朝目覚めて、心臓が激しく鼓動しているのを感じた。
ひどい夢を見た。これもサクラが思ったより早く現れたせいだと彼女は歯噛みする。
だがサクラは近日中に新しい本丸を持つと言うから、余計な手出しは必要ない。
それでも自分の精神安定のためには一刻も早く除霊をしてもらわなくては。
ため息をついて、彼女は管狐を呼んで霊能者の派遣はまだなのかと催促したが、生意気にもこの狐は本当に除霊が必要なのかと問いただしてきた。
「この本丸に邪悪な気配は感じられませんので、除霊が必要とは思えないのですが」
「私の言うことを疑うわけ!?」
「そうではありませんけど……」
そう言ってため息をつくこんのすけの態度は明らかに彼女の言葉を信じていなかった。
「もっと真面目にやってよ!」
「気配のないものにはどうしようもありませんよ。そうだ。どうせなら前の主さまの四十九日を迎えるまで休まれたらいかがです。どうもお疲れのご様子ですから」
「あんたまで鶴丸みたいなこと言うなんて!」
「理由もなく余所の刀剣男士に因縁をつけるのは健全な精神とは言えないでしょう」
「休みなんて必要ない!それよりさっさと除霊師を見つけてきなさい!」
衝動的に枕を投げつけたがそれは管狐が姿を消したために当たらず床に落ち、忌々しさに舌打ちをした。
朝食を持ってきたへし切長谷部に今日の近侍を大倶利伽羅にすると伝えると、無理だと思いますとそっけない返事があった。
「長谷部に聞いてない!」
「昨日本人から言ってきました。自分は二度と近侍をやるつもりはないと」
「なっ……」
「ですので今日は俺が務めます。それとも……無理やりにでも大倶利伽羅を引っ張って来いと言うのならそうしますが」
どこか冷ややかな眼差しと口調には有無を言わせない迫力があった。
もしそうしろと言ってしまえば、おそらく大倶利伽羅は彼女を徹底的に拒絶するだろう。
いまは我慢だと自分に言い聞かせ、彼女はわかったと答えて箸を手にした。
「それでは終わりごろに回収に来ますので」
執務室に移り、やってきた長谷部に彼女は大倶利伽羅から渡されていた当番表をつきつけた。
あの後結局手をつけることもなかったので何も変わっていない。
「なんなのこのごちゃごちゃとしたスケジュールは。前の人はよほど管理が下手だったみたいね」
「いえ、これは主が作ったものではありません。主が倒れた後、俺たちが本丸を守っていくために自分たちで作ったものです。どこの掃除を誰がやるかだとかや食事当番等々、各々立候補をして決めたんです」
「……そう。でもごちゃごちゃなのは事実よね。もうちょっとなんとかならないの」
「ですから割り振り直すと貴方がおっしゃったのでは?」
指摘する声はどこか訝しむものがあった。
「まさかこんなにごちゃついてるとは思わなかったのよ。どうせまだ出陣もしないんだし、長谷部、直すのを手伝いなさい」
「……かしこまりました」
そうして割り振り直しを終えるころにはお昼になっていた。変更した当番表を長谷部につきつけてやると、拝見しますと恭しく受け取った彼は目を通し、無言で息を吐きだした。
「なによその反応」
「いえ。習慣が変わるまでは混乱しそうだと思っただけです」
習慣と言えばと彼女はふと思い立ち、それより食事のことだけど、と話を振った。
「食事がどうしました?」
「この習慣も変えたいと思ってるの。大広間で全員で食事をする形式にするわ。もっとみんなともよく知り合いたいし」
そう言った彼女を長谷部はしばし見つめ、泣きそうな表情を一瞬見せてうつむかせて目元を抑えた。
「ちょっと、どうしたのよ……」
泣くほどのことを言ったつもりはないのにと思い、もしかしたら嬉しさからの涙なのかもしれないと彼女は面映ゆさに口元を動かし頬を撫でる。
だが返ってきた答えは彼女の想像とは違っていた。
「いえ、主を思い出して……主もそんなふうにおっしゃって、俺たちと共に食卓を囲まれていました。特に朝食の時間を大事にされていて……っ」
すみません、と長谷部は口元を手でおさえて肩を落として声を震わせる。
「な、泣くようなことじゃないでしょ!」
前の主を思い出して泣くへし切長谷部とは対照的に、彼女は屈辱的な思いでその姿を睨みながら悔しさに体を激しく震わせた。
もしまた全員で揃って食事をする習慣に変えたとして、それが前の主が決めたものに結果的に戻すことになってもそれは仕方ないと妥協するつもりだった。
あくまでいまはやり直しの真っ最中で前とは感覚が違う。あの時は上書きしたい一心で廃止にしたが今回はそうではなく、刀剣男士たち、特に大倶利伽羅との接点を増やすためだ。
だがそうしたいと望む理由が前の主と同じであることには妥協などできなかった。
二番煎じなど彼女のプライドが許さない。
結局食事の習慣を変えるのは延ばすことにして、前の主のことなんかで泣くとはうっとうしいと、彼女はへし切長谷部をなかば執務室から追い出すように下がらせた。
「どうした長谷部。目が腫れてんだけど」
厨に入ってきたへし切長谷部の目元が赤く腫れていることに食事当番の一人である加州清光が気づいて声をかけた。
鼻をすすって、何でもないと首を振る長谷部の手にしている紙に視線を向けると嫌そうな表情をする。
「うわ、それ新しい当番表?覚えんの面倒くさー」
「覚えなくても構わん。露骨に大倶利伽羅の割り振りだけ減った偏りのひどいものだからな」
「……なんかいっそ清々しいというかなんというか」
加州の呆れたような声に長谷部は肩をすくめてトレイなどを取り出し、引き継いだ審神者に持って行くための昼の用意を始める。
「そういえば、彼女は俺たち全員と一緒に食事をする習慣に変えたいと言っていた」
「ま、そうだろうね」
そうなれば大倶利伽羅に接触するチャンスが増えると考えているのは明らかだ。
自分たちがそんなことを認めるはずがないのにと思いながらも口には出さず、加州はどんぶりにご飯をよそう。そこへすかさずフライパンを持った豊前江が味をつけて炒めたひき肉と野菜をご飯の上に盛った。
小皿に温泉卵を入れて、飲み物と共にトレイに載せると長谷部は素早く厨を出ていった。
「おーい、飯持ってきたぜー」
どんぶりを乗せたお盆を運んできた燭台切光忠と、飲み物などを手にした太鼓鐘貞宗が声をかけながら庵の一室に足を踏み入れる。
「お。今日はそぼろ丼か」
鶴丸国永が折りたたみのテーブルを広げ、長椅子で精霊の子どもに本を読んでやっていた大倶利伽羅は続きは後だと言って本を閉じた。
「一昨日見つけたばっかりだってのに、伽羅のやつすっかりお兄ちゃんしてるよな」
お茶を一口飲んで太鼓鐘貞宗がからかう声を出す。
視線の先では、大倶利伽羅が隣で食事をするサクラの汚れた口元を拭いてやっている。
サクラは自分を見つけてくれたという理由で特に大倶利伽羅に懐いていて、彼も自分が見つけて拾った子どもを放っておけなかったようで何かと気にかけてやっていた。多分にサクラが主に似ているのが理由としては大きいだろう。
そんなふうに一緒にいる二人の姿を見て、年の離れた兄妹のようだと言ったのは確か三日月宗近だったかと鶴丸は笑い、ふとサクラを挟んだ反対側に優しく見守っている表情の主の姿を思い描いて、どこか切ない気分になりながら湯呑に手を伸ばす。
そういえば主と大倶利伽羅を結婚させようと計画を立てていたと思い出し、もしもそれが成就して、そして二人の間に子どもが生まれていたらこんなふうになっていたのかもしれないと思い、いまや実現しようのない幻となってしまったことに鶴丸は寂しさを覚えた。
午後、片付ける仕事も特にない彼女は暇を持て余して革張りのソファに寝そべりながら端末をいじっていた。
日課をこなすにしても、四十九日が過ぎなければ刀剣男士たちは戦場に出ないと決めているので他にやることが無いためだ。
前の記憶があるせいか鍛錬所には近づく気にはなれなかった。
最初に出陣のことを聞いたときは自分が律義にそれを待ってやる義理などないと憤り、編成してこんのすけから伝えさせたのだが、予定の時間になっても誰も集まらなかった。
こんのすけに苦情を言って彼らに戦いに出てくるようにしろと指示すれば、全員が自分たちで決めたことを守っているだけに過ぎないのだと反論して刀剣男士たちに注意をしようとすらしなかった。
それどころか、実はそれが祭壇の撤去に同意する代わりの条件だったと打ち明けたのだ。
管狐なんかを褒めて損だったと彼女は舌打ちしたものの、それなら待ってやってもいいと判断してそれ以上はうるさく言うのをやめた。
それにどうせこちらから言わなくても戦いたい男士がしびれを切らして出陣させろと懇願してくるだろうと踏んだからだ。
それを利用すれば少しはおとなしく自分に従うだろうという算段もあったし、なにより邪魔な前の主の霊を消滅させてからの方が戦いに送り出すにしても気分が良いに違いないと考えてのものだ。
そういう意味でもあの管狐にはもう少し真面目にやってもらわねば。
そう考えてため息をついたとき、その管狐が軽快な音と共に姿を見せた。
昨日の朝、八つ当たりで枕を投げつけて以来だ。
寝そべっている姿を見てこんのすけは何かを言いたそうにじっと彼女を見て、そうしてお話がありますと改まった様子で口を開いた。
「霊能者が見つかった以外の話なら聞かないわ」
「刀剣男士が主さまの了承を得たいと言ってきました」
こんのすけに見えない位置で彼女はほくそ笑む。狙い通りだ。
そして起き上がると「了承を得たいってなんの?」とわざとらしく尋ね返した。
「前の人の四十九日が過ぎてからでないと戦いに出たくないんじゃなかったの?」
尋ねる口調がつい意地の悪いものになってしまうが仕方がない。
だがこんのすけはどこからか紙を取り出し、彼女の前に差し出した。
「なによこれ」
まずは目を通してくださいと言われて渋々手に取って読めば、それにはこの本丸の刀剣男士の所属を別の本丸に移すことについて記されていた。
「なによ、これはっ」
声と紙を持つ手が震える。
「見ての通り、そこに名前のある刀剣男士が他の本丸への移譲を望んでいます。なので主さまの了承を得たい、と」
「移譲って」
「はい。ここからサクラ殿が新たに始められる本丸へ」
彼女はカッとなって紙をこんのすけに投げつけたが、重さのない紙は当たることなくひらひらと舞って床の上を滑った。
「ふざけないで!そんなの認めるわけないでしょ!」
「まあまあ、落ち着いてください。主さまにとっても悪い話ではないのでは?」
「どういう意味よ」
「希望している男士の名前をよくご覧ください」
こんのすけは紙を咥えると彼女の手元に運んだ。
言われた通り文面によく目を通せば、そこに書いてある名前はいまの彼女にとって計画の支障になるのではと警戒していた男士のもので。
「……山姥切国広、鶴丸国永……」
「山姥切国広殿はあなたを主と認めないと反発をしていたのでしょう?主さまにとっては扱いづらいのではありませんか。それに彼は前の主さまの始まりの一振り。どうしたって自分を選んだ審神者に傾倒するのは仕方のないことです。そうだ、主さまがお望みならご自身の一振りをお選びになりますか?」
饒舌な管狐の声を聞きながら彼女は考えをめぐらせる。
確かにこんのすけの言う通り、山姥切国広はいまの彼女にとっては不要な刀だ。
主と認めないと反抗的で、このままでは彼女の明るい未来に影を落としかねない。
そして鶴丸国永。この男は明確に敵であるから叶うなら復讐をしてやりたいが、いまのところ何もかも順調とは言えない。
いっそ復讐などと血生臭いことにこだわらず、大倶利伽羅を自分のそばに置くことだけに注力すればよほど気が楽なのではないだろうか。
大倶利伽羅がサクラを拾ったことが気がかりだったが、いずれ離れることは決まっている。
そのサクラと共に自分にとって邪魔な刀を遠ざけることが出来るなら。
「移譲を望んでいるのはこの二人だけ?」
「今のところは。鶴丸殿が他の男士も誘ったようですが名前はありませんので」
「……そう」
どうやら他の刀はまだ正常な判断を下せるようだ。
ひとまずこの二人をここから追い出せるのならそれに越したことはないと、彼女は深く息を吐きだし、わかったと気持ち沈んだ声を出した。
「私じゃ力不足だったのね……無理に引き留めたりできないわ」
彼女は沈痛な面持ちをあえて見せながら署名の欄に自身の名前を書いた。
こんのすけが大広間に姿を見せると、夕食の準備のために男士たちが座卓を広げているところだった。
そのなかにちょうど今回移譲を望んだ山姥切国広と鶴丸国永がいて、二人は座布団を並べている。
「首尾はどうだった」
座布団の間隔を調整しながら鶴丸が尋ねると、署名をいただけましたとこんのすけは答えた。
「鶴丸殿が予測したとおり一旦は渋られましたが」
「でもそう葛藤はしなかっただろう?」
うなずくより先にこんのすけは鶴丸を胡乱そうに見た。
二人が移譲に関する書類に名前を書いてそれを返された時、もしかしたら彼女は激高するかもしれないと鶴丸から言われていた。
「すんなりいけばそれでいい。だが彼女のことだ、一旦は怒ってみせるかもしれないな。どうせ表面的なものにしても、自分が主として至らないと言われているようなものだ。そうなったらこんのすけがなだめてうまいこと言ってくれ。そうだな……山姥切のことをちょっと口にしたらいい後押しになるかもな」
そう言って金色の目を細めた鶴丸に、一緒に名前を書いていた山姥切国広がいくらか怯えた目をしていたことがこんのすけの印象に残った。
そして実際に鶴丸の言う通りになったのでこんのすけはなんだか空恐ろしい気持ちになった。
「全部わかっていたんですか?」
「まさか。ただ彼女の性格からできた推測だよ。なにしろ思惑がわかりやすいんでね」
あの審神者は間違いなく大倶利伽羅を目的にこの本丸に来た。
もしかしたらそのために主に呪いをかけたのではないかと疑っている男士もいるほど、彼女がこの本丸に就任した経緯には怪しい点が多い。偶然や幸運が重なったと純粋に信じている者などいない。
初日に鶴丸に対して若干挙動不審だったことの謎はまだわからないが、いずれにしても自分を敵視ないし警戒していることを鶴丸は感じ取っていた。
主の痕跡を消そうと必死な様子から見ても、この本丸を手に入れるために彼女なりに画策しているのだろう。問題は不審な点が多すぎて男士たちの誰の信用も得られずにいることだが。
自分も含めて刀剣男士たちは彼女との接触は最低限にするようにした。
そして主と認めていないことを山姥切国広の口から言わせたのは、そう突きつけられたあとの行動を見るためだった。
彼女のプライドが高そうな性格からして自分に反発する刀をわざと折るような真似はしないだろうと考えていた。
そんなことをすれば他の男士からどう思われるのか想像がつかないはずはないだろう、と。
なので放置という選択は少し意外で、初日の部屋に案内した後のやりとりを知っていたから距離を詰めてくるのではと考えていたのだ。
そうではなく放置したということは、排除するほどのことではない、些細な事だと認識しているのだと理解した。あくまでも一番の目的は大倶利伽羅であり、この本丸も他の男士も彼女にとっては付属品に過ぎないのだろう。
なら自分がやるべきは、彼女が本当に主に呪いをかけたのか、かかわりがあったのかを調べることだと目的を定めた。
あるいは呪いをかけた犯人とされる手に傷のある背の高い男との関係性がわかればそれでもいい。
その証拠があればさすがにこの本丸で主としていることは出来ないだろうから、堂々とここから追い出すことが出来る。
主が遺した本丸を、彼女の欲望で崩壊させたくはなかった。
「しかし正直証拠なんて見つからないと思ってるんだよな」
そう言ってため息をつく鶴丸に、ずいぶん弱気なことを言うんだなとそれまで黙っていた山姥切国広が口を開いた。
「あんなに策謀張り巡らせているような顔を見せておいて」
鶴丸はそれに対して特に否定もせずに無言で肩をすくめ、そして自身がそう感じた理由を話しはじめた。
「あの子の呪いは他の審神者もかけられたもので無差別だ。あの子だけを狙ったものじゃない」
「けど狙いを定めることは出来るんだろう?他の審神者は単なる目くらましという可能性もある」
「まあな。だがあの子だけが狙いだったとも言い切れない。結局彼女と、伽羅坊が見た傷のある男の関係性がわからない限りはどうしようもない。そしてどこを調べたらいいかさっぱりだ」
いっそ清々しいほどの勢いで鶴丸は言い切り、ふと表情を消した。
「わからなすぎてふと考えてしまったんだよな。彼女がこの本丸のことを知っているのは一度経験しているからじゃないか、って」
「……おい」
「けど俺たちにしてみれば時を遡行するってのは決して荒唐無稽な話じゃない。もし彼女がそうして一度引き継いだ本丸をもう一度手に入れようと企んだとしたら?きみは否定できるか?」
「それは」
「もしそれが事実なら彼女はここで審神者なんてやってられないな。あー、いっそそうなってくれたら楽なんだがな」
なげやりな様子で鶴丸は息を吐きだした。それだって証拠がないと山姥切はため息とともに返す。
「じゃあ、後輩が知らなかったことを彼女が知っていたらどうだ?」
「後輩……ああ、あの見習いか」
「彼女の情報源として確実なのはあの後輩くらいだろう。それ以外で独自に調べたとしても当時見習いの彼女に何が出来ていたか……」
そう言ったところで鶴丸は言葉を切り、そうか失念していたとつぶやく。
「こんのすけ。彼女の研修先の本丸のことを調べられるか?出来るなら向こうの審神者と直接話したい」
「わかりました。調べてみます」