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そばにいて、名前を呼んで-1-

「主さま、実はお見合いの話が来ています」

朝食時、突然現れたこんのすけは挨拶もそこそこに用件を告げて、大広間を騒然とさせた。
タイミング悪く飲んでいたお茶を吹き出す者や、箸を取り落したり、おかずをうっかり味噌汁に落とす者、ご飯を詰まらせかけてむせこむ者など様々だ。
「おい、どういうことだ」
普段の彼と比べると低い声で、翡翠のような色の目をひどく冷ややかにして山姥切国広はこんのすけを見下ろす。
内容にしてもタイミングにしても、もう少し考えてもよかったのではないか、と彼の目が告げていた。
すみません、とこんのすけは思わずうなだれた。
この管狐とて忘れていたわけではない。この本丸にとって朝食の時間が特別な場合を除いて特に優先されることを。
忘れていたわけではないが、言い訳をさせてもらえるのならこの日のこんのすけはいまの時間ぐらいしか立ち寄れない程度には予定が詰まっていて忙しいのだ。
それを説明すれば、審神者はわかった、と箸をおいてこんのすけに向き合った。

そうして話を聞けば、それは審神者に対してではなくこの本丸の刀剣男士に対してであるという。
どちらにしても驚きの話であったし、なんだったらこれは某鶴丸国永の仕業かと本人に視線を向けたが、いままでに無いほどの勢いで首を横に振ったのでどうやら違うらしい。
いったい刀剣男士の誰に見合いの話が、と審神者がこんのすけの頭をそっと撫でてやりながら尋ねる。
撫でなくとも話は聞けるが、それでも撫でずにいられないのはこんのすけの毛並みが心地良いからに他ならない。
「は、はい……大倶利伽羅に」
審神者は撫でていた手を止め、ゆっくりと、おそるおそる視線を向けた。

「……は?」
大広間が今度は静まり返り、大倶利伽羅が箸を落とした音と彼の呆然とした声だけが響いた。

そもそも刀剣男士と人間で結婚など出来るのかという疑問が出てきたが、つい最近、女性審神者が刀剣男士と結婚し、かつ現在妊娠中であるというのを聞いたばかりだったことをふと思い出した。
その時はそんなこともあるのかと聞き流していたがまさか身近な話題になるとは。

そんなふうに思い出した審神者だが、その話をこんのすけから聞いた折に、実は審神者同士の結婚と並行して審神者と刀剣男士の結婚も支援することになったということを知らされていた。
残念ながらこの審神者の記憶力は非力なので、そこまでを思い出すことは出来なかったが。

こんのすけが詳細を話す。見合いを望んでいるのはとある男性審神者の一人娘であるという。
先日参加した演練においてその女性は自分が見習いを務める父親の本丸の応援に来ていたのだが、そこでこの本丸の大倶利伽羅を見て一目ぼれをしたということだった。

主よりもはるかに記憶力の良い山姥切国広は、あの厳つい顔で立派な髭の審神者か、と思い出した。
同時に、あの時相手部隊にも大倶利伽羅がいたことも思い出す。
「待ってくれこんのすけ。相手の部隊にも大倶利伽羅がいたぞ。その娘とやらは父親の本丸にいる大倶利伽羅ではダメなのか」
一目ぼれしたのならつまりは顔が理由で、同じ大倶利伽羅なら別の個体だろうと関係ないだろうと山姥切が言う。
それは彼女の父親も同じように言ったらしい。どうせいずれ娘も一人の審神者として本丸の運営を始めるのだから、見知った男士ならばよいだろう、と。あるいは自身で顕現させた大倶利伽羅でも、と。
いささか『大倶利伽羅』という刀剣男士に対して失礼な会話だったがそれはともかく。
だが彼女は彼、つまりはこの本丸の大倶利伽羅でなければダメだと首を振ったという。

「まさかとは思うが伽羅坊、その娘と何かあったのか?何か話したとか」
刀剣男士は、外見に差はなくとも趣味嗜好は顕現される本丸によって若干だが違いが生まれることもあると鶴丸は聞いたことがある。
ならばこの本丸の大倶利伽羅の何かが、その女性の目を惹いた理由になったのではないか。
そうでなければ一目ぼれと言いながら別の大倶利伽羅ではダメだという理由の説明がつかない。
鶴丸の疑問に対して大倶利伽羅は、くだらないと吐き捨てた。そうして主を見る。

「俺がそばから離れていないことも誰かと話をしていないのも、あんたが一番よく知っているはずだ」

大倶利伽羅の言葉に審神者も戸惑いつつうなずいた。
確かにあの演練場では彼はずっとそばにいた。それは部隊長であったためだが、何より彼の性格上、見知った者以外の他者に自分から声を掛けることなど、よほどの理由がなければ起こさない行動だろう。
なので何がその相手の琴線に触れたのか、さっぱりわからない。

結局その話は、突然の申し出に困惑していることを理由に断りを入れることになった。

その一週間後。
第二部隊の隊長であった大倶利伽羅が遠征からの帰還を報告するために主である審神者の元を訪れると、部屋の中には主と近侍の山姥切国広のほかに、姿を見たのはあの朝以来だろうか、管狐のこんのすけがいた。
おかえりなさい、おつかれさまと主からかけられる言葉と引き換えに遠征で獲得した資源を手渡したが、主はどこか暗い調子で、大倶利伽羅はなかば無意識に眉を寄せる。
こんのすけが前に歩み出て、一通の手紙を差し出してきた。
「……なんだ?」
しかしこんのすけはまずは受け取ってくれと言わんばかりに大倶利伽羅を見上げていて、そのまま話を続けるつもりはないらしい。
ため息と共に渋々その手紙を手に取った。
「先日お伝えしたお見合い希望の娘さん本人からの手紙です。必ず本人に渡すようにと念押しをされまして」
大倶利伽羅は眉をひそめる。あの話は断ったはずだ、とこんのすけを睨むと、管狐は耳を垂れさせた。
「もちろん相手方も承知です。ですがその……」
「その娘本人が、せめて手紙を受け取ってほしいんだそうだ」
ため息交じりの山姥切の言葉に、大倶利伽羅は舌打ちをした。

まったく冗談ではない。
顔を見かけただとか一言交わした程度ならともかく、そこにいたかどうかも認識していない相手だ。
あの日の演練場でも相手との試合に集中していたし、周りにいた他の審神者や男士たちのことなど気にも留めていなかった。
ただずっと自分自身と、そして自らの主のために刀を振るっていただけなのに、なんだってこんなことになっているのか。
「受け取るつもりはない。さっさと持って帰れ」
大倶利伽羅はこんのすけに手紙を半ば叩きつけるように返し、部屋を後にした。

それから数日後。非番だった大倶利伽羅は主である審神者から呼び出され、部屋に向かっていた。
今日の近侍である歌仙兼定から主が呼んでいると聞き、そして歌仙はこれから花を生けるのだと生花を手にしていたから、部屋にはいま主が一人のはずだ。
珍しいこともあるものだと思いながらも先日のこともあってか、どうしても警戒心のほうが先に立ってしまい、足取りは重い。
もしこんのすけが居たらとりあえずどんな理由だろうと部屋の外に追い出そうと考えつつ、部屋の戸の前に立つ。
「……俺だ、大倶利伽羅だ」
どうぞ、と許可の声に障子戸を開ける。中には思った通り主である審神者だけで、こんのすけの姿はない。
思わず息を吐いて、何の用だと声をかけながら中に入った。
主は手紙か何かを読んでいたようで、それを文机に置くと姿勢を正した。

勧められた座布団に彼が腰を下ろすと、主は急な呼び出しを謝罪しつつ、一通の手紙を差し出した。
その封筒の柄が先日こんのすけに渡されそうになった手紙と同じであることに気づき、彼は眉を寄せる。
「おい、あの管狐はどこにいる」
今にもこんのすけをどうにかしかねない様子で腰を上げかけた大倶利伽羅を主は慌てて止めて、もうここにはいないと首を振る。
手紙を置いて、必ず本人に渡すようにと念を押して即座に帰ってしまったのだとつづいた言葉に大倶利伽羅は忌々しく思いながらその手紙を突き返した。
「言ったはずだ、受け取るつもりはない。用がそれだけなら俺はもう行くからな」
大倶利伽羅は立ち上がると部屋を出ようとしたが、当然ながら呼び止められた。
主の呼び止める声を振り切れない己の甘さを認識して、彼は腹立たしさにこぶしを握り締める。
せめてもの抵抗に振り向くことはしなかったが、情けない気分でもあった。

主が、手紙は二通届いたと話しはじめた。
もう一通は相手の女性から主である自分に宛てられたものでいまそれを読んでいた、と。
悪い人ではなさそうだ、とつづいた声は震えていた。
大倶利伽羅のことをとても真剣に考えている、とも。

「やめろ」
大倶利伽羅はとっさに口にして振り返った。
主は先ほどの手紙を手にしてそれに視線を落としてこちらを見ていない。

断ってもこうして手紙を出してくるなんてよほどだし、どうせなら一度くらい顔を合わせても。
もしかしたらあなたもこの人を気に入るかもしれない。

あなたを、今よりももっと強くしてくれるかもしれない。

「っ、やめろ!!」
大倶利伽羅は降って沸いた怒りに突き動かされ、その手から便箋をうばうと勢いに任せて破り捨てた。
破れた紙が花びらのように舞う中、唖然とする主の表情が見えたが、それでも怒りは収まらない。
困惑しながら彼の名を呼び、破れた紙切れを手に取りながら、何もここまでしなくてもとつぶやいた言葉は完全に余計なひと言で、彼の神経を逆なでするだけだった。
怒りに駆られるまま腕を伸ばして主の手首を強く掴んで床に押し倒す。
何が起きたのかとっさにわかっていない様子の主の肩口に顔をうずめ、大倶利伽羅は苦しげに言葉を吐き出した。

「うんざりだ……」

一体あんたは俺に何を期待しているんだ。得体の知れない女に会わせて、一体何を――。

それを問いかけて、だが最も聞きたくない答えが返ってきたらと思うと言葉にならない。
大倶利伽羅、と震える彼を呼ぶ主の声が皮肉にも距離の所為でこれまででもっとも近く、注ぎ込まれるように響いた。それだけで頭を揺さぶられたような感覚に陥ってしまう。

やめろ、と叫ぶ自身の声を大倶利伽羅は聞いた気がした。
俺を呼ぶな、という悲痛な叫びを。

ゆっくりと体を起こし、大倶利伽羅は主を見下ろした。
「もうあんたの指図は受けない。俺は俺の好きにする」

主がハッと息を呑んで、震える声で彼を呼ぼうとする口をとっさにもう片方の手で覆い隠した。
名を呼ばれるだけで振り回される自分の頭も心も、それと知らずに振り回してくる存在も、何もかもすべてにうんざりしていた。
こんなことは知らなかったし、知りたくもなかった。

怯えたまなざしの主がせめてもの抵抗として口を覆う腕をつかんで爪を立てたが、彼はそれを意に介すこともなく覆いかぶさった。


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