廊下に掲示された部隊の編成表を眺め、大倶利伽羅は手にしていた刀を握り締めた。
今日はこれから演練場に行く予定となっている。
例の女性との約束もあるので大倶利伽羅も当然編成に入っているのだが、彼の名は四番目に連なっていた。
ここしばらくはずっと部隊長として合戦場にも演練にも出陣し、外されることがなかった。
主との距離が離れ、お互いを避けて言葉すら交わさずにいても、彼をいくさに誰よりもつれて行くという約束だけは守られて変わらなかったというのに、今日はその位置には山姥切国広の名があるのだ。
主に訊くべきだと燭台切光忠に諭されたが、それでも動くことが出来なかった。
改めて告げられたらと思うと情けないことだがためらってしまった所為だが、その躊躇の結果がこれだというのならもう自分にはどうしようもできないと大倶利伽羅は目を伏せた。
覆りようのない答えを突きつけられて、これ以上どうしてみっともなく足掻けるのだろう。
相手の攻撃をまともに喰らってしまい、痛みのなかではっきりと聞こえてきた声。
それは彼の名を呼んだ主の声で、大倶利伽羅はその声が本当に主から発せられたのかを確かめるより先に刀を握り直して相手に斬りかかった。
この場で繰り広げられるのは、どれだけ傷ついたとしても折れることのない戦いだ。
だからと言って、なれ合うつもりも手を抜くつもりもなかったはずなのに、自分は何を気を抜いていたのだろう。
死ななくとも殺すつもりでいなければ、こちらがやられるというのに。
気がつけば試合終了の合図が聞こえ、崩れ落ちそうな体を山姥切国広に支えられていた。
「しっかりしろ。主が待っているぞ」
「……っ」
主である審神者の待つ陣に入った瞬間から傷が癒えていくのを感じ、大倶利伽羅は息を吐く。
傷がすっかり消えたのを確認していると、こんのすけに似た黒い狐のくろのすけがやってきて、控室の方へお願いします、と彼らに声をかけてきた。
「大倶利伽羅、もう問題ないか」
「……ああ」
なら行こう、と山姥切国広にうながされ、控室に向かった。主とは一度も視線が合わないままだった。
あの声は、幻聴だったのかもしれない。
次の二戦目の試合までしばらく時間ができるため、にっかり青江は何か飲み物でも買って来るよと主に声をかけて、山姥切国広を連れて控室を出た。
自動販売機や売店のある休憩所で人数分の飲み物を買っていたところへ、他の本丸の二振りの男士、へし切長谷部と堀川国広が声をかけてきた。
「先日はうちのお嬢さんがお世話になりました」
そう言って会釈した堀川国広に、山姥切は彼らがどこの本丸の男士か気づいて、ああ、と答えながら青江に目線を送る。
その意味に気づき、青江はほほ笑んだ。
「それじゃあはじめまして、か。これからよろしく」
「こちらこそよろしくお願いします。……あの、そちらの大倶利伽羅さんはケガ、大丈夫でしたか?」
「特に問題はない。そちらもさっきの試合、勝ったようで何よりだ」
兄弟と同じ顔のはずなのに、別の本丸の男士というだけでこうも感覚的に違うものなのだろうかと山姥切は訝しく思いながら、なるべく警戒心を表に出さないように努めていたが、けれどどうしても壁を作ってしまいそうになる心情を彼自身で持て余していた。
それに堀川が気付いたようで、彼はどこか気まずそうに眉をさげた。
しばし沈黙が四振りの間を巡りまわる。
「一つ尋ねたいんだが」
沈黙を破ったのはへし切長谷部だった。青江が手振りでうながす。
長谷部は堀川を見て、咳払いをすると少し言いづらそうな表情を見せた。
「もし。もしもの話だが、そちらの大倶利伽羅とうちのお嬢さんが結婚するような流れになったとき、そちらの主は問題ないのだろうか」
お嬢さんはいずれ新たな本丸の主となる。
もしも結婚をしたら大倶利伽羅は彼女の本丸に入ることになるが、手放すことでそちらに大きな影響はないのだろうか、と。
そう尋ねる長谷部を山姥切は見やり、そして何気なくだが青江に視線を向けて思わずぎょっとした。
笑みが消えていた。普段から笑みを浮かべている男の顔からそれが消えると、とたんに底知れなくなるようで、山姥切はここで最悪抜刀騒ぎになりやしないかと内心で焦った。
そんな山姥切の慌てぶりを知ってか知らずか、青江は手にしているボトルに視線を落とす。
「問題、か。まあ問題は大有りだと、少なくとも僕は思ってはいるけどね。けれど主が……あの子が決めたことに僕たちは結局従うしかないのさ」
青江の答えに山姥切は戸惑う一方で安堵し、そして堀川国広とへし切長谷部を見ると彼らも戸惑った様子を見せていたので、そろそろ戻ろうと青江をうながした。
彼らも、それじゃあと会釈して立ち去る。
それを見送って、山姥切は気遣わしげに青江を見やった。
「青江……」
「ああ、すまない。僕としたことが、まったく」
「いや、だが俺が言いたかったことだったかもしれない。戦力的には何も問題はないんだろうが」
「どうしようもないよね、あの子は本当に」
やれやれと青江は肩をすくめ、さあ戻ろうかと笑った。
山姥切国広にうながされ、大倶利伽羅は控室を出た。
先ほど二戦目が終わったが、次の三戦目までだいぶ時間があるため、休憩時間を使ってこれから例の女性と会うことになっている。
大倶利伽羅の前を主である審神者が、その横を山姥切国広が並んで歩いていたが、休憩所までの道のりで彼ら三人の間に会話はなく、そして主が彼を振り返ることは一度もなかった。
「あの、前は私の事ばかりだったので、今度は大倶利伽羅さんのことを教えてもらえたらなって……思いまして」
自分のことを話してほしいと言われても、大倶利伽羅には話すことなど何もなかった。
この女性と一緒にいるのが苦痛というより、どう振舞ったらいいかわからずにいる。
意地になって、気が変わったからと会うことを決めたものの、結局後悔しきりの自分が腹立たしかった。
「あんたの父親のところにも俺がいるなら、知る必要はないんじゃないか」
「いえあの、父のところの彼は……なんていうか、ちょっと審神者の間で知られている大倶利伽羅とは違うみたいで……!」
本丸ごとの個体差、というものなのだろう。だがそれを深く追求する気にはならなかったので黙り込んだ。
困惑している様子の彼女に、大倶利伽羅は前回も感じた罪悪感に眉を一瞬寄せたが、だからと言って口を開く気にはなれない。
そもそも、話すほどに何を持っているわけでもない。思わずため息をつく。
「俺のことなど、話したってつまらんだけだろう」
そう答えれば、彼女は、ならば自分が質問するのでそれに答えてくれたらと言った。
「えっとじゃあ定番どころで、好きな食べ物とか?」
「それを訊いてどうするんだ」
「え……あ、いや何かなーってちょっと気になるっていうだけで、別に深い意味は」
「だったら特にはない」
「あ、はい」
肩を落とす彼女をしり目に、大倶利伽羅はそういえば自分にはこれといったものがないことに気づいた。
何かを食べて美味しいや不味いはあっても、それが好きか嫌いか、というところにまでは至らない。
元々食べ物に限らず何かに執着したり、こだわるということがあまりなかったせいもあるだろう。
けれどふと、ああそういえばと思い出した記憶に、好き嫌いの範囲を超えて残っているものがあった。
ある時、主の買い物に同行した帰り、まんじゅうを渡された。
それ自体は何の変哲もない、いたって普通のものだったのだが、立ち寄った店でちょうど最後の一個だったから買ったのだという。
渡された理由がわからずにいると、主は買い物に付き合ってくれたお詫びだと言った。
付き合わせちゃってごめんなさい、とほほ笑みながらも申し訳なさそうな主の表情にどうしてか表現しがたい感覚に陥って、個包装の袋を破るとまんじゅうを二つに分け、半分を主の口へ突っ込んだ。
驚いた様子にかまうことなく残り半分を食べ、ふと見ると、噛んで飲み込んだらしい主と目が合った。
詫びなんて必要ないと告げた彼に、主は、ここのはいつもおいしいねと照れたように笑っていた。
「じゃあ質問変えます。非番とかお休みのときは何して過ごしてますか」
問われて浮かんだのは、一人で何をするでもなくぼんやりしているとどこからともなく猫が現れた時のことだ。
すり寄ってくる体を撫でていたらもう一匹猫が現れて、その後を追っていたらしい主が来た。
主いわく、休憩しているところに現れた猫を撫でていたが、急にどこかへ向かっていくその後を思わずついてきたらしい。
せっかくの休みを邪魔しちゃうからと踵を返そうとする主の腕を掴んで、別に構わないと告げれば、困惑しながらも留まった主と共に猫を撫でる穏やかな時間は心が安らいだ。
「なにも。わざわざ何かする必要があるのか」
「そう、ですか……」
沈んだ様子で答える彼女にやはり罪悪感が刺激されないでもないが、それでも浮かんだ記憶やそれに至るすべてのことを話す気にはなれなかった。
これは自分だけの記憶だ。
「訊きたいことはそれだけか」
彼女は顔を上げ、戸惑い焦ったように視線を動かす。
「あ、えっと、その……あの、あなたにとって今の主さんってどんな存在なのかなって……!」
訊かれた瞬間、無意識のうちに眉をひそめていた。
「あ、ごめんなさい。えっと深い意味は、なくて……」
彼女は彼の表情に気づいて気まずそうに唇を引き結ぶ。
大倶利伽羅は彼女から視線を逸らし、黙り込んだ。
目の前の女性に対する罪悪感、戸惑い、自分への憤り、主への募る想い。
それらが混ざり合って、自分の中にあった思いが確実に形を変えていることに気づかずにはいられなかった。
修行から戻った後、そばにいてほしいと主に望まれ、手を差し伸べられた。
最初は、いくさに誰よりも多く連れて行くという言葉に乗った形でしかなかった。
そこにどんな思惑があろうと、約束を違えなければ、刀として存分に使われるのならそれでいい、と。
だから、主が望んだことに応えているだけに過ぎないのに周りから恋仲になったのだと言われてもよくわかっていなかった。
二人だけのささやかな時間を過ごすようになって、気がついたらそれ以上を望むようになっていた。
自分だけでいい。主に使われ、戦いに送られ、癒しを与える手を伸ばされるのは。
自分だけをそばにおいてほしいと望んだ。自分一人だけで充分なはずだ、と。
ひたすら戦えば、いずれそれを証明できるのだと信じてさえいた。
だから手紙を差し出され、会ってみないかと勧められた時、自分が抱いていた思いを主に見抜かれたのだと思った。
主が望んだのは、他の刀の誰よりもそばにいてほしいというものであって彼一振りだけを望んだのではない。主の口からそんなものは望んでいないと否定されることを、それどころかお前はもういらないと背を向けられることを何より恐れた。
結局どれだけ戦っても、主にとっては数ある刀の一振りでしかないのだと突きつけられてしまった。
「主だ。それ以外に、何もない」
共に過ごした記憶が、主から渡された想いで埋まっていた心を揺り動かして彼に認識させていた。
やはりこの心に、もう他の思いを受け入れる隙間などありはしない、と。
これから先、もう手を伸ばされることはないのかもしれない。
それでもこの心を抱えて別の場所を見つけるなど、自分には出来ないとようやく気づいた。
戻る