主の肩を抱いて屋敷に戻った大倶利伽羅は、中に入るなり主の体を強い力で抱きしめた。
それは彼自身にも抑えきれない衝動で、緩めなければ主に痛い思いをさせるとわかっているのに、そうしようとすればするだけ強くしてしまう。
主が身じろいで、彼の名を戸惑った様子で呼びながらなだめるように背中を撫でてくる。
しばらくしてようやく落ち着いたものの、主に不安そうな表情をさせてしまったことに彼は自身を情けなく思った。
ただでさえ主は理不尽にも叩かれているのに、自分までもが傷つけてどうするのか、と。
「すまない。あんたに痛い思いをさせるつもりはなかった」
大丈夫、と主は彼の頬に手を伸ばし、そっと撫でる。
その手を自分の手で挟むように触れて摺り寄せた。
主に膝枕された格好で彼はしばらく頭を撫でられていたが、目を開けて身を起こすといましがたまで彼をやさしく撫でていた主の手をつかんで指先に口づけを落とし、その体を抱き寄せた。
抱きしめる力は意識して弱めたが、距離と位置のために、どうしたのとささやく主の声が彼の耳をくすぐる状態になってつい力を込めてしまいそうになる。
「こんのすけに、このままあんたと一緒にいるにはどうしたらいいか、方法がないかと聞いた」
大倶利伽羅、と主の戸惑う声に、彼はつかんだ手の甲に唇を押し当てた。
年老いた管狐は、方法が無いではないと言って、けれど実行したらあなたは二度と元の本丸に生きて戻れませんよと忠告してきた。
だがそれこそが彼の望むことだった。
構わない、と迷いなく答えた彼に老こんのすけは、ならば主さまと契りを交わすとよい、と答えた。
契り、と口にして不思議そうにする主の手を離し、大倶利伽羅は座り直して姿勢を正した。
主は目を瞬き、つられるように背筋を伸ばす。
「あんたを娶りたい。俺と結婚してくれ」
そう言って大倶利伽羅は、頭を下げた。
沈黙が漂う。顔を伏せていても、主が戸惑う気配がはっきりとわかり、彼は膝の上で握りしめた手をかすかに震わせた。
これほど緊張したことは顕現以来一度もなかったかもしれない。
答えとして、主に本丸に戻れと言われたら自分はどうなってしまうのだろうと彼がこぶしを握り直したとき、その手に、主の手がそっと重なった。
はい、と小さいが確かな声が聞こえて、大倶利伽羅は顔を上げた。
そこにあったのは、頬を赤らめてほほ笑む主の顔で、彼は手を伸ばして力いっぱい抱きしめた。
こんのすけが屋敷に戻ると、管狐にとってはいまの主である審神者が大倶利伽羅の膝の上に抱えられている姿があった。
二人は互いを見つめあって、彼が主の髪のひと房を掬い上げて口づけを落としたところで、主がこんのすけが戻っていることに気づいた。
短い悲鳴を上げて恥ずかしそうに大倶利伽羅の胸に顔をうずめる。
「おやおや。お邪魔でしたかね」
声にからかう色を見つけた主が顔が赤いまま肩越しに睨んでくるが、管狐にとってはどこ吹く風だ。
そして大倶利伽羅はというと、ため息をついたものの膝から主を下ろす気はないばかりか、腰を抱く腕に力を込めてまるで咎めるような目つきでこんのすけを睨む有様だ。
これでも結構時間に気を遣ったつもりだったのだが、恋人たちには足りないらしかった。
そんな彼に気づいた様子もない主は、そういえばあの新しい主さんは無事かと尋ねてくる。
こんのすけはゆっくりと歩み寄りながら送り届けてきたと答えた。
「一応無事ですが、あの様子ではあきらめていませんね」
「そもそもなぜ連れてきた」
大倶利伽羅がため息をつきながら忌々しそうに吐き捨てる。
「お二人を見ればあきらめがつくのかと思ったんですが。いやー、手ごわい方です」
こんのすけの返答に大倶利伽羅は舌打ちし、やはり腕の一本くらいは斬ってもよかったのではないかといまさら言っても仕方のないことを考えた。
そうしなかったのは主の前だったからで、おそらく彼一人で対峙していたならためらうことはなかっただろう。彼の中ではもうあの審神者は新しい主でもなんでもない。
こんのすけは彼の物騒な思考を察したが主のためにも黙っておくことにして、口に出しては、ちゃんと告げたんですかと大倶利伽羅のほうを見た。
「気を利かせてお二人だけにしたんですから、それなりに進展はあったと思いたいのですが」
「なんで管狐ってのはどいつもこいつも恩着せがましいんだ?」
呆れた様子でため息をついて、大倶利伽羅はこんのすけの首根っこをつかみあげた。
主が慌ててその手から救い、乱暴しちゃだめと大倶利伽羅を叱る。
「もっとおっしゃってください、主さま。わたしが教えなければずっと身動き取れないままだったというのに。恩を仇で返されるとは」
「図々しい言い方だな」
大倶利伽羅はフンと吐き捨てながらふと、なにやらこの管狐は最初に会った時よりも心なしか若返っているのではないかと思ったが、まさかと思い直して、言葉にしては了承はもらったと息を吐く。
まあそうでなければこんなに親密にはしていないかとこんのすけはうなずいて、主の手から身軽な様子で飛び降りると前足をそろえて座った。
「では今夜にでも儀式を行いましょう。それであなたがたは晴れて夫婦となれます」
本丸のような領域だからか、川の向こうは死の世界だというのに、この場所には月が浮かぶ。
ただこの夜はあいにくと雲に隠れてしまっていた。
そんななか、静かな屋敷の中を大倶利伽羅は主の手を引いて歩いていた。向かうのは普段閉ざされている屋敷の奥の部屋だ。
二人が部屋に入ると中ではこんのすけが座って待っており、その前には二つの盃と小刀が載った膳が置かれていた。
膳の前に座るようにうながされ、二人は隣り合って腰を下ろす。
「ではこれより儀式を始めます。さあ、大倶利伽羅殿。教えた手順通りに」
うなずいて大倶利伽羅は膳の上の小刀を手に取る。鞘から抜いて、左手の薬指の腹に刃を押し付けて切り口から流れ出した血を盃の一つに傾けた。
すでに注がれている酒に血が混ざり合うのを眺め、主へと手を差し伸べると、一瞬ためらいを見せつつも彼の手に左手が重なる。
小刀の刃を同じように薬指の腹に滑らせ、流れ出た血を同じようにもう一つの盃に傾けた。
「それではお二人とも一息で」
主は大倶利伽羅のを、彼は主のをと、お互いに血が混じった盃を手に取る。
大倶利伽羅はためらうことなく一息で飲み込み、そうして主をうかがう。
主は、盃を両手に持って口元に運びつつもためらいを見せていた。
求婚にうなずいてはくれたが、やはり土壇場になって怖気づいてしまったのだろうかと気づかわしげに彼が見つめると、その視線に気づいた主が顔を向けた。
そうして瞬きして、ぎこちなくだがほほ笑んで見せた。
主は両目を閉じて盃に口をつけて一気にあおった。ゆっくり息を吐きだして、盃を膳に戻す。
膝の上で握りしめたこぶしが一瞬震えるのを大倶利伽羅は見てとった。
「これで儀式は終了です。お二人とも、お疲れさまでした」
二人が寝室の戸を開けると、いつもは一つずつ敷かれている布団が一つになって枕が二つ並んでいるのが視界に飛び込んできた。戸口で顔を見合わせる。
どうやらいつの間にか老こんのすけが用意したらしい。
儀式によって二人の魂はつながった。
すでに肉身は失った二人に共寝は必要ないが、夫婦となった実感を得られるようにと気を遣ってくれたのだろう。
意味を理解して恥ずかしそうに頬を染める主の手を引いて、大倶利伽羅は中に入って戸を閉めた。
そうして主の体を抱き上げると、布団へと歩み寄って体をそっと下ろす。
抱き寄せ、顎をすくいあげるようにして持ち上げて口づける。
指先や手の甲、腕に唇で触れることはあっても、主の唇へのそれは数はさほど多くない。
嫌いではないが、大倶利伽羅としては主の目を見ながら手などに口づけるほうが好ましかった。
理由として、じっと見つめながら触れるだけで主が恥ずかしそうに頬を染め、戸惑ったように視線をさまよわせる姿を見ることができて、何より彼を強く意識させることができたような気分になれるからというのがあった。
深くは入り込まずに触れるだけで唇を離すと、主が小さく声をもらす。
どことなくその声と視線に物足りないといった軽い非難の調子を感じ取って、大倶利伽羅は抱く力を強くした。
しばらく抱きしめたままでいると、腕の中の主が、なんだか実感がわかないとこぼした。
大倶利伽羅は、俺もだ、と返して主の髪を撫でた。
血の混じった酒を飲み干した瞬間は体中を強い力でつかまれたような感覚があったが、けれどそのあとには明確な変化がなかった。
その思いが顔に出たのか、こんのすけは、儀式はあくまでも儀式でしかないと言っていた。
儀式自体、お互いの血を混ぜた酒を飲むという、ごく単純なものだ。
いわく、相手の一部を取り込むことで二つの魂をつなぐのだという。
すでに主はこの場所に役目を果たせなくなるその時まで魂を縛られている状態で、その主と魂でつながることで彼もこの場所に留め置かれることになる。
この領域ではそう見えているだけで、血の色をしながらもそれは魂の一部だ。
自分の中に相手の魂が、わずかに薄く削ったようなものでも混ざっているという状況はまず経験のないことなので、実感がわかないのも無理はないのかもしれない。
大倶利伽羅としては実感よりも事実の方が欲しかったので、口にしながらも気持ちとしてはさほど気にしてはいなかった。
それよりも、と抱いていた体をそっと布団へと横たえながらすかさず主の髪を留めていた飾りを外す。
枕に広がった髪のひと房を掬い上げて口づけ、主の首に唇を這わしていく。
主の手が彼の髪を撫でる。
帯を解き、着ている物を脱がせる合間にも口づけしていくと、彼の肩をそっと主の手が抑えた。
「すまない、性急すぎた……」
だが主は、そうじゃないと首を振り、本丸に戻れなくなって本当に後悔しないかと問いかけてくる。
大倶利伽羅は主の頬に手を添え、顔を寄せた。目元や耳、輪郭に唇を這わせながら、後悔はしない、と返した。
「言っただろ、向こうにあんたはいない。未練なんてあるはずないな」
それでもここじゃ満足に戦えない、刀を振るえないのにと気遣う様子に、けれど彼は問題ないと答えて鎖骨を軽く噛んだ。主の体が小さく跳ねる。
「向こうにいてもどうせいまの俺は満足に戦えなかった」
重傷を負ったのちに記憶を失ったことが彼の心理に与えた影響は想像以上で、慎重な戦い方にならざるを得なかった。
それを誰よりも腹立たしく思っていたのは彼自身で、けれど新しい審神者が彼を折らせまいとするうちは、無謀なこともできない。
それでまた中途半端に記憶を失えば、目も当てられなくなる。
どうせ本丸にいても雁字搦めのままなのだ。
ならば、戦えないとしても主のそばにいることを選ぶのは、彼にとっては当然の選択だった。
「それとも、戦えない俺はあんたにとって不要か?」
問う声は知らず気落ちしたものになっていた。
主は、そんなわけない、と首を振ってくれたが、あなたに戦えない状況を強いてしまうことが気がかりだとも言って表情を曇らせる。
大倶利伽羅は何よりも戦いに出ることを望んでいたのに、と。
「あんたがいないなら、意味がない」
いくさに送り出す声も、出迎える手も、ほかの誰も代わりにはならない。
それよりも、と大倶利伽羅は息を吐きだした。
先ほどは性急すぎたことを反省したが、けれど本音を言えば主と一つになりたくて仕方がない。
「あんたをはやく俺のものにしたい。なあもういいか」
切羽詰まった様子の声に主は顔を真っ赤にして、視線を背けながらもうなずいたのを合図に、大倶利伽羅はその体に覆いかぶさった。
一区切り。
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