大倶利伽羅の姿がないという言葉と共に彼の刀を燭台切光忠から見せられて、審神者は愕然とした。
鶴丸国永から、もしかしたら顕現が解けている可能性があると言われてもさすがに信じられず、ひとまず屋敷内外の捜索を男士たちに頼んだが、見つけることは出来なかった。
転送ゲートも動いた痕跡はないとなると、もはやそれは決定的なように思われ、急ぎこんのすけが呼び出された。
やわらかな布の上に刀が置かれ、こんのすけがその周りを観察でもするように歩きまわり、そうして姿勢よく座ると刀のそばに腰を下ろしていた審神者を見上げた。
「主さま。やはりこの刀は顕現の解けた大倶利伽羅で間違いないようです」
「そんな……」
「手で触れてみてください。かすかでも鼓動を感じ取ることが出来るはずです」
言われて恐る恐る手を伸ばす。そうして手のひらにかすかに、集中してようやく心臓の鼓動にも似たそれを感じ取ることが出来た。
養成学校時代、同意のもとに顕現が解かれた刀に触れる授業があった。審神者の持つ励起の力を確認するためのもので、刀に触れて鼓動を感じ、その魂を呼び起こす力があることをその時になってようやく実感できていた。
だがあの時よりも弱々しい鼓動に恐ろしくなって急いで手を離す。
「主さまも感じ取ったように、かなり鼓動が弱いです。顕現を同意のもとに解いた時は刀剣男士の意識はきちんとあります。審神者の呼び声に応える必要がありますから。同意の上ではない場合は一種の睡眠状態になります。けれど審神者が起こせばよいことなのでさほど問題はないですが……今回は少々深刻です。あまりにも鼓動が弱いのでこれはもう昏睡状態と見ていいでしょう」
衝撃的な言葉に愕然としつつ、審神者は刀にもう一度手を伸ばした。両手でしっかりとつかみ、目を閉じて意識を手の中の刀に集中させた。
物に宿る想い、魂、眠る心に呼びかける。それが審神者の持つ力だ。ならば……。
けれど脳裏には何も浮かばなくて、それどころか真っ白い光が視界を一瞬覆いつくして、思わず顔を背けていた。
ゆっくりと目を開ける。刀には何も変化がない。
「やはり昏睡状態のようですね」
「こんのすけ……」
「その状態となれば主さまでは彼を起こすことは出来ないでしょう」
「どうして?私は審神者よ。励起させる力はちゃんと持っているし」
今は確かに失敗したが、何度も繰り返せばいつか、と食い下がる審神者に対してこんのすけは首を振る。
「この大倶利伽羅を元々顕現させたのはあなたではありませんので、難しいかと」
息を詰めた審神者を意に介さず、こんのすけがつづける。
「さきほど言い忘れましたが、睡眠状態ならば元々顕現させた審神者でなくとも構いませんでした。たとえば眠っている人間を起こすのに、誰か一人だけしか起こせない、などということはないのと一緒で。けれどもうこの状態では難しいです。強制的に起こすことが出来るのは、元々顕現させた審神者だけです。ですが前の主さまはもういません。つまり彼自身の意思で睡眠状態に移行しない限り、大倶利伽羅はこのままということです」
「そんな……」
審神者の目から涙が溢れてこぼれ、鞘の上を伝って流れ落ちる。
「こうなってしまってはどうしようもありません。主さま、処遇はどうしますか。刀解か、それとも」
刀解はしない、と震える声で答えて首を横に振る。
「でしたらこのような刀剣を保管しておく部屋が政府庁舎内にありますので、そこに預けますか?」
今度は無言で強く首を横に振り、刀を抱きしめて嗚咽をもらす。
泣きながら彼女は、ずっと視界の端に入り込んでいたそれが、確かな実像を持って自分に現実を突きつけてきていることに気づいた。
彼のものだとわかるように紋の入った煙水晶の飾りと共にある、この本丸の前の主の認識票。
前の審神者の墓参りの時、大倶利伽羅がそれを形見として肌見離さず持っていたことを知ったときから存在し始めた、嫉妬という名の黒い炎が自身にも感知しえない速さで燃え上がり、彼女の身を焦がした。
それに手を伸ばして外そうとした。力任せに引っ張っても取れるはずもない。
括り付けている紐をつまんで結び目をほどこうと触れた瞬間、鋭い痛みが走った。
静電気が起きたときの痛みと似たそれは、彼女を拒絶するようであった。
「っ、ねえ誰か、これを外して……!」
苛立ちをにじませた涙声で彼女が振り向くと、目が合った加州清光は気まずそうに視線をそらした。
そのそばにいた大和守安定、宗三左文字はそれぞれ無言で首を横に振るのでさらに視線をめぐらせば、痛ましげに見る三日月宗近と目線が合った。
「三日月……」
しかし三日月も首を横に振り、審神者のそばに進み出て膝をつくと、彼女の手にそっと自分の手を重ねた。
「主、無理に外そうとしてやるな。大倶利伽羅がかわいそうではないか」
「だって……!」
彼女には、前の主が大倶利伽羅を雁字搦めにしているように感じられたのだ。
ならばそこから救い出してやらなければならない。彼を起こせないのならせめてこれだけでも外して楽にさせてやりたい。このままの方がむしろかわいそうだと、彼女はこの瞬間本気でそう思った。
「最低じゃない、死んだあとでまで彼を縛るなんて……」
口にした瞬間、彼女の背筋を冷たい氷が滑り落ちたような寒気を感じた。
だがその正体を彼女が知るより先に、鶴丸国永がこんのすけに声をかける。
「さっき保管する部屋があるって言ったが、こういう事は珍しくないのか?」
こんのすけは、ごく稀に今回のように昏睡状態になる事例はあると言った。たとえば重傷を負って帰還後、手入部屋で顕現が解けていたり、あるいは一度破壊されたがお守りによって復活したあとになぜか顕現が解けてしまったこともあるのだという。
「あと正確を期せばその保管部屋は実際には治癒をしている場所です」
「治癒?」
「この状態の刀剣男士は得てして魂が傷ついている場合が多いのです。政府所属の霊力の高い審神者が外から霊力を注いで癒すことで、睡眠状態に移行させる。その部屋はそういうためのものです」
人間にとっての病院や療養所のようなものであるが、外側から見れば刀剣を保管している場所でしかないので保管部屋と呼称しているだけなのだ、とこんのすけ。
「じゃあ、そこに預ければ彼は目覚めることが出来るの……!?」
その会話に希望を見出した審神者はこんのすけを縋るような表情で見た。しかし管狐の返答はどこか素っ気ない。
「保証は出来ません。いま治癒中の刀剣男士が二振りいますが一振りはかなり長くその状態にあるので」
それでも預けますか、とこんのすけのどこか無機質に見える目が審神者を見つめていた。
困惑のまま刀を握りしめると、三日月宗近が彼女の背中にそっと手を当てた。
「主。大倶利伽羅を休ませてやったらどうだ。あれは苦しい中でよくやっていた」
「……三日月」
三日月は優しい手つきで認識票を手のひらに乗せた。
「これは大倶利伽羅が望んだ形なのだろうと俺は思う。あの子と共にありたいと望む心がこうして現実になっているのだ、と」
彼女は赤面した。それは羞恥ではなく、屈辱によるものだった。
どれほど彼女が彼に寄り添いたくても、恋仲であったという前の主が邪魔をするのだ。
彼に死に別れた辛さを忘れて、前に進んでほしかった。いつまでも囚われていないでほしかった。
そして出来ることなら、彼の隣に自分が並びたかった。
嫉妬と憎悪の炎が身の内で激しく燃えあがり、怒りが彼女に強く唇をかみしめさせていた。
三日月の指が彼女の唇に触れる。ハッとして見れば、どこか憐れむような眼差しが彼女を見ていた。
「傷になるぞ。しかしまあ難儀なことだな、主」
翌日。顕現の解けた大倶利伽羅を政府庁舎の保管部屋に預ける前に、そこで治癒を職務にしている審神者が本丸に来ることが知らされ、彼女は目を丸くした。
「どうして?」
「こちらの現状を話したら、そもそも回復が可能かどうかを確認したい、と。いざ預けても無理となって揉めないようにということだと思います」
「じゃあもし無理って判断されたら……」
「いずれにしても預かりますし治癒も試みますが、それによって大倶利伽羅が戻ってくるかどうかは保証しかねるというだけのことです」
「……わかった」
その審神者は午後に本丸を訪れた。政府所属を示す色の羽織をまとい、傍らには彼女の護衛である大倶利伽羅を連れている。彼女の審神者としての名はリンと言った。
彼女と護衛は大広間に通された。本丸の主である審神者に挨拶をして、さっそくその彼女は丁重に置かれた大倶利伽羅の刀に向き合った。
「失礼しますね、触ります」
やわらかな声をかけて、彼女が大倶利伽羅の刀に触れて目を閉じる。
十秒ほど目を閉じて、彼女は目を開けるとそばに控える自分の大倶利伽羅に手を伸ばした。心得た様子で大倶利伽羅もその手をつかんで目を閉じた。
こういった診断の際、対象の刀剣男士と同じ男士を媒体とすることで意識に潜ることでき、それによって原因を探るのだという。
彼女が審神者となる前から元々持っていた能力を応用したもので、そのために政府所属となった経緯があると挨拶の時に言っていた。
瞬間、二人のまわりを微かな風が吹き、彼女のゆるく結んだ黒髪をさわさわと揺らす。
「……見つけたぞ」
大倶利伽羅がつぶやく。彼女が、状態は、と先ほどとは打って変わって冷徹な声を出した。
「眠っている。傷だらけだ。なにをどうしたらここまで傷つくんだ?」
目を閉じたまま、眉をひそめながら大倶利伽羅が現状を報告すると、彼女は深く息を吐きだした。
「ありがとう、わかりました」
「こちらの大倶利伽羅様の現状は確認できました。では今度は主さまがこちらへ。主さまにも確認をしていただきたいので」
リンに促され、審神者は恐る恐るそばに寄った。
「私が手を差し出したらつかんで目を閉じてください。あなたの意識をこの大倶利伽羅様の元へ送ります」
「は、はい……」
リンは先ほどと同じように声をかけて、鞘に手を触れて目を閉じる。その手に媒体となるために大倶利伽羅が手を重ねた。
そうしてやはり十秒ほどしてから目を開けて手を差し出したので彼女は慌ててつかんでギュッと目を閉じた。
脳裏が真っ白に染まる。目を開けてください、と声がしてゆっくりと開けると、目の前には一本の桜の木が立っていた。
その木には見覚えがあった。林道を抜けた先の開けた場所にある桜だ。
桜の木の根元に、横たわる影があった。慌てて駆け寄ると、それは傷だらけの大倶利伽羅だった。
「大倶利伽羅!大倶利伽羅、しっかりして!」
思わず傷だらけの体をゆすってしまったにも関わらず、彼は呻くこともなく身動ぎしない。
だが浅いながらも呼吸はしているので、彼女は深く息を吐いた。
「大倶利伽羅……どうして、どうしてあなたはそんなに傷ついているの……」
そばに腰を下ろし、彼の髪をそっと撫でると、それまで身じろぎもしなかった体が、わずかに反応を示した。
「大倶利伽羅!」
投げ出された手、指先が震え、そうしてゆっくりとうめきながら大倶利伽羅は目を開けた。
何かに動かされているかのように、体を震わせながらも起き上がろうとする。
「大倶利伽羅!無理をしては……」
だが彼女の声は聞こえていないようで、一心に何かを見つめている。その視線の先を辿って、彼女は愕然とした。
一目でわかった。いつの間にか目の前に立っているその人が、本丸の前の審神者であることを。
その人は、大倶利伽羅にそっと手を差し伸べる。
大倶利伽羅は傷だらけの手を伸ばして差し伸べられたそれをつかんだ。
「ダメ、大倶利伽羅!」
とっさに彼女は二人の手を離そうとたたき払った。
前の主は驚いた様子もなくそこにたたずんでいるが、大倶利伽羅はその時になってようやく彼女を認識したようで、敵意と憎悪をたたえた眼差しで睨んできた。
「大倶利伽羅……」
「俺に構うな。あんたの気持ちなんていらない。押し付けられるのはうんざりだ。忘れたくないのに忘れてしまうのはもう、たくさんだ……」
傷だらけの体をおして、大倶利伽羅は前の主を強く抱きしめた。
次の瞬間、彼女の視界は白く覆いつくされた。
目を開けた時、涙が溢れて頬をつたっていることに彼女は気づく。
政府の審神者であるリンが心配そうにうかがいながらハンカチを差し出してきたのでそれを受け取って涙をぬぐいながら、彼からは構うなと言われたとだけ告げた。
そこで起きたことも、それ以外の言葉も口にする気力がなかった。
「わかりました。もし主さまがよろしければ、このまま大倶利伽羅様を一緒にお連れいたしますが」
彼女は鼻をすすり、そうして周りを見回して、お願いしますと頭を下げた。