その頃。執務室で燭台切光忠からなだめられ、ようやく落ち着いた審神者の元にこんのすけと鶴丸が訪ねてきたのだが、こんのすけから、誤って顕現してしまった大倶利伽羅の所属を政府に移してはどうかと提案されて彼女は不快そうに顔をしかめた。
「そんな提案、受けるわけないでしょう」
冗談じゃない、と忌々し気に吐き捨てる。
彼女にとっては大倶利伽羅を手放すということ自体考えられない話だ。
いくら彼は彼女の知る『大倶利伽羅』でなくとも、たとえそのつもりがなかったとしても彼女が顕現させたのだから、もう彼女の刀なのだ。
また興奮状態になったらと気遣う燭台切を目で制して、鶴丸は主である審神者を見据えた。
「きみはそう言うと思ったよ。だがな、そうしたいのならきみはちゃんと彼を戦いに出さなきゃいけない。今のきみにそれが出来るのか?」
鶴丸の指摘は手厳しいものだったが、彼女はひるむことなく、わかっていると答えた。
「ちゃんとわかっているわよ。そうでなきゃ……」
嫌われてしまう、という言葉はだが弱々しく音にならなかった。
彼が顕現したときには我を忘れていろいろと喚きたててしまったが、彼女は別に『大倶利伽羅』という刀剣男士を嫌っているわけではなかった。
それどころか誤って顕現させた彼は彼女が忌々しく思っている前の主のことなど知るはずもないし、彼女が抱いて、ぶつけてしまった感情も知らずにいる。
彼女に対するマイナスの印象はあの顕現時だけで、まだ挽回できるチャンスはいくらでもあると信じ、良好な関係を築いていきたいと考えている。
その意思を込めて鶴丸を睨んだが、対する鶴丸は本当にわかっているのかと言いたげに冷ややかに金色の目を細めるだけだ。
戦いに出せるのかという問いをわざわざしてきたことに思い当たる節がある彼女にとってはいくらか後ろめたい気持ちと、いまだに鶴丸に対する憤りもあってカッとなって文机を強く叩いた。
「だったらこれから彼に戦場に出てもらうわよ!そうすれば鶴丸だって納得できるんでしょ!?」
「ああそうだな、それがいい。きみの気が変わらないうちにそうしてくれ」
「じゃあ僕が呼んでくるよ」
忌々しそうに鶴丸を睨んだ審神者がさらに何か言うより先に燭台切が立ち上がり、足早に執務室を後にする。
鶴丸と審神者の刺々しい雰囲気に嫌気が差したのだろう、彼の声は硬かった。
前の主から大倶利伽羅を取り返すと息まいていた審神者だったが、けれどそれは叶うことのない幻となった。
政府に預けていた大倶利伽羅の刀身が折れて、二度とこの本丸に戻らないことが明らかになったからだ。
管理に不手際があったのではなく、前の主が死後に就いた役目に大倶利伽羅が同じく就いたことが原因で、それを今の主が知った時にはそれはもうひどく荒れた。
喚き散らし、前の主を悪しざまに罵り、それを知らせに来たこんのすけを怒りのまま絞め殺そうとすらしたので、あまりの見苦しさに鶴丸は彼女の頬を張り倒した。
それだけならば彼女も反発する心を抱えたとしても、いずれ落ち着くことが出来ただろう。
だが鶴丸はそこへさらに言い放った。
──あの子だったらそんなふうに泣きわめいたりしなかった。
以来、今の主と鶴丸の間には大きな溝が出来ている。
極力顔を合わせなくなり、口をきくことはあってもそこにお互いへの優しさやいたわりなど皆無だ。
別の審神者がこの本丸を引き継ぐことが決まった時、新しい主のためにも前の主と比べるようなことは口にはしないと鶴丸は決めていた。だが大倶利伽羅の一件でその抑えは崩れた。
思えば、幽霊騒ぎの頃から端々にその兆候は見えてはいたのだろう。
前の主に対して悪感情を見せたのは今の主の感情が高ぶっている所為で悪意からではないと言い聞かせることは出来ても、芽生えた不信感と覚えた不快感をなくすことは出来なかった。
そういったことが積み重なっていって、あの日とうとう崩壊した。
鶴丸が今の主の刀としてこれ以上在ることは出来ないと思うようになるのに、そう時間はかからなかった。
だが結局初陣の機会は大倶利伽羅が倒れたために後に回されることになった。
そして主である審神者が政府への移譲を頑なに拒んだこともあって彼は本丸に残ることが決まった。
鶴丸国永は今の主が大倶利伽羅の本丸での生活に干渉して影響を及ぼすのではないかと危惧したが、いざ始まってみると比較的静かに日々は過ぎていった。
理由として、本丸での生活に慣れるまでは燭台切光忠が面倒を見るという口実で大倶利伽羅をなるべく主の目の届く範囲で行動させなかったことが大きい。
彼自身も主の目に留まるのは避けたかったようで、何かと口を出されてもおとなしく従っていた。
主である審神者が憂鬱そうなため息をつくのを聞き、加州清光は大和守安定と顔を見合わせた。
彼女のここ最近の悩みはやはりというべきだろうか、事故で顕現してしまった二振り目の大倶利伽羅のことだ。
彼の顕現時にひどい態度を取ったことを謝罪し、大倶利伽羅もそれを受け入れてくれたと主は言っていたが、それでもこうして過ごす日々でめったに顔を合わせることがないのを歯がゆく思っているらしかった。
初対面があんな状態だったからこそ大倶利伽羅とは良好な関係を築きたいと思い、歩み寄ろうとしているようなのだがうまくいっていない。
「ねえ、どうしたらいいと思う?」
「前も言ったけどさ、あいつはなれ合うつもりないんだよ。そっとしておきなって」
このアドバイスも何度目だったか、と加州はそっとため息をつく。
大和守はそれを一瞥して、関心がない様子で手元の雑誌に視線を落とす。
元々関心は薄かったが、今の主がこうなって以降はもはや皆無と言ってもいい。なにしろ主はアドバイスを求める風でありながらただ話を聞いてほしいだけで、彼女にとって耳の痛い正論など求めていない。
なので加州の言葉など右から左へ抜けていくだけだ。
ただそれを面と向かって主に指摘すると面倒になりそうなので黙っているが。
「しつこく構おうとすると警戒されるだけだよ」
加州の言葉に主は顔をしかめ、もういいと気分を害した様子で足音も荒く二人の部屋を出ていった。
主の足音が遠ざかるのを確認して、二人はそろってため息をつく。
「あぁ、しんど……」
「憂さ晴らししたい。思いっきり敵をぶっ殺したい」
大和守の物騒な発言を軽く流して、加州は座卓に突っ伏した。
先ほど主には警戒されるだけだと言ったが、実際のところ大倶利伽羅はすでに主に対して警戒しているようで、決して一人では対峙しないようにしている。
そういった場に居合わせるたび、加州たちは悲観する主を、大倶利伽羅は元々なれ合わないと公言してそう行動しているだけで特別主を嫌っているわけではないと慰めていたが、彼ら自身がその慰めを欺瞞だと感じていた。
どう好意的に解釈しても、大倶利伽羅が主を警戒して避けている事実は変わらないからだ。
かといってそれを今の主に真正面からぶつけても感情を爆発させて八つ当たりするだけだろう。
面倒さに加州はしばらくうめいていたが、ああそうだと口にしながら顔を上げた。
「そういや俺、さっき日本号たちがぼやいてるの聞いたんだけどさ、修行の申し出も拒まれたって」
「なんで急に出陣させなくなったんだろうね。最後に僕ら出たのいつだっけ?」
「大倶利伽羅が帰らないってわかったあとからだから……ひと月経つくらいか」
指折り数え、加州は顔をしかめる。
死の危険を冒してまで今の主は大倶利伽羅を取り戻そうと迎えに行ったが、手ひどく拒まれたという話を聞いたとき、意外に思った者は一人もいなかった。
大倶利伽羅が刀の状態に戻った時点でもう主は拒まれていたようなものなので結果など最初から見えていたはずなのだが、主は納得しなかったようだ。
何とかもう一度説得しようしていた矢先、政府に預けていた大倶利伽羅の刀が折れたことを知らされ、二度とこの本丸に戻らないことが確定した。
戦いに出されなくなったのはそれからまもなくだったように思う。
「でも主は見た目は元気だよね」
呪いで臥していた前の主の状態なら男士たちを戦いに出せないのはわかるのだが、今の主はあのとおり加州たちに愚痴をこぼし、欲しいアドバイスが得られないと怒るだけの元気はある。
どんな理由があって自分たちは戦いに出されなくなったのか。主の様子からそれを探るのは難しい。
戦いに出たいと頼んでも、素気無く却下されてしまうのだと不満を口にしていたのは和泉守兼定か、あるいは同田貫正国だったか、それとも他の誰かだったか。
理由を訊いても、決めたことだからという一点張りで説明しようとせず、それ以上食い下がろうとすると機嫌が悪くなって癇癪を起こすのでもはや腫れ物に触るような状態だ。
演練のほうは他の本丸の大倶利伽羅を見かけるたびに苛立った様子を見せるので、むしろ男士の方からしばらく行かないほうがいいと勧めたくらいで、外に出る機会は遠征ぐらいしかなくなってしまっている。
おかげで連日、道場のほうから手合わせをする賑やかな声が聞こえてくるようになった。
「いつまでこの状態なんだろうね」
いまだに二振り目の大倶利伽羅の初陣は果たされていない。