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そばにいて、名前を呼んで-2-

「しかし突然会ってみる気になった、なんて聞いた時は驚いたが……」
とうとうその当日か、とつぶやく鶴丸国永の手元には、例の見合いを望んできた女性の写真があった。

大倶利伽羅が主に呼び出されたその翌日には、もう彼の元に相手の釣書とこの写真が届いたときの驚きは、おそらく今までにないものだったと鶴丸は思い返す。
常々周りに対して驚きをもたらすことに腐心する自分がああも驚かされるとは、と悔しさすらあった。
しかしどうしてこんな状況になったのかと、きっかけを知っても理由に納得がいかない。

送られた手紙もつき返して、興味ないと頑なだった。
恋仲である存在がいるのだからそれは理解できる。
なのに突然、大倶利伽羅は気が変わって女性に会ってみることにしたというのだ。
一体どんな心境の変化があったというのかと驚き、本人に尋ねてみても、気が変わった以外の理由があるのかと冷淡に返されるだけで、納得できる答えは得られていなかった。

その後に山姥切国広から、今回は正式な見合いではなく単なる顔合わせだと聞いたが、だからといってそれが何の慰めになるのかというのが鶴丸の正直な思いだった。
他に事情を知っていそうなのは主くらいなものだろうかと尋ねて、鶴丸は心底驚いた。
ほかならぬ主自身が、大倶利伽羅に彼女に一度会ってみたらどうかと提案したのだという。

それを聞いて鶴丸は驚いたし、呆れかえりもした。きみと伽羅坊は恋仲のはずなのに何をやっているんだと言葉にもした。
自分たちは恋仲なのだと、一言相手に言えば済む話ではないか、と。
そう言った直後に主の顔が強張ったのを見て、鶴丸は自分が手を伸ばしすぎたのだと悟り、首を振った。
その一言で片付くのなら主はそうしただろうに、そうではない時点で察するべきだったのだ。

鶴丸はため息をつき、本人が決めたことなら周りがあれこれ言っても仕方がないな、とその話を終わらせて主の元を後にしたが、納得できない気分は残ったままだった。

それから日が経ち、見合い、もとい顔合わせ当日となった。
場所はこの本丸で、相手の父娘がこちらを訪れることになっていて先ほどこんのすけが迎えに出たところだ。

鶴丸は写真に視線を落とす。一言で言えば美人の女性だ。
目鼻立ちが整っていてハッキリとした物言いをしそうな勝気な表情は、鶴丸から見ても決して悪くはない。
実際に顔を見ないことには何とも言えないが、いずれにしても大倶利伽羅と並ぶ姿も絵にはなりそうではあった。
それでも、彼の隣に並ぶのは別の姿であってほしいと願うのはこの本丸に顕現したからだろうかと思い、ため息と共に写真を伏せて、そうして燭台切光忠を振り返った。

「で、伽羅坊の支度は出来てるのか?」
「さっきね。気乗りしない顔だったけど」
「なんだよ伽羅のやつ、まだ拗ねてんのか?」
呆れたとばかりに太鼓鐘貞宗がため息をつく。
会ってみることを決めたのは自分なのだから表面だけでも取り繕ったらどうなのか、と太鼓鐘は容赦がない。
というより会うことを大倶利伽羅が決めてから、どうにも彼の言動にはトゲがあった。
主もどうかしているが伽羅もどうかしている、と。
「まあそう言わないであげなよ。伽羅ちゃんだって考えがあってのことかもしれないし」
燭台切は苦笑して、もうそろそろ来る頃だろうと湯呑や急須、茶菓子などの用意を始める。
それを眺めやって太鼓鐘はため息をつき、つぶやいた。
「みっちゃんは伽羅に甘すぎるんだよ」

大倶利伽羅は支度を整え、壁にもたれて片膝を立てた格好で腰を下ろしていた。
支度とは言っても普段の戦装束で、ただ戦場ではないため籠手や草摺などの武具は外している。
だがどうにも心許ないのはこれからを考えてだろうか、それとも。
いま唯一頼りとなる自らの本体を肩にもたれかからせて強く握りしめた。

目を閉じれば、耳の奥であの日の主の声が響く。
助けてと恐怖に震え、そしてとっさに一番信頼する刀の名を呼んだ、忌々しい声が。

抵抗して暴れる体を抑えるために馬乗りになって、口を覆っていた手であごをつかんで唇を塞ごうとした。
こんな状況で初めて口づけることになるなど彼は望んでいなかったが、怒りに突き動かされていたこの時はそんなことすら考えが及ばなかった。
だが触れる寸前、主が抵抗して彼のものではない名を呼んだ瞬間、大倶利伽羅はまるで熱いものにでも触れてしまったかのように勢いよく離れた。
なかば唖然と組み伏せた体を見おろしながら、急激に心が醒めて、虚無感にとってかわっていくのを他人事のように感じていた。

主が、彼から視線を逸らした。その拍子に目じりから涙が流れ落ちる。
その瞬間、自分は捨てられたのだと思った。
もうお前はいらない、と背を向けられた気がした。
思いを受け取らせておきながら身勝手なことだと、そんな怒りすら湧いてこなかった。

誰よりも戦いに連れていくと言って、他の刀の誰よりもそばにいてほしいと望んだのは主だったはずなのに。
だから彼は、どんな敵だろうと斬って、斬って、斬り倒してきた。
戦場に送り出される代わりに恋人としての振る舞いを望まれているのなら、そうあろうとしてきた。
それなのに――。

気が変わったという理由で会うことを決め、山姥切国広にそれを話して主に伝えるよう頼んだ時、たまたま居合わせた太鼓鐘貞宗が、何を考えているんだと大倶利伽羅をなじったが彼は取り合わなかった。
言われなくてもそんなことは自分が一番わかっていたし、ほとんど意地になっていた。
主に望まれないのなら、いらないと背を向けられるのなら、ここに自分のいる意味がない。
ならば別の場所を見つけるだけだ、と。

これでいい、と大倶利伽羅は自分に言い聞かせる。もう決めたことだ。

部屋の外に気配を感じて伏せていた顔を上げる。呼びに来たらしい山姥切国広の声がした。


主である審神者と、そして相手女性の父親である審神者との間で一通りの挨拶が終わると、あとは二人でと客間に大倶利伽羅と相手の女性だけが残された。
しばらく沈黙がその場を支配していたが、ふいに女性が、素敵な庭ですね、と視線を向ける。
つられるように大倶利伽羅も庭を一瞥すると、つい先日の記憶が脳裏をよぎった。

それは、修行から戻った男士の帰還祝いと称して大広間で鶴丸国永主催で宴が開かれた日の夜のこと。
酔いつぶれない程度に一人で静かに飲んで、それから抜け出た大倶利伽羅は最初、部屋に戻って眠るつもりだった。
けれどふと、その宴の最初に顔だけ出してすぐに部屋に戻った主のことが頭に浮かび、顔を見たいと漠然とだが思った。自分で思っていた以上に酔っていたのかもしれない。
足は自然と主の部屋のほうへと向かっていた。

ふいに足を止め、視線を向けた庭はちょうど紅葉が灯篭の明かりに照らされて、燃えるような鮮やかな色を魅せていた。
そして池にかかる朱色の橋の上で一人たたずんでいる主の姿を見つけ、引き寄せられるように庭に足を運び、部屋に戻ったんじゃなかったのかと声をかけながら近づけば、主は紅葉の美しさについ足が向いたのだと振り向いてほほ笑んだ。
普段ならたとえ見知った庭でも夜には足を運ばないほどに怖がりの主にしては珍しいことだと思ったが、理由を聞けば納得がいった。
ごく自然にそばに立って、大倶利伽羅は鮮やかな紅葉が池に反射する景色と、それに視線を奪われる主の横顔を含めた光景を見つめていた。
風が色づいた葉を揺らし、ふとこちらを向いた主と視線が絡んだ。
前よりはいくらか意識的に手を伸ばして主の体を抱き寄せる。
互いから目をそらすことができなくなり、引き合うように唇が触れる寸前、先ほどよりも強い風が吹きつけ、二人の間の雰囲気を流していった。

「……」
大倶利伽羅は眉を寄せて庭から視線をそむけた。
そうしてまだ庭を見ている女性を見やる。釣書と共に届けられた写真は一瞥する程度だったが、抱いた印象と実際に差はない。
ただ、写真に表れていた勝気そうな表情は今はなく、緊張していることがうかがえた。
彼女は視線に気づいたのか向き直り、大倶利伽羅と目が合うと困ったように眉を下げて微笑んだ。

「ご、ごめんなさい。いざこうしてお会いすると、緊張してしまって……」
咳払いして、彼女はお茶を一口飲む。息を吐き出して、少し身を乗り出すようにした。
「あの、月並みな質問なんですがご趣味は?」
「……別に、なにも」
「そうですか……」
勢いこんだのがくじかれたようで、彼女は気まずそうな表情を浮かべ、肩を落とした。
大倶利伽羅はさすがにその様子に罪悪感を覚え、あんたは、と口を開く。
「俺は、あんたが知っている大倶利伽羅とさして違いはないはずだ。俺のことより、あんたのことを聞かせてくれ」
「……はい!」
彼女は嬉しそうに顔をほころばせた。


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