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亡失の呪い-if 25-

林道の先に、一本だけ桜の木が植えられている開けた場所がある。
そこに大倶利伽羅は一人になりたいときに足を運ぶようになった。どこからか迷い込んでくる猫がいるので、そこで過ごす時間は気分が楽になれる。
そのことを知った燭台切光忠がどこか悲しそうな表情をしていたので、おそらく一振り目の自分と関係があるのだろうと思いながら聞けば、予想通り、よく足を運んでいた場所なのだと返答があった。

「あと、主と時間を過ごす場所でもあったんだ」

主。それは今の本丸を預かっている審神者ではなくこの本丸の運営を最初に始めた審神者のことで、大倶利伽羅は、その最初の主を燭台切から見せてもらった写真で姿だけは知ってはいた。
今の主とは雰囲気が正反対の、どこか気弱で脆そうな印象を受けたが、どうしてだか今の主に感じている嫌悪感はなかった。
審神者など誰だろうと同じようなものだと思っていた彼にとってその感覚は不思議なものだった。

この日、林道の先の桜の木が立っている所に赴いた大倶利伽羅は、その木の根元に何かの塊があるのを見つけた。不審に思いながら近づけばその塊は横たわる幼い子どもだった。
何が起きたのかと一瞬戸惑いながらも子どもの様子を確かめようと触れると、小さくうめき声をあげて目を開けた。
弱々しく震えるまぶたの向こうの目が大倶利伽羅を確かに見て、唇を薄く開いたが、発した声はほとんど音にならなかった。

子どもは再び目を閉じる。呼吸に大きな乱れはないがひどく弱いうえに全身が傷だらけだ。
どうやってこの領域に入ってきたのかは知らないが、何にしてもこのままここに放置しておけば間違いなく死んでしまうだろう。
それではこれから先の寝覚めも悪いと、大倶利伽羅は子どもの体をそっと抱きかかえて踵を返した。
主である審神者を頼りたくはないが、こればかりは仕方がない。

刺激を与えないようにしっかりと抱え足早に母屋の方に向かっていると、声をかけられた。燭台切光忠だった。
「伽羅ちゃん?どうしたのそれ……というか、え、子ども?」
「林道の先で倒れていた」
「倒れていたって、そもそもどうやってここに……」
大倶利伽羅に抱えられた格好のその子どもの衰弱している姿に一瞬別の姿が脳裏で重なり、燭台切は目を瞠った。
「……光忠?」
様子を不審に思って大倶利伽羅が声をかけると、燭台切は首を振って、自分が運ぶと腕を伸ばす。
「僕が運ぶよ。伽羅ちゃんは薬研君を呼んできてくれないかな」
一瞬戸惑いながらも大倶利伽羅はうなずき、伸ばす手に預けた。
子どもをしっかりと抱えて医務室へと向かう背を肩越しに振り返って、薬研を捜そうと走り出した。

薬研藤四郎を連れて医務室へ向かうと、敷かれた布団に子どもは横たわっていた。
奥からお湯を張った洗面器とタオルを手に燭台切が戻ってきて、そうして薬研と共に丁寧に濡れたタオルで体を拭いてやり、傷に薬研手製の薬を塗っていく。

「傷のほとんどはそこまでひどくないのが救いだな。この様子ならそのうち目を覚ますはずだ。弱ってたのは……たぶんまともに物を食えてないんじゃないか?」
あばらも浮いていたし、という薬研の見解に燭台切は痛ましげな表情で子どもを見やった。
「じゃあ何か負担にならないもの……重湯とかお粥なら大丈夫かな」
「そうだな。起きたら様子を見て与えてやるといい」
ならいまのうちに用意をしてくるといって燭台切は医務室を後にした。
大倶利伽羅は邪魔にならないようにと少し離れて座って処置の様子を見ていたが、薬研にそばで様子を見てやるといいと言われて不思議と素直に従っていた。

「しかし、どっから迷い込んだのかね」
ため息をついて薬研は子どもの髪を撫で、なんだか前の主に似ているとつぶやく。
大倶利伽羅がそれに反応して薬研に視線をやると、俺たちを顕現した審神者だ、と静かな声で返した。
「前の主のことは燭台切から少しは聞いたんだろ?」
「……病気で死んだとは聞いた」
「病気か……まあそうだな」
薬研はフッと笑い、肩をすくめる。違うのか、と問う声が少しだけかすれた。

「呪い殺されたんだ、俺たちの大将はな」
吐きだす言葉には怒りがにじんでいた。


水を飲みに厨に入った鶴丸国永は、燭台切光忠が何かを作っていることに気づいて覗き込んだ。
「なんだ。腹でも減ったのか?」
さっき昼飯食ったばかりだろと声をかけながらコップに水を注ぐ。
「僕のじゃないよ。さっき伽羅ちゃんが……子どもを拾って」
口に含んだタイミングで聞かされた衝撃的な内容に鶴丸は勢いよく水を吹き出し、手の甲で濡れた口元を拭いながら燭台切をまじまじと見た。
「はぁ!?」
「そういう反応だよね。いま医務室で眠っているんだけど、薬研君の見立てでは空腹状態みたいだから起きた時に何か食べられるものでもと思って」
苦笑しつつ、薄味のお粥が入った器を木のお盆に載せて厨を出ようとする燭台切の後を鶴丸は慌てて追った。

燭台切と共に医務室に入ると、中には布団の上で身を起こした子どもと、そのそばに座っている大倶利伽羅、そして机の前で本を読んでいる薬研藤四郎の姿があった。
「ちょうどよかったな。さっき目を覚ましたところだ。腹減ってるか聞いたら、空いてるってよ」
「そっか。じゃあ食べられるといいんだけど」

子どもが不思議そうに燭台切を、そして彼の運んできたお粥を見て目を丸くした。
「少し薄味だと思うけど、いきなり重いものは負担がかかると思って」
はい、と器と木のスプーンを手渡すと、子どもは恐る恐る受け取り、そして食べていいのかという様子で燭台切や大倶利伽羅を見る。
大丈夫だと燭台切がうなずくと、子どもはいただきます、と小さくつぶやいてスプーンですくって口に運んだ。
それまで浮かべていた緊張の表情がお粥を口にしたことでほぐれるのを見て、燭台切は知らず安堵の息を吐いた。

一口、一口とゆっくりながらも子どもは食べ進めていく。
途中で白湯も飲み、そうして用意したお粥はすべて平らげた。
ごちそうさま、と小さいながらもしっかりとした声に、燭台切の口元は自然とゆるむ。
「お腹は大丈夫?」
はい、と大きくうなずく子どもからは先ほど感じ取った弱々しい気配はもうなかった。

子どもは不思議そうに周りを見回し、そうして大倶利伽羅と目が合うと少し戸惑った様子で視線をさまよわせ、顔をうつむかせる。
「伽羅坊。その子はきみの顔が怖いようだぞ」
「は?」
苛立った大倶利伽羅の声と、ちがうと慌てて否定する子どもの声が重なった。
二人は顔を見合わせる。その様子に鶴丸は笑い声をあげ、そういえば自己紹介がまだだったな、と子どもに目線を合わせてかがんだ。
「俺は鶴丸国永というんだ。刀剣男士、と言ってもわからんか。きみの名前はなんていうんだい?」
名前、とつぶやいて悲し気に眉を下げる子どもの反応に鶴丸は不審そうに片眉をあげる。
名前はない、と答える声はひどくかぼそい。どこから来てどうやってこの領域に入ってきたのかという問いには、ずっとここにいたのだと言って鶴丸たちを困惑させた。
正体がわからないことに鶴丸たちが途方に暮れていると、呆然とした様子の声がした。

「……主?」

鶴丸たちが振り向くと、医務室の戸口に声の主である山姥切国広が立っていた。
あるじって誰、と首をかしげる子どもに山姥切はハッとして、ゆるく首を振る。
「っ、すまん。変なことを言った。この子はどうしたんだ?」
「伽羅坊が林道の先で倒れているのを見つけたんだそうだ。いまどこから来たのか聞いていたんだがどうにも要領を得なくてな」
「というか、ここにどうやって入ってきたんだ」
「ずっといたんだそうだ」
どういうことだと困惑しながら山姥切が視線をやると、子どもは不思議そうな顔をしてじっと彼を見ている。
その表情は彼に自身を顕現させた主を思い起こさせて、ますます困惑するしかなかった。

しばらく医務室内は沈黙が漂っていたが、それを破ったのは子どもが起こした行動で、子どもは布団から出ると戸口に立ち尽くしている山姥切のそばに近づいて、そっと小さな手で彼の手をつかんだ。
傷はいたくないのかと尋ねる言葉に、山姥切はつかまれた手の甲に走る筋に視線を落とし、そういえば知らない傷が出来ていたから医務室に来たのだと目的を思い出していた。

山姥切国広はこの日、内番も特に割り当てられておらず、遠征に出る予定もなかったために部屋でぼんやりと本を読んでいたのだが、ふと手の甲に傷があるのが見えて、首をかしげた。
ケガをするようなことはしていなかったはずなのにと思いながら医務室に来ると、そこには見知らぬ子どもがいて、そしてその子どもの姿にどうしてか前の主が重なって思わず呼んでいたのだ。

「そらよ、これを塗ってやるといい」
子どもの手に、薬研から薬の入った容器が放られておさまった。

子どもの指が軟膏状の薬を掬い、山姥切の手の甲の傷に慣れない様子で塗っていく。
よく効く代わりにその薬はかなりしみるので思わずうめいてしまった山姥切に、子どもは心配そうに表情を曇らせたが、山姥切は平気だと強がってみせた。
この子どもの曇った表情を見たくない。彼自身にも出どころのわからない思いがそうさせていた。

「しかし名前もわからん、どこから来たのかもよくわからんってのは困ったな」
さてこれからどうするかと鶴丸が口を開いたとき、軽快な音を立てて現れたのは管狐のこんのすけだ。
主ならここにはいないという鶴丸に対し、本丸内に異変を感じ取ったのだと言いながらこんのすけは医務室内を見回して子どもの姿を見つけ、驚いた様子で耳と尻尾をピンと立てた。
異変はこの子どもらしいと判断したこんのすけはその周りを観察するように回って独り言をつぶやいていたが、やがて何かがわかったのか、足を揃えて座ると医務室にいた一同を見渡して尻尾を振った。

「この子どもは人間ではありません。精霊、と呼ぶべき存在です」
「精霊?」
「桜の木の根元に倒れていたようですし、本丸という領域の特異性を考えればありえない話ではないかと思います」

本丸は現世からはすこし外れた場所にあり、多くの付喪神が集うことによって霊力が満ちた空間へと変わっていく。
そこにある自然物などに精霊が宿るようになったとしても不思議ではない、とこんのすけ。

説明をしている間、精霊であるらしい子どもは管狐が振る尻尾に興味を抱いたのかそっとつかもうと手を伸ばしたが、それを近くにいた大倶利伽羅に優しくおさえられて、急に握ったら驚くと穏やかに注意されていた。
鶴丸はそんな様子にふっとほほ笑むと視線を管狐に戻す。
「なるほどな。つまりこの子は桜の木の精霊といったところか」
「そういうことになりますね。最初から領域の中にあった木ならばどこから来たのかという疑問は解決できます。まあどうして姿を見せたのかはわかりませんが、場所が場所なので刀剣男士のように顕現したという可能性が高いのではないかと思われます。それと遡行軍の気配は感じられませんので何らかの罠ということもないかと」
この子が悪いものでないことはみなさんのほうがよくわかるでしょう、というこんのすけの言葉に、鶴丸は同意を示す。

「不思議だよな。さっき会ったばかりだってのにずっと前から知ってるみたいだ……いや、そうか。ずっとあの場所にあったわけだから知っているってのも納得できるな」
桜の木ではあっても、精霊そのものに名前がないのなら子どもは知らないと答えるしかなく、どこから来たのかという問いに返した「ずっといた」という答えは嘘でもなんでもなかったことになる。

「きみは姿を見せていないだけで俺たちと一緒にずっとこの本丸にいたんだな」
鶴丸は手を伸ばして子どもの頭を撫でてやる。
くすぐったそうにして笑う子どもを見つめる鶴丸の表情は穏やかで、けれど悲し気でもあった。
彼がそんな表情を浮かべる理由を察して、燭台切光忠は目を伏せてそっと息を吐きだした。


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