「どうだ、伽羅坊の様子は」
鶴丸国永の視線の先、敷かれた布団に横たわる大倶利伽羅の姿があり、その傍らには気づかわしげに様子を見る燭台切光忠が座っていた。
「うん、前の時と同じだね。まだ目覚める気配はないよ」
そうか、と鶴丸はため息をつき、戸口に寄りかかると腕を組んだ。
手入部屋の隣には『医務室』としている部屋がある。
そこは傷を負った刀剣男士が手入後にも調子が戻らない時に過ごすためであったり、戦い以外の日常で負った小さな傷などの手当て、あるいは薬研藤四郎が手製の薬を作るためなどに使われることもある。
数時間前、山姥切国広を部隊長とした第一部隊が出陣したのだが、大倶利伽羅が再び重傷となったために帰還していた。
そして前と同じように傷はふさがったのだが、目覚める様子がないため、ここへと運ばれることになった。
鶴丸はため息をついた。あの時はまさか、目が覚めたら記憶のほとんどを失っているなど思いもよらないことだったし、それはいま思い出しても嫌な驚きだったと眉をひそめると、眠る大倶利伽羅を一瞥し、主の様子を見てくると身をひるがえした。
「よう、主。ご機嫌伺いに来た、んだが……長谷部だけか?」
鶴丸は執務室の開いていた障子戸から顔をのぞかせたが、しかし部屋の中には近侍を務めるへし切長谷部の姿しかなく、主の姿は見当たらなかった。目を瞬く。
「あの子はどこかに行っているのか」
「さっき山姥切国広がやってきたと思ったら主の顔を見るなり連れ出して行ってしまってな」
大した理由も告げず、突然のことだったので当然ながら長谷部は止めようとしたし理由を聞こうともしたのだが、山姥切は大丈夫だと言って制止を振り切っていってしまったのだ。
強引さに驚きはしたものの、長谷部は不思議と後を追うことは考えなかった。
彼ならば主に対しておかしなことやひどいことをしないだろうという確信も手伝っていたからかもしれない。
「まあ、彼が大丈夫だと言うならそうなんだろうが」
「お、いたいた」
医務室の机に置かれたノートを手持ち無沙汰に眺めていた燭台切光忠が、近づいてくる足音に視線を上げると太鼓鐘貞宗が戸口に立っていた。
「貞ちゃん、どうかした?」
「みっちゃん、今日は夕食の当番だろ。そろそろ厨房に来てくれってさ」
「あ、しまった。忘れてた……!」
慌てて腰を上げ、教えてくれてありがとうと礼を言って部屋を後にする燭台切を見送って、太鼓鐘は視線をいまだ眠る大倶利伽羅に向け、そばへと近づいた。
「……まーだ眠ってるのかよ、伽羅」
声をかけても、だが反応は何もない。
ため息をついて太鼓鐘は周りを見回し、先ほど燭台切が見ていたノートに目を留め、手を伸ばした。
それは医務室の利用者名が書かれたノートで、ページをめくると最近の日付で大倶利伽羅の名が並んでいた。
筆跡を見る限り、どちらも書いたのは主のようだ。重傷を負ったことと、手入が終わっても目覚めないことが事務的に書いてあった。
「……なあ。主はさ、伽羅が主とのこと忘れてから、すごくさみしそうにしてたぜ。口には全然出してないけど。夜もあんまり眠れてないみたいだって鶴さんたちも言ってたし」
ページに視線を落としながら太鼓鐘は聞かせるようでありながらも独り言を口にし、けれど反応がないことにため息をつくと首を振ってノートをいきおいよく閉じた。
机の上に置いて腰を上げると、眠る大倶利伽羅を一瞥することなく部屋を後にした。
すっかり冷えきった体に、お湯の熱さが染み渡るのを感じながら審神者は浴槽に身を沈め、そうして息を吐きだした。
山姥切国広に連れられて向かったのは領域内にある山のふもとで、すっかり雪に覆われたその場所には山伏国広と堀川国広の姿があった。
修行か何かに付き合わされるのだろうかと戦々恐々したがそうではなく、三人から提案されたのはチーム対抗の雪合戦で。
審神者が雪玉をつくり、それを山姥切国広が投げる。対する堀川国広と山伏国広チームは、投擲と雪玉作成の役割をスムーズに交代していく。
おかげで雪玉づくりが追い付かない状況になり、結果として山姥切と審神者のチームは一方的に追い込まれて雪にまみれることになった。
その姿を見て、堀川国広と山伏国広が笑い声を上げる。つられるように審神者も笑い、山姥切は審神者の髪についた雪を払いながら、労わるような表情を浮かべた。
その表情に、審神者は彼に気遣わせて迷惑をかけていたことに気づき、申し訳なさを覚えて心苦しい気分のまま顔をうつむかせる。
主と呼ばれて顔を上げると、山姥切が手を差し出して、チーム交代だとほほ笑んだ。
山姥切国広が執務室に来た時は大倶利伽羅がまた目覚めないこともあって気分が沈んでいたが、雪にまみれて騒いだおかげか、戻るころにはいくらかすっきりとした気持ちに変わっていたので、彼らなりの心遣いはとてもありがたかった。
ただ難があったとしたら、雪に全身がまみれたのですっかり濡れてしまったことと、手袋をしていたにも関わらず手が真っ赤に腫れあがってしまったことで山姥切たち三人がへし切長谷部に叱られる羽目になったことだろうか。
風邪を引いては大変だと心配するへし切長谷部に、審神者は浴室へと追い立てられていた。
髪を乾かしおわったところで、執務室のほうから物音が聞こえたので誰かが来たのだろうかと大して警戒もせずに私室の戸を開けると、目の前、触れそうなほどの至近距離に思いもよらぬ姿があって、驚くよりも先に体が固まっていた。
視線がたしかに絡み、はっと気づいて距離を取るより先に抱きしめられてしまう。
恐る恐る、大倶利伽羅さん、と彼の名を呼ぶ。
頭から抱え込まれるように抱きしめられていたが、その力が強くなって、彼がうめくように言った。
「……何も覚えていない。俺は、あんたに何をした……」
大倶利伽羅が医務室で目覚めた時、脳裏をよぎったのは自分がこの場所にいる理由の重傷を負った時のことで。
自身の力不足を痛感し、舌打ちをしたところでふいに視界に入ってきたのは、机に置かれたノートだった。
それになかば無意識に手を伸ばし、ページをめくる。
一番新しいページには自分の記録が二つあったのだが、日付を見て眉をひそめた。
一つ目の記録にある出陣が記憶にある最後なのに、次の記録がそれから一週間ほど過ぎてからのものであるはずがない。
とっさに壁に掛けられた日めくりのカレンダーを確認すると、二つ目の記録と今日の日付が一致していた。
実際の時間と自分の記憶に一週間以上ものズレがあるという事実に大倶利伽羅は不穏なものを感じとり、医務室を出ると迷うことなく主の元へと向かった。
記録の筆跡が主のものであったことも理由だが、なにより彼自身が確かめたいことがあった。
――どうしてあの時、何も言わずに部隊長から外したのか、と。
執務室には主も、近侍の男士も誰もおらず、一度自分の部屋に戻ったほうがいいかと踵を返そうとして、けれど奥から聞こえた物音に足を止めた。
執務室奥の主の私室は無断で入ってはならないと、増築で造られた際にへし切長谷部が口うるさいほどに、特に鶴丸国永に対して注意をしていたし、いまのところそれは守られているはずだ。
ならば主がいる可能性は高い。奥へと進み、引き戸越しに声をかけようとしたところで、驚いたことに先に戸が開いた。
目の前、触れそうな距離で主が大倶利伽羅を見上げて呆然としていた。
視線が絡み、聞きたいことや確かめたいことが口をついて出るよりも先に衝動的に抱きしめていた。
大倶利伽羅さん、と戸惑った様子の主の声が彼を呼ぶ。
瞬間、降ってわいた形容しがたい感情に突き動かされて抱きしめる力を強くしていた。
いきおいに任せてぶつけそうになる言葉を飲み込んで、別の言葉を絞り出す。
「……何も覚えていない」
――俺は、あんたに何をした?
出陣で重傷を負い、手入が終わってもすぐに目を覚まさなかったこと。
目覚めたのが丸一日経ったあとで、記憶が顕現当初にまで戻っていたこと。
そして今日、大倶利伽羅自身の希望もあって再度出陣したが重傷で帰ってきて今に至るのだと主から説明されて、彼は息を吐きだした。
記憶にズレがあった理由は理解できた。
だが理解できないことはまだいくつもあるせいか、それだけかと尋ねる声が思わず尖ってしまう。
どうして、と返す主の声と膝の上で握っている手が一瞬震えたのを彼は見逃さなかった。
「あんたのさっきの呼び方はどういうことだ」
指摘すれば主はうろたえながらもどこか安堵した様子を見せながら、記憶が顕現当初にまで戻った彼を混乱させないためにそう呼んでいたことや、その癖がとっさに出ただけであって他意はないと首を振る。
大倶利伽羅はしばし主を見つめ、確かにそれ以外の意味はないようだと納得して、わかったと息を吐く。
みんなあなたを心配していたし目が覚めてよかった、と主は笑顔を浮かべて、部屋に戻って光忠さんたちに顔を見せてあげて、とつづけながら立ち上がろうとする。
大倶利伽羅はそんな主の手をとっさにつかんで腕の中に引き寄せ、抱き込んだ。
主が彼の名を戸惑った様子で呼びながら腕の中から抜け出そうとするが、大倶利伽羅は強く抱きしめて逃がすまいとする。
まだ肝心の疑問は聞き出せていないのだ。ここで主を逃がすわけにはいかない。
「話はまだ終わってない」
彼の声に有無を言わさない様子を感じ取ったのか、主は動きを止めた。
「なあ、なんでさっきから俺の目を見ないんだ。いや、いまだけじゃない。少し前からあんたは俺を避けるようになった」
なぜだ、と問いかける声がつい低くなる。
主の体が一瞬跳ねたのを彼は体全体で感じ取った。
気のせいだと答える主の声が明らかに震えていて、これでごまかせると思っているのなら主はかわいそうだとすら彼は思いながら体を離す。
「……気のせい、ね。俺があんたを見ているのに視線が合わないのも、部隊長から外されたのも気のせいか」
皮肉な気分とにじんできた苛立ちがそんな風に彼の口を動かしていた。
戸口でかち合ったときは確かに視線が絡んだのに、記憶のことなどを話しているときは主は視線を合わせようとしなかった。
彼に見合い話が持ち上がった時は気持ちのすれ違いから互いを避けた。
思いがけなく他の刀たちが企てていた彼と主との結婚の計画を知った時は、互いを意識するあまりにやはり避けてしまった。
けれど今回は、理由もわからず彼だけが一方的に避けられるようになったのだ。
その直前に言い争いになったわけでもなく、突然に。
主の顔色が急激に青ざめるのを見て、大倶利伽羅は自分のほうこそ気のせいだと思いたかったのだと気づく。主が自分を避けていたなどという事実は目の当たりにしたくなかった。
「なぜ俺を部隊長から外した……なぜ、避けるようになった」
俺はもうあんたには不要なのか、と問う声が少しだけ震えた。