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そばにいて、名前を呼んで-5-

気がつくと、大倶利伽羅は控室に戻ってきていた。彼女にどう告げて休憩所を後にしたかはわからない。
中に入ると主である審神者しかおらず、他の誰も見当たらない。

戻ってきたことに気づいた主は驚きながらも、彼女はどうしたのかと尋ねてくる。
それに眉を寄せ、大倶利伽羅は腕を伸ばしてその体を抱きしめた。
待って、と抵抗されたが強く抱き込んで、待てないと返す。

「あんたじゃないと意味がない。他の誰よりも、俺をそばにおいてくれ」

抵抗に身じろいでいた体が動きを止めた。
「……あんたに望まれた時、どんな理由でもいいと思っていた」
どんな思惑があろうと、自分が強くなれるのなら関係ない、大した問題ではなかったはずなのに。
けれどいまこうして抱きしめて、改めて自分自身の心が理解できた。
名を呼んで、視線を向けてほしい。ずっと、手を伸ばせば触れられる距離にいたかったのだと求め、叫ぶ声がしている。

大倶利伽羅、と戸惑いに震える主の声が自分の中にしみ込んでいくのを感じながら、主の肩に顔を埋める。
「でもあんたに会うよう勧められた時、もう俺は要らなくなったのかと考えたら抑えが効かなかった」
真っ先に会わせようとした理由を訊くべきであったし、自分も肝心なことを言葉にしなかったのに、ただ怒りに任せて結果として主を傷つけて怯えさせてしまった。
言葉で伝えることをしていたら、きっと息苦しさに襲われることもなかっただろう。
主に名を呼ばれないことも、その姿を、視線を避けてしまうこともなかったはずだった。

すまなかったと告げる大倶利伽羅に対して審神者は思わず、違う、と声を張っていた。

初めてその姿を見た時から芽生え、育ち、抱え続けた思いはいつしか自分でもどうしようもなくなっていた。
だから、修行から戻った彼がさらに強さを望むのなら、それを自分がどうにかしたいと思った。
きっとその時に自分の中にあった醜い心が大きくなったのだ。

これまでよりも強くなるために、戦いに出してくれる主が必要だという彼の心につけ込んで、そばにいてほしいと望んだ。
他のどの刀よりも、自分のそばにいてほしい。誰よりも、戦いに連れていくから、と。

そう言葉にすれば彼の心が揺らぐのだと本能的に悟っていたのかもしれない。
自分のことながら狡さに嫌悪し、それでもうなずいてくれたことを悦んだ。
だから彼女の思いの手紙を読んで自分の身勝手さを突きつけられると同時に、彼の優しさにつけ込んだ罰が当たったのだと思った。

手紙からは、彼女の大倶利伽羅に対する思いの強さを感じ、素直にかなわないと思ってしまった。
この女性なら、彼を慈しみ、愛し、そして彼が望むように戦いに出してくれるのではないだろうか。
自分のように身勝手な感情ではなく、掛け値なしに心から彼が強くなることを願ってくれる人かもしれない、と。

自分のためだけに、彼の純粋に強さを求める心さえ踏みにじっていたことが恥ずかしくなって会ってみたらどうかと勧めた。
こんな一方的な思いより、彼のためになる選択肢があるのならそれを選びたい。
それが彼へのせめてもの償いになればと、半ば本気で考えていた。
けれど彼の怒りに触れて、指図は受けないと告げられてようやくその狡さに甘んじていたツケを払うときが来たのだと思った。
ごめんなさい、と審神者は目を伏せた。
いらないなんて思ったことはただの一度もなかった。

大倶利伽羅はゆっくりと頭を動かして主と目線を合わせた。
驚いた様子で主が肩を揺らし、そっと視線をそらす。
そうして顔をうつむけて、彼の腕の中から抜け出ようとするのでとっさに手首をつかんだ。
瞬間、主の肩が大きく肩が跳ねる。あの日のことがよぎったのだとすぐにわかった。
「……俺が、怖いか」
尋ねる声が我ながら弱々しい、と彼は内心で自嘲した。
だが主は、怖くないと首を振る。彼の目には虚勢を張っているようにしか見えないが、それでも答えてすらもらえないよりはいいかと息を吐きだす。
いまはこれで充分だ。
「あんたを怯えさせた事実は消えない。なかったことにしてくれとも言わない。ただ、俺の名前だけは呼んでいてくれ」
主の声に振り回されるよりも、その声で名を呼ばれないことの方がずっと苦しくて仕方がなかった。頼む、という言葉は声にならなかった。

そっと、ためらいがちに彼の背中に主の手が触れる。その手はおそるおそるではあるが、彼の背を慰めるように撫ではじめた。
大倶利伽羅の耳元で主が彼の名を呼び、怖くなんてないからと言った。
確かにあの時、あなたを一瞬でも怖いと思ってしまったと口にして、そうさせてしまったのは自分の所為で怖がる資格なんてなかったのだとつづける。
本当にごめんなさい、と声を震わせる主に、大倶利伽羅は抱きしめる力を強くした。

どれだけ抱きしめていただろう。腕の中で主が身動ぎして、大倶利伽羅は抱きしめる力を緩めた。
二人の視線が絡む。肩を揺らして主は恥ずかしそうに視線をさまよわせ、気まずさからか、他のみんなはまだ戻ってこないのかな、とつぶやく。
大倶利伽羅は扉の方を一瞥して、時間にはまだ早いからな、と答えた。
彼を知る者ならその言葉の響きに若干の白々しさを感じ取っただろうが、この主はまだその領域には至っていない。
それより、と大倶利伽羅は主の目をじっと見つめ、首をかしげるようにして顔を寄せた。
触れていいか、というささやきと共に、主の唇を親指で軽く撫でる。
途端に主の顔が真っ赤に染まった。言葉通りの意味では無いことにはさすがに気づいたのだろう。

二人で紅葉を眺めた夜のことを主は思い出してくれるだろうかとかすかな期待を抱きながら彼が見つめると、緊張で体を硬くするのが抱く腕に伝わってきた。
ええと、と声に出して戸惑ってはいたが、主は音がしそうなほど強く目を閉じて、唇を引き結んだまま大倶利伽羅へと顔を向けた。
傍目から見れば、口づけの雰囲気としてはあまり可愛らしいとは言えない。
それでも拒否されるよりはずっとマシだった。
大倶利伽羅は主の頬に手を添えて距離を寄せていく。主のまぶたも唇も震えていた。

ようやく唇同士が触れそうになった瞬間、控室の外から扉にぶつかる音がして、騒ぐ声が聞こえてきた。
主は目を開いて、とっさに顔をうつむかせる。大倶利伽羅は思わずと言った様子で舌打ちした。

先ほど主がみんながまだ戻ってこないことを気にしていたが、その時にはすでに扉の外に彼らがいたことに大倶利伽羅は気づいていた。
扉越しにこちらの気配と戻るタイミングをうかがっていたことに気づかなかったのは主くらいだ。
けれどせめてもう少しくらい待てなかったのか、と思いながら大倶利伽羅が控室の扉を開けると、山姥切国広を始めとした五振りの姿と、足元で黒い狐のくろのすけと鳴狐のお供の狐が取っ組合っていた。
先ほど聞こえたぶつかった音はこの二匹によるものだろう。
「……何しているんだ」
「次の試合のお時間です!それを知らせに来たのに皆さんが……」
「あるじどのの良いところを邪魔をさせるわけにはいきませんので!」

「すまない、あるじ。鳴狐もキツネも止めようとした」
何があったのかと顔を出した主に、落ち込んだ様子で鳴狐が声をかける。
だがそのために皆に様子をうかがわれていたことに気づいた主はうろたえ、恥ずかしくなったようで顔を赤く染めると大倶利伽羅の背に隠れてしまう。
「おやおや、見せつけてくれるねぇ」
「ったく、そろそろ行こうぜ。お前らもいい加減やめとけ」
にっかり青江がほほ笑む一方、同田貫正国が呆れた様子で二匹のキツネを引き剥がす。
「すまない。邪魔をするつもりはなかった」
骨喰藤四郎が申し訳なさそうに眉を下げるので主は慌てて大倶利伽羅の背から離れ、大丈夫だからと首を振る。
「まあ、あとで話す時間くらいいくらでもある。それより主。あんたさえよければ、大倶利伽羅を隊長にしてくれないか」
そう言った山姥切国広に、主も当の大倶利伽羅も目を瞬いた。
編成順の変更は禁止されてはいないので別に問題はない。戸惑いながらもうなずく主に、山姥切は小さく笑った。
「その方がきっと戦いやすいはずだ」

いってらっしゃい、と主の声に送り出され、大倶利伽羅たちは陣を出た。

主は演練ではいつも刀剣男士たちに、いってらっしゃいと声をかけて送り出す。
頑張って、でもなければ、気を付けて、でもない。それが主なりの自分たちへの信頼だと、誰に言われずとも感じていた。
だからこそ勝利してみせる。なんであろうと手を抜くことも、一戦目のような無様な姿をさらすつもりもなかった。

そして勝利判定をもらって戻ってきた大倶利伽羅たちを、おかえりなさい、と主が笑顔で出迎えた。

さらに四戦目、五戦目と続いて勝利したことで高揚した気分を抱えながら、彼らは本丸への帰途についていた。
表情には出していないが、高揚感を抱えているのは大倶利伽羅も同様で。
五振りから少し距離を置いて歩くその隣に主が並んで歩いている為もあるだろう。
会話はないものの、二人にはそれで充分だった。伝えたかったことはお互いに伝えた。
ふと大倶利伽羅が隣を見ると主がじっと見つめる視線にぶつかり、足が自然と止まった。
「どうした」
何かを伝えたそうに主が小さく手招きをする。訝しく思いながらも望み通りに距離を寄せてやると、主は大倶利伽羅の耳元でささやくふりをして、頬にかすめる程度の口づけをして勢いよく離れた。

「……」
主を見れば、自分でしておきながら顔を真っ赤にしていた。
目をそらし、どうしても我慢できなくて、とつぶやく。
その言葉を理解したとたん、大倶利伽羅は柄にもなく動揺してしまった。
頬に熱が集まるのがわかってとっさに手の甲を当て、視線を逸らす。
大したことをされたわけではなかったのに動揺していることへの悔しさ、本丸に戻るまで我慢をしていようと思っていたのによりにもよって主にそれを台無しにされたことへの苛立ちを感じ、おい、とかけた声は剣呑なものになってしまった。

「戻ったら覚悟しておけよ。あんたから仕掛けたんだからな」

――俺から逃げるな。

大倶利伽羅のその言葉の意味と表情にさすがに頭の足りない主でも気づかないわけにはいかなかったのか、短く悲鳴を上げ、赤い顔のまま駆けだした。

「おいどうした!?」
駆け抜けていく主の姿に山姥切国広がぎょっとして、にっかり青江は大倶利伽羅を一瞥して愉しげな笑みを浮かべた。
「仲良きことは何とやら、かな?」
「俺はなんにも見てねーぞ」
はあ、と同田貫正国がため息をつく。
頼むからいちゃつくなら帰ってからにしてくれ、と吐きだした声には疲労がにじんでいた。
「行くよ、キツネ。あるじを追わないと」
またどこで派手に転ぶかわからない、と鳴狐は駆け出し、骨喰藤四郎は彼らに追いついたかたちの大倶利伽羅の横に並ぶと、本丸の中でも静かに過ごせる場所を教えた。
常々、鯰尾藤四郎と共に主と大倶利伽羅のことを見てきた彼がこうして声をかけるのは、大倶利伽羅が例の女性と会っている間の主がひどく落ち込んでいるのを見ていたからに他ならない。
今回のことがなければ、ただ見守るだけにしていただろう。
「たぶん、鶴丸国永も知らない場所だ」
「……そうか」
「俺も主を追いかけてくる」
そう言って駆け出す骨喰藤四郎の背を見送り、大倶利伽羅はため息をつく。
軽く悪態をついて、鶴丸国永に気づかれる前に主を連れて骨喰が教えてくれた場所に避難することにしようと決めた。

動揺させられた仕返しを、存分にしてやらなければ――。


※このあと仕返しができたとは言っていない。

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