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亡失の呪い-if/restart 5-

ふと、遠くから誰かの声が聞こえた気がして眠りを覚まされた彼女は、オレンジ色の光に眩しそうに目を細め、勢いよく体を起こした。
「……もう夕方!?」
眠ったのが昼前だったはずなのでそれからずっと眠っていたことになる。
「なんで誰も起こしてくれなかったの……」
硬い板張りの縁側で、しかも何も掛けずに眠っていた所為か体が緊張していたし、時間も相まって肌寒い。
起こさないにしてもせめて何か一枚掛けておいてくれたらよかったのにと悪態をついたところで今度は空腹を自覚した。

当然だがお昼を食べそこねている。もう少しすれば夕食になるが、かなり強い空腹感に襲われた彼女はせめて何か軽くお腹に入れなければダメだと立ち上がった。
厨で何か軽くつまめるものでも探そうと思い立ち、寝癖がついているだろう髪を直しにまずは部屋に戻った。

厨を覗くと、夕食の準備に当番の刀剣男士たちが忙しそうに動き回っていた。
そのうちの一人、和泉守兼定が彼女に気づく。
「どうした。何か用か」
「お腹空いちゃったから何かないかと思って……」
「これから晩飯だ。すこし我慢してろよ」
「だってお昼食べてないし」
「来なかったのはそっちだろ。んなことまで知るか」

冷たく突き放すような和泉守の物言いに彼女はカッとなって眉を吊り上げた。
「なんなのその言い方!それに来なかったって言うけど、誰か声くらいかけてくれてもいいじゃない!」
「なにいきなりキレてんだよ」
「キレてない!」
どう見てもキレてるだろと言いたげな和泉守を睨みつけて彼女は中に入ろうとしたが、ちょうど横切る形の大典太光世とぶつかってしまう。
反動で彼女は作業台に倒れ込みそうになったのを寸前で大典太が抱えて事なきを得た。
「無事か」
「え、ええ……」
「あんたじゃない。台のほうだ」
振り向けば中央にある作業台にはいくつもの鍋が置かれていた。
この状況で気にかけることが主ではなく料理の方なのかと彼女が抗議しようとするより先に、大典太はため息をついて、手に持っていた鍋を作業台に置いた。
「……忙しくしているのが見えないのか?後で何か持って行ってやるからケガしないうちに出ていったほうがいい」
高い背の威圧感と陰になった目元から冷ややかに見下ろされ、彼女は唇を噛むと何も言わずに苛立ちもあらわに足を踏み鳴らしながら厨を後にした。

彼女が部屋に戻ってしばらくして、前田藤四郎が持ってきたのは片栗粉で作ったというわらび餅だった。
「大典太さんに持って行くようにと言われたので」
「そこ置いといて」
「では。あとで夕食も持って参ります」
前田藤四郎が頭を下げて部屋を後にする。
彼女は苛立ちを収めきれずにいたが、しかし空腹なのも事実なので悪態をつきながらもわらび餅は残さず平らげた。

今日まで何度か食事は大広間で食べたが、空いた席に座る形式だと同じ座卓を囲む刀剣男士によっては会話が弾むこともなくどことなく居心地も悪かった。
そして何度か自分が終わる頃に鶴丸たちと一緒に大倶利伽羅がやってくることがあって少しでも話がしたいと残ろうとするのだが、食事が終わったのなら長居するなと、ほかならぬ大倶利伽羅に言われてしまっては悪い印象を抱かれたくないので従うしかなかった。
大倶利伽羅と一緒の食卓に着ける可能性を考えると、一人で食べたほうが気楽ではあったので食事は部屋に運んでもらうことにしたのだ。

夜中、ふいに誰かの声が聞こえた気がして眠りを覚まされた彼女は、羽織りを肩からかけて部屋の外へ出た。
誰か起きて騒いでいるのだろうかと考えた時、彼女はあることに気が付いた。
この状況は前の時と似ている。あの忌々しい前の主の幽霊を初めて見た時を思い出させた。

前に姿を見せた時よりもかなり時期が早いことに彼女は戸惑いながらあたりを見回し、庭の池にかかる朱色の橋の上にぼうっとした白い影を見つけて息を呑んだ。
それはゆらゆらとしていたが、だんだんとハッキリした人の形になって、それが間違いなく顔をこちらに向けていた。

それを認識して、彼女は憎悪を込めてその姿を睨んだ。

彼女のものであった大倶利伽羅を奪い、それだけでは飽き足らず彼女を苦しめつづけた。
別れを告げられなかった未練などと言って、彼女の刀たちの心を乱し、遂には彼女を不幸に突き落としたのだ。許しがたく、もはや怨霊と呼んでもいい。

成仏すらさせてやるものかと彼女は誓った。
あれの魂を消滅させなければ、彼女も、そして大倶利伽羅も救われることはないのだ。

翌日、彼女はさっそくこんのすけを呼んで昨夜のことを話したが、この管狐は開口一番、寝ぼけていたのではと失礼なことを言い放ったので、彼女は管狐の首をつかんで真面目に聞いてと笑顔で凄んだ。
縊られる危機を感じたのか、こんのすけはそれでは霊能者を呼びましょうと素直になった。

「確かに居るのかどうかをまずは霊視してもらって様子を見ますか」
「そんな悠長なこと言ってられないの。除霊できる霊能者を呼んで」
「いきなりですか?」
「だってあの幽霊、私を見るなりすごい顔で殺すって言ってきたのよ」
管狐は先日と同じように尻尾をピンと立て、驚いた様子を見せた。
「まさか!」
「だから一刻を争うの。もしあの霊に明日にでも私が殺されたら、こんのすけは責任取れるの?」
「それは……」
戸惑いひるむ様子のこんのすけに、彼女はさらにたたみかける。
「お願いこんのすけ。これは刀剣男士たちのためでもあるの!」
「どういうことですか?」
彼女はそこで周囲を見回し、あのね、と管狐の耳元で声を潜めた。

「その霊の顔、遺影と同じだったの……」
「えっ、では主さまだと!?」
「声が大きい!」
用心を重ねて外を伺い、彼女は顔をうつむかせて話し始めた。膝の上で両手を握りしめる。
「きっと私がここにいることが気に入らないんだと思う……そりゃあいきなり自分の本丸に他人が来たら嫌だって思っても無理ないわよね。それに、祭壇を移して、なんて言っちゃったし」
話の間に何度も瞬きをして、顔をうつむかせ短く鼻をすすった。
涙は出そうにないが、沈んだ声を出せばある程度は誤魔化せるだろう。

「前の主さまが……でしたらなおのこと霊能者を介してまずは誤解を解くべきでは?」
「無理よ。だってあんなに怖い顔をして、話を聞いてくれるかどうか」
なにより刀剣男士たちのためだと彼女は力強く先ほどの言葉を繰り返した。しかし管狐は疑わしそうな様子だ。
「だって前の主が怨霊になってるなんて、みんなが可哀想すぎるもの」
「まだ怨霊になったと決まったわけでは」
「殺すなんて言ってくるのにおだやかな霊なわけないじゃない」
「しかし……」
「とにかく強い霊能者を呼んでさっさと除霊してもらいたいの。あ、でもみんなには霊の正体は内緒にしてね。だって、前の主がそんな状態なんて知ったらかわいそうだもの」
そう言って彼女は両手で顔を覆った。


「……ということがありまして」
「ご苦労さん。ほらよ」
鶴丸国永が差し出す油揚げに管狐は嬉しそうに尻尾を振り、さっそく食いついた。

「しかし怨霊呼ばわりときたか」
「もし邪悪な気配があればわかりますし、今の主さまはなにやらやりたいことがあるようですね」
「それが何かは知らんが、ロクなことじゃないのは確かだな。妙な焦りも見える。……ところで向こうの作業は順調か?」
鶴丸はため息をつき、ふと心づいて尋ねた。
こんのすけは油揚げを食べ終わって満足そうに尻尾を振った。

「はい。そろそろ切り離し作業が終わる頃かと。それと通行手形ですが、いくつほど必要でしょうか」
「そうだな。山姥切と伽羅坊は当然として、共用のを二つか三つ……全部で五つもあればいいんじゃないか?」
「そんなところでしょうね。それにしても領域の一部を切り離すとは考えましたね」
「本丸という領域について前に考えていたことがあってな。まさか本当に可能とは思っていなかったが」
「作業が終われば、主さまの祭壇をそちらに移します。ただ四十九日が過ぎたら遺骨は予定通りこちらで預かることは変わりませんが」
「決まりで分骨もできないんだったな。けどいいさ。墓参りが出来るならそれでいい。伽羅坊だって納得していたじゃないか」
「それと位牌を庵の方で祀ると鶴丸殿が言ってくれなければ、いまごろ新しい主さまはどうなっていたやら」

耳と尻尾を垂れさせてため息をつくこんのすけの姿に鶴丸は笑い声をあげ、それはそれで見てみたかったと何でもないように言って、笑い事じゃありませんよと管狐から叱られていた。

大倶利伽羅の手には、通行手形と書かれた木札があった。
期間を限って開かれる戦場に赴く際に使うそれによく似てはいるが、大きさはそれらよりもいくらか小さい。

手のひらで包める程度の大きさのそれを手に、周囲を見回してひと気が無いのを確認し、何もない空中に手形をかざすと一瞬だけ浮遊する感覚が彼を襲った。
思わず振り向くと、さきほどまでいた場所の景色が遠ざかり、目の前には離れに造られた茶室を改装した庵を含めた景色が広がっていた。

門扉から飛び石の小路を通って玄関の引き戸を開けて入り、奥へと進んでいく。
主が生きていた頃、預かっていた見習いがこの庵で寝起きをしていたが、大倶利伽羅はここには掃除のために何度か入ったことがあるもののそれだけで馴染みの薄い場所だ。

奥まった部屋の襖を開けると、丁度入り口に対する向きで設置された主の後飾り祭壇が彼を出迎えた。


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