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亡失の呪い-if/restart 10-

リンの鶴丸国永に対してつっかかり、そしてこの本丸の鶴丸から屈辱的な暴言を吐かれた彼女は部屋に駆け込んで憤りと憎悪に身を焦がしながら家具や物などに手当たり次第に八つ当たりした。
その衝動が突然切れると、彼女は自分のしたことに呆然とした。
持ち込んでいたお気に入りの小物や雑貨などは壊れ、部屋中が悲惨なありさまになっていた。

やり直すために時を遡行したのに、何一つうまくいっていない。
出来たことは目障りな前の主の祭壇を撤去できたことくらいで、それ以外は前と同じ時期よりもひどいのではないだろうか。

「どうしたらいいのよ……」

何も考えられなくて、彼女は革張りのソファに倒れ込んだ。
目が覚めたら就任した初日に戻っていたらいいのにとありえない期待をしながら目を閉じた。

目を覚ましたとき、部屋の中は暗くなっていた。ソファに倒れ込んだ時に放った端末をつけると、彼女が暴れた時からすっかり時間が経って夜も更けていた。
一度体を起こしたものの疲れが襲ってきて、結局彼女はそのままもう一度ソファに横たわった。
何かをしようという気力が湧かなかった。

もう一度目を覚ましたとき、部屋の中は明るくなっていた。端末で見れば朝を迎えたことがわかる。
体中が疲れているが、さすがにこのままでいるわけにはいかない。
お風呂に入り、服を着がえてそして惨めな気分になりながら壊れた私物の残骸を片付けた。

時間的にはそろそろ朝食時だ。誰かが食事を持ってくるのを待つか、それとも大広間に行こうかと思いながらも鶴丸国永や山姥切国広と顔を合わせる可能性を考えると待っているほうがいいだろう。

ソファに腰掛けて端末をいじっていると、開けたままの戸の向こうから足音が聞こえてきた。
ようやくかと思いながら戸口に視線を向けると、へし切長谷部が立っていた。
「お目覚めでしたか。朝食を持ってきました」
長谷部は彼女が食事で使うテーブルにトレイに載せてきたお椀や皿などを並べていく。

「……おはよう、長谷部」
「おはようございます。よく眠れましたか」
瞬間的に彼女はそれは嫌味だろうかと苛立った。だが長谷部にはそのつもりはないようだ。
フンと鼻を鳴らし、誰か昨日部屋に来たかどうかを尋ねると長谷部は首をかしげた。
「さあ。俺は当番があったのでそこまでは。他の連中もわかりません」
「……そう」
「何かご用がありましたか?」
「何もないわ。もう下がっていいわよ」
「では失礼します」
長谷部は一礼して部屋を出ていった。
前の時には座れるようにと椅子を引いてくれるほど親切だったのに、いまはそんな素振りさえ見せない。
ため息をつきながら椅子に腰を下ろした。
目の前に並ぶのはご飯と味噌汁と焼き魚や漬物など、ごく普通の朝食のメニューだ。
疲れている所為か食欲もわかず、けれど空腹をそのままには出来なかったので手を合わせるのもそこそこに箸を伸ばした。

食事が終わった頃を見計らって長谷部が食器の回収にやってきた。
ついでのように今日の近侍はどうしますかと尋ねてくるので、どうせ誰を指名したところで理由をつけて留まらないと自棄になった彼女は、大倶利伽羅にすると言って長谷部を驚かせた。
「大倶利伽羅ですか。ですが……」
「なによ文句あるの。大体ね。長谷部あなた、もし文句を言うやつがいれば自分がなんとかしますなんて言っておいてなんでみんなちゃんと執務室にいないのよ!」
「それは前からの当番の予定が入っていたので」
「近侍より当番が大事だっていうの!?だったらこれから先の当番は全部私が割り振り直すから!」
「いえそんな。そこまでしていただく必要は……」
「黙りなさい、これは主命よ」
そう返せば長谷部は押し黙り、そっと息を吐きだした。
「わかりました。大倶利伽羅に声をかけて、それと当番表を持ってきます」

執務室に移ってこれまでの出陣記録を眺めていた彼女が近づいてくる足音に顔を上げると、戸口に紙を持った大倶利伽羅が立っていた。
彼女は慌てて立ちあがり、来てくれたのと思わず尋ねていた。
「あんたが呼んだんだろう。そら、長谷部から持って行けと言われたやつだ」
そう言って大倶利伽羅は彼女の手元に紙を押し込むように渡してくる。 それには本丸の一週間分の当番スケジュールが書かれていたが、彼女はそれをありがとうと受け取りながらも文机にひとまず置いた。
大倶利伽羅が来てくれたのに当番表に構っている暇などない。そもそも出陣もまだ先なので仕事らしい仕事はないのだ。
彼女は執務室内を見回して、座布団をつかむと差し出して座るよう勧めた。

思わぬ二人きりの状況に彼女はさして忙しくないのもあって彼との会話に集中しようとしたのだが、大倶利伽羅は暇ならここに留まる理由は無いと言うので彼女は慌てて当番表の割り振りを変えることを決めた。
勢いで言ってしまったことだが、大倶利伽羅に出来損ないの主と思われたくはない。
そして彼女が喜んだことに、大倶利伽羅は前の時とは違って執務室の外で待機するのではなく、部屋の中で留まってくれることになった。
ただあいにくと前の時と同じく文庫本を持参してそれに集中してしまったので彼女が話しかけても返事はろくにないが、それでも時折視線を向けてため息交じりにちゃんとやってるのかと声をかけてはくれた。

大倶利伽羅が自分を見て、気にかけてくれている。
それだけで彼女はこれまで時を遡行してうまくいかなかったことなどもはや過ぎたことと割り切ることが出来そうだと思えた。
すべてはこれから挽回していけばいい。

昼頃になって、時間だと言って大倶利伽羅は立ち上がった。
「これから俺は当番だ。もう今日はここには来るつもりはないし、明日は別の刀に近侍を頼め」
「ちょっと待って。今日はわかったけど明日もあなたにお願いしたいの!他のみんなはあなたみたいに留まってくれなかったし……」
「ならその当番表を見せてみろよ。割り振りが済んだようには見えなかったが」
大倶利伽羅の指摘に彼女は肩を跳ねさせ、とっさに当番表を手に取って顔をうつむかせる。
彼に話しかけるほうにばかり気を取られて確かに手つかずだ。
なにしろ一日の中で時間ごとに数振りずついろんな仕事が割り振られていて、まさかこれほど細かいとは思ってもいなかったこともあり、面倒くささが先立ってしまったのだが口にはできない。
言い訳でしかないし、正直に話せば間違いなく大倶利伽羅の好感度が下がってしまうだろう。
「あ、明日にはちゃんとやるから。だからお願い!」
「だったらなおさら俺は必要ない。どうせ暇してるならこれからじっくりやればいい」
大倶利伽羅はそう言って止める間もなく執務室を出て行ってしまった。

彼女はがっくりと肩を落として、当番表を眺める。
これで何も変えていなかったら無能な主と思われても文句は言えない。
それだけは絶対に回避しなければ。

何はなくとも大倶利伽羅の当番を減らすことからまずは考えるべきかとペンを取ったところで、開けっ放しの障子戸の向こうから小さいが楽し気な声が聞こえてきた。
その中に、聞き覚えのある幼い声が混ざっていて思わずペンを落としていた。
まさかそんなはずはないと急いで外に出て声の方へと走る。

やがて目に飛び込んできたのは、前の時に彼女を苦しめる原因の一つになった精霊が、背の高い刀剣男士に肩車をされて楽しそうな笑い声をあげている光景だった。

あまりのことに力が抜けて膝から崩れ落ちた。
どうしてサクラが──あの生意気で癪に障る精霊が今この時期に姿を見せているのか。
いくら前と違うことがこれまで起きていると言っても、さすがにここまでとは想像していなかった。

楽しげな声がやんでいることに気づいて知らずうつむけていた顔を上げると、精霊を肩車していた御手杵が彼女をどこか冷めた目で見ていたが、どうしたのと頭上から声をかけられて、なんでもないと笑顔を見せた。
「よーし、しっかりつかまってろよ。走るぞー!」
そう言って駆け出す御手杵に精霊の子どもは楽しそうな声を上げ、そばで見守っていた加州清光と獅子王が転ぶなよと声をかけて追いかけていった。

その場には床に座り込む彼女だけが残された。
握りしめた拳を悔しそうに叩きつけると悲鳴交じりの声で管狐を呼んだ。
「っ、なによあれ!どういうことよ!」
「どういうとは?」
「しらばっくれないで!あの子どものことに決まってるでしょ!」
「ああ。サクラ殿ですか?昨日、大倶利伽羅殿が倒れているところを見つけたんです」
「なんで私に知らせないの!?」
「よく眠っていらっしゃったので、起こすのは申し訳ないと思いまして」
怒りからこんのすけにつかみかかろうとしたが、察した管狐は身軽に避けた。
「なにをそんなにお怒りに?」
「うるさい!得体のしれないやつが自分の本丸にいたら誰だって腹立つでしょ!」
「はあ、そうなんですか?でもサクラ殿からは特に邪悪な気配など感じませんでしたが。ああそれとサクラ殿には励起の力が確認されました。近日中に新しい本丸で審神者として就任する予定です。主さまには一応のご報告を」
「どうでもいいからさっさと消えて!」
手を振り払うように動かせば、忙しないとぼやきながらこんのすけは姿を消した。


夜、眠れずに彼女が部屋の外に出ると、林道の方へとぼんやりとした明かりが動いているのが見えた。
誰かが明かりを手に歩いているのだろうか。

林道の方へ足を運ぶ男士は限られる。もしかしたら大倶利伽羅かもしれないと思った彼女は急いで縁石の上のサンダルを履いて後を追った。

周囲には明かりがなく、月の明るさでかろうじて見える程度の夜の中を歩いていく。
急ぐあまり明かりを何も持ってこなかったことを悔やみつつ、取りに戻っている間に大倶利伽羅がいなくなっている可能性を考えるとこのままでいいと判断して、目を凝らしながら先を進んだ。

やがてゆるい坂となった林道を上り切った先、開けた所に植わっている桜の木のそばに、明かりを手にした大倶利伽羅がたたずんでいるのが見えた。
暗くてわからないが桜はもう散っているはずだ。

一歩踏み出したことで足音が夜の静寂の中に響いた。
振り向いた大倶利伽羅が明かりを彼女の方に向け、そうして何事もなかったかのように木に向き直った。

「こんばんは、大倶利伽羅。散歩?」

声をかけながら歩み寄り、手を伸ばせば触れられる距離まで近づく。
「あなたも眠れないの?」
「それ以上近づくな」
さらに一歩踏み出そうとした彼女はかけられた冷たい声と言葉に身をすくませた。

「大倶利伽羅……」
「あんたと話すことなんて何もない。さっさと部屋に戻れ」
「っ、どうしてあなたまでそんなひどいこと……国広も長谷部も、みんな私より前の人がいいの?私だって頑張ってるのにどうして!大倶利伽羅も私と前の人を比べてるの!?」

サクラが現れたことで彼女の精神はだいぶ不安定になっていた。
そこへきて大倶利伽羅にまで冷たい態度を取られては彼女はもうどうしたらいいのかわからず、そう吐きだしていた。
言葉にしてしまった後に、彼女は口元を手でおさえて嗚咽をもらさないように唇を噛む。

「比べる必要はない」
ため息と共に静かに返された言葉に、彼女の心臓が跳ねた。
知らずうつむけていた顔をあげる。

「主とあんたは違う。比べるなんて無意味だ」
そう言って大倶利伽羅は彼女の方を向いた。
明かりに照らされた彼の顔に浮かぶ表情はつかみどころがない。
怒っているわけでもないようだが、しかし何を考えているのかわからない。
だがそんなことは今の彼女にとっては些細な問題だった。

彼の言葉一つで救われた気分だった。
他の男士に言われたとしてもこれほどの気分にはならなかっただろう。彼だからこそ意味がある。

「ありがとう、大倶利伽羅」
にじんだ涙をぬぐいながら彼女は心から感謝の言葉を告げた。
こんなに心が軽くなったのはこの本丸に就任が正式に決まった時以来だ。その思いを込めて彼女がほほ笑むと、大倶利伽羅は眉を寄せた。
「何の礼だ」
「何って、慰めてくれたお礼に決まってるじゃない」
「慰めたつもりはない。勘違いするな」
ため息をついて彼は吐き捨てると彼女から視線をそむける。
わかりやすい照れ隠しの態度に思わず笑みがこぼれてしまった。
「照れてるの?」
悪戯心が芽生え、そう尋ねながら距離を詰めて照れているだろう彼の顔を覗き込もうとすると、近づくなと手で軽く払われてしまった。一歩二歩とたたらを踏む。
彼女はそこで何かが変だと思い、うかがうように声をかけた。
「大倶利伽羅?」

「呆れたな。まさか本気で俺が慰めたと思っているのか」

「え、だって比べる必要ないって。それって前の人はもう前のことで、私は私で頑張ればいいってことでしょ?」
「……言ってもいないことが聞こえる都合のいい耳を持っているわけか。ならあんたには何を言ったところで意味がないのも当然だったな」
そう返す大倶利伽羅の口調には隠しようのない皮肉と呆れがあった。

「何を言って……」
「説明しないとわからないのか?比べる必要がないのは、あんたは最初から土俵に立ってないからだ。俺は主と誰かを比べるような無意味なことはしない」

言っていることを理解できるはずなのに、彼女の脳はそれを拒んでいた。
理解してしまえば取り返しがつかないことになりそうで怖い。

「俺は主を……あいつを誰とも比べたりしない。いまここに在る俺の主は、あいつだけだ」

──俺にとってあんたは主ですらないし、それ以外のどんな存在にもならない。

その言葉と共に彼女は深く暗い落とし穴に突き落とされたような感覚に陥った。

気がつけば部屋で朝を迎えていた。


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