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亡失の呪い-5-

「ほら行こうぜ、伽羅。食事の準備に遅れちまう」
「わかっているから引っ張るな」
そんなやりとりをしながら、太鼓鐘貞宗に引っ張られて大倶利伽羅が部屋を後にするのを見送り、燭台切光忠は息を吐きだした。
そうして、刀掛台に置かれた大倶利伽羅の刀を見る。

あの後、彼自身で落とした鞘を拾い上げ、刀身を納めたところで太鼓鐘貞宗がやってきた。
大倶利伽羅の手に刀があることも含めて二人の間に漂っていた不穏な空気を感じ取ったのか眉をひそめ、何かあったのかと訊いてきたが、なんでもないと躱したのは大倶利伽羅だった。
燭台切も、ちょっと言い合いになっただけだよとごまかし、何か用があったのかと尋ねると、今日の食事当番が自分と大倶利伽羅なので呼びに来たのだと言った。

太鼓鐘に連れていかれる大倶利伽羅の姿を見送って、ひとまずは大丈夫だろうと燭台切は息を吐いた。
きっと本人も主が望んだからという理由で刀を手に取ったのだろうが、迷いがあったのは明らかで、それが足止めにもなっていたのだと安堵した。

ただ、大倶利伽羅を諌めて落ち着かせた燭台切自身が、怒りとも悲しみともつかない感情のやり場に困っていた。
誰かに相談するべきだろうかと悩み、けれどこんな感情のままではそれも難しいと思いながらもその体は勝手に動き、足は主の部屋の方へと向かっていた。
執務室の入り口を一歩入ろうとした時、気づいて止まった。

声も何も届かない、それどころか死に一番近い場所にいる主に何を言ってもどうしようもないのだと踵を返そうとしたとき、声をかけられた。
奥の部屋から出てきた山姥切国広と和泉守兼定だった。

「よお、燭台切。主に何か用か?」
山姥切はともかく和泉守が一緒にいるなんて珍しいと思いながら、燭台切は、ちょっとね、とあいまいにごまかす。
その様子に二人は顔を見合わせ、山姥切が、何かあったのかと尋ねてくる。
なんでもないよ、とそのまま立ち去るべきだと思いながらも燭台切の口はそれを紡げず、足はどういうわけか動かなかった。

結局燭台切は二人に抱えていた感情とさきほど起きたことを話した。
山姥切は盛大にため息をついて、和泉守は何とも言いがたいという表情のまま髪を掻きまわす。
「すまなかった燭台切。まったくあいつは目を離すとこれだ」
山姥切に頭を下げられて、燭台切は困惑した。彼からの謝罪が欲しかったわけではないし、そもそも自分に謝られてもどうしようもない。
「謝罪が欲しかったんじゃないんだ。ただ、伽羅ちゃんのことを思うとね……」

「まあ、大倶利伽羅の気持ちもわからなくはないんだよな。主を見ていると」
そう言って和泉守は首を振る。
いっそ楽にさせてやりたい、と彼自身、主の状態を見るにつけて思わないでもなかった。
いまはただ主は緩慢に死に向かっているだけだ。ならばいっそ、と思ってしまっただろう大倶利伽羅の気持ちも理解できるし、限界を感じているからこそ殺してほしいと主が頼んだのなら、その選択は誰にも責められないと和泉守は思う。

それでも、主に刃を向けるべきではない。
自分たち刀剣男士は歴史を守る戦いのために顕現したのであって、決して自分たちを束ねる主をその刀で切り伏せるためにこの身でいまここに在るわけではない。
それを自分たちは違えてはいけないのだ、と和泉守がそう言って口を閉じると、しばしあたりを沈黙が漂った。

「……俺たちに出来ることは、もうないのかもしれないな」
沈黙を破って、ため息と共にされた山姥切国広のつぶやきに、和泉守兼定と燭台切光忠は息を呑んだ。

事態が急変したのはその日のことで、すでに辺りも静まり返った深夜を回った頃だった。
ちょうど屋敷内を見回っていた蜻蛉切が主である審神者の執務室のあたりにまで差し掛かった時、物音を捉えた。
何かをひっくり返しているような激しい音に慌てて奥の私室へ駆けつけると、主が喉を掻きむしりながら、まさに七転八倒と言った様子でもがき苦しんでいた。
悲鳴すら出せずに苦しむ主を蜻蛉切は抱え上げ、誰か、と大声で叫んだ。

山姥切国広が部屋の戸を開けると、布団の上に横たわる弱々しい姿が目に入ってきた。
少し前なら顔を覆っていた布がずれて肌がさらされただけで痛みに身を震わせていたのに、今はもう外してしまっても痛みに苦しむ素振りすら見せない。
つまりは五感の全てが失われていることに気づき、こぶしを握り締めた。

布団のかたわらにいた鶴丸国永が振り返った。
「どうだった」
「いま連絡した。あと一時間もすれば来てくれるそうだ」
鶴丸は、同じくかたわらにいた石切丸と視線を交わしてうなずきあう。

もがき苦しむ主が気を失ったあと、山姥切国広は病院に連絡を入れた。
味覚と嗅覚が失われた後、この本丸で最期を迎えさせることを想定して、主の担当医は呪い専門の若い医者から初老の医者になっている。
光を失ったら覚悟をしてほしいと言われていたし、五感が失われた後は時間の問題だとも言われていた以上、もはや主の死は免れないのだろう。 主の最期を看取る時が来たのだ。

「とりあえずはみんなを集めないとな。それから……」
「わかっている。けどすまない。すこし、主と二人だけにしてくれないか」
山姥切の声にわずかに震えを感じ取って、鶴丸と石切丸は無言で部屋を後にした。


山姥切国広が大広間に向かっていると、後ろから声がかけられた。振り向くとこんのすけがいつの間にか音もなく現れていた。
「こんのすけ、どうした」
「みなさんお集まりのようですね。実は大切なお話がありまして」
基本的に主である審神者に呼ばれる以外でこんのすけが現れる時は、政府からの伝達事項がある場合がほとんどだ。
なんとなくだが、こんのすけの話の内容を察して、山姥切は頭が冷えていく感覚を他人事のように感じていた。
「そうか」

――今現在の審神者は役目を降ろされ、新たな審神者がここに配属されることになる。

こんのすけを通しての政府からの通達に、誰も驚きはしなかった。
「戦力の拡張や戦績は申し分なく、それが理由ではありません。そのためこのまま解体となるのではなく、いずれこの本丸には新たな審神者を就任させる、という判断になりました。みなさんにはその新たな主さまに従って、歴史修正主義者、時間遡行軍と戦っていただきます」
ついでのように、主さまもそれをお望みです、と付け加えられた言葉に山姥切の心がささくれ立つ。
眉をひそめ、口をついて出た声は尖っていた。
「主が望んだ?いつのことだ」
「聴力を失った後、主さまの希望で遺言書を書き直しました。万が一のことがあればそれに従うように、と」
「書き直した?」
反応を見せたのは鶴丸国永だ。
その言い草では以前にも遺言書を書いているということなのか、と目を眇める。
「審神者に就任した際に主が遺言書を書いているのは知っている。だがわざわざ書き直したのはなぜだ」
こんのすけに代わって答えながら、山姥切はさらに問いを重ねた。
「それはわかりかねます。主さまは何もおっしゃらなかったので」

「……まあいい。それで、新しい主が来るのはいつ頃になるんだ」
ため息をつき、山姥切は自分でもどこか冷めていると自覚しながら問いかける。
こんのすけは言いづらそうな様子で、まだはっきりとは、と言葉を濁した。
「だがその様子ではもう決まっているんだろう。つまりは今の主がいつ死ぬかを待つばかりという事か」
「そんな、つもりは……」
山姥切が吐き捨てるように返すと、こんのすけがしゅんとした様子で頭をうつむかせる。
「それ以上はやめてやれ。こんのすけにあれこれ言ったって仕方がないんだ」
鶴丸がそっと山姥切の肩をたたく。瞠目して、彼は唇を引き結ぶと膝の上でこぶしを握り締める。

こんのすけはあくまで伝言役に過ぎない。
それはわかっているし、下された判断が妥当なのもわかっていた。
刀剣男士を出陣させられない、任務を果たせない審神者が不要とされるのも、何もおかしな話ではない。
山姥切自身もそれは理解していた。
遺言書の話から推測すれば、おそらく主が書き直した時点で新しい審神者を探し始めてもいたのだろう。

だがそれを理解は出来ても、そして主との別れを覚悟はしていても、降ってわいたような不快さや感じた理不尽さはまた別の話だ。
好きで主は呪いにかかったわけではない、という言葉を飲み込んで、山姥切は立ち上がった。
後任の審神者がいずれ来るのならば、主との別れを済ませなければ先には進めない。
「……すまない、こんのすけ。鶴丸、あとを頼む。俺は主のところにいる」
「ああ、わかった」
やや荒い足取りで大広間を後にする山姥切を見送って、鶴丸はうなだれるこんのすけの頭を撫でてやった。

山姥切が執務室に入ると、奥の私室の戸がわずかに開いているのが見えた。
出た時は確かに閉めたはずだと思いながら開けて入ると、布団に横たわる主のそばに腰を下ろしている大倶利伽羅の姿があった。
そういえば大広間に入った時に彼の姿は確認しなかった。

「……大倶利伽羅」
声をかけると主を見ていた視線をこちらへ向ける。いつもどおりの穏やかな表情で、風のない海のような静けさを思わせた。
だがそのいつもどおりであることが、この状況にどうしてか不釣り合いに感じた。
自分はもしかしてこの寡黙な男でも主の、ましてや恋仲でもある相手の危機ならばそれなりに取り乱すのではないかと期待していたのだろうか、と山姥切は自問し、そうだったのかもしれない、と小さく息を吐いた。

「いずれ新しい審神者が来ると、こんのすけが伝えてきた」

大倶利伽羅は主に視線を戻し、そうか、と静かな声で答えた。


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