忌々しい前の主の幽霊を目撃するようになって数日経つが、祭壇の時には迅速だった管狐は嘘のように何も行動を起こしていなかった。
強力な除霊能力のある霊能者はなかなか見つからないのだと言う。
前の時に霊視を頼んだ霊能者は今回の彼女の目的とは合致しない。彼女が欲しいのは問答無用で霊を消滅させてくれる強い力の持ち主だからだ。
ふと彼女の脳裏に浮かんだのはあの政府所属の審神者のリンの姿だったが、あれは論外だと追い払う。
除霊ができるかもわからないような役立たずだし、何よりあの女は彼女にとって明確な敵だった。
頼るどころか、顔すら二度と見たくない。
ため息をつき、お茶でも飲もうと立ち上がる。
前の時には近侍の男士が常に侍って彼女の意を酌んで世話を焼いてくれたのに、どうも今は勝手が違うため誰もそばにいない。
しかも今日の近侍に至っては口論になって部屋を出ていって戻ってくる気配もない。
執務室で仕事を始めた最初の日、へし切長谷部が近侍に立候補してきたが、ひと通りの説明をした後に何かあればお呼びくださいと言って離れようとしたので、そばについていないのかと尋ねれば彼は不思議そうにしていた。
前の時はそうだったのにと思いながらも、口にしたのは研修先の本丸がそうだったのだということだけ。
長谷場は納得した様子で、けれどここはそうではないのだと言って彼女を驚かせた。
彼女の知らない習慣も、刀剣男士たちが前の主の時はそうであったと言えばそれが本当かどうかを確かめる術はない。そもそも本丸ごとに違いがあってもなにもおかしなことはない。
そして、時を遡行しても前と同じ出来事が起きるとは限らないのはすでに証明されている。
動揺しながらも、前の人はそれで大丈夫だったのかと尋ねた。
「はい。前の主からは必要なときに呼ぶのでそばで待機していなくていいと言われていました。特に仕事の滞りもありませんでした」
長谷部の言葉に彼女のプライドが刺激される。
前の主よりも今の主が劣っていると思われるのは癪だ。しかし彼女の復讐の手足となる男士を見つける意味でもそばに置いておいた方が都合がいい。
なにより、近侍は大倶利伽羅をそばに置ける絶好の口実でもあるのだ。
「……前の人は優秀だったのね。でも私はみんなの助けがないときっとダメだわ。だからそばにいて助けてほしいんだけど」
言葉にするのはかなりの屈辱だが、へし切長谷部相手ならば効果的だろう。
この刀は主に頼られることを欲しているはずだ。案の定、長谷部はパッと顔の表情を明るくした。
「俺はもちろん構いません。ですが他の連中はわかりませんね。前の主の習慣が根付いているので反発する奴もいるかもしれませんし」
ちなみにだが前の主は刀帳順で近侍を回していたと長谷部。
「へぇ、刀帳順……」
彼女は端末に入っている刀剣男士たちのデータを呼び出す。
へし切長谷部の前が大倶利伽羅であることに気づき、タイミングが悪いと彼女は眉をひそめた。
「ついでに聞くけど前の人の時は誰が最後だった、とかあるの?」
「たしか主が倒れる直前の近侍は……亀甲貞宗でした」
彼女は刀帳を確認し、亀甲貞宗の次が燭台切光忠であることを見て眉を寄せた。
前を思い出すと燭台切に対して思うところがないわけではない。だが彼は大倶利伽羅とは伊達家でつながりがあるし何より同室だ。もちろん前と変わっていなければ、だが。
いずれにしても燭台切光忠を懐柔できれば大倶利伽羅に近づきやすくなるのは間違いない。
「……今日は長谷部に頼むけど、明日は燭台切光忠にお願いしようかしら」
「刀帳順に任せていきますか?」
「うーん、それはもう少し考えてみる」
燭台切から律義に順番に任せていくと、例え一日交代だとしても大倶利伽羅に回るまでに時間がかかってしまう。それに燭台切光忠から大倶利伽羅までの間に駒として彼女が期待できそうな男士はいないように思われた。
「明日の燭台切の様子を見てから次の近侍を誰にするか考えることにするわ」
「そうですか、わかりました。もし文句を言うやつがいればおっしゃってください。俺がなんとかしますので」
そう言って長谷部はそっとほほ笑んだが、どことなく眼差しには冷ややかなものがあった。
執務初日は、前の主の未提出の書類の整理などに終始した。
彼女にとっては望まぬ後始末をさせられているも同然のそれに意欲など湧くはずもないが、それすら片付けられないと思われるのも癪だったのできちんと手をつけはした。
翌日、朝食を終えて執務室に移動した彼女の元に燭台切光忠が現れた。
「長谷部君から今日は僕が近侍に指名されたって聞いたんだけど」
そう告げる燭台切はどこか困惑した様子だった。何を困惑することがあるのかと思いながら彼女は笑顔を見せた。
「ええ、今日はあなたに頼もうと思って」
「今日は、ってことは明日はしなくていいんだね?」
あからさまに安堵した様子でほほ笑んだ燭台切に、そんなに近侍が嫌なのだろうかと不満を抱く。
「もしかして、近侍になるのは嫌だった?」
不満を表に出す代わりにうかがうように不安げな表情を作って見上げてみると、燭台切は彼女の視線から逃れるように目を伏せた。
「別に嫌というわけではないけど、正直向いていないかなとは思っているから」
「そうなの?」
前の時の彼は近侍としてどうだったのだろうと記憶を思い出そうとしたが、そこまで興味を持って見ていなかった所為かそのあたりの記憶があいまいであることに気づく。
だがまあ思い出すことは重要ではないと思い、にっこりとほほ笑んで見せた。
「一日だけのことだから我慢してよ。みんなのことを知るのに近侍に置くのが手っ取り早いと思って」
「……なら僕は何も言わないよ。ただ前から決めていた当番が入っているから席を外すことが多いと思うけれどそれでも構わないかな」
もちろんと彼女は了承したが、燭台切光忠は当番のほうが忙しいようで一日のうちわずかしか執務室には留まっていなかった。
そのため懐柔するどころかまともに話もできなかった。
一日だけと言った手前もう一度指名することもできず、彼女は仕方なく刀帳を確認して、大般若長光を翌日の近侍にすることにしたが、彼だけでなくその翌日以降の近侍も誰も彼も似たような理由で執務室にはいないことが多かった。
そこまで続くと、前の主の影響の大きさを危惧せずにはいられない。
早く彼らを前の主の習慣という呪縛から救い出して、新しい習慣を身に着けさせなければ。
そうしないといつまでも彼らの中の主という認識が切り替わらない。
そして今日この日は山姥切国広が近侍となる番だった。
初日のあれ以来、顔を合わせることはあるが向こうは露骨に避けているので会話どころではない。
ただ家具の撤去や祭壇の移設に反対もしていないから反発しているわけではなく、単に引っ込みがつかなくなってしまっただけだろう。
こういうときは主である自分から歩み寄ってやれば、彼のプライドを傷つけずに和解できるはずだ。
大きなトラブルは起きないだろうと彼女は楽観的だった。
「今日は近侍よろしくね、国広」
朝食後、姿を見せた山姥切国広に彼女はそう言って笑いかけたが、返事どころかこちらを見ようともしなかった。
さすがに苛立ったが、ここで喚いても大人げないだけだと彼女はため息をつく。
「返事くらいしなさい、子どもじゃあるまいし。そんな拗ねた態度でみっともないとは思わないの?」
山姥切は彼女を振り向いて睨みつけてきた。
「あんたにどう思われようと知ったことか。俺の主はあいつだけだ」
「そうやって現実逃避したってあなたの主は帰ってこないのよ。いいかげん死んだことを認めなさい」
「っ、言われなくたってわかっている。あいつはもう帰ってこない。だがそれとあんたを主と認めないのは別だ」
「ど、どういう意味よ……」
拗ねた態度を叱るだけのはずが思わぬ反論をされて彼女はうろたえてしまった。
「言葉の通りだ。俺はあんたを主と思いたくないし呼びたくもない。あんたに国広と呼ばれるのは我慢ならない」
「私のどこが悪いって言うのよ。何をしたって……」
「何をしただと?それも理解できてないのか。あんた、俺が主を思い出してつらくなると言ったとき、何と言った?」
彼女の脳裏に山姥切の手を取ってかけた言葉がよみがえる。
『だってそんなつらい別れは早く忘れたほうがいいに決まってる。きっと前の人だって国広たちがいつまでも悲しんでいるのを望まないと思うの』
「……あんなことで?」
信じられずにあ然とつぶやく。
「あんなこと……?あんたにとっては結局その程度か。なら理解できないのも当然だな」
山姥切は冷ややかな眼差しで彼女を一瞥して吐き捨てる。
「私はあなたのためを思って……!」
「余計なお世話だ。なんであんたが主の気持ちを勝手に決めつけるんだ。主のことを何も知らないくせに」
「でもあなたたちは私を主として迎えてくれたのに!なのにいまさらそんなこと言うなんて」
「あの場ではそう言うしかなかった。それに迎えるつもりはあったさ。あんたが純粋にこの本丸を引き継いでくれるつもりがあったならな」
「あ、あるに決まってるじゃない!何言ってるのよ……」
答えながらも動揺をないことにはできず、返す言葉には強さが欠けていた。
もしかしたら、山姥切国広には本当の目的を見透かされているのではないかという不安に襲われたせいでもあった。
「どうだかな。口ではどうとでも言える」
山姥切は信じていない様子で睨むと、近侍は他のやつにしてくれと言って彼女が止める間もなく執務室を出て行ってしまった。
「……なんなの」
呆然として思わず口に出していた。
昨日までの近侍を務めてくれていた男士たちは確かにほとんど執務室にはいなかったが、それでも彼女を拒否するわけではなかったのに、どうして山姥切国広だけはあれほど頑ななのか。
審神者が最初に選ぶ刀はそれほどまでに主に対して信頼を寄せるものなのだろうか。
──あんな優秀そうには全く見えない、どこにでもいそうな感じの人間なのに?
脳裏に前の審神者の、のんきで頭も弱そうな顔がよぎる。
大倶利伽羅の心を縛りつけて苦しめて、あげく迷惑をかけながら死んでいった前の主のどこに魅力などあるのかまったく理解ができない。
この本丸は戦績は優秀だったそうだが、それだって刀剣男士たちのおかげだろう。
そんな前の主よりも自分のほうがずっとこの本丸のために、そして大倶利伽羅の助けになるのに。
どうして山姥切国広はそれを理解できないのか。
いずれにしても山姥切国広は駒としては使えないと彼女は判断した。
あれは前の主に対してあまりに妄信的過ぎる。
鶴丸国永同様に自分にとって敵だと彼女は認識し、山姥切が目的の邪魔になるようならいっそのこと──とまで考えて慌てて首を振った。
もし戦場で山姥切国広が折れるようなことになれば、それこそ自分の能力が問われてしまう。
いくら思い通りにならないからといってそんなことを考えるのは審神者として失格だ。
敵への憎悪を燃やしたとしても冷静さを欠いてはならない。そうでなければ復讐を完遂できない。
しばらく山姥切国広とは距離を置いたほうがいいと結論づけ、二度三度と深く息を吐きだしてなんとか冷静さを取り戻した彼女は文机の前に腰を下ろし、端末を起動させてしばらく仕事に集中していた。
そうしてお茶を飲もうと備え付けのポットから急須にお湯を注いでいると、やけに賑やかな声が聞こえてくることに彼女は訝しく思い、首をかしげた。
執務室から外を覗いたが見える範囲には誰もいないようだ。
何を騒いでいるのかと呆れながら部屋を出て声の聞こえる方へと近づくと、鶴丸国永と一人の女性が並び歩いて談笑している光景に出くわした。
その女性の姿には腹立たしいほど見覚えがあり、彼女は瞬間的に怒りに支配されて駆け寄りながら怒鳴った。
「あんた何しに来たのよ!?」
足を止めた女性はその剣幕に驚いた様子で目を見張ったが、ふと穏やかな表情を見せた。
「申し訳ありません突然。私、リンと申します」
「名前なんて聞いてない!今度は何をするつもり!?」
「今度……?あの、私この本丸に来たのは初めてなのですが、どなたかとお間違えでは?」
首をかしげながらそう返すリンに、彼女はハッとして慌てて口を塞いだ。
怒りに駆られて口走ってしまったが、いまの自分はこの役立たずの政府所属の審神者とはまだ会ってもいないのだ。下手に突っ込まれて時を遡行していることを知られるわけにはいかない。
なんとかごまかさなければと彼女は頭を巡らせた。
そんな彼女を一瞥して、鶴丸がリンをそっと方向を変えながらうながす。
「リン殿、向こうのほうから案内しよう。そのなかで気になるところがあったら言ってくれ」
彼女はハッとして鶴丸を呼び止めた。
「待ちなさい鶴丸、これはどういうこと?」
歩き出そうとしていた鶴丸は肩越しに一瞥し、そうしてため息をつくと彼女に向き直った。
「どういうこともなにも、彼女は俺の客だよ。昨日知り合って意気投合してね。少し相談したいこともあったんで、その話をしがてら遊びに来ないかと誘ったのさ」
「そんなの勝手に……」
鶴丸の言葉を信じれば、リンは政府としての用事でここに来たわけではないことになるが、しかし言うことを鵜呑みにはできない。
初日に彼女が硬い態度を見せて以来、鶴丸は彼女の前にはあまり姿を見せないが、だからこそ余計に何を考えているのかわからない不気味さがあった。それにリンへの相談というのも気にかかる。
「俺が自分の知り合いをここに招くことにきみの許可が必要か?」
「あ、当たり前でしょ、この本丸の主は私なのよ」
「俺が不審者を本丸に招き入れるとでも?彼女の身元はこんのすけが保証してくれている」
「だからって……」
鶴丸はため息をついた。
「友人一人招くのにいちいちきみの許可がいるとは面倒くさいことだな。あの子は俺たちの自由にしていいと言って、信用してくれていたのに」
「なっ……!」
苛立しげに吐き捨てながら前の主のことを持ち出すその言い草に彼女の口元が歪む。
やり直し前のこの頃は、就任してまだ時間が経っていないこともあってか、彼女が尋ねるより前に刀剣男士たちが前の主のことを口にすることはなかった。しかしいまは鶴丸も他の男士も前とは様子が違う。
だがそれ以上に鶴丸の態度に苛立って噛みついた。
「なんなのよその言い方!」
「そんなに怒ることか?」
「当たり前よ!そんな言い方されて怒らないわけないでしょ!」
いまの彼女にとって、前の主と比べられることほどの屈辱はない。
ましてそれをしたのが鶴丸国永なのだからなおさらだ。
腹立たしさにつかみかかろうとした手は寸前で別の手に叩き落とされた。
「なにするの、よ……」
抗議の声は途中で消えた。
そこにいたのはよりにもよって大倶利伽羅で、彼女を軽蔑もあらわに見ている。彼はまるで触れたところから汚れるとでも言いたげに両手を打ち払うと鶴丸たちに向き直った。
「なにを騒いでいるんだ、光忠たちが待っているぞ」
「すまんすまん。ちょっとしたことさ。さあリン殿、騒がしくしてすまなかった。こっちだ」
「はい」
リンは彼女に会釈し、歩き出した鶴丸を追う。
さらにその後を大倶利伽羅が彼女を一瞥することなく追いかける。
「大倶利伽羅……」
叩き落とされた手の痛みはしばらく続きそうだった。