大倶利伽羅はサクラに請われて添い寝をしてやり、子どもが寝入ったら起きるつもりをしていたのだが、気づかないうちに眠りに落ちていた。
そして彼は夢を見た。
暖かな春の日差しに包まれる本丸に彼はいた。屋敷の中にはどういうわけか彼以外の気配がない。
どうやら自分は夢を見ているようだと漠然と認識し、庭に咲く桜を横目に彼が向かったのは執務室と私室が連なる審神者の部屋だ。
すべての障子戸が閉まっていた中で、そこだけがまるで彼をいざなうように少しだけ開いている。
彼は自分が何を捜しているのかに気づき、それがこの戸を隔てた向こうにあることを願いながら開けたが、そこには誰の姿もなかった。
他にその姿がありそうな部屋は、と視線を離れの方へ向けて方向を変えようとしたとき、お兄ちゃんと呼ぶ声が聞こえた。
振り向けば音もなくいつのまにかサクラが立っていた。
「お兄ちゃん、こっちだよ。わたしがつれていってあげる」
言うなりサクラは大倶利伽羅の手を取り、駆け出す。
引っ張られながらどこに連れて行く気だと尋ねたが、サクラは、お兄ちゃんが喜ぶところだよとだけしか言わずに初めて会った日のような大人びた笑みを浮かべた。
サクラに手を引かれて彼が歩いているのは林道だ。
この先にあるのはサクラの本体である桜の木が一本だけ立つ開けた所で、大倶利伽羅にとってはなじみ深い憩いの場にして主と過ごした大切な場所でもある。
「お前の木を見せたいのか?」
幾度となく足を運んでいるのだから桜の木も飽きるほど眺めている。
いまさら見せられてもと困惑する大倶利伽羅に、だがサクラは何も言わなかった。
木までたどり着いたとき、大倶利伽羅は息を呑んだ。そばにたたずむ人影。
ややうつむいた横顔は彼がもっとも会いたくて、触れたくて、声が聞きたかったその人のものだった。
「主っ」
サクラが手を離すとまるで背を押されたような感覚があって、大倶利伽羅は駆け寄って手を伸ばして抱きしめていた。
主が驚いた様子で彼の名を呼び、そして強い力で抱きしめる彼をなだめるように背中を撫でた。
苦笑交じりに名前を呼ばれて、彼は渋々腕の力を緩めた。
抱きかかえたまま顔を寄せ、触れそうな距離で見つめて視線を合わせる。
「会いたかった」
会って声が聞きたかった。こうして触れたかった。
言葉がこぼれ落ちていく。それ以上は何と言葉にしたらいいかわからず大倶利伽羅は唇を結んだ。
再び主が彼の名を呼ぶ。そうして、あのねと切り出した表情に彼は嫌な予感を覚え、主の両の頬を手のひらで包んで見つめて首を横に振る。
「今は聞きたくない」
主の話を聞いてしまえば、もう二度とこうして会えなくなる。そんな予感がしていた。
そんなこと言わないで、と幼い子どもの我がままをたしなめるような声で主は彼の手の甲を撫でる。
彼はなおも聞きたくないと首を振って再び強い力で抱きしめた。
腕の中で仕方ないと主がため息をつく気配があった。
腕の中の存在を確かめながら、彼は今日までの後悔を思い返す。
もっと距離を縮めていればよかった。触れて、自分だけのものにしていればよかった。
──俺を置いていくなと、死の間際に言えばよかった。
けれどあの時の主は目も見えず、耳も聞こえず、話すこともできなかった。何を言ったところで、言葉は届かなかった。
それでも、口に出すべきだった。いまここで出したところでどうしようもないことに比べたら、ずっとずっと、抱える未練が違っていただろうに。
どれだけ無言のまま抱きしめていただろう。
背中をなだめるように軽くたたかれ、大倶利伽羅はようやく体を離した。
主の両手が彼の頬に伸びる。そっと包む手のひらに温度が感じられないことに唇を噛んだ。
主は、きちんとお別れが言えなかったことが心残りだったと話し始めた。
みんなにも国広にも大倶利伽羅にもさよならをちゃんと言いたかった。だから本丸に留まっていたと。
そうして、迷惑かけてごめんなさいと悲しそうに眉を下げた。
新しい主さんにもこんな身勝手なことで留まった所為で迷惑をかけてしまったと表情を曇らせるので、大倶利伽羅は違うとはっきり否定した。
「あんたの所為じゃない。あの女は最初からあんたの存在が邪魔だった」
そうでなければ来て早々に主に関わるものを処分しようとしないだろうし、なによりあんな格好で来なかったはずだ。
そしてもし誰かの所為だと言うのなら自分だと大倶利伽羅は思ったが口にすることはしなかった。
言葉にしたところでなんの意味もないと彼は知っていたし、不毛なことはしないと決めていた。
だが最初から割り切ることが出来ていたわけではない。
引き継いだ審神者の異様さ、特に自分に対しての執着と主に対しての敵意が見えてくると、大倶利伽羅はこんな人間に主の遺したものを壊されてしまうのかと愕然とした。
同時に自分の所為で他の刀を巻き込んでしまったというやりきれなさがあった。
彼が他から一方的に想いを寄せられたことから発展した騒動はこれで三度目だが、前の二度とは比べものにならないほど相手は厄介で、そんな相手を表向きにでもこの本丸に自分たちの新しい主として迎え入れねばならなかった。
なのに誰も彼の所為だとは言わなかった。それどころか大倶利伽羅には自分を責めるなとすら言うのだ。
『──きみがどれだけあの子だけを見ていたとしても、一方的に想いを寄せられることを避けられるわけじゃない。これは誰の所為でもない不幸な事故だ。きみが自分を許せないことは理解してやれるが、自分を責めつづけるなんて不毛なことはやめておけ。そんなことをしたってあの子は帰ってこない』
鶴丸国永は厳しい口調で大倶利伽羅を諭しながら、表情はひどく悲しそうにしていた。
その言葉にうなずいたものの、それでも心のどこかに自分を責める気持ちがあり続けた。
もしかしたら主が呪いにかかったことの裏にあの女がいたのかもしれないと思うと、自分が結果的に主を死なせたのではないか。そんなふうにすら考えてしまうことがあった。
そんな考えを、どういうわけか太鼓鐘貞宗に見抜かれたうえ、気をしっかり持てと叱られたのはほんの一昨日のことだ。
さらには、全部自分の所為だと思い込むのは自意識過剰だとも指摘された。
『伽羅があの女の思惑に気づけていたとしても、主がそれで必ず助かった保証はどこにもないんだ。全部を守りきるなんて誰にも出来ねぇよ。それは伽羅だってわかってるんだろ』
俺たちに出来るのは戦場で刀を振るって歴史を守ること、それだけだ。
だからせめて主の遺した本丸を守って、戦い抜くしかない──。
「あんたの所為じゃない」
言葉に出せない分の思いを込めて、頬を包む主の手を取って口づけた。
目を覚ました大倶利伽羅の視線の先には庵の一室の天井が広がっていた。
体を起こして横を見ればサクラはまだ眠っているが、布団を蹴飛ばしたようで何もかかっていなかった。
その様子に小さく笑って、布団をかけ直してやってからそっと頭を撫でると大倶利伽羅は部屋を出た。
庵の小さな庭に立って通行手形を宙にかざすと一瞬の浮遊感のあとに目の前の景色が林道の先の開けた場所に変わった。
そういえば昨日はここから庵に入っていたのだったと思い出し、大倶利伽羅は桜の木へと手を伸ばす。
見飽きるほど見たはずの木なのに、どうしてかいまは新鮮な気分だった。
「……主」
当たり前だがいまここに主の姿はないし、そもそもこの目に姿は見えない。
それでもリンとサクラのおかげで主が本丸にいることを知ることが出来て、いくらか救われた気持ちになっていた。
そんななかで見た昨夜の夢は、主を失い、新しい審神者が現れたことによって重くなった心を軽くするのに足りるものだった。
茂みが揺れる音に視線を向ければ、ここによく顔を出す猫が飛び出し、鳴きながら彼に近づいてくる。
大倶利伽羅は小さくほほ笑み、しゃがんで手を差し出した。