連夜、何かしらの声が聞こえて白い人影を見ることに疲れた彼女は、いいかげん何らかの対策を講じなければならないと決意した。
大っぴらに言ってはいないが、にっかり青江にだけは白い人影は、ここの前の主ではないかと話していた。一度だけ足を踏み入れた離れの部屋で見た遺影とよく似た顔だった、と。
青江には断言できないと言っていたが、彼女はすでに白い人影は間違いなく、この本丸の前の主であろうと結論づけていた。
前の主のことを知らなければならない。そうでなければ何も対策の取りようがない。
刀剣男士たちは彼女を気遣って前の主のことを口にすることはないが、彼女のほうもあえて尋ねることをしてこなかった。
へし切長谷部は積極的に話すことはないが、こちらから尋ねれば素直に、彼の知りうる範囲で話してくれた。
おかげで彼女が知ることができたのは、前の主は家族を亡くしたことをきっかけに審神者になったことと、まだ若いのに病に倒れたということだった。
年齢的にも、審神者に就任しての年数的にもおそらくは道半ばであっただろう。
若い年齢で天涯孤独だったという境遇には同情するが、しかし未練を残してさまよい、こちらに害をなそうとするならば話は別だ、と彼女は憤りを吐く息に滲ませる。
せっかく、本丸の運営も順調に進み、うまくやっていける自信がついてきたというのに。
刀剣男士たちとの仲も悪くはなく、戦いに送り出せば彼らは戦果を挙げてくれる。
戦いを拒んだり、彼女に反抗的な男士は一振りもいない。
だがもちろん全員が従順とは言わない。
刀の持ち主であるということを前提にして彼らは審神者を主と慕ってくれるが、個性は様々で癖が強い者も多くいる。
たとえば江雪左文字などは争うことを悲しみ、出陣することには積極的ではないが、だからといって彼女の采配に意見をするわけでもないし、そもそもそれは刀剣男士の『江雪左文字』に共通する特徴だ。
あるいは『大倶利伽羅』もそうで、彼は群れたりなれ合うことを嫌い、折に触れて声をかけたりするが、色よい返事はもらえたためしがない。
そんな面々を主として率い、本丸の営みにいそしむ彼女にとって、その騒ぎは彼女の努力を踏みにじるも同然のものだった。
自分の前にだけ姿を見せるということは、かなり強い未練があって、新しい主となった自分を疎んでいるのではないかと考えるだけで腹立たしい気持ちになる。
連日の疲労と、刀剣男士の誰もいまだ白い影を見た者がいないことも相まって、彼女はすっかり疑心暗鬼に陥っていた。
「ねえ、鶴丸。前の主……私の前の審神者ってどんな人だったの?」
くつろいだ様子で胡坐をかいた足の上に広げた雑誌を見ていた鶴丸国永は、彼女の問いに金色の目を丸くした。そうして訝しむ様子で片方の眉を器用に上げて見せた。
「他の連中から聞いたぜ。きみが前の主のことを訊いて回っているって。どうしたんだ。誰かきみのことを前の主と比べでもしたか」
「そうじゃなくて。そういえばちゃんと聞いたことなかったって思って」
彼女がそう言えば、鶴丸はふっとほほ笑んで首をかしげる。
「きみが聞いたっておもしろくもない話さ。第一、俺は過去は振り返らない主義なんでね」
悪いな、と冗談なのか本気かわからないことを言いながら鶴丸は雑誌に視線を落とし、彼女の問いをかわした。
「前の主?どうした急に」
「なんとなく、どんな感じだったのかなって気になっただけ」
「……そうだな。悪い奴じゃなかった。それだけだ」
「それだけ?」
「俺たち刀にとって大事なのは主だ。誰がどう、というわけじゃない」
それより午後の出陣について長谷部が話したがっていたぞ、と山姥切国広は彼女に背を向け、振り返ることなく歩き去った。
それからの二日ほど、彼女は折に触れては刀剣男士たちに前の審神者のことを尋ねてみたが、どれも似たような返答だった。
この数日、前の主のことを訊いて回っている所為か刀剣男士たちがどことなくよそよそしい気がする。
彼女は眉を寄せ、ため息をついて書類を受け取りに来たこんのすけに愚痴をこぼした。
「主さま。お忘れかもしれませんが、今の主はあなたなのです。刀剣男士たちは今はあなたを主と慕って、日々戦っているのです。余計なことに煩わされず本丸の運営に勤しんでください」
彼女がこんのすけに叱られたとしても、白い影はそんなことお構いなしに彼女の前に現れる。
その夜も白い影は彼女をじっと見つめ、そして消えてしまう。相変わらず近づいてくるわけでもなく、しかし話す声は何を言っているのかハッキリしない。
いったい何がしたいのか、何が目的なのかがわからず、苛立ちだけが降り積もっていく。
「なんなの、何が言いたいの……」
──毎晩毎晩、ほんとうにうんざりする。死んでいるなら大人しくしていればいいのに。
内心で吐き捨て、強くこぶしを握り締めた時、こちらへと近づく足音が聞こえた。
「そんな薄着で外に出て。風邪を引いてしまうよ」
縁側に立ち尽くす彼女のそばに、明かりを持って近づいてきたのはにっかり青江だ。
彼女はカッとなって、青江につかみかかった。
彼の持つ逸話を頼りにしたからこそ、幽霊の正体が前の主なのではないかと話したのに。
「青江!あなた幽霊を斬った逸話があるんでしょう!?どうにかならないの!?毎晩毎晩もううんざり!」
苛立ち任せに口にして、彼女はハッとして手で口を抑えた。
「ご、ごめんなさい、ついイライラして……忘れて……」
「……気にしていないよ。だけど見えない相手を斬るなんて、いくらなんでも無理だね。申し訳ないけれど」
「わかってる……本当にごめんなさい。もう寝るわ。おやすみなさい」
「ああ、ゆっくりおやすみ」
誰か、と女の悲鳴が聞こえて、宗三左文字は足を止め、声の方向を向いてため息をついた。
声の元に駆けつければ、主である審神者が縁側にしゃがみこんでいる。
「またですか」
ため息交じりに尋ねれば、彼女は顔を上げて宗三を睨んだ。
「そんなのは私が一番言いたいことなのよ!毎晩毎晩……」
苛立ちを隠すことなく声を荒げる彼女に、だが宗三は慰めの言葉をかけずに別のことを言った。
「貴方が苛立ったところで、僕たちに見えていないんじゃどうしようもないじゃないですか」
主である審神者が白い影を見た、幽霊だと騒ぎ始めて日が経つが、彼女以外に目撃されないのだから、解決を望んで日ごと焦りを見せる彼女と刀剣男士たちの間に温度差が出来るのも無理はない。特に宗三左文字は、審神者に対して親身になるというところからは遠い刀剣だ。
彼女から見れば冷淡を取り越して酷薄に見えたとしても何の不思議もなかった。
顔を上げ、庭を睨む彼女の顔からは表情が抜け落ちていた。その横顔に、宗三は眉をひそめる。
庭の方を見つめたまま、彼女が口を開いた。
「……ねえ、宗三」
「なんです」
「離れの部屋の前の主さんの祭壇、あれを片付けて」
「なぜ僕に?」
「別に誰でもいいの。片付けてくれるなら」
そう言って振り向いた彼女の顔は険しい。宗三はいまの状況をふと忘れて、彼女はこんな顔もできるのか、となかば感心した。
だが彼の返事は決まっていた。
「嫌です。余計な火種を生むつもりはありません」
それより早く寝たらいかがです、とそっけなく言い、おやすみなさいと明かりを手に踵を返した。
「大将。目つきが怖いぜ。ちゃんと眠れてるのか?」
この日の近侍であった薬研藤四郎が端末に向かう審神者の横顔に声をかけると、彼女は傍らに置いておいた仕上げた報告書を薬研の手に押し付けた。
「薬研、私の心配をしてくれるなら気を利かせてよ!」
「悪いが具体的に言ってくれ。俺は戦場育ちだぜ。気を利かせるなんて芸当、無理な話だ」
彼女はしばし薬研を睨んでいたが、大きく息を吐くと、うんざりなのよと吐き捨てた。
「声が聞こえるの。部屋の外にそれはいて、私に話しかけてくる。でも何を言ってるか聞き取れない。私が声を上げたり、見回りの誰かが近づいてくると姿を消してしまう……それが毎晩繰り返されるの!もううんざり。何がしたいの?私にどうしろっていうのよ……!」
「……大将、しばらく休養でも取った方がいいんじゃないか。就任してからずっと働きっぱなしだろ。そろそろ疲れもたまる頃だ」
薬研なりに気を遣ってそう勧めたが、彼女には別の解釈がされたらしかった。彼女は激高した。
「疲れて幻覚でも見てるって言いたいの!?薬研まで私を嘘つき扱いする気!?」
「お、落ち着け、大将!」
「落ち着けるわけないじゃない!みんなに嘘をついてるって顔で見られて、恨まれているっていうのに!」
叫ぶ審神者を、薬研は抱きしめて背中をトントンと軽くたたきながら、優しく声をかけた。
「落ち着けって、大丈夫だ。誰も大将が嘘ついてるなんて思っちゃいないさ。それに誰に恨まれるって?この本丸で大将を恨むやつがいるはずないだろ。みんな大将が来てくれて感謝してるんだ」
なだめられて、彼女はようやく荒い呼吸をなんとか整えながら、悔しそうに顔をゆがめて薬研の服をつかんだ。泣きたくないのに視界がにじむ。
「でも前の主さんはきっと私を恨んでいるに決まってる……!」
とうとう言ってしまった、と涙を流しながら彼女は思った。
泣いたことに気づいた薬研が体を離し、彼女をなだめつつもその目にいくらか困惑の色をたたえていた。
「……どういうことだ、大将」