鶴丸国永からされた提案に、審神者である彼女の反応は数拍遅れた。
「……なんて?」
「墓参りって言ったんだ。前の主のな」
「なんで、そんな」
「きみが伽羅坊から主認識されないのを気に病んでいるようだからな。確証もないが一応の提案だ」
「確証がないならそんな提案しないで」
忌々しい、とまでは彼女はさすがに口にしなかったものの、心情的にはその通りだった。
ようやく前の主の気配が彼女の領域から、この本丸から消えたというのに、どうして蒸し返そうとするのだろう。苛立ち紛れに文机を爪で叩く。
「……もしかしたらきみは忘れているかもしれないが、伽羅坊だってきみをちゃんと主と認めていたんだぜ」
「だからそれが記憶喪失でなくなったから困っているのに。燭台切は相談するのはまだにしろって言うし」
「記憶がなくなったって、あいつはきみを主と認めることだってできるさ」
「え?」
どういう意味だといぶかしむ彼女に、鶴丸は人差し指を立てる。
「記憶を失う前の伽羅坊だって俺たちだって、前の主をきちんと見送った。そしてきみを主として迎えた。ここまではわかるだろう?」
「ええ……」
まるで子供に言い聞かせる大人のようだと彼女は思ったが、刀としての年数を考えれば祖父と孫どころの騒ぎではない差が自分と彼にあるのだと彼女はいまさら思い当たる。
「肝心なのはここさ。いまの伽羅坊にとって、主は死んでないんだ。いくらきみや俺たちがもう主は死んだんだと言ったって自分の目で見ていない。あいつの記憶にある主はまだ生きているんだ」
鶴丸の金色の目はこれほど冷たく輝いていただろうか、と彼女はふと思い、背中に寒いものが走るのを感じて、気持ち姿勢を正した。
「……だから、お墓参り?」
「そうだ。あいつには酷かもしれんが、区切りをつけさせたいならその目で確認させたらいい。もう主はこの世にいないことを、いまはきみが新たな主だということをな」
選ぶのはきみだ。そう言って、邪魔したなと軽く手を振って鶴丸は執務室を後にした。
前の主である審神者の墓参りをしたとして、本当に大倶利伽羅は区切りをつけて自分を主と認めてくれるのだろうか。確証もないのに、鶴丸の提案に乗ってもいいのだろうか。
ますます彼を頑なにしてしまうだけなのではないか。その不安が彼女を迷わせていた。
『──主と認めないとは俺は一言も言っていない。あんたはもう俺たちの主だろう』
誤って割ってしまった湯呑を新しく買って彼に渡した時のことを思い出し、彼女はため息をついた。
あの時、大倶利伽羅にもちゃんと自分が主だと認めてもらえていたと知ってとてもうれしかったのに。
『──気安く呼ぶな。あんたは俺の主じゃない』
唇を噛み、両手で顔を覆って彼女はうめいた。
「大倶利伽羅を連れていくべきかどうか……?」
「そう。鶴丸から提案されたの。国広はそうした方がいいと思う?」
「……そうだな。試してみてもいいとは思うが。あんたが嫌だと思うならやめておけばいい」
「嫌っていうか、どんな反応になるのかわからなくて」
戸惑う様子の審神者を眺め、山姥切国広はそっと息を吐きだす。
「そもそも、あんたは大倶利伽羅にどうあってほしいんだ」
「どうって、主としてまた認めてもらえたらいいとは思っているけど……」
「だったら答えはもう出ているんじゃないか」
「それは、だけど」
「あんた自身が迷っているなら、様子見も兼ねてしばらく放っておけばいい」
「なんでそんな薄情なこと言うの?演練場で大倶利伽羅が倒れた時だって清光たちも慌ててなかったし、記憶がないって知っても燭台切なんていやに冷静だった。どうして?みんな心配じゃないの?」
「心配はしている。けど初めてのことじゃないからな」
彼女が戸惑うのを一瞥して、山姥切は庭の池にかかる橋へと視線を投げる。
「前に一度、あいつがああして手入れ後にすぐに目覚めなかったことがあった。そしていざ目覚めた後は、記憶を失っていた」
「ッ……!」
息を呑んで、彼女は手で口元を抑えた。そうしておそるおそる尋ねる。
「前の主さんは、その時どうしたの?」
「放っていた。へたに構ったりもしなかった」
「そんな、ひどい……」
「ひどい?自分を警戒している相手に近づかないようにするのは普通のことじゃないのか」
特に山姥切は皮肉を言った様子ではなく、本気で不思議そうにする。彼女はその態度にも戸惑う。
「警戒ってどういうこと?」
「前の時、大倶利伽羅の記憶は顕現直後にまで戻っていた。そして主に対して警戒していた」
「警戒されるようなことをなにかしたとか?」
「さあな。主はあいつの顕現当初に対していたときと同じで必要以上に構うことはしなかった。それでも向こうが避けるから主もさらに距離を取って、なるべく姿を見せないようにしていた」
「……」
「けどあいつの記憶は戻った」
「どうやって……!?」
思わずと言った様子で身を乗り出す彼女に対し、山姥切はためらいを見せる。
「教えて、国広。前の主さんは何をしたの?」
「大倶利伽羅の希望で出陣させた。けどまた重傷で戻ってきて、やっぱり手入れをしてもすぐに目覚めなかった」
「……もしかして、目覚めたら記憶が戻っていた、とか?」
山姥切はうなずき、いまだにどんな理由で戻ったのかはわからない、と告げた。
ちなみにだが、大倶利伽羅は記憶を失っている間のことを何も覚えていなかった。
「これもある意味確証のない方法の一つだ。まあゆっくり考えたらいい。あの時とはまた状況が違う。今回のほうがよほど面倒な事態だ」
「……で、今度は俺に相談ってわけ?」
呼ばれたから期待したのにガッカリ、と加州清光は卓袱台に腕を乗せて突っ伏す。
「ふざけてないで真面目に相談に乗って」
「言ったじゃん、なるようにしかならないってさ」
「何もしないで放っておくって、性に合わないのよ」
「だろーね。けどさ、顕現したころの大倶利伽羅ってあんなもんだよ。というか主すらいらんって感じだったし」
「そうなの?」
「あー、そっか。主はいまのあいつしか知らないか。あいつはねー、主無しでも戦えるならそうしたいって思ってたし、手段があったらしてたよ。修行から戻ってきてちょっと柔らかくはなったけど、まあでも根本の部分は変わってないと思う」
「……じゃあ、彼が主だって認めてくれたのは」
「いくさに連れて行ってくれるから」
彼女は加州のはっきりした物言いを疎ましいと思ったことは一度もなかったが、どうしてかこの時は苛立つ自分を見出していた。
瞬間、以前に大倶利伽羅から言われたことが脳裏をよぎった所為かもしれない。
『──俺たちは刀で、刀には主が必要だ。あんたは戦場を決めて、俺たちをいくさにつれて行ってくれればそれでいい。俺があんたに望むのはそれだけだ』
黙り込んだ審神者を見やって、加州はため息をついた。
「主はさ、大倶利伽羅の記憶が戻ってほしい?それとも戻らなくても主と認めてほしい?」
「そんなの、どっちもに決まってるじゃない」
何を当然のことを言わせるのだろう。どちらかだけなどありえない。
憤慨する審神者を見つめ、加州は体を起こして近づくと、彼女の手を取った。
「主の気持ちはわかるけどさ、欲張るとどっちも失うよ」
どこか諭すような、穏やかな声だった。
「墓参り……?」
「うん。主が伽羅ちゃんを連れて行きたいんだって」
「……」
「記憶のないいまの伽羅ちゃんには信じられないかもしれないけど、君はちゃんと主を見送ったんだよ。それをいまの君の目で確かめなきゃ」
大倶利伽羅はしばらく黙り込んで、けれどふいと顔をそむけた。
「必要ない。俺は行かない」
大倶利伽羅が拒否する心境は燭台切光忠にも充分理解できた。だが今回は甘い顔はしてやれない。
燭台切は小さく息を吐くと、強引に大倶利伽羅を立ち上がらせ、抗議の声が上がるよりも先に胸ぐらをつかみあげた。
「──逃げるな、大倶利伽羅。逃げたってもう主は戻っては来ない」
「っ……!」
燭台切の顔に浮かぶ厳しい表情に、大倶利伽羅は思わず抗議を上げかけた口をつぐんだ。
燭台切はそこで表情をやわらげた。手を離し、乱暴してごめんね、と謝る。
「伽羅ちゃん。僕たちは君にあの子を忘れろと言っているんじゃない。でもちゃんと見送ったことを君が理解できなければ、いつまでも苦しむことになるんだよ。他でもない君自身がね」
大倶利伽羅は顔をうつむかせた。
燭台切の言葉の意味は彼とて理解していたが、それでもうなずけなかった。
この目で確かめて、それで何が残るというのだろう。ただでさえ主を看取ったことを、主の本当の最期の記憶すら失っているのに。
覚えている主の最後の姿が文字であっても自分と話そうとしてくれた時であったことが、余計に彼を打ちのめしていた。
もっと主と話していればよかった。もっとそばにいればよかった。もっと、もっと──。
どれだけ後悔しても、きっと足りない。
こんな自分が主の死を認めた時、いったい何が残っているのか想像もつかなかった。だが何より怖いのは。
「……俺は、あいつを」
忘れたくない、と消え入りそうな悲痛な声に燭台切は大倶利伽羅の頭をそっと撫でた。
「わかっているよ。僕だって忘れたくない。だって僕らを顕現させた主だもの。でもいずれ別れは来たんだ。ただちょっと早すぎただけで」