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そばにいて、名前を呼んで-3-

「主、本当に良いのか。今回は顔合わせだが、もしこのまま話が進んでしまったら、大倶利伽羅がいなくなるかもしれないんだぞ」
山姥切国広の声に、もしそうなっても本人が決めたことだから、と口にしながらも審神者は顔をうつむけずにはいられない。
父娘と、彼らに同行していた父親の初期刀である加州清光はいましがた帰り、彼らを見送って部屋に戻って腰を下ろしたところでずっと付き添っていた山姥切が尋ねてきた。

まだ今日は顔を合わせて話をしただけで正式なものではないが、彼はこのまま話を進めるのではないかと思った。
いつのまにか庭に出ていた二人の姿はとても絵になっていて、そして大倶利伽羅の雰囲気は遠目からもはっきりとわかるほど柔らかかった。
その姿を思い出すだけでも酷く胸が痛い。
膝の上で握りしめた拳が震えたが、これも仕方のないことだと、ぐっと握り直す。

大倶利伽羅と相手女性を二人残したあと、審神者は別室で彼女の父親と少し話をした。
娘の突然の申し出については申し訳ないと父親は謝罪とともにこの話を強要するつもりはないとも言っていた。
どうにも暴走しがちな娘でと厳つい顔に申し訳なさそうな表情を浮かべる父親に、なんと反応してよいものか戸惑いつつ、本人に任せることにしていますからととっさに答えたがそれは決して嘘ではなかった。
会ってみることにしたと決めたのは彼で、それが彼の答えなのだと思う。
ならばそれに異議を唱える資格など自分にはない。

あの日。自分を見下ろしていた彼の目に恐怖を感じてとっさに拒否し、よりにもよって助けを呼んでしまった。
彼は最初から今回の話を拒んでいたのに、手紙を受け取らせようとしたり、会ってみるよう勧めたから罰が当たったのだ。
彼が怒るのは当然のことだったのだと今さら気づいたところでもう遅い。

指図は受けないと、はっきり告げられた。彼にとってはもう自分は主ではなくなったのだろう。
だから彼が決めたのなら自分はそれを受け入れるしかない。
それが自分に出来るせめてもの償いだ。

「……まあもし成立したとしても、戦力で言えば大倶利伽羅が抜けたところでガタ落ちするわけじゃないか」
突き放したような山姥切の物言いに、審神者は顔をうつむかせたまま肩を震わせた。
確かに彼の言う通り、戦力として見れば大倶利伽羅の離脱はさほどこの本丸にとってダメージにならない。
新たに顕現された刀剣男士たちも練度を順調にあげているし、修行を経た男士たちも同様だ。
彼と親しく付き合っているなじみの男士たちは寂しく思うかもしれないが、それもそう長いことではないだろう。

そうだね、と答えながら審神者は思う。
もし彼がいなくなることで支障が出るとしたら自分の気持ちの問題だけでしかないのだろう、と。

「なあ、主」
ため息と、次いで呼ばれて顔を上げると、山姥切は審神者をいたわるようなまなざしで見ていた。
握りしめた拳に彼は手を重ね、そっとつかむ。
「俺が心配しているのはそんなことじゃない。あんたの気持ちはどうなる?あいつの、大倶利伽羅の気持ちは……後悔しないのか?こんなことで手放して、あんたは本当にそれでいいのか?」

修行から戻った彼に対して、それまでの思いが募った結果、気持ちをさらけ出していた。
誰よりもそばにいてほしい、と。間違いなく自分から望んだことだった。彼に自分への気持ちはないと知りながらそれでも伝えずにはいられなかった。
あるいは、伝えてきっぱりと拒絶されることを願っていたのかもしれない。
なのに優しい彼はうなずいてくれた。かりそめの時間だとわかってはいても嬉しかった。

そんな経緯で今の関係になったことを、山姥切国広にだけは打ち明けていた。
自分と彼が恋仲であるとたった一言、見合い話を断れる理由があるのにそれを出さなかったのは、相手の女性からの手紙に打ちのめされて彼をこれ以上縛りつけることは出来ないと思ったからだ。

唇をかみしめて流れ落ちそうな涙をぬぐったが、溢れて仕方がない。
それでも、これでいい、と途切れ途切れに答えた。
どうせ最初から終わりの見えていた関係だったのだから、みっともなく足掻いても仕方ない。

主、と山姥切国広の悲痛な声は、聞かぬふりをした。


「綺麗な子だったね。話が弾んでいたようだけど、次の約束はしたのかい?」
「……別に」
燭台切光忠の問いに答える大倶利伽羅の反応はいつもと変わらず素っ気ない。燭台切は苦笑しながら、自分と大倶利伽羅用にお茶を淹れた。
「別にって。でも主から聞いたよ、今度演練場で会うことになったって」
「……」
「気が変わったのはどうして?」
「何がだ」
「会ってみることにした理由だよ。気が変わったってことは最初はそのつもりなかったんだろう、主から勧められても」
大倶利伽羅は無言でお茶を飲む。燭台切も一口飲んで、そっと息を吐く。
「主と喧嘩したからじゃないかって鶴さんは推測してるみたいだけど」
「別に、喧嘩はしていない」
「じゃあどうして会ってみようってなったんだい?」
「答える必要があるのか」
「もちろんないよ。でもはっきりしないうちは何度も訊かれるかもしれない。伽羅ちゃんにとっては煩わしいだけじゃないかな」

まるで幼い子に言い聞かせるようだと燭台切自身思いながらも、慎重に探りを入れる。
太鼓鐘貞宗は彼を指して拗ねていると言った。確かにいまこうして見ていると拗ねているようにしか感じられない。だがだとしてもそうなる理由があるはずだが、それがわからない。

これは当事者同士の問題で、本当は周りがあれこれ言うことではないと燭台切とてわかってはいる。
主が手紙を理由に会うことを勧めて、それに大倶利伽羅が素直にうなずいたとしてもそれは彼らの選択だ。
多少なりとも複雑な思いは抱えつつも、自分たちはそこまで気にすることはなかっただろう。

だが大倶利伽羅はこの数日、主を出陣の時以外は明らかに避けていて、それに本丸中が気づいていた。
もし彼女の気持ちに応えるためではなく諦めさせるためにただ一度会ってみるだけなら、二人がお互いを避ける必要なんてないはずだ。
燭台切を始めとして刀剣男士たちが気にしているのは、お互いがお互いを避けているというその一点だけだった。

伽羅ちゃん、と燭台切は黙り込む大倶利伽羅をいたわるように呼んだ。
「君はさっき喧嘩はしていないって言った。ならどうして距離があるんだろうって気になるんだ」
「……どうだっていいだろう。余計なお世話だ」
「余計なお世話だってのはよくわかっているよ。でも僕は君の傷ついている顔をこれ以上黙って見てはいられない」
「放っておいてくれ。俺はもう……」
そう返した後、傷ついた顔などしていないと否定するべきだったと大倶利伽羅は気づき、舌打ちをした。
それに否定したところでこの男には通じない、と本能的な部分で認めていた所為もある。

燭台切は、黙り込んでしまった大倶利伽羅を辛抱強く待った。
やがて諦めたように息を吐いて、どうせ、とどこかなげやりな様子で口を開いた。
「あいつは俺がいらなくなったから、会うことを勧めたんだろうよ」
「いらなくなったって、まさか主がそう言ったのかい!?」
大倶利伽羅は力なく首を振る。違うのか、と燭台切は安堵の息を吐き、しかしだとしても彼がそう感じるような何かがあったのではないかと思うと、気が気ではなかった。
彼がこんなにも弱った様子でいる姿などめったにないこともあってか尚更だ。

「主が伽羅ちゃんをいらないと思うなんてないんじゃないかな」
「だが他に理由があるのか。そうじゃないなら、勧めないはずだ」
「それはわかるけど、じゃあなんで会ってみることにしたんだい。気が変わったってことは最初はそのつもりなかったんだろう」
最初に訊いたことをもう一度尋ね、燭台切はじっと大倶利伽羅の様子をうかがう。
大倶利伽羅は視線を逸らし、そうして唇を引き結んで眉を寄せた。
しばらく沈黙が辺りを支配して、肝心な部分はやはり黙ってしまうのだろうか、と燭台切がそっと息を吐き出した時だった。

「会わせようとするのは、あいつにとって俺が不要だから、もういらなくなったからじゃないか。そう考えたら」
怒りに駆られて主にひどいことをしてしまった。そう言って、大倶利伽羅は顔をそむけた。
「伽羅ちゃん……」
「主に怯えられて、拒まれた……ならもう俺はそばにいたって意味がない」
「だから会うことにした?」
大倶利伽羅はうなずき、燭台切はゆっくりと息を吐いた。
「本当にいらないと思って君に勧めたのか、主には確かめてないんだね」
うなずきも否定もしなかったが、その沈黙が充分に答えだ。
「確かめるのは怖いよ。僕だってきっと怖くなる。でもそれは杞憂じゃないかな」

太鼓鐘貞宗はおそらくこの事情を知らないでいるために表面的な態度を見て、拗ねていると言ったのだろう。もし知っていたらそんな表現はしなかったに違いない。
彼はそう言った気遣いの出来る刀なのだから。
だがそれにしても思っていた以上に深刻な事態だ、と燭台切は息を吐きだし、痛ましく思いながら大倶利伽羅の肩にそっと手を置いた。
「今からでも遅くないから主に訊いておいでよ。でないと後悔するのは君だ」

大倶利伽羅は何も答えなかった。


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