庭をじっくりと見てみたいので少し歩きませんか、と提案したのは座っていると緊張しっぱなしになるためで、歩けば少しは落ち着くような気がしたからだ。
なので正直言って了承されるとは思っていなかった。
緊張しながら彼の隣を歩く。ヤバいくらいに心臓バクバクしている。え、彼に聞こえてないよね?
てか歩けば落ち着くって言ったのどこの誰!?……あ、私だ。
そんな不安と緊張は、庭の池にかかる朱色の橋に来たら周りの紅葉の美しさで自然と解けていった。
「きれい。父の本丸の庭はもういろいろ改造されてしまって、元の形を忘れちゃって」
それから父の本丸のことや、刀剣男士とのこと、家族の事などいろいろ話した。
「それで秋田君が、ってごめんなさい、私ばっかり話して」
ついやってしまった。私の悪い癖だ。一つのことを話し始めると連鎖的にいろんな話をしてしまう。
「いや」
彼は気にしていなさそうに首を振る。というより本当に気にしていないみたいだ。
ううん、気にしてないっていうより、どうでもいいみたいに見える。
不安とどこか気まずさにあたりを見回し、目についたのは建物の端の部屋だった。障子戸がピッタリと閉まっている。
どうしてか気になってしまって尋ねていた。
「あの、あの部屋って」
「……主の部屋だ」
「そうでしたか。そういえば父と清光君はどうしたのかしら」
そっと時計を確認すれば、庭に来て二十分近く経っていたようでお昼が近い。
確か昼食を一緒にしてそのあとお開きという予定のはずだから、そろそろ清光君が呼びに来るかもしれない。
結局、私のことは彼に話したけれど彼自身のことはわからないままだった。
お開きになったらそれで「さようなら」になってしまうのかな。
できれば次につなげたい。そう考えていた時、彼が口を開いた。
「……どうして俺なんだ」
「え?」
「俺は演練場であんたの顔は見ていない。誰かに見られている意識もなかった。俺である理由はいったいなんだ?」
彼の視線に向き直り、背筋を伸ばした。
「ほんの一瞬でしたけど、あなたが見せた横顔に心を奪われたんです。あんなのは初めてのことで、そのあとの試合から目を離せなかった」
父の部隊の応援をするはずだったのに私はずっと彼を見ていた。
鬼気迫る雰囲気に呑みこまれそうだと思う一方でそれは決して殺伐としたものではなくて、刀を振るう姿に美しさを感じていた。
もっと彼を近くで見たいと強く感じて、試合が終わった時には一気に力が抜けて放心していた。
「だからこうしてあなたに会えて、私とっても嬉しいんです」
それは自然に出た言葉だった。
「……」
風が吹いて、彼の髪を揺らす。紅い葉が池の水面にゆらゆらと舞い落ちる。
彼の視線は葉を追うように池に向きながらもどこか遠くを見る目をしていた。
あなたはいま、なにをみているの――。
憂いを帯びた横顔に惹きつけられる一方で、何か別の不安が頭をもたげるのを感じて、慌てて首を振る。
大丈夫。大丈夫だ。きっと周囲の紅葉が彼の表情を切ないものに見せているだけだ。そう自分に言い聞かせた。
清光君とこの本丸の山姥切国広がお昼だと呼びに来て、私たちは建物に戻った。
向こうの審神者さんと父で話し合ったらしく、私は三日後に演練で彼に会えることになった。
嬉しさと、どうせまたフラれると思っていた皆を見返してやるつもりもあって帰宅後に皆にそれを自慢したのだが、彼らはなぜか演練に同行したいと言い出した。
「え、どうしたの急に」
「だって見てみたいだろ、お嬢が惚れたそいつをな」
「そうそう、どんな奇特、じゃなかったすてきな人かをね!」
「薬研君、乱ちゃん……本音ダダ漏れすぎない?」
なによ奇特なって、それどういう意味よ。
私に会いたいと思うことがそんなに不思議なことだって言うの?
文句を言うと、乱ちゃんはテヘッといたずらっぽく舌を出した。うん、かわいいから許す。
「っていっても、ぞろぞろ引き連れてはいけないでしょ。他の本丸の迷惑になるし」
一応は応援の名目でなら部隊編成とは別に刀剣男士を連れてはいけるけれど、それだって限度がある。精々が数振り程度だ。
「よし、じゃあくじ引きすんぞ!」
薬研君の一声にその場にいた男士たちが歓声をあげて盛り上がった。なんだ君たちそのノリは……。
そしてなぜ誰も次につながったことを喜んでくれないのか。
そして演練場での約束の当日。
試合に出る部隊の編成は隊長に練度上げ真っ最中の三日月さんを据え、長谷部さん、兼さん、堀川君、鶴丸さん、薬研君の六振りだ。
三日月さん以外をくじ引きで決めることを許してくれた父は本当に顔に似合わず優しい人だと思う。
いまは試合相手のかわいらしい女性審神者さんと挨拶してビビらせて彼女の刀剣男士から警戒されてるけど。
そして私と一緒に応援の名目で同行したのは四振りで、伽羅、清光君、宗三さん、乱ちゃんだ。
四人と一緒に観客席に座る。
「そういえばお嬢の言ってた大倶利伽羅さんたちってまだ来てないのかな?」
私の右隣に座った乱ちゃんがきょろきょろとあたりを見回す。
私も周りを見たが、それらしい姿はなかった。
他の本丸の部隊にいる大倶利伽羅を見ても彼とは違うように感じるのは、やっぱり運命の相手だからだろうな。
……などと考えていたら、左隣に座る宗三さんがため息をついて私の頬を容赦なくつねった。
「その締まりのない顔、一緒にいる僕たちが恥ずかしくなるんでやめてください」
「いたっ、いたいって」
父の本丸はまずは一戦目を勝利で飾った。
やったね、と隣に座る乱ちゃんとハイタッチをして喜び合った後、次の二戦目までは少し時間があるので今のうちに何か飲み物でも買ってこようとやってきた休憩所の自販機前。
宗三さん用のお茶、伽羅用の紅茶、乱ちゃん用のフレーバー水のボトルを抱え、自分用のミルクティーを手に取った時、一緒に来てくれた清光君がふいに口を開いた。
「ねえお嬢。本当にさ、お嬢の運命の相手はあの大倶利伽羅だと思ってる?」
「なに、どうしたの急に」
「お嬢の撮った写真見た時はそこまでピンとこなかったけど、あの日実際に会ってみて分かった。あの大倶利伽羅は、お嬢の運命の相手じゃないなって」
「ちょっと……」
「あいつにはもう……いや、あいつの心はもう別のもので埋まってる。表情には見えてなくてもそう思った。ぶっちゃけ、お嬢の入る隙無いよ」
「……!」
そんなの、清光君が勝手に感じたことじゃない。
まだ一回しか会ってないのに、どうしてそうだって言えるの。
今日だってこれから会う予定なのに、なんでそんなこと言われなきゃいけないの。
そう言いたかったのになにも言葉に出来なかった。
ふいに浮かんだのは、あの本丸の庭で見た彼の横顔だった。
どこか不安な気分のまま観客席に戻り、腰を下ろす。
これから別の本丸同士の試合が始まるところのようだが、私は正直それどころではない。
はあとため息をつくと、お嬢、と宗三さんが指さした。
「あれがそうでしょう、貴方の言っていた……」
慌てて顔を上げてみると、確かに彼、大倶利伽羅のいる本丸の部隊が出ていた。
部隊編成は彼を含めて山姥切国広、にっかり青江、骨喰藤四郎、鳴狐、同田貫正国の六振りだけど、どうやら今日は彼は部隊長じゃないようだ。こんのすけに見せてもらった演練場の記録だとここ最近はずっと隊長だったし、あの運命の日もそうだったのに。
だがまあ単なる偶然だろうと思い、彼をじっと見つめた。
清光君はああ言ったけれど、その姿を見ているだけで私はやっぱり嬉しくて仕方がない。
「あっ!」
思わず声に出ていた。慌てて口を手でおさえる。彼が傷を負った。
演練場では一試合終わるごとにすぐに傷が癒えていく仕組みとはいえ、傷を負って血が流れる姿は痛々しくて目を背けたくなってしまう。
けれど審神者になった時の私はそれを当然のように受け止めなきゃいけない。
祈るように両手を握り合わせて試合の行く末を見守った。
そこからの彼は、傷を負っているとは思えないほど、あるいは負っているからこその迫力というか、圧倒されるものがあった。
試合が終わり、勝敗の判定が出る。かろうじて彼のいる部隊が勝って、ホッと胸をなで下ろす。
どうやら部隊のなかで彼だけが重傷で、隊長を務める山姥切国広が彼に肩を貸しながら主である審神者さんが待機している陣まで戻っていく。
その陣は本丸の手入部屋のような機能を持った特殊なもので、そこにいるだけで傷が即座に治ると聞いてはいたけど、それでも心配で思わず立ち上がりかけたのを宗三さんに止められてしまった。
「やめなさい。今あの場に行っても部外者でしかないんですよ、貴方は」
父の部隊と彼のいる本丸の部隊のどちらも試合が予定されていない時間を利用して、私たちは休憩所で落ち合うことになった。
清光君と一緒に休憩所に行くと、彼が、彼の主である審神者さん、山姥切国広と一緒にいるのを見つけた。
「こ、こんにちは……」
近づいておそるおそる声をかけると、審神者さんが気づいて、こんにちは、と頭をさげる。
清光君たちは会釈し合ったが、どうにもよそよそしいというか、あまり友好的な雰囲気とは言えない。
まあ、顔を会わせたのは前回が初めてだったのでそれも当然か。仲良くなれるかどうかはこれからだ。
「どうする、二人だけのほうがいいなら俺は戻ってるけど」
清光君が私に訊いてくる。どうしよう……前回は私が話すだけだったけど、今回は彼は何か話してくれるだろうか。
戸惑いながら彼をうかがうと彼もこちらを見てばっちりと視線が合った。思わず肩が揺れるが、彼はふいと視線を外した。
「っ……」
瞬間、清光君に言われたことが頭をよぎる。
『――あの大倶利伽羅は、お嬢の運命の相手じゃないなって』
『ぶっちゃけ、お嬢の入る隙無いよ』
思わずうつむきかけると、あの、と声が掛けられた。彼の主である審神者さんだ。
自分たちは控室に戻っているのでゆっくり二人で話でも、とほほ笑む。そうして、戻ろう、と山姥切国広の腕を引いて背を向けた。
「一応時間になったら呼びに来るが……まあ好きにしろ」
山姥切国広は彼にそう言って、審神者さんと共に休憩所を後にした。
それを見送る彼の横顔はどこか寂しげで、私は無意識のうちに拳を握りしめていた。
なんだろう。なんだかあちらの審神者さんたちは彼に対して素っ気ないような気がする。距離を感じるというか。
彼が寂しそうな表情なのはその距離の所為?
「じゃあ俺も主のところ行ってるから」
「あ、うん」
清光君がそう言って足早にその場を後にする。
その姿が見えなくなると、二人きりだというのを強く意識してしまって、とたんに緊張感に襲われてしまう。体の前で握りしめた両手にぐっと力を入れた。
「あ、あの。先日は、ありがとうございました。とても楽しかったです」
「……そうか」
「あの、前は私の事ばかりだったので、今度は大倶利伽羅さんのことを教えてもらえたらなって……思いまして」
恐々視線を上げると、彼は私を見ていた。思わず息を詰める。
きれいな金色の目だ。うちの伽羅の目だって同じはずだけど、やっぱり何かが違う。
射抜かれそうな力強さを感じさせながらもその一方で深く引き込まれるような優しげな色。
やわらかいというより穏やかで、どこかつかみどころがない眼差しはなんともいえない不思議な感覚にさせられる。
もしかしたら、私のなかで「運命の相手」というフィルターがかかっている所為かもしれないけど。
「あんたの父親のところにも俺がいるなら、知る必要はないんじゃないか」
「いえあの、父のところの彼はなんていうか、ちょっと審神者の間で知られている大倶利伽羅とは違うみたいで……!」
「……」
「顕現する審神者によって違いが出ることもあるって前に聞いたことがあります。たぶんそれで……だから私はあなたのことを知りたくて……」
前回の勢いでいろいろ話すことが出来た私はどこかへ行ってしまった。
こんなにしどろもどろになるなんて自分でも驚いている。
呆れてしまっていないだろうか、とそっとうかがうと、彼は気乗りしない様子でため息をつく。
「俺のことなど、話したってつまらんだけだろう」
「そんなことは……あ、あのじゃあ、私が質問するのでそれに答えてくれたら!」
彼から話せないというのなら、答えを引き出せばいい。会話というよりは一問一答だけどこの際贅沢は言わない。
わかった、とうなずいてくれた彼にホッとして、私は必死で頭を巡らせる。
まず何から聞こう?前回は定番の趣味を尋ねたけれど、やはりここも定番の質問がいいだろうか。
「えっとじゃあ定番どころで、好きな食べ物とか?」
「それを訊いてどうするんだ」
「え。あ、いや何かなーってちょっと気になるっていうだけで、別に深い意味は」
「だったら特にはない」
「あ、はい」
おかしいな、逆に会話っぽくなっちゃったぞ?でも肝心の答えはそうじゃないというか、なんというか。
「じゃあ質問変えます。非番とかお休みのときは何して過ごしてますか」
これは刀剣男士によって答えは様々だろう。ちなみに父のところの伽羅は貞くんと格闘ゲームでよく競っている。鶴丸さんや光忠さんも時々一緒になって競うと、どういうわけか光忠さんが他の三人をボコボコにしていた。
本人はゲームが苦手と言って憚らないけど、どんなチートなんだ。
そんなことを私が考えている間、彼も何かを思い出しているのか無言で目を伏せている。ややあって彼はこちらを見て口を開いた。
「なにも。わざわざ何かする必要があるのか」
「そう、ですか……」
ハイ終了。これって答えって言える?何かを思い出していたと思ったのは私の勘違いだったみたい。
なんだかだんだん頭が痛くなってきた。
別に思いが醒めたとかではないけど、想像以上に難敵の予感に心が折れそうになる。
他の本丸の『大倶利伽羅』もこんな感じなんだろうか。というかあれが特殊なのか。
なにしろ私の中での大倶利伽羅のイメージが父のところの伽羅で形成されているもので、その落差に混乱して困惑している。
あれも決して人当たりが良いわけではないし、寡黙な時もあるけど、打てば響くというか、会話はちゃんとしてくれるから余計だ。
腹立つことも多いけど、刀剣男士である大倶利伽羅と言い争いが出来るって、ある意味貴重なんだって痛感していた。
これから先、この彼と私の関係が深まることなどあるのだろうか。
それに、彼はなんだか自分の主である審神者さんと距離があるようだし、本丸でうまくやれているのだろうかと心配になった。
余計なお世話だとは思うけど、よく考えてみたら、もし私と彼がうまくいったとして、彼が今の本丸を離れることになってもあの審神者さんにとっては何も問題がないことなんだろうか、と。
私も黙り込んでしまったので、二人の間で沈黙がつづく。
「……訊きたいことはそれだけか」
彼の声にいつの間にかうつむいていたようで慌てて顔を上げる。
「あ、えっと、その……」
何を訊いたらいいだろう。さっきの調子じゃ確かな答えは得られそうにない。
どうしようかと焦っていた私は、うっかり考えなしに口にしてしまった。
「あの、あなたにとって今の主さんってどんな存在なのかなって……!」
訊いた瞬間、後悔した。
それまで静かだけどどことなくつかみどころのない表情を浮かべていた彼が、明らかに不愉快そうに眉をひそめたのが見えたから。
もしかしたら地雷を踏んだのかもしれない。
「あ、ごめんなさい。えっと深い意味は、なくて」
けれど彼がその表情を見せたのはわずかで、何かを考えるように私から視線を逸らす。
しばしの沈黙。そして彼は私に視線を戻し、口を開いた。
「主だ。それ以外に、何もない」
答えとしてはこれまでの質問に対してのそれと大差ないように聞こえるかもしれない。
けれど私は、彼がそう言った時の目を見て、理解できてしまった。
その目に事実を突きつけられてしまった。彼の心のどこにも、私が入り込む隙なんてない、と。
ああ、清光君が言ったことは、本当だったんだ。
観客席に戻ってきた私に乱ちゃんが駆け寄ってきて抱き着いて、背中をやさしくさする。
戸惑いながらどうしたのかと訊けば、なんとなくだよ、と乱ちゃんがどこかいたわるような声で言った。
「ね、お嬢。あるじさんに頼んで、終わったら甘いもの食べにいこうよ」
「あはは……もうそれってなんかやけ食いみたい。それじゃ、失恋確定したみたいじゃん……」
笑って冗談交じりで返したけれど、乱ちゃんは何も言わない。清光君も、伽羅も、宗三さんも何も。
「最初から、ダメだったのかなぁ」
ため息をついて、思わずこぼれてしまった弱音。
その日の試合を終え、演練場を出た私たちは近くの甘味処に寄った。
和洋の種類を問わずいろいろな甘味が楽しめる店で、幸いなことにまだすいていた。人数が多いため個室に案内される。
皆がそれぞれ注文して、しばらくすると運ばれてきたそれにさっそく手をつける。
父も私も甘いものが好きで、その父が顕現させたからなのか、刀剣男士たちも甘いもの好きが多い。
私が頼んだ、抹茶とバニラの二つのアイスが入ったパフェはこのお店でも人気上位のメニューだ。
しかし、いつもならうきうきと食べるパフェは今日ばかりは抹茶アイスが妙に苦く感じられた。
「断られてますからね。まあ手紙一つでその気にさせた貴方の熱意は買いますけど、最初から見込みなかったんじゃないですか」
クリームあんみつを食べながらそう答える宗三さんは相変わらず容赦がない。
これまでも玉砕しても優しく慰められたことなんてなかったから今更だけど、やっぱりつらいものがある。
「というよりお嬢、きみ、あの伽羅坊相手によく攻めていこうと思ったな。あんなの、お嬢の手に負えないぞ」
少し遅れて運ばれてきたお汁粉を食べようと箸を割りながら鶴丸さんが首を振る。
「あんなのって。鶴丸さん、彼と話したの?」
「直接は話してないさ。だが彼の戦いぶりを見ればよくわかる。ほら、一戦目で傷を負っただろう」
「うん……」
「それまでどこか意識が相手に向いていなかった。言い方悪いが戦いに集中していなかった。ところが傷を負って、彼の主がその名を呼んだ途端、雰囲気が変わった。で、あとはお嬢が見たとおりだ」
そう言って鶴丸さんはお汁粉を口にした。
前回の初めての顔合わせの時に彼に、どうして自分なのかと問われたことがあった。
その時は彼が戦闘の時にまとっていた鬼気迫る雰囲気に呑みこまれそうだと、けれど一方で美しさも感じていたと答えていた。
けれど今日のあの一戦目。傷ついて血を流していた彼を包んでいたものは、あの時私が強く惹かれたそれとは少し違っていて。
そして向こうの審神者さんの声が彼を呼んだ瞬間、美しさよりもどこか痛々しい、必死な様子が見てとれた。
私はそれを目の当たりにした時、元々距離を感じてはいたけれど、一層遠くに彼を感じた。
きっと鶴丸さんもそうで、私の手に負えない、というのは間違った結論ではないのだと思う。
「あのさお嬢。前の隠し撮りまだある?」
ビクッと私の肩が揺れる。あんみつを食べていた伽羅が、消してなかったのかと言いたげな顔で私を見た。
だって悪いことだってわかってたけどどうしても消すに消せなかったんだもの。
清光君に端末を渡すと、彼は慣れた手つきで操作し、そして画面にある写真を表示させた。
それは私が奇跡の一枚と言っても過言ではないと思ったやつだ。
「これ、ギリ写ってるの向こうの主だろ。正直、こんな顔見せられて特攻できるお嬢の神経がすごいんだけど」
彼が自身の主である審神者さんに話しかけられている時の横顔。
撮った時はその穏やかで優しげな表情にばかり気を取られていたけど、ああそうか、主の声を聴いているからなのか。
あの後、彼のいる部隊の試合を観戦した。
一戦目、二戦目の部隊長は山姥切国広だったが三戦目から彼が、大倶利伽羅が部隊長となっていた。
編成の順番を変えることも人数を減らすことも別に禁止されてはいないので、それ自体は何か問題があるわけではない。
でも私は気付いてしまった。
だってそこには、私が運命と出会ったと確信したあの日と同じ彼の表情があったのだ。
たとえ死ぬことがなくても手を抜くことはしない、とその力強い気迫が物語っていた。
けれどそれは主である審神者が待つ陣に戻っていく時には、静かで穏やかな表情に変わる。
私が心奪われた強さと穏やかさは最初から、ただ一人、彼の主だけに向けられていた。
「というかそうなると、むしろあの大倶利伽羅が不憫じゃないか?万が一お嬢とうまく行っても構わなかったってことだろ」
「それはどうだろうな。向こうの大将も、大倶利伽羅のことは大事にしていたと思うが」
三色団子についていたお抹茶を飲んで苦そうな顔をした兼さんに対して、フルーツあんみつに乗ったさくらんぼをつまみながら薬研君が首をかしげる。そういえばうちの薬研君はさくらんぼが好きらしい。
「それに、向こうの山姥切国広やにっかり青江の様子を見るに、薬研の言う通りだろう」
父にお茶を淹れ、自分の分も淹れながら長谷部さんが言うと、確かに、と兼さんにお水を渡しながら堀川君がうなずく。
どういう意味かと訊けば、長谷部さんと堀川君は二戦目の試合が終わったあと、父の為に飲み物を買いに行ったそうだ。
そこで会ったのが、向こうの山姥切国広とにっかり青江で。
試合をその目で見ていたので二人はすぐに彼らがその本丸の男士だと気づいたという。
「別の本丸の兄弟ってどんな感じなんだろうって軽い気持ちだったんです。まあ挨拶しないと失礼だというのもあったので」
堀川君が山姥切国広に声をかけ、四人で軽く言葉を交わした。
そこでは特に殺伐とした雰囲気になったりはしなかったが、会話が弾むというわけでもなかったらしい。
「なんていうか、警戒されてた感じかな。敵意ってわけじゃなくて……そしたら長谷部さんが」
「堀川が空気を読みたがっているのは気づいていた。だがはっきりさせておきたかったからな」
長谷部さんが尋ねた。
もし、そちらの大倶利伽羅とうちのお嬢さんが結婚するような流れになったとき、そちらの主は問題ないのか、と。
すると、むこうのにっかり青江が笑みを消して言った。
『問題大有りだと、僕らは思ってはいるけどね。けれど主が……あの子が決めたことに僕たちは結局従うしかないのさ』
「お嬢。はっきり言ってむこうの連中はお嬢を歓迎なんてしてませんよ。諦めたほうがお嬢のためです」
長谷部さんの言葉が私の胸に突き刺さる。
なんとなく、そんな気がしていた。
あの大倶利伽羅が私の運命の相手ではないことに、私自身がどこかで気づいていた。でもそれを認めたくなくて、あがいていた。
「しかし、そうなると向こうの主は一度だけならともかく、どうして今日も会うことを決めたのだろうな。大倶利伽羅を手放す可能性を考えていなかったわけではないだろうに」
三色の白玉が入ったぜんざいを食べ終えた三日月さんがそう言って、お茶を飲んだ。
「え、手紙?」
「はい。あちらの審神者さまからお嬢さま宛てに」
バイトが休みの私はこの日、自室でまだ消せずにいたあの写真を見ながらぼんやりとしていた。
部屋の外からは秋田君や乱ちゃんなど粟田口の短刀の皆がお兄さんの一期さんと鬼ごっこをしているようで楽しげな声が聞こえる。
まあ楽しげと言っても、三十分耐久鬼ごっことかいう、地獄の遊びらしいのだが。
以前一度だけ混ざったことがあるが、私は始まってすぐにリタイアした。あんなの無理。
全力疾走を三十分もつづけるとか体力化け物過ぎでは?
そんなことを考えていたところへ現れたこんのすけは一通の手紙を頭に乗せていた。
こんのすけから手紙を受け取り、気落ちしながら封を開ける。正式なお断りの手紙だと思うと手が震えてしまう。
失恋の痛みはもう少し引きずりそうだ。
だがそれに書かれていたのは謝罪の言葉から始まる、あることの告白の内容だった。
「あーあ、結局また運命の相手じゃなかったのかぁ……」
はあ、と盛大にため息をついて、となりをちらと見やる。
伽羅は私のこれ見よがしなため息を気にすることもなく文庫本に視線を落とし、集中していた。
部屋でぼんやりしていたら、伽羅はいつものように私の部屋に寛ぎに来た。
珍しくゲーム機ではなく文庫本を手にしていて、訊けば三日月さんが興味を持ったので貸してきたのだそう。
三日月さん、ちょっとのんびりしているけど操作とか大丈夫なのかな?伽羅がやるゲームってスピードが要求されるものが多いのに。
そんなことを思いながら、私は床に放置していた雑誌を適当にめくっていた。
秋のデートスポットを紹介するページのきれいな紅葉の写真が目が留まったところで、失恋の痛みに襲われ、私はため息をついたのだ。
無反応でこちらを見ようともしない伽羅にムッとして、あーあ、ともう一度ぼやきながらその背に寄りかかる。
「……あんたな。普段俺に自分の邪魔をするなとかうるさく言うくせにいざとなると何だ」
「だってさぁ」
「あんたが玉砕するなんていつもの事だろ。いちいち慰めていられるか、面倒くさい」
「ひどーい、伽羅が冷たーい」
うわーん、と背中にすがりついて泣き真似をすれば、頭上から舌打ちが聞こえた。
「まったく、それだけふざけていられるならまだ大丈夫だ」
そう言って、伽羅は私を見ないまま器用に頭をポンポンと軽く撫でた。
とたん、じわじわと滲んでいく視界。慌てて目の前の背中で涙を拭いた。
「あ、おい離せ、汚い」
「ちょっと何よ。失恋した乙女の涙が汚いわけないでしょ!?」
抗議する私を引き剥がして、伽羅は私の額を軽く叩いた。結構いい音したな。
「痛っ」
「誰が乙女だ、年を考えろ」
「伽羅たちから見れば充分若い!」
「比較が俺たちの時点で虚しくならんのか、あんた」
はあ、と伽羅がため息をつく。
むむ、と反論の言葉を失い、私は手近にあったクッションを抱え込んだ。自然と息を吐いて、肩の力が抜けていく。
「……向こうの審神者さんね、彼と恋仲だったみたい」
つぶやけば少し間をおいて、だろうな、と伽羅が言った。
「知ってたの?」
「そんな気がしただけだ。あんたが運命の相手を見つけたと言ったあの日、俺は演練場であいつとその主を偶然見ていた」
それは試合で対峙した時ではなくそれより前、休憩所に一人立ち寄った時だったという。
ふと視線を向けた先に審神者さんと大倶利伽羅がいて、何かを話していた。
会話の内容までは聞こえなかったが、ぼんやりと、二人は親密な間柄だと感じたらしい。
別にわかりやすく密着していたとかそう言う事でもなく、けれど雰囲気がそれを伝えてきた、と。
そもそも『大倶利伽羅』が審神者と普通に話していること自体が珍しかったとも。
それをこの伽羅の口から聞くと説得力がすごい。やっぱり個体差どころか亜種では?
若干思考がずれてしまい、慌てて首を振って戻す。
「ってじゃあなんでもっと早く言ってくれなかったの!?」
「その時見た二人がそうだと気づいたのはこないだのときだ。相手の審神者の顔まで覚えているわけないだろ」
「……」
「それに、もし俺が言ったところであんたはどうせ諦められなかったはずだ。違うか?」
「……それは」
私が運命の相手を見つけたというと、どうせ玉砕するんだから早々にやめておけ、と真っ先に言うのは伽羅だった。
そのたびに私は反発するけど、結局はいつも伽羅の言うとおりになった。
それに、清光君に私の入る隙はないと言われた時も、そんなはずないって心の中で反発した。
今回も相手がいるかもしれないと考えながらも、すぐに諦められなかったことを思えば確かにそのとおりだったのかもしれない。
向こうの審神者さんは、私がつづった彼への思いを強いものだと感じたと、手紙に書いていた。
それなのに自分は、自分自身のためにそばにいてほしいと望んで、彼の心を縛り付けた、と。
ただ強くなることを求める彼の心につけ込んだ自分の身勝手さが、私の思いに触れたことで浮き彫りにされてしまった、とも。
彼に会うように勧めたこと。何かの拍子で彼の気が変わって会うことを決めた時、寂しく思いながらもこれでいいと感じたこと。
大倶利伽羅のためだと言いながら結局は自分のためで、彼も、そして私も傷つけてしまったことを申し訳なく思っている、ともあった。
手紙を読んで、謝罪を受け取ったけれど、私には理解できないことだと思った。
どんなきっかけであっても、思いを寄せ、ようやく手に入れた相手を手放そうとするその心が、私にはわからない。
黙っていれば相手にだってわからないのに、あまりに律儀すぎて愚かだとさえ思う。
この人はもっと自分を可愛がっても良かったのではないだろうか。
自分のことだけを考えていたと、あの審神者さんは手紙に書いていたけど、それは皆多かれ少なかれ持っている感情だと思う。
私だってそう。運命の相手だと追いかけたその人にはすでに恋人がいて。
でもその恋人から奪い取る、という発想は出たとしても実行に移すことをしなかった。それは我が身可愛さゆえのもの。
後ろ指をさされたくないし、後ろめたさに、罪悪感に押しつぶされてしまう自分の未来が予想できたから。
その時点で、私の相手への思いはそこまでのものではなかったのだ。
結局皆に言われる、惚れっぽい、というのが私の最大の欠点なんだろう。
だから私にはあの審神者さんは理解できないし、なんだったらとても甘えた人だなって怒りさえ沸いた。
彼に対して望んだことでも、彼がうなずかなければ成立しなかった。
その時点で誰かを傷つけたわけでもない。誰にも遠慮なんてする必要なかったはずなのに。
なんだか彼がかわいそうにさえ感じてしまうともうダメだった。
「伽羅、ちょっと部屋出てって」
これから手紙を書くから見られたくない。相手はもちろん向こうの審神者さんだ。
引き出しからレターセットを取り出しながらそう言うと、伽羅はため息つきながら立ち上がった。
「それはいいが、勢いのまま出すなよ。あとで苦しむのはあんた自身だからな」
うっ、過去の痛いところを的確に突っついてくる。
ラブレターは夜中に書くものじゃないと猛省した一件を今は振り払いながらペンを取る。
これから書く手紙は恋文なんて可愛らしいものじゃない。どちらかというと無礼千万な内容だ。
私が送られたら、何様だコイツと破り捨てたくなるに違いないもの。
それでも、言わずにはいられない。
きっと余計なお世話だ。でも、誰かが言わないときっとあの審神者さんは気づかないと思ったから。
後日。お菓子と共に例の審神者さんから手紙が届いた。
叱ってくれたことへの礼がつづられていて、恥ずかしくなった私はそれを一度読んだだけで引き出しの奥深くにしまい込んだ。
だから言っただろう、とでも言いたげに伽羅がため息をついた。
戻る