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亡失の呪い-8-

主に呪いをかけた犯人が捕まっても、それがすぐに解けるわけではない。
呪いに蝕まれた体は、もはや手の施しようがないところまで来ている。最期の時までそばにいると約束した以上、のんびりしている時間はなかった。

「主!」
部屋に入ると、すでに枕元に大倶利伽羅が腰を下ろして主の手をそっとつかんでいた。
「まだ息はある」
「ああ……」
うなずきと感嘆が混ざった声を発しながら枕元に寄って、山姥切は主の手を強い力で握りしめてしまわないよう注意を払いながらつかむ。
顔全体を覆う花びらの痣が呪いのおぞましさを改めて見せているようで、腹立たしさに歯噛みする。
痣が広がっていく様は美しかった、と男が恍惚とした表情で語っていたことを思い出して余計に忌々しい思いに駆られた。

「主。あんたに呪いをかけたやつは捕まったぞ。遅くなってすまなかった……」
そう言葉をかける山姥切国広の声が震えていることに気づいて、大倶利伽羅はそっと目を伏せる。

夜が明けようとしていた。

大倶利伽羅がハッと目を開けると、カーテンの隙間の向こう、窓から差し込む光が朝を告げていた。
気づかないうちに眠っていたらしい。主の口元に手をかざすと、かすかだが呼吸が触れるので安堵の息を吐く。
眠っている間に主の息が止まっていたなどということになれば、自分を許すことが出来なかっただろう。
朝まで持たないかもしれないと言われていたので余計にその思いが強い。

「主……!」
同じように眠っていてしまっていたらしい山姥切国広が体を起こす。
「まだ大丈夫だ」
うなずいて、山姥切も安堵の息を吐きだしたときだった。
「主さま!」
声とともに現れたのはこんのすけだ。その直後、廊下を走る足音がいくつも響く。
「山姥切!伽羅坊!解毒剤が来たぞ」
足音の主の一人は鶴丸国永で、彼に手を引かれる格好で夜中に訪れてからずっと待機してくれていた初老の医者が部屋に駆け込んでくる。
「解毒剤が、届いたので……!」
荒い呼吸をしながら、医者が横たわる主の元へ近づく。
大倶利伽羅が場所を入れ替わるために立ち上がり、山姥切がコップに水を注いで医者に手渡した。
一息に飲んで医者は息を整えると、懐から薬の瓶、カバンから注射器を取り出した。

「一刻を争うってんで男の家が捜索されたそうだ。呪いに用いた毒と、万が一のために用意していたらしい解毒剤が見つかった。さっきまで効果の検証がされていたとかで、ようやくこうして主に打つことができるんだが……」
問題は毒の浸食具合に解毒剤が追い付くかどうか、と鶴丸は眉をひそめた。
「なにしろ主が毒に触れてから時間がかかりすぎているしな」

解毒剤が投与されて十分ほどが経った頃、山姥切国広が声を上げた。
「見ろ、痣が……!」
視線をやれば、さきほどまではっきりとおぞましく現れていた花びらのような痣が、わずかではあるが薄くなっているのがわかった。
「よかった。解毒剤の効果が出始めましたね。あと何度か打って、そのあとは本人次第ということになるでしょうが……」
峠を越えることは出来たと思います、という医者の言葉に三振りは揃って安堵の息を吐いた。

その日の夜。大倶利伽羅が主の私室の戸を開けようとすると物音がした。
慌てて中に入ると、主が布団の上にうつぶせの格好で倒れている光景が飛び込んできた。
駆け寄って体を起こし、腕の中に抱える。
少し前に様子を見に来た時は布団のなかで横たわっていたはずだ。
目が覚めて起き上がったのかもしれないと思いながら声をかけ、軽く頬を叩いた。
その刺激によるものか、主のまぶたが震えてゆっくりと目を開いていく。
医者は、刺激に反応を見せたのでおそらく触覚が真っ先に戻っているはずだと言っていた。
顔全体に広がっていた痣も、最初の解毒剤を打った時から比べるとかなり薄くなっている。

二度三度とまばたきをして、主はやせ細った手を大倶利伽羅の頬へと伸ばす。
視線が自分にまっすぐ据えられていることに気づいて、彼は頬に触れる主の手を自分の手で優しく挟みながら声をかけた。
「……俺が見えているのか」
尋ねる声はかすれて、あとで彼自身が思い返したときに動揺するほど弱々しかったが、この時はそこまで考える余裕がなかった。

まだ音は聞こえてはいないようで、主は小さく首をかしげる。
大倶利伽羅はなんでもないと首を振り、手をそっとつかんで指の背に唇を寄せた。
自然、口元に小さな笑みが浮かぶ。 視力の戻った主が最初に目にした刀が自分であろうことが、嬉しくないはずがない。


目が覚め、そして視力が戻ったことが知られると、部屋に刀剣男士たちが多く訪れた。
いつぞや音を失ったとき以来の多さだと思いながら、ノート用紙の上でペンを動かす。
手が震えてしまってきれいではない字がなおさらひどくなっていたが、読み取ることは出来るはずだろうと思いながら見せる。

『めいわくかけてごめんなさい またみんなの顔が見られてうれしい』

文字で告げれば、あの時同様に愛染国俊が同じページに言葉をつづって掲げ、明るい笑みを見せた。
『おかえり主さん!』
そうして集まった刀たちがそれぞれに書いて、ページはいろんな言葉で埋まった。

それから数日して、次に回復したのは聴覚だった。
音が聞こえるようになったと知ると刀剣男士たちがいつかの時よりも多く訪れたが、収拾がつかなくなって山姥切国広がいったん戻って少人数で来いと追い返した。

「えー、ずるいよ!だって山姥切さんも大倶利伽羅さんもずっとあるじさんと一緒にいるのに」
乱藤四郎が頬を膨らませて抗議するのに対して、主である審神者が乱に向かって手を差し伸べた。
「やった!あるじさん、ボク、あるじさんとお話しできなくてずっとずっとさみしかったんだよ?」
そう言ってそばに座った乱は目を潤ませて首をかしげながら言うので、ありがとうと唇を動かしてそうして乱の頭を撫でてやった。

それから連日、数振りずつが訪れるようになったが、病み上がりでもあるためか、ある日とうとう熱を出してしまった。
山姥切国広と大倶利伽羅がそばで付き添い、看病した甲斐もあって翌朝には熱は下がっていたが、無理はさせられないとしばらく面会が出来ない状態になった。

起き上がれるようになってきたので、音が聞こえることもあって可能な限りではあるが本来の仕事を再開するようにした。
まだ出陣はさせられないが、遠征に送り出すことは出来る。
自分が臥せっている間、畑当番などのいわゆる内番は刀剣男士たちで各々割り振ってきていたらしいのでそのまま続けてくれるようお願いし、そうして遠征部隊を見送った。
彼らとの会話は、言葉を伝えるだけで済むので筆談ではなく端末での文字打ちに戻している。

「遠征の連中からの土産だ」
そう言って大倶利伽羅が差し出してきたのは小さな花束だ。
第二、第三、第四部隊それぞれが遠征先で土産と見舞いとして花を見つけ、そして戻ってきてそれを互いに知ってひとつの束にしたのだという。
受け取ると、ふいに鼻先をくすぐる香りを感じて鼻先を寄せて目を丸くした。
「どうした?」
尋ねられて慌てて端末のメモ帳に文字を打ち、画面を見せると大倶利伽羅はかすかに目を瞠った。

『花の匂いがわかった。甘くていい香りがする』

「匂いがわかるようになった?」
「完全に戻ったかわからないが、花の匂いを嗅ぎ取ったらしい。食事をさせて様子を見たいんだ。何か食べやすいものを作ってくれないか」
「オーケー、任せてくれ。そうだね、やっぱりまだ固形物よりもお粥とかのほうが良いかな」
「では僕は何か汁物でも作ろう」
「よろしく頼む」
夕食の当番担当にちょうどなっていた燭台切光忠と歌仙兼定は、始めていた下ごしらえを後に回してまでお粥と汁物づくりを始める。
味付けについて話し合う二人を眺め、山姥切国広は厨を後にした。

五感の内、触覚と視覚、聴覚が戻って起き上がれるようになっても、栄養剤でまかなっていた。
せめて何かお粥の一口でも食べてほしいと山姥切が望んでも、嗅覚と味覚がまだ戻らないために味がわからないからと食事を嫌がっていたのだ。
もし食べることが可能になれば、回復へ大きく歩を進めることが出来るだろう。


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