刀剣男士たちが困惑した表情で何かを口々に言っているようだが、何も聞こえない。
読唇術など修得していないので、読み取ることもできない。困ったようにそばの山姥切に視線を向ければ、彼は他の男士に何かを言って、そして彼らに何かを納得させたのか、その中から一振りが進み出た。
ペンを取ると大きめのノートの紙面に文字を書きつける。
『主さん、どこか痛むところは?』
力強い文字で愛染国俊が眉をさげながらノートをこちらに見えるように掲げる。
ああ、と思いながら小さく笑って、喉に触れて眉を寄せた。
喉にある毒々しい花の形の痣。その花びらの部分が耳の付け根にまで延びているのだが、チクチクと刺すような痛みがあった。
彼らは顔を見合わせて、気の毒そうな表情を浮かべる。
『みんなごめんなさい めいわくかけることになって』
ノートにそう書いて渡すと、その場にいた男士たちは顔を見合わせた。
愛染は眉を寄せ、こちらをじっと見つめてくる。
そうして彼は勢いのある文字で同じページに『主さんがあやまることじゃない!』と書いてくれた。
「いま苦しいのは主さんだろ。だからそんな顔しないでくれよ……」
彼は何かを口にしたようだが、残念ながら何も読み取れなかった。
視線の先には、尋ねる言葉が書かれたノートがぽつんと置かれている。
そのノートを挟んだ向かい側には大倶利伽羅が身動ぎせずに座っていた。
彼が夜に顔を見せに来て、わずかな時間を少ないながらも会話をして二人で過ごすのがここしばらくの習慣となっていて、声を失った後も顔を見せには来てくれていた。 会話も彼が調子を尋ねてくれるぐらいであとには静かな時間が過ぎていく。 そして音を失ったいまは、顔を出してはくれるものの文字の会話はしてくれない。 用事が無ければ顔を出したりはしないだろうと思ってこうして文字で尋ねるのだが、今日まで彼が返事を書いてくれたことはなかった。
ふと、彼が後ろを振り返る。 つられるように向けた視線の先、鶴丸国永が執務室に顔を出して彼に何か話しかけていた。
「すまんな。主と話し中に邪魔をして」
「……別に」
会話なんてしていない、という言葉をとっさに飲み込み、大倶利伽羅は代わりのようにこぶしを握った。
主である審神者が呪いなどと言う代物で声を失ったと知った時、大倶利伽羅は動揺した。
いくらすぐに解けると言っても、主の声が消えたという事実はいまの彼にとって充分に動揺するだけの理由があった。
主との時間を作って、会話もそれなりに続くようになってきていたのに。
だが他の刀連中がそこまで深刻には考えていないのを見て、認識の差に複雑な気分を抱えつつも表向きは気にしていない風を装った。自分の動揺を悟られるような醜態はさらしたくない。
夜、主の就寝前に顔を見に行くことはすでに習慣と化していた。
その日あったことをほんの少しであっても話して過ごすという他から見たらなんてことのないものだが、二人にとっては大切な時間だった。
主の声が聞こえないからと言ってそれを途切れさせたくはないと、大倶利伽羅は前夜と変わらず主の元を訪れた。
彼の姿を見て主がほほえむ。そして名を呼ぶはずの声は──聞こえなかった。
わかっていたのに、愕然とした。
その動揺を表に出さないようにすることに意識を取られて、他に不調は無いかと尋ねるだけで精いっぱいでろくな会話にならなかった。
それ以降も毎夜顔を出していたが会話にはならない。言葉の代わりのように主の手に触れて、抱き寄せて、頬や額に口づけてもどこか空虚な気分だった。
主は端末に文字を打って会話をしようとしてくれていたが、元々会話もそう多くあったわけではなかったせいもあってか、長続きしなかった。
あるいは、主の声は聞こえないのにこちらが話すだけで何の意味があるのだろうという彼の気持ちを見透かされていたのかもしれない。
そんな日々を過ごしていたある日、今度は主が音を失った。
聞いたとき、大倶利伽羅は前の時以上に動揺した。
しかも主にされた最初の診断が誤りであり、五感を奪われていく深刻な呪いであることがわかって、しばらく理解が追いつかなかった。
ほとんど無意識に足が主の部屋へと動いていたし、すでに多くの男士が集まっていたので踵を返したほどだ。
他の誰もいない時に改めて部屋を訪ねて、思わず呼びかけた声は拾われることがなかった。
顔を上げて、大倶利伽羅がいたことに驚いた様子の主が紙に『どうしたの?』と書いて見せてきた。
本当に聞こえないのかと思わず口から出た問いに、主は反応を見せなかった。
自身にも想像以上だった動揺と衝動が彼に後ずさりさせて、踵を返させていた。
それから誰もいない隙をついては主の元を訪ね、けれど文字の会話をすることなく、その場を後にするということを繰り返すようになっていた。
訪ねるそのたびに主が名を呼んで、どうかしたのかと訊きながら首をかしげてくれるのではないかという望みを砕かれる。
呪いが進行することはあっても改善するものではないと頭ではわかっているのに、それでも望んでしまうことだけはどうにもできなかった。
彼にとって、紙に書かれた言葉など単なる文字であって主の声ではない。
そんなものを彼は欲していたわけではなかった。
それを最初に見つけたのは、山姥切国広だった。
朝早くに大きな物音が聞こえ、それは主の部屋の方からだと気づいて慌てて駆け付けると、戸にしがみついている主の姿があった。
どうしたんだととっさに声をかけ、そうして聞こえないのだと思い出して肩を掴んで、視線を合わせようとしたが何かがおかしかった。
いやそれよりもこれは、と山姥切は愕然とした。
主の目元を覆うようにいばらのような模様が喉の痣から延びている。
目の前で手を振ってみたが、しかしその目が反応を見せることはなかった。
医者の言葉が脳裏をよぎる。
『――光をうばわれたときは、もう覚悟を……』
主の手が辺りをさぐるように動いている。その手を掴んで、思わず声に出したが聞こえるはずもない。
むしろ何も聞こえないからこそだろうか、怯えたような表情を浮かべて掴まれている手を引き抜こうとする。
「っ、俺だ、山姥切国広だ、落ち着け、主……!」
彼も動揺していて、主の両肩を掴んだことで逆にパニックに陥らせてしまったことに気づいたのは、思い切り振り払った手が山姥切の頬を打った直後だ。
その感触で気づいたのか、主は暴れるのをやめ、そうしてさぐるように手を伸ばす。
山姥切はその手を今度は優しく取り、安心させるようにゆっくりと撫でた。
「……大丈夫だ。あんたを傷つける奴はここにはいない」
せめて、この言葉だけでもその耳に届いてくれたらいいのに――。
困惑した表情を浮かべる主の顔を見つめ、山姥切国広は唇を噛んだ。
手の平に指先で書かれる文字を正確に読み取るのは難しい。もっとゆっくり書いてほしいと思っても、それを伝える術もない。
だから会話にもならず、読み取れる範囲の単語だけになり、やがてそれもなくなっていくのも無理はない、と思った。
音を失い、光を失ってまるで暗くて狭い場所に閉じ込められているような、途方もない息苦しさに支配されて、呼吸の仕方さえ忘れそうだった。
喉に触れれば痛みが走る。今はもう痣がどんなふうになっているかもわからない。
誰も教えてはくれない。否、教えてくれようとはしても、こちらがきちんと読み取れないのが問題なのだ。
失った分を補うように感覚が鋭くなるわけでもないので、プラスマイナスゼロどころかマイナスなだけだから会話も成立しない。
手のひらに濡れる感触があって、目を開けた。
自分の体が抱えられているのがわかる。
誰かに抱えられながら、そしてそっとつかまれた腕を、優しく洗われていることも。
視力を失う前、山姥切国広からは最期までそばにいると文字で伝えられていた。
声も聞こえず、何も話せない今でも彼らに負担をかけているのに、さらには目まで見えなくなっては彼らを戦いにも出せず、役目を果たせなくなることを嘆いて、その時は辞めてここを去ると告げた自分に、彼はだとしてもそばにいると言った。
『あんたの最期は俺が看取る それがあんたに最初に選ばれた俺の役目だ』
彼の言葉が書かれた紙に、涙が落ちた。
そうして彼は体を洗ったり着替えをさせたりしてくれて、世話を焼いてくれるようになった。
自分を抱えるのが誰かはわからないが、けれど体や髪を洗ってくれるのは間違いなく山姥切国広だ。
彼は自分がやると約束してくれたし、それを違えることはない。
温かなお湯につかっている間は痛みを訴える顔の痣も落ち着いているせいか、あるいは体力が持たなくなっているためか、いつのまにか寝入ってしまうことが多くなった。
途中で寝入った主の体を拭き、浴衣に着替えさせると山姥切国広は浴室を出た。
そのあとを、歌仙兼定が主の体を抱えたまま、部屋に敷かれた布団に自身もろとも腰を下ろした。
ドライヤーを手にした山姥切が寝入った主の髪を低温の風でゆっくりと乾かしていく。
「そういえばこうして主を抱える役目を大倶利伽羅には頼まなくていいのかい?」
「俺としては別に頼んでも構わないんだが、主が嫌がるだろうと思ってな」
「嫌がる?この子とは恋仲だろうに」
「だからだ。そんな相手に世話をさせるのをきっと嫌がる。こうやって風呂に入れたりするのだって、俺だから頼むのだと言うくらいだった。できるなら誰にも頼りたくはないんだろう」
「相変わらず変なところで遠慮するものだ。それでいて男の体の僕たちに素肌をさらすことを気にしていないというのだからまったく参ってしまうよ」
とはいえ、元より歌仙が主に対して持ち合わせている感情は親愛と呼んで差しさわりがなく、家族を見守っているようなものなので主の裸を見たところでどうということはないが。
そういう意味では、むしろ大倶利伽羅のほうが気にするかもしれない、と歌仙は思った。
「おかげでこうして世話することが出来る」
「……それにしても、すっかりやつれてしまったね。加減を間違うと骨を折ってしまいそうだ」
歌仙は痛ましい思いを息として吐きだした。