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亡失の呪い-if 19-

顕現の解けた大倶利伽羅を政府庁舎へと預けることになり、それを見送った日の夜、審神者である彼女の元をその手に酒瓶を持って訪ねた一振りの刀剣男士がいた。

「三日月……どうしたの」
「今宵は良い月が出ているのでな、主と一杯やるのもよいだろうと思った」
そういって見やった先には青白い月が浮かんでいる。
「悪いけどそんな気分じゃないの。せっかくだけど」
「……そうか、残念だ。主とサシで飲むという願いを果たす良い機会だと思ったのだが」
そう言って三日月宗近はさみしげに眉を下げる。
「飲み会で飲んでるじゃない」
「それとは別に、こうして飲みたいと思ったのだ。なにしろ前の主は飲めない子で、その機会もないまま逝ってしまった」
「……」
「すまんな、主。邪魔をした」
つぶやかれた言葉と踵を返した三日月の背中が妙にさみしそうで、彼女は呼び止めていた。
「待って三日月。やっぱり一緒に飲もう!」

今日のことで彼女の中で前の主への対抗心が一層強くなっていて、刀剣男士たちの中にある前の主の記憶を自分で上書きしたいという気持ちが誘いを受けさせていた。

三日月の持ってきた酒は辛目で、普段は杯を重ねてもなかなか酔わない彼女であってもかなりの酔いを自覚した。
だからだろうか、口にするまいと思っていたこともスルスルと言葉にしていたのは。

「私のなにがダメだって言うのよ……大倶利伽羅は、そんなに前の主がよかったの?」
「主に駄目なところなど無いぞ。審神者としてよくやっている」
「でも彼はあの人のところに行ってしまったのよ……!」
今日あった、顕現の解けた大倶利伽羅の意識へ潜ったときの詳細を彼女は誰にも話さないと誓っていたが、酒の力の前にそれは無力だった。
ひと通り話すと、彼女はぐい呑みを一気にあおった。

「みんなに別れを言えなかった未練なんて言って、本当は彼を手放したくなかっただけなんじゃない!死んだらなにやっても許されるって言うの!?」
「……主、今日はもうこれくらいにしようか」
「三日月が飲もうって誘ったんでしょ!」
そうして彼女は瓶をぐい呑みに傾けたが、中身は空になっていた。
悔しそうに顔をゆがませる彼女の手から、三日月は空の瓶をそっと取り上げる。
「残念ながらおしまいだ。主、じじいのわがままに付き合ってくれたこと、礼を言うぞ」
縁側に敷いていた座布団から立ち上がりかけたところで、どうせ、と彼女が口を開いた。
「どうせ三日月も、本当は私なんかより前の主のほうがいいんでしょ……!」
「何を言う。そんなわけないだろう」
「だって!」
なかばヒステリックに叫んだ彼女に三日月はそっと息を吐き、座り直した。

「言いたくはなかったが、なにやら勘違いをしているようだから言っておこう」
青白い月明かりに照らされた三日月宗近の姿は美しさと不気味さが絶妙に混ざり合っていて、どこかこの世のものではない何かを思わせ、彼女に息を呑ませた。
「……なによ」

「主。大倶利伽羅の心は、あやつ自身のものだ。それを誰も好き勝手には出来ん。もちろん、主であろうと」
彼女の頬がカッと赤くなる。酔いではなく羞恥心がそうさせていた。
「それなら前の、あの人だって彼の気持ちを縛ってたじゃないの」
「生きている頃は恋仲だったからな、お互いの気持ちを縛っていたとも言える。だが主は、あやつの心を一方的に縛ろうとしたのではないか」
「私は……」
「さっき主は、大倶利伽羅に前の主を忘れてほしいと言ったと話していたが、さすがに酷なことを言ったものだ。あの時の大倶利伽羅は、主の死を忘れていたのに、さらに忘れろとは」
「だって、彼は苦しそうにしてたのよ……もういない人なんて忘れるべきでしょう」
「そう簡単に切り分けられたら楽だろうがなあ。だがそれでは、主も死んだときに忘れられてしまうことになるぞ」
それではあまりに寂しい、と三日月は首を振る。
「だって、いつか忘れていくものじゃない……いつまでだって覚えていられない」
「そう。まさにそうだ。いつかは忘れていく。だからこそ、忘れてほしいと願うのはあまりに酷だった」
「……!」
彼女は目を見開いて、顔をうつむかせて肩を震わせる。

「忘れたくなかったのだ、大倶利伽羅は。恋人を忘れたくなかった。きちんとした別れも出来ずにいたのに、挙げ句死んだときの記憶すら失った」

「私、は……」
三日月の言葉が刺さり、彼女は強く目をつぶり、膝の上でこぶしを握り締めた。

「そこへ想いを差し出されて、手に取れるほどあれは器用な男ではない。主としてだけなら、あやつも認めていただろうが、主はそれだけでは満足できなかったのだろう?」
「だって好きになっちゃったら、どうしようもないじゃない……好きになるべきじゃなかったって言うの?」
「そんな酷なことは言わん。だが、大倶利伽羅もそうだったというだけのことだ。前の主のことを大切に思っていた。失えなかった。これまでを忘れて次にいくとは考えられなかった。ただそれだけだ」
「……」
「大倶利伽羅に必要なのは慰めの言葉や新しい恋などではなく、一人静かに悲しみを癒す時間だった。主は焦ることなく見守ってやっていればそれでよかった。時間が解決してくれたはずだ」
「そんなの、無理……苦しんでいる姿をいつまでも放っておくなんて」

ふいに彼女は、心のどこかで傷心の彼につけ入る隙があるのではないかと意識した瞬間が間違いなくあったことを思い出した。
放っておけないというのも事実だが、その裏でひそかにチャンスを狙っていなかったと言えばうそになる。
未練を抱えている彼を自分が癒せたら、と思っていた。彼の心を自分が埋めてやれたら、と。

「主は真面目だな。あの子のように、のんきにやれていたらもう少し気も楽になれただろうに」

おやすみ、と言い残して三日月は彼女の前から辞した。
しばらく彼女はその場に座り込んで、三日月の言葉を反芻していた。


それから数日して、彼女の前に現れたこんのすけは大倶利伽羅のことで話があると告げた。
「もしかして目覚めたの!?」
「いいえ。それどころか、本来いるべき場所に大倶利伽羅はいないという報告が入っています」
「……どういうこと?」
彼女の手から書類が落ちた。

へし切長谷部が護衛役を買って出たが、彼女は必要ないと断ってこんのすけと共に政府庁舎へと足を運び、地下九階の刀剣保管室とされるフロアに入った。

そこには三振りの刀が展示品のように安置されていた。
ガラスケースのなかで、柄も何もかも外されたむき出しの刀身が布に覆われた刀掛台に置かれている。
傍らには本丸のナンバーと男士の名が記されたプレートがあり、そのそばにはあの日彼の私物だと言っていくつか一緒に運ばれた品が置かれていた。
美しい細工の四角い箱には何が入っているのだろうと思いつつ、彼女はこんのすけの後につづいて、事務室とプレートのかかった部屋に入った。

中にはついこないだ彼女の本丸を訪れた政府所属の審神者がいて彼女を出迎えた。
席を示され、彼女が腰掛けるとその審神者──リンは彼女にお茶を差し出す。
「お呼び立てして申し訳ございません。主さまに現状の報告が必要と判断したもので」
「何があったんですか」
余計な前置きは不要とばかりに彼女が食い気味に尋ねると、リンは少しだけためらって、大倶利伽羅様の姿がどこにも見当たりませんでした、と答えて目を伏せた。
「どういう……」
「魂の傷ついた刀剣男士は一度霊力で構成された肉体が消え、顕現前の刀の状態に戻ります。私たちはその刀の奥底にある意識、魂に語り掛け、癒しのために霊力を送り込むのですが……刀の奥底に、大倶利伽羅様の魂が存在しないのです」
「そんな、じゃあ彼は……!」
死んでいるということなのか、と彼女の問う声は震えた。
けれどリンは首を振る。もしそうであるなら、刀が損傷していないのはおかしい、と。

「ここへ入る前に大倶利伽羅様の刀をご覧になったと思いますが、きれいな状態です。もし刀剣男士として死んだという判断ならば、あのように美しい形で残ってはいません。なので死んだという判断にはなりません」
「でもそれじゃ」
「はい。どうして魂が存在しないのか、前例のないことで判断のしようが……」
「彼はどうなるんですか?」
「魂が存在しないのならば、霊力を送り込んでも無意味です。ですのでここでの治癒は現段階では不可能ということになります。ですので主さまのご判断をいただきたく、お呼びした次第です」
お力になれずにすみません、とリンが頭を下げる。
この場合の判断とは、刀解するかどうかの判断をしてほしいという意味なのだろう。

「っ、なんとかならないんですか!?」
詰め寄る彼女の袖を、こんのすけはとっさにくわえて引っ張った。
「主さま、無理を言ってはダメですよ。前に、戻るかは保証できないと言いましたよね。主さまもそれに同意されたではないですか」
「だってこんなことどうしろって言うのよ」
もう一度大倶利伽羅に会いたいだけなのに、と彼女は両手で顔を覆って泣き出した。

涙する彼女を慰めつつ、リンとこんのすけはどうしたものかと困惑の表情を見交わす。
「主さま。主さまのお手で刀解が出来ないと言うのならこちらでそういたしますが、いかがされますか」
リンの提案に彼女は顔を上げ、激しく首を横に振った。刀解なんて絶対にしない、と。
「お願いですから彼を見つけてください!」
「ですが大倶利伽羅様の行方がわからないことにはどうしようも……」
「このあいだみたいなことで捜せないんですか?」
「あれは奥底にいたからこそ可能だったので、今潜ったとしても誰もいない景色があるだけですよ」
「……だからって、刀解なんてできません」
しばらく彼女の嗚咽が静かな事務室内に響いた。

リンは彼女の背を撫でて慰めていたが、らちが明かないと感じてもいたのでそっと息を吐くと声をかけた。
「主さま。よろしければあの時なにがあったのか、教えてくださいませんか。私はその場面を見ていませんし、もちろん媒体となってくれた男士も同様です。もしその時に何があったのかがわかれば、行方を追う手がかりになるかもしれません」
「あれ、は」
泣いていた顔を上げた彼女は肩を震わせ、とっさに両腕でかき抱いた。
悲しいことに、あの時見た彼の憎悪と敵意に満ちた金色の目はまだはっきりと思い出せてしまう。そのはずみで涙が一筋こぼれた。

「自分に構うなって、言われただけです……それ以外は何も」
「大倶利伽羅様や主さま以外に誰かいたということもありませんか?」
彼女は思わずハッと息を呑んだ。そうしてその顔を怒りで歪めていく。

あの場所には忌々しいことに前の主が姿を見せて、彼に手を差し伸べていたのだ。
歯噛みして、振り払うように首を強く左右に動かす。
「いいえ、いました。前の主が現れたんです!……そうよ、きっと前の主が彼を連れて行ったんだわ!そうとしか考えられません。リンさん、どうにかなりませんか!?」
「落ち着いてください。あなたが潜った場所は彼の刀としての奥底で、そこは彼の望むものが現れるだけです。事情はそちらのこんのすけより伺っています。大倶利伽羅様に未練があっての傷ならば、あの場所に前の主さまがいらしても何の不思議もありません」
「そんな……」

しばらくあたりを沈黙が支配する。打ちのめされた様子の彼女の姿にリンは息を吐いた。
「わかりました。そこまでおっしゃるなら行方を捜してみますが……正直言って、徒労に終わる可能性の方が高いですよ」
あなた自身のためにも長引かせない方がいい、とリンは言葉ではなく視線で語っているが、それは彼女には到底受け入れがたい話だ。
「お願いします、彼を取り戻したいんです!」

こんのすけと共に事務室を後にする審神者を見送って、政府所属の審神者であるリンは疲労した様子で息を吐きだして椅子に腰掛けた。
隣室に控えていた彼女の男士である大倶利伽羅が現れて、疲れた顔をしているな、と首をかしげる。
「そりゃそうよ。見えないものを捜せなんて無茶ぶりされたんだもの」
「けどあんたはそういう力を持ってるんだ。だったら任されるのも想定の内だろ」
「あー、ほんと君は正論しか言わない」
「……それで、もう一度潜るのか?」
「そうね。あと思い当たる場所も捜すしかないけど……ねえ、同じ大倶利伽羅として君はどう思う?あの大倶利伽羅はどこに姿を消すかしら」
「さあな。俺にわかるわけないだろ」
「そう言わずにちょっとくらい考えてよ。前の主さんが意識の底に現れたなら、それに引っ張られて彼が消える可能性はゼロじゃないと思うんだけど」
そう言って彼女は椅子の背もたれにぐっと背中を預けた。

大倶利伽羅はため息をついて、壁に寄りかかって腕を組む。
「確か、前の主と恋仲だったんだろ、あの俺は」
「そう。しかも主さんを病で失ったうえに、そのことの記憶の一部を失っている」
「何だその面倒な事態は」
呆れたと言わんばかりに再度ため息をつく。リンも同意して、なかなか波乱ね、と肩をすくめた。

「そういえば彼の私物を預かったとき、何か向こうの男士と話してたみたいだけど」
「大した話じゃない。ただ、あの四角い箱は元々前の主にとって形見だったという話を聞いた。母親のものだそうだ」
「形見の形見かぁ。あの中に入っていた石のストラップは?」
さあ、と大倶利伽羅は肩をすくめた。
「というか、向こうの連中かこんのすけに話を聞いた方が手っ取り早いんじゃないか」


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