彼女がハッと気が付くと、自分の部屋で布団に横たわっていた。
いまのは夢だったのだろうかと息を吐きだしながら体を起こす。
刀剣男士の前でみっともなく騒いでしまうなど夢だとしても嫌だと首を振り、ふと自分の格好を見下ろした。彼女が身に着けていたのは昨日着ていた服で、そのまま眠った所為だろう、しわだらけだ。
自分で部屋に戻ってきた記憶がないが、だからといってお酒を飲んだ記憶もないし、そもそも自分は酔いつぶれない。
誰かせめて脱がせてくれていたら、と思いかけて、本丸は男所帯であることを思い出して慌てて首を振る。
いくらなんでも彼らに服を着替えさせてもらうのはあまりに恥ずかしい。
ならばこうなるのも仕方ないと諦め、軽くシャワーを浴びて着替えてメイクをした。
鏡に映る自分の顔にはそれでも隠しきれない疲労が見える。
ため息をついてメイクパレットを閉じたところで、執務室のほうから足音がした。
「……主、起きていらっしゃいますか」
へし切長谷部の声だ。いつものように朝食を持ってきてくれたのだろう。
「どうぞ、入って」
「失礼します」
長谷部は私室の戸を開けて、彼女がいつも食事に使うテーブルに持ってきたお椀や皿などを並べていく。
「おはよう、長谷部」
「おはようございます。よく眠れましたか」
「それなんだけど、ねえ私昨日いつ部屋に戻ったの?」
「……覚えていらっしゃらないのですか?」
「全然。何も覚えていないの」
「そうですか……」
何か思案しているのか目線をそらす長谷部に彼女は不安に駆られたが、そんな彼女に気づいた彼は首を横に振る。
「なんでもありません。昨日の主は朝からすこし体調が悪いとおっしゃっていました。仕事の途中で部屋に戻られたんです。すみません、様子を見に部屋に入りはしたんですがよく眠っていらしたので」
ソファで眠っていたのでそれではしっかりと休めないだろうと長谷部は布団を敷いて彼女を運んだが、さすがに着替えをさせるのは遠慮したのだという。
「主のお召し物にしわがつくとわかっていたんですが……」
「そうなの。いいのよ、気にしないで。着替えもせずにうたた寝してた私が悪いんだから。それより手間かけさせたわね」
彼女に対して長谷部が嘘をつく必要はないので、きっと彼の言う通りだろう。
ここ最近体の調子が良くないのは間違いのない事実だ。
「お気になさらず。さ、それより食事が冷めてしまいます」
座れるようにと長谷部が椅子を引いてくれたので彼女は素直に腰を下ろした。
ご飯と味噌汁と焼き魚や漬物など、ごく普通の朝食だが、やけに空腹を自覚している所為かすべてが輝いて見える。
「おいしそう。なんだかすっごくお腹空いてるの」
「無理もありませんよ。ずっと眠っていらして昨夜は何も食べていないのですから。あとで下げに来ますのでどうぞごゆっくり」
「ええ、ありがとう」
軽く頭を下げて部屋を出る長谷部を見届け、いただきますと手を合わせて箸を手に取った。
朝食を終え、お茶を飲んで一息ついた彼女がさて仕事を始めようと執務室に移ると、開けっ放しの障子戸の向こうから小さいが楽し気な声が聞こえてきた。
部屋を出て声の方へと近づいてみると、驚いたことにこれから第一部隊が出陣をするところらしかった。
主である自分に何も言わずに編成を組んであまつさえ戦場に出ようとするなんてと彼女は憤慨したが、彼女を不愉快にさせたのは、見習いであるサクラが当然のように刀剣男士たちを見送ろうとしていることであろう。
「サクラ!勝手に出陣させようとするなんてどういうつもり!?」
彼女が大声で叱責すると、サクラは肩を揺らして振り向き、ごめんなさいと何度も頭を下げる。
審神者様の調子が悪いと聞いていたので、などと言い訳をするのを、言い訳なんて聞きたくないと切り捨てた。
「あなたは見習いなのよ。主である私の許しもなしにこんなことをするなんて何を考えているの。あなたは私の指示に従っていればいいの。出しゃばって勝手なことをしないで!」
肩を落として震わせている姿に苛立ち、見送りはいいから外の掃き掃除をしてくるようにと指示を出すと、サクラは刀剣男士たちに素早く頭を下げて掃除用具置き場へと走っていった。
「まったく」
ため息をついて第一部隊を振り向くと、彼らはすでに彼女に背を向けて出陣用のゲートをくぐりはじめていた。
「ちょっと!」
慌てて手を伸ばしたが、最後にゲートをくぐった御手杵の背にさえ届かず空振りした。
「なんなの……」
主である自分に対して一言もないまま彼らが出陣することなど、この本丸を引き継いで初めてのことだった。
腹立たしい思いで足音も荒く執務室へ戻ると、へし切長谷部が待機していた。
彼は主宛てだという手紙を渡してくるが、苛立ちのおさまらない彼女は手紙を開く気にもなれずに適当に放ると、今しがたあったことを聞かせる。
「サクラが勝手に部隊を出陣させようとしていたの。まったく何を考えているんだか。見習いの立場をわかっているのかしら」
きっちりと反省させなければならない。
ああいうことは一度でも許してしまうとすぐに分別が無くなり、調子に乗るだけだ。
ふんと鼻息荒くしながら端末の前に彼女は腰を下ろし、そして反応らしい反応がないので長谷部のほうを見ると、正座をしている彼は無表情で視線を床の畳に落としていた。
「……長谷部?」
「っ、はい。なんでしょうか主」
「ぼーっとしてたの?」
「すみません。ちょっと考え事を」
「……そうなの。まあいいけど。長谷部、あとでサクラに反省文を書かせて。それと今日はあの子は罰として夕食は抜きだって言っておいて」
「サクラはまだ主が読めるような字を書けませんよ」
「じゃあ夕食抜きだけでいいわ。人間だって一食減らしたって死にやしないんだからあの子なら平気でしょ。いつも遠慮なんて知らずに意地汚く食べてるんだから」
何より刀剣男士たちから甘やかされて毎日おやつをいっぱいもらっているのだ。
食事抜きの罰はサクラに対してはこの上なく効果的だろう。
空腹を自覚してふと時計を見れば、いわゆるおやつの時間を指していた。
今日は休憩の時にはお茶しかなかったので、何かないかと彼女は厨に向かうことにして執務室を出たところで、離れの方にある建物から燭台切光忠が籐のかごバッグを手にして出てくるのが見えた。
離れにある建物は前の主が作ったという小さな厨房で、そこでよくお菓子作りをしていたらしいと以前に包丁藤四郎から聞いたことがある。
主はお菓子を作れないのか、という彼の疑問から派生した話題で、聞きたくもないのに聞かされた彼女は苛立ちを覚えながらも表面には出さず、審神者だからってみんな作れるわけじゃないとだけ返していた。
以来、包丁藤四郎は興味を失ったように何も言わなくなった。
そこから燭台切が出てきたということは何かお菓子でも作ったのだろう。
燭台切がお菓子を作れるとは、サクラが現れるまで知らなかったことだ。
自分はお酒が好きだが甘いものだって嫌いではないのに、どうして彼は一度として作ってくれなかったのだろうかと彼女は今さらながら不満を抱く。
彼が作る理由がサクラであるということが余計に不満を募らせた。
「燭台切」
「……やあ。仕事はどうしたの?」
「お腹空いちゃってちょっと休憩。今日はお茶だけだったから」
「ああ、今日の食事当番に作れる男士がいないからね」
燭台切の答えに彼女は納得した。
主である自分の休憩時にお茶と共に出されるお菓子はたいていその日の食事当番が用意するものだと以前に聞いていた。そこから今日の当番になっている面々を思い出すと、確かにそれに対しての関心が薄そうな男士ばかりだ。
しかし別に用意するだけならばその日の当番でなくてもいいのではないかと彼女は思う。
たとえばいま目の前の彼が別に作っておくとか、工夫のしようはいくらでもあるのと思うのだが。
「別に手作りにこだわらなくても買うとかでもいいのに、気が利かないんだから」
そう言って彼女はため息をついたが、ふと思いついてそうだと両手を打ち合わせた。
どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったのか。
「だったらこれからは燭台切が用意してよ。あなたなら作れるんでしょ」
「僕が?」
「だってそれだって作ったお菓子でしょ」
そう言って彼女が籐かごバッグを指さす。
「そうだけど、これは君の好みとは違うし」
「別になんだっていいんだけど。何作ったの」
見せて、と彼女は了承を得る前にふたを開ける。
そこには溢れそうなほど多くの二色のクッキーと、生クリームとベリー類で飾られたプリンが数個入っていた。
「わ、おいしそう!」
「こら、勝手に開けるのは」
燭台切の注意を聞き流して彼女はクッキーの一つをつまむと口へ放り込む。
「……君ねぇ」
お行儀が悪いよ、と燭台切はため息をつきながらかごバッグのふたを閉める。
「お腹空いてたんだからいいじゃない、ケチなこと言わないで。ねえ、プリンもくれない?サクラには多すぎるでしょ」
「悪いけど、一緒におやつを食べる子たちの分だから余分なのはないんだ」
「クッキーだっていっぱいあるんだからサクラにはそっちをあげれば。何でも食べるんだから。というかなんでいままで作ってくれなかったの?」
「これ、カスタードプリンだよ。君はカスタードのお菓子が苦手だって前に言ってたよね」
「そうだけど別に食べられないってわけじゃないし。たまには気分を変えたって……」
「だとしても、僕は自分の作ったものを嫌々食べてほしくはないな」
「嫌々なんて」
返しながら、妙に今日の燭台切は頑なで冷たいと彼女は不審に思う。
なぜ今まで作ってくれなかったのかという問いには答えすらない。
「僕はその子が好きな味をその子に食べてもらいたいんだ。仕方なくとか、たまにはとかそんな適当な理由で食べてほしくない」
燭台切の言葉に彼女は思わず顔をしかめていた。
「なにそれ。どうでもいいじゃない、そんなの。たまには別のもの食べたくなる時だってあるでしょ」
「それを否定するつもりはないよ。ただ僕がそう思っているだけで、君と意見が合わないだけだから。それと君の分もちゃんと用意してあるから、つまみ食いなんてやめてくれるかい」
「え、用意してたの?」
「君の好きな抹茶のお菓子をね。まあ君がこっちのプリンが良いって言うなら、抹茶のをサクラちゃんに持って行くけど」
「嘘、嘘、もちろん抹茶のほうがいいに決まってる!サクラなんかにあげちゃうのもったいない」
「なら後で持って行くから」
もやもやとしていた不満が用意していたという一言で吹っ飛んだので、すれ違いながら告げる燭台切の声が先ほどよりもさらに硬いことに彼女は気づかなかった。
だがはたと大事なことに気づいて、その背中に言い忘れていたと声をかける。
「そうだ。長谷部にも言ったんだけど、燭台切からも今日の食事当番に伝えておいてくれない?サクラの夕食は抜きでいいからって」
彼女がそう伝えると燭台切は足を止め、振り向く。その端正な顔に浮かんでいた表情にはどこか近寄りがたい鋭さがあった。
「……どういうこと、それ」
炎色の隻眼が冷たく輝く様に彼女の心臓が跳ねた。
戦慄すると同時に美しいと思い、ハッとして軽く首を振る。
「ど、どういうことも何も、あの子、勝手に部隊を出陣させようとしてたのよ。私に何も言わず、許しもなくね。自分の立場をわからせて弁えさせないと」
「それでご飯を抜きにするって?」
「食い意地張ってるあの子にはちょうどいい罰になるもの。それで少しは反省するといいけど」
「それで反省しなかったら今度はどうするつもりだい。叩いてわからせる?」
「あのね、それは虐待でしょ。さすがにしないわよ」
「……ふーん、まあ、そうならないことを祈っているよ」
「燭台切?」
「君も早く仕事に戻りなよ」
先ほどからやけに素っ気ないのは何か機嫌でも悪いのかと思いながら、サクラのことをちゃんと伝えておいてよと遠ざかる背中に声をかけたが、彼は答えることも振り返ることもなかった。
その後、約束通り燭台切は彼女のために用意していたという生クリームとゆで小豆が乗った抹茶のプリンを届けてくれた。
「おいしそう!いただきまーす」
さっそくスプーンで一口すくい、口に入れる。ほろ苦い抹茶と甘さ控えめのゆで小豆と生クリームのすべてが彼女好みの仕上がりだった。
「おいしい!」
「そうかい。はいお茶」
お茶の入った桜の花びらの柄の湯呑を渡され、彼女はそれにじっと視線を注ぐと首をかしげる。
どうかしたのかという燭台切の問いに、ため息をつきながら、なんか飽きちゃったと答えた。
「飽きた?」
「この湯呑よ。あ、そうだ。ねえ後で一緒に買い物に行って新しい湯呑を選んでくれない?」
「飽きたって……じゃあこの湯呑はどうするつもり。まだ割れたりもしてないのに」
「別に割れなきゃ食器を変えられないわけじゃないでしょ。これは適当に食器棚に入れておいて……あ、じゃあサクラにあげようかしら。ほら、名前もサクラだしちょうどいいじゃない」
サクラはどんなものを渡しても喜ぶ。
先日など五虎退と秋田藤四郎に葉っぱの船を作ってもらい、池に浮かべて楽しそうに遊んでいた。
彼女から見れば大したことのないものだが、無知な子どもの目にはなんでも新鮮に映るのだろう。
そういう意味ではこの湯呑は葉っぱの船などと比べてはるかに実用的に違いない。
「そういうことだからあとでサクラに渡しておいてやって」
葉っぱの船を引き合いに出して上機嫌な彼女が再びプリンに向き直るのを横目で見て、燭台切は何も言わずに執務室を後にした。
執務室がだいぶ遠ざかったあたりまで歩いて、燭台切は足を止めた。
歩いてきた方向を振り向いて、眉をひそめるとため息をつく。
サクラのために湯呑も箸も刀剣男士たちで選んで贈ったことを彼女は知らないらしい。
自分が嫌っている相手に対する興味がないことを燭台切は責めるつもりはないので別にそれは構わないが、渡す側が実用的かどうかを比較して決めつけることは馬鹿馬鹿しいと思う。
ましてや、さもいいことを思いついたと言わんばかりだった表情を思い出すと呆れるしかない。
彼女が言っていた通り、あの子どもはどんなものを渡しても喜ぶ。
きっと飽きたという理由で下がってきた物であっても、あの子どもは嫌な顔一つしないだろうし、桜の花びらが散った柄を、名前とお揃いだと嬉しそうにする顔を想像するのは容易い。
だがそれでも、燭台切はそんな顔を見たいとは思わなかった。
「……サクラちゃんは庵のほうかな」
つぶやいて、燭台切は歩き出す。先ほど聞かされた不愉快な話を思い出して歯噛みしながら。