「健康診断?」
「はい。就任してから一か月ほどを目安に審神者のみなさまに受けていただくものでして」
「一か月にはまだ早いじゃない。そもそも面倒だからパス」
「目安は目安ですから。あと任意ではなく義務なのでパスは出来ません。受けたくないなら審神者を辞めるしかありませんね」
管狐の言い草に彼女は舌打ちして、わかったわよと苛立たしげに息を吐いた。
義務だと言われたら真面目な彼女としては向き合うしかない。
ふと前の時にこんな義務があっただろうかと思い出そうとして、別のことが頭をよぎって彼女は不安に駆られた。
もしもまた霊力が減っているなどと言われたらどうしようと思案していると、主さま、と呼ばれて彼女はうつむけていた顔をあげた。
「今日これから検査をすることも可能ですが、いつにしましょうか」
「……じゃあこれから行くわ」
面倒なことはさっさと済ませてしまうに限る。
それにしても「わかりました」と答える管狐はこんなことよりもっと大事な、除霊師を探すという仕事をさっさと済ませてほしいものだともう一度ため息をついた。
出かける準備を始めながら、こういう場合男士を誰か同行させるのか尋ねると管狐は必要はないと言う。
「でもほら、護衛的なものが必要じゃない?」
「病院までの直通ゲートがあるので問題ないですし、誰か護衛として連れて行きたい男士がいるのなら止めることはしませんのでご自由に」
彼女の脳裏に浮かぶ刀剣男士は一人だけだ。だが彼は同行を求めてもうなずかないだろう。
その程度のことは弁えているつもりの彼女は落胆しながら部屋を出た。
心配していた霊力減少は確認されず、健診を終えた彼女は病院の廊下を歩いていたが、ふと自分がどちらから来たのかを失念してしまい、フロアをうろつく羽目になった。
ようやく別の棟に出ることが出来てホッとしていると、あるプレートが目に入ってきて足を止めた。
そこに書いてある『呪術診療科』という単語には覚えがあった。
前の時に霊力減少の原因が判明した後に回された診療科だ。
ここはあの時とは別の病院だが、こうして審神者の健診なども受け入れているから政府と関連があってこんな診療科も存在するのだろう。
そういえばあの時自分を診た医者は呪術に詳しいと言いながら呪いの元凶である前の主への呪詛返しは出来ないと断言する程度の役立たずだったと思い出して呆れていると、どうしましたかと声をかけられた。
振り向けば、線の細い、両手を白衣のポケットに突っ込んだ姿勢の悪い男が立っていた。
「いえ、ちょっと……」
「あ、もしかして迷われました?ここどうしても迷うんですよね。勤めてても迷うんで初めての方なら仕方ないですよ」
そう言って男は軽い調子で笑う。フォローになっているのかわからないが、あまり関わり合いになりたくないと白けた気分でいるとそれを感じ取ったのか、男は慌てた様子ですみませんと頭を下げた。
「あの、その様子からすると審神者の方ですよね。健診が終わっているなら玄関まで案内しますよ」
「……わかるんですか?」
「一応ここの医者なんで」
そう言って男はプレートをあごでしゃくって指した。
「じゃあ呪術に詳しいんですね」
前の時の医者は役立たずだったがこの男はどうなのだろうという好奇心から、呪術診療科とは何かと尋ねると、どうせなら中にどうぞと案内されて椅子に座り、ひと通りの説明を受けた。
「そういう家系なので。でも詳しくても結局患者さんを救えなかったんですけどね」
男はそう言って息を吐き、ポケットから手を出す。
手袋をはめた手に潔癖症なのかと思いながら見ていると、男は自分のデスクにある雑誌を手にした。
それは彼女にとってどうしてここにあるのかと驚くものだった。その中に何があるかを知っている所為もあってか、つい顔が険しくなる。
男は気づいた様子もなくページをめくり、彼女の前に差し出した。まさにいま彼女が思い出し、そして二度と見たくないと思っていたそのページだった。
掴みかかって破り捨てたい衝動に駆られたが、手を握りしめることで何とか抑える。
いくらなんでも人のものを勝手に壊すわけにはいかない。
ゆっくり息を吐きだし、努めて平静を装う。
「……フォトウェディングの写真がどうかしたんですか?」
「ここに写ってる花嫁が僕の患者さんだったんです」
「……え」
思いがけない事実に彼女が驚いているのを余所に男は、まだ若かったのに僕の所為で、と苦しそうにつぶやきながらページの花嫁の写真の部分をそっと撫でる。
「さっき、救えなかったって言ってましたけど……」
「誤診をしてしまったんです。やがて命を奪う呪いだったのに、ほんの数週間で立ち消える呪いだと診断してしまって……もっと早くに対処していればいまごろはっ……」
悔しそうに拳を握りしめ、男は顔をうつむかせる。
彼女は息を呑んでそっと口元を手で覆った。手に隠れた口元が小刻みに震える。震えているのは笑ってしまいたいのを堪えているためだ。
この人はなんて素晴らしいことをしたのだろうと彼女は感動に打ち震え、胡散臭そうだという印象はすっかり変わってしまっていた。
彼は罪悪感を抱えているようだが、彼女にとっては正しい行いをしてくれた恩人にも等しい。
彼が誤診をしてくれたおかげで忌々しい前の主は死んだのだ。
お礼を言いたいのをこらえていると、ふと彼女は何かを閃き、男の膝の上で強く握りしめられている拳にそっと手を伸ばした。
「ねえ先生。私、実はこの人を知っていて……それで救いたいと思っているんです。協力してくれませんか?」
「どういう……?」
訝し気な男に彼女はそっと目を細めた。
「こんのすけから会いたいと連絡を受けて驚きました。リコちゃんは元気ですか?」
鶴丸国永は喫茶店にいた。
向かいの席には和服姿の美女がいて、運ばれてきたコーヒーに口をつけてそう尋ねてたおやかにほほ笑む。
その女性はカスミといい、引き継いだ審神者のリコが見習い時代に配属された研修先の審神者だ。
「元気……まあ元気だな。たしかに」
鶴丸の言い方が引っかかったのかカスミは訝しそうにしたが、彼は気づかないふりをしてほほ笑み、リコのことでいろいろと聞きたいことがあると告げた。
「はい、なんでしょう」
「彼女の研修中、何か変わったことはなかったかと思ってな」
「変わったことですか?」
ピンとこない様子のカスミに鶴丸は例えばと口を開いて目を細め、恋をしたとかとつづけた。
カスミは目を瞬き、唇に指をあてて考える仕草をした。伏し目がちに考えている顔は表情も相まって妖艶だ。
しばらくしてカスミは首をかしげ、思い当たることは特にないと答えた。
「ちょっと融通がきかないところはありましたけどなにしろ真面目な子でしたし、うちの男士とも話すことも普通にしてましたけど、誰かと特別仲が良くなったというのはなかったかと……」
「演練には同行させていたのかい?」
「ええ。勉強熱心で意欲的な子でしたからね」
「ならその演練場で何かあったりは?」
「さっきおっしゃった、恋をしたかどうかですか?」
「恋でなくても誰かと知り合ったとか」
「おそらくなかったかと」
「そうか」
「あの、リコちゃんに何か?」
心配そうに尋ねてくるカスミに鶴丸はほほ笑んで、彼女がどうして自分たちの本丸に来ることになったのかを知りたくなったのだと答えた。
鶴丸の答えは意外だったのか目を瞬かせ、眉を下げた。
「……あの、もしやうまくいっていないのですか?」
鶴丸は紅茶に口をつけていたが、カップを受け皿に戻し、表情を消した。
「うまくいっているかいないかで言えば、後者だな。正直言って彼女にはいろいろと不可解なことが多くてね」
鶴丸がそう返すと、カスミは表情を硬くした。
しばらくその場は沈黙が支配していた。
だがふと近づいてくる気配に鶴丸が顔を上げると、真剣な表情の堀川国広とどこか挙動不審の和泉守兼定が立っていた。二人の姿にカスミが目を丸くした。様子から見るに彼女の刀剣男士なのだろう。
「あら、和泉守さん、堀川君、どうしてここへ?」
「ねえ主さん。その鶴丸さんとはいつからの付き合いなんですか?」
「……はい?」
堀川の後ろで和泉守が慌て、余計なこと言うなと口を塞ごうとするが、兼さんは黙っててとすげなくされている。
「うちの主さんとはどういうお付き合いなんですか?」
堀川は鶴丸に向き合うとそう尋ねてじっと見定めるように視線を注ぐ。その言葉と視線に鶴丸は一瞬驚きを見せたものの、口元に笑みを刻んで目を細めた。
「怖い顔だな。そんな顔をしなくてもきみらの主に何かをするつもりはないさ。それより座ったらどうだ。できるならきみたちからも話を聞きたい」
浮かべた表情から挑発でもしてくるのかと身構えていた堀川国広は拍子抜けし、その様子に和泉守とカスミは顔を見合わせた。
「見習いのことを聞きたかった、ですか……すみません、早とちりをしてしまって」
二人が注文した飲み物が運ばれてきて、堀川は申し訳なさそうに頭を下げる。
鶴丸は気にするなと笑い飛ばし、こんなに美女ならそりゃなおさら心配だよなとからかった。
「いや、僕じゃなくて兼さんが」
「国広!」
顔を赤くして自称助手を睨む和泉守を鶴丸は微笑ましく眺め、ふとカスミを見るとおかわりを頼んだコーヒーを堪能していて二人の様子には気づいていない。
道のりは長そうだなと思いながらも、口に出しては別のことを言った。
「きみたちの本丸に研修で来ていた見習いを覚えているかい?リコという名前なんだが」
「ああ覚えてるぜ。真面目でキビキビして、なにかと主の後ろをついて回ってたよな」
「うん。でも堅苦しい人じゃなかったよね。まあ短刀の子たちにはちょっと振り回されてたかな。……でもそのリコさんがどうしたんですか?」
「うちの本丸を引き継いだのが彼女でね。すこし話を聞きたいと思ったんだ」
「あれ、リコさん新しい本丸に就任したんじゃないんですか?」
そう言って堀川が自身の主であるカスミを見ると、彼女はコーヒーカップを受け皿に戻した。
「そうみたい。だからこちらの鶴丸さんから直接会ってリコちゃんのことで話をしたいのだと聞いたとき驚いて」
すでにある本丸を引き継いだということは前の審神者には事情があったということだ。
先ほどうまくいっていないと聞いて、カスミは自分の本丸で預かっていたこともあって心配していた。
「あの、差し支えなければ前の方はどのような事情で審神者をお辞めになったかうかがっても……?」
カスミが尋ねると鶴丸は紅茶のカップに伸ばしかけた手を止め、一瞬ためらいを見せた。
だがゆっくりと首を振って、どこか穏やかな表情を浮かべた。
「あの子は、主は死んだ」
表情から想像できなかった内容が出てきてカスミたちは目を瞠った。
そんな三人に構わず、鶴丸はカップを取り上げる。
「もしかしたらきみたちも知っているかもしれないが、少し前に無差別で呪いにかかる危険があると言われただろう?」
「ええ。こんのすけから注意するようにと聞いていました。まだ犯人が捕まっていないとか」
ただ呪いが毒によるものであったことがある呪術の専門家によって明かされ、万が一かかった場合の解毒剤も作られており、一時は外出制限もされていたがいまは緩和されている。
うなずき、一口飲んだ鶴丸が受け皿に戻す。
「主はその呪いで死んだのさ。まだ若かったのにな。しかも解毒剤の話を聞いたのはあの子が死んだ二日後だった」
「まあそうでしたか……お悔やみを申し上げます」
そう言ってカスミが頭を下げると堀川と和泉守もそれに倣って頭を下げた。
ありがとうと礼を言って、鶴丸はそっと息を吐きだした。
今日会ったばかりの相手でさえこんなふうに言ってくれるのにどうしてあの審神者は、と腹立たしい気持ちになって慌てて振り払う。いま必要なのは怒りではなく、情報を集めることだ。
咳払いして、それでと鶴丸は沈みかけたその場の空気を切り替えた。
「俺がきみに連絡を取ったのは、彼女の交友関係を調べているからだ」
「先ほども尋ねていらっしゃいましたけど、なんのために?」
「さっきも言ったが、いろいろ不可解なんでね。きみたちにとっては不快な話だろうが、こっちは主の遺した本丸を守れるかどうかの瀬戸際さ」
いくらか誇張した言い方をしたが、嘘ではなかった。
おそらく彼女の──リコの願望が成就した時、自分たちの本丸は崩壊する。その未来が鶴丸には見えたような気がした。