑っている。
サクラはその様子をじっと見て、そうして職員のほうを振り向くとこれまで一歩も動かずにいたのが嘘のような身軽さで駆け寄っていった。
スーツの袖を引っ張って、お願いがあるのと声をかける。
「わたし、このままじゃ消えちゃうの。だからお姉ちゃんが本丸にいられるようにして」
「え、あ、はい……!?」
声をかけられた職員は何故自分にという戸惑いでうろたえた。
「サクラちゃん、いきなり言われてもわからなくて困ってますよ」
小さな笑い声と共にそう言って姿を見せたのは、政府所属の審神者であるリンだった。