戻る
せめて、手を伸ばして-4-

「大倶利伽羅、明日の出陣が決まった」
長谷部が声をかけて伝えると、大倶利伽羅は肩越しに警戒の表情を一瞬見せて、そうして振り向いた。
「体調に問題がないのなら出陣させると主の仰せだ。部隊長は山姥切国広に任せる予定だが、異存がないのなら……」
「誰が何だろうとどうでもいい。明日のいつだ」
「朝だ。追って詳細は伝える」
わかった、とうなずいて立ち去る大倶利伽羅の背を見送り、長谷部は言い知れぬ苛立ちを感じて小さく舌打ちをした。けれどもう気にしないでおこうと首を振り、踵を返す。

大倶利伽羅が記憶を失ったあと、大事をとって出陣部隊の編成からは外していた。
それを決めたのは主であり、本人に伝えたのは長谷部だったが、当時それを伝えた時の大倶利伽羅は不可解そうに眉を寄せていたものの口に出しては何も言わなかった。
記憶を失った彼にとっては、顕現後の初陣の記憶しかないのにいきなり覚えのない負傷を理由に外されたのだから不満の一つや二つぐらいはあってそれをぶつけられるだろうと思っていたので、何も言わないことを長谷部は意外にすら思った。
ただ自分が受け止めてやる義理はないとも思っていたので、異議があるのなら主に伝えろと言ったのだが、彼は必要ないと背を向けていた。

「あの、長谷部さん」
執務室に戻る途中で見習いから声をかけられ、長谷部は足を止めて振り向いた。

「なんだ?」
「大倶利伽羅さんを出陣させるんですか?」
「主が決めたことだから当然だ。本人も異存はないようだが」
「で、でもあんな大けがしたばかりで」
「それを決めるのは本人で、他がどうこう言う問題じゃないだろう」
「それは、そうですけど」
「主は俺たち刀剣男士の意思をなにより優先される。戦いに出たいと思う者は積極的に出す。大倶利伽羅が戦いを望んでいるのを酌んだだけだ。無理に戦いに送り出しているわけではない」
「……わかりました」
呼び止めてすみません、と見習いは頭を下げ、肩を落としながら去っていく。

その背を見送って、長谷部はため息をつくと歩き出す。
主の手を煩わせまいと、わからないことがあれば遠慮なく声をかけてくれて構わない、と見習いに対して挨拶を交わした当初から伝えていたし何かと気にかけたりもしていたが、大倶利伽羅のことがあって以来どうにもあの見習いは肝心の研修がおろそかになっているようで、それもまた主のことと並行して長谷部の悩みの種であった。

以前は執務室に一日に一回は顔を出していたのに、大倶利伽羅が記憶を失う少し前からそれも途絶えがちになり、いまでは主に挨拶をしているところすら見ていない。
長谷部はそれとなく指摘したが改善される様子はないので、もう彼女はあえてそうしていると判断して以来声をかけることはしていない。

元々主は、見習いの研修先としてこの本丸で受け入れることに消極的というよりはっきりと断っていた。
だがどうしても数が足りないとこんのすけから頼み込まれてしぶしぶ引き受けた経緯がある。
うまくやれるかと心配していたので、長谷部は自分にできる限りのことで主を支えようと決めていた。

そして来たのが彼女だ。主より年上だそうだがそれと構わず先輩と呼び、けなげで一生懸命なところに好感を覚えもしたし見習いとしての働きも悪くはなかった。
刀剣男士として見習いを見た時、彼女が主となった刀は不幸にはならないだろうと長谷部は直感的に思った。資質は悪くない、と。
だが最近は一つのことに目を向けてしまうと他がおろそかになる様子ばかりが目に付いて、大倶利伽羅のことさえなければ素直に研修の応援も出来たのにと残念にすら思うようになっていた。

彼女が大倶利伽羅に構うのを、主との仲を知っている男士たちは誰も止めようとはしない。
それが余計なことであると誰もが思っていたし、主が動かずに静かに見守っている限りは、誰も何も言及しないとひそかに決めていた。

「主。大倶利伽羅に出陣のことを伝えてきました」
執務室に戻って報告すると、ありがとう、と主が彼を労わる。

ふと、長谷部は主の横顔を見ながら考えた。
もし大倶利伽羅が何らかのきっかけに記憶を取り戻したとして、失っていた間のことを知ればどう思うのだろうか、と。だがそれが詮無いことだと気づいて首を振る。
どうかしたのと主の不思議そうな声に、なんでもありません、と笑みを浮かべて取り繕う。
彼が心配して何より気にするのは主であって、大倶利伽羅の心情にまで構っている暇はなかった。

いずれにしても大倶利伽羅の出陣は決まった。


「見習いの評価?」
和泉守兼定は片方の眉を器用に上げてみせた。

「うん、刀剣男士の意見も参考にするみたいで」
堀川国広の手にあるのは、へし切長谷部から皆に配るようにと頼まれて渡された、見習いに対する調査用紙だ。刀剣男士と審神者を対象としたもので、確かこんのすけが研修期間が終わる頃にその評価を皆さんにしてもらうことになりますと言っていたことを和泉守は思い出していた。

「ってことは、後輩の研修期間の終わりが近いのか」
「でもまだ三か月にならないのにね」
「……まあ細かいことを気にすんなってことだろうよ」
「そんな兼さんじゃあるまいし」
「あんだと国広!」
まあまあ、と堀川はなだめつつ用紙に視線を落とす。適当に誤魔化しやがって、と悪態をついて和泉守も用紙を見た。

用紙には、配属された見習い審神者の本丸内での働きや、審神者に就いた場合に懸念材料となりそうな要素などが無いか、いくつかの質問が記されていた。接した審神者や刀剣男士からの評価などをもとに審神者として本丸をまとめるのにふさわしいかどうかの判断を下すためのものであるらしく、評価した側の情報は秘匿されるともあった。
「おいおい、実地研修までしておいて評価によっては審神者になれません、ってことか?」
「なれないっていうよりなるのが遅くなるみたい。まあいざ本丸の運営を始めてもうまくいくかなんてわからないしね」
「やってみなきゃわからないってこともあるだろうが……まあ博打と言えばそうだしなぁ。それで、オレたちも後輩について一筆したためろってか」
「強制じゃないから書かなくてもいいみたいだけど、兼さんは書く?」
「あれでもひと月以上は一緒に過ごしたんだ。それなりにいいところも書いてやりたいけどな」
「やりたい、けど?」
「どうにも大倶利伽羅絡みがあるせいか、公平に書けるかわからん」
「ああ、なるほど……」
「それに最近はあんまり主の手伝いしてなくないか?」
「彼女に任せた仕事は一応やっているみたいだよ。ただ主さんと最近話している姿は確かに見ないね」
「いっぺん長谷部が注意してるところに出くわしたことあったが、あれ大倶利伽羅が記憶失う前なんだよな」
そう言って和泉守は眉を寄せる。

見習いが大倶利伽羅に好意を寄せているらしいと聞いたときは、またかという若干の呆れを感じたものの、少なくとも主と大倶利伽羅の関係に支障はないだろうと楽観視していた。
見合い騒動も収まり、撮影のモデルだったとはいえ婚姻の衣装まで着て写真を撮った二人にそうそう似たような危機など訪れまい、と。
だが記憶喪失となったあの日以来、まるで何者かの悪意が二人に向いているのではないかと考えるようになった。
救いがあるとしたら大倶利伽羅は主を避けてはいるが、見習いへの態度にもまだ絆された様子がうかがえないということか。というより大倶利伽羅は全方位に警戒を向けている。
これでもし見習いとの距離が縮むことになりでもしたら、主との仲を知っている自分たちにとっては目も当てられない事態になるだろう。

「ここに来た当初の働きは悪くなかったと思うぜ」
和泉守が見る限り、あの後輩の現時点での問題といえば大倶利伽羅に関しての一点のみだ。 それ以外に悪い点など見当たらないし、彼女が顕現させる刀剣男士たちにとってもよい主となるだろうことは疑いえない。
和泉守の見解に堀川国広も同感だとうなずく。
「一生懸命だし、頑張り屋さんだと思う。でも僕たちはこの本丸に顕現したから今の主さん側にどうしても立っちゃうよね」
「ぶっちゃけ、いまのままじゃあいつは審神者になるにしても難しいだろ。精神面の話だが、それ故にな」
「うん……」
「まあだからといって良いところさえ書かないでいるってわけにもいかねーか」
頭をかいて息を吐くと、和泉守は用紙に向き直った。


いってらっしゃいと見送る主の声に山姥切国広はうなずいて、部隊に編成されている他の男士たちを振り向き、行くぞと声をかけた。

この日の第一部隊は修行を経た男士のみで編成されており、部隊長に山姥切国広を据え、他は加州清光、大和守安定、骨喰藤四郎、後藤藤四郎、そして大倶利伽羅の六振りだ。
大倶利伽羅は例の重傷になった出陣以来で、そして今の彼の記憶にとっては初陣に次ぐ二度目の出陣になる。
山姥切は出陣用のゲートに向かう仲間の背を見やって、そうしてふと主を振り返った。
よろしくね、と手を振る主に手を軽く挙げて応えて視線を戻すと、一瞬だが大倶利伽羅がこちらを見ていたような気がしたが、気のせいだろうと思いなおした。

主との関係が進展するにつれて大倶利伽羅がふいに漂わせるようになった悋気の混じった気配。
だが今の感覚はそれとは違っていた。そんなものをまさか懐かしがることになるなど思いもしなかったが。

山姥切国広と話す主の横顔を見て、大倶利伽羅は頭痛を自覚して視線を逸らした。
いってらっしゃい、と主の見送る声に山姥切が答える。その声も光景も認識したくないとどうしてか激しい不快感がこみ上げてきて、唇を引き結ぶ。 息を詰めて、そしてゆっくりと吐きだす。

いいかげん休んでばかりいることにうんざりして、大倶利伽羅は主の元を訪ねることにした。
顔は見たくないが、このまま戦えないことを選ぶのかと自分に問えば、結論は自ずと見えてくる。自分から動かなければどうしようもない。
けれど見習いに邪魔され、戦いに行かせろと主には言えずじまいで、なのになんの偶然か、彼の出陣が突如決まった。

ようやくの戦いなのだ。ここで不調な様子を見せて出陣を撤回させられてはたまらない。

はやくこの積もりに積もった苛立ちを、血と共に流してしまいたかった。
そうすればいくらか気分が晴れるだろうと、大倶利伽羅は信じてさえいた。

深追いしすぎだ、と山姥切国広の声がした。
彼自身もそれを認識していたが、それ以上に誰の指図も受けたくないと反発する心があった。
どう戦おうと、どれほど傷つこうと、例えこの戦場で命を落とそうと、誰にも関係のない話だ。

本丸に帰ってまた息の詰まる日々を送るくらいなら、いっそこの場で死んだっていい──。

自棄になったわけではない。けれどあの主に、本丸に未練など欠片もない。

彼がそう結論づけた瞬間、脳裏に彼に背を向ける誰かの姿がよぎった。
その一瞬の隙を突かれ、何かが彼に突き刺さった。視線をやれば脇腹に敵の槍が刺さっていて、大倶利伽羅はこの痛みと衝撃が前にもあったような錯覚をした。
だがそれを追求するよりも先に自分に刺さる槍の柄を握り、そうして引き抜こうとするのを押し留め、代わりに敵の顔へと刃を突き立てる。刀を振り上げて槍の柄から手を離すと同時に相手を蹴り飛ばす。

刺された個所を抑えながら他に敵はいないかと視線を転じようとして、膝から崩れ落ちた。
視界がぼやけていくことに舌打ちしたが、彼自身にもどうしようもできないうちに地面に倒れ込んだ。痛みで意識が遠のいてく。

ここまでか、と彼は悟った。案外その時なんてあっさり訪れるものだと思いながら目を閉じる。
どうせあの本丸は自分の帰る場所ではないのだし、これで苛立つことも煩わしい思いもしなくて済むと考えれば気が楽だ。

意識を失う寸前、誰かの手が自分に伸ばされる光景を彼は見た。

──あの手は、誰のものなのだろう。


戻る