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亡失の呪い-6-

「燭台切から話を聞いた。主が殺してくれと頼んだと」
しばらく沈黙が部屋の中を巡っていたが、大倶利伽羅が主の手を握った時、ふと山姥切国広が話し始めた。
内容に握った手が震えた。それを見てとって、山姥切は首を振る。
「怒っているわけじゃない。主はきっと、どこかで死を覚悟していた」
「……」
山姥切が手を伸ばし、主の艶のない髪を撫でながらつづける。
「こいつはいつも考え無しに口にする。すまない大倶利伽羅。けど、悪気はなかったはずだ。それだけは承知していてくれ」
「……わかっている」

考え無しで、落ち着きが無くて、何もないところでよく転んで、のんきに笑って。
いつだって自分たちが呆れ、そして見守ってきた主が、殺してほしいと頼むことがどれほどのことか、わからないはずがない。

連絡をしてから一時間後。主の担当である初老の医者を伴ってこんのすけがやってきた。
大倶利伽羅も何度かこの本丸に来ているのを見たことがある。

夜中に呼び出したことを詫びる山姥切に初老の医者は首を振り、そして大倶利伽羅に会釈すると、横たわる主の枕元へ腰を下ろす。
あとにこれまで見たことのない若い男が続き、初老の医者の隣に座った。

山姥切が初老の医者に主の状況を話して、そして大倶利伽羅に、若い男も医者で主の元担当だと言った。
少し前に主の元担当医は呪いからくる病の専門でまだ若い男だと聞いていたことを、大倶利伽羅はふと思いだしていた。

例の誤診した医者か、と大倶利伽羅が不信感を持って若い男の様子を眺めていると、その男はなぜか口元に薄く笑みを浮かべて主の様子をじっと目を見開いて見つめていた。
山姥切と初老の医者の視線も主に向かっているので、この場で気づいたのは大倶利伽羅だけだ。
初老の医者が振り向いたことで慌てて表情を取り繕ったが、わずかな間とはいえ見てしまった男の様子に、大倶利伽羅は不快感と嫌悪感を催した。

仮にも医者が、自分が担当していた患者がいまにも死にそうな場で見せる表情があれだとでもいうのか?
そもそも、もう手の施しようがないからこそ担当ではなくなったというのに、いまさら何の用があるというのだろう。
二人の医者が小声で会話を交わす光景にどうしてか頭に痛みが走り、思わず顔をしかめる。

「大倶利伽羅。先生を客間に案内してくれないか」
「……ああ」
山姥切にうながされた元担当医はこのままここにいると遠慮したが、初老の医者に必要があれば呼ぶと言われて渋々と言った様子で立ち上がった。
ふとその男は大倶利伽羅と目が合うと、視線を逸らしながら会釈なのか首をかくんと動かした。

客間に男を通すと、先ほどのような首をかくんと動かす会釈をして座布団に腰を下ろす。
この男は背は高いようだが線が細く、主の部屋に来た時からずっと両手をポケットに入れて猫背気味で背中を丸めている。
さきほどの様子とも相まって男の態度に大倶利伽羅は眉をひそめずにいられない。

「少し、尋ねたいことがある」
大倶利伽羅が口を開くと、男は彼の方を見て、けれどすぐに視線を逸らして、ぼそぼそと聞き取りづらい声でつぶやく。
「なんだ。俺に訊かれてまずいことでもあるのか?」
「……あ、いやべつに……」
声は少しだけ大きくなったものの今度は早口で、どうも態度がおかしかった。
これ見よがしに大きくため息をついてやれば、男は肩を揺らして、大倶利伽羅に視線を合わせないようにあちこちを忙しなく見ている。
その様子をあえて無視して、大倶利伽羅は尋ねた。
「あんたは呪いが専門なんだろう。それなのになぜ最初の診断を誤ったんだ」
「っ、それは痣の花びらの形が……あの痣はよく似ているもので、その……!」
早口にまくし立てながら言い訳めいたことを言って男は顔をうつむかせた。
ますます背中は丸くなり、けれどポケットに突っ込んだ手は出そうともしない。

「……まあいい。あんたを責めたところで主が回復するわけじゃない」
ため息と共に大倶利伽羅がそう言えば、男はどこか安堵した様子で息を吐く。
その態度に不快なものを覚えつつ、さらにつづける。
「医者ってのは心が強いんだな」
「え?」
男は思わずと言った様子で大倶利伽羅に顔を向け、慌ててそらす。
「それともあんた自身が人の生き死には慣れっこで、そんなふうに平然としていられるのか」
男はなにも答えない。
普通なら侮辱されたと憤ってもいいところのはずだが、それよりも顔を合わせたくないほうが重要であるらしかった。

「いま茶を持ってくる」
肩越しに言い捨てて、大倶利伽羅は客間を後にした。

廊下を歩きながら、大倶利伽羅は不快感もあらわに舌打ちした。
あの男には罪悪感だとか羞恥心というものがないらしい。
誤診のことを自分たち刀剣男士が許していないかもしれない、とは考えもしなかったと見える。
そうでなければここには姿を見せないか、来たとしても別の態度を取るはずだ。

呪いの進行を止められなかったのも、改善できなかったのも、呪いの性質故に仕方がないのかもしれない。
ならばなおのこと、最初の誤診に対してだけは申し訳ないと思うとか、そういった態度を見せればよいものをそうしようともしない。
いったい何を目的にここへ来たのか。あんな態度でいながら、まさか看取るためだとは言うまい。

あの男は何かがおかしい。
主の部屋で見せていた表情や先ほどの挙動不審な様子だけでは普通は疑う理由としては弱いだろうが、大倶利伽羅にとってはそれだけで十分だった。
あの男を信用する理由なんてどこにもなかった。

厨に入ると、燭台切光忠と太鼓鐘貞宗の姿があって、客用のお茶の用意をしていた。
太鼓鐘が菓子器にお菓子を入れながら、大倶利伽羅が来たことに気づく。
「お、伽羅」
「起きていたのか」
「寝れるわけないだろ。主が死にそうだって時に」
「たぶんみんなあのまま起きてると思うよ。静かだからわかりにくいだけで。一人分でいいんだよね?」
「二人だ」
「二人?看護師さんか誰かも来たとか?」
「主の元担当医だ。そっちは客間にいる」
それ以上の説明は二人にも必要ないようだった。
「貞ちゃん。長谷部くんを呼んできてくれるかい。たぶん大広間に待機していると思うから」
「おう、任せろ!」
請け負って厨を出ていく太鼓鐘を見送り、よりにもよってなんて刃選をしたのかと思いながら大倶利伽羅が燭台切を見ると、彼は笑みを浮かべて首をかしげた。
「どうかした、伽羅ちゃん」
「……いや、なんでもない」
あの男に対して同情なんてする必要はなかったな、と息を吐いた。

初老の医者用のお茶と菓子を載せたお盆を手に大倶利伽羅が部屋に向かうと、山姥切国広が顔を出した。
「ああ、すまない。これから用意しに行こうと思っていたところだ」
「いや。それより」
主の様子は、という声なき問いに山姥切は目を伏せた。
「あの様子だと朝まで持つかどうか、だそうだ」
思わずお盆を持つ手に力が入る。
「大倶利伽羅、すこし先生の相手を頼んでもいいか。俺は、あの男に用がある」
「それは構わないが、そもそもあの男は何しに来たんだ」
「さあな、はっきりとはわからない。ただ、先生が少し注意をしていてほしいと言ったんだ」
詳しいことは先生から聞いてくれと言って山姥切は行ってしまった。

大倶利伽羅は不審に思いつつも部屋に入り、初老の医者に茶を差し出す。
「ああ、どうもすみません」
会釈し、いただきますと初老の医者は湯呑を取り上げ、一口飲む。
湯呑を茶托に置いたタイミングで大倶利伽羅は、あの元担当医はここに何をしに来たのかと尋ねた。
医者はずれかかった眼鏡を直しながら、本当のことはよくわからない、と答えた。

「ここから呼び出されたと連絡があって準備をしていたら彼のほうから声をかけてきましてね。自分もつれて行ってほしいと言われて。ただほら、彼はこの方の初診の時に……なので行けば非難を浴びる可能性も高いし、担当でもなくなった。君に出来ることはもうないよと言ったんです。そしたら彼は、だからこそ最期までそばにいる責任があると言いましてね」
「……それを信じたのか」
「信じたというより、問答をしている時間もなかったので好きにしなさいと言ったんです。けれど彼ときたら病院での普段の態度と変わらない。彼は背が高いんだが威圧感を与えるからといつも背中を丸めていてね。ただこういう時くらいは背筋を伸ばせと言ったんだが……」
やれやれと言った様子で首を振り、医者は湯呑を持ち上げもう一口飲んだ。
「あんな不誠実な態度でいるのならこの患者さんのそばに居させるのは皆さんに申し訳ないと思って、席を外させました」

渋っていたのはその所為か、と納得が出来た。どんな理由かは知らないが、あの男は死にかけている主のそばにいることを望んでいるらしい。
横たわる主を前に笑みを浮かべていた姿を思い出して、大倶利伽羅は膝の上でこぶしを握り締めた。
それを見てとって、医者が気づかわしげに尋ねる。
「もしや彼は何か言っていましたか?」
「特にはない。ただ、誤診のことを訊いたら言い訳めいたことは口にしていた。それより、あの男は普段から相手の視線を避けるような性格なのか」
大倶利伽羅の問いに、医者は目を丸くした。
「いいえまさか。かなり距離を狭めるタイプですよ。まあ良くも悪くも気軽というか……」
単に私が古臭い考えなのかもしれませんが、としながら医者は首を振った。
その直後、ガシャンと何かが割れる音が遠くから響いた。
ハッとして大倶利伽羅が腰を上げたところで、こちらへと駆けてくる複数の足音がした。
「大倶利伽羅!」
「はやく来い!」
駆けこんできたのは加州清光と大和守安定だ。
何があったと聞けば、いいからと腕をつかまれる。
大倶利伽羅は医者を振り向いて、主を頼むと言いながら部屋を出た。

二人曰く、へし切長谷部と客間にいた若い男がもみ合いになっているという。
「長谷部がブチ切れてつかみかかってさ」
「もみ合いになったときに男の手に傷があったのが見えたんだ。右手に切り裂かれたみたいなやつ。大倶利伽羅じゃないとわかんないと思って」
「ッ……!」

意識していなかったから、男の顔はそもそも覚えていない。
だが男にあった、手首から小指の付け根にかけての切り裂かれたような傷の形だけは忘れないよう努め、紙に描いてもいた。
直接その目で見ている刀剣男士はこの本丸では大倶利伽羅だけだ。

山姥切国広は、主の元担当医は最初は適当そうな態度だったが、さすがに誤診したとなるとそのあとは毎回の診察のときは真面目に真剣な様子で、けれど人当たり自体はそもそも悪くないと言っていた。
聞いていた様子や、山姥切国広や初老の医者に対するのとは違う男の態度、部分的な記憶だけになってきているあの日のことなど様々なことが浮かび、大倶利伽羅は、もはやそうであると確信をしていた。
あとは男の手にある傷を確かめるだけ。

けれどもし傷の形が違っていたら──?

一瞬そう考え、だがたとえ呪いの犯人でなかったとしても構うものかと大倶利伽羅は歯噛みした。
あの男は死にかけている主を前に笑っていた。それだけで許せない理由には充分だ。


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