飲み会の翌日の本丸の朝は遅い。
参加する者はあらかじめ自室に布団を敷いておくのがこの本丸の飲み会の決まりだ。
それを忘れると酔いつぶれた者は問答無用で廊下に放置されることになっているのだが、どうやら今回は幸いにも哀れな目に遭った者はいなかったようだ。
各々の部屋の戸は閉まって沈黙を保っている。
そんな静かな建物内を歩く一振りの刀剣男士がいた。彼は欠伸をこぼしながら大広間に足を踏み入れて目の前の惨状に眉を寄せ、息を吐き出した。
後片付けや朝食の準備は酔いつぶれなかった者か、飲み会に参加しない男士が担当する。
ただ今回は、年末からの連隊戦が先日終わり、それより前からの怒涛の出陣予定がようやく落ち着いて新しい刀剣男士の歓迎会の夕食も兼ねたものだったので、酒が飲めなくとも全員が参加していた。
そんななかで酔いつぶれる前に席を抜けるようにしている彼がこうして一番に惨状を目の当たりにするのは、もはや当然のようになっている。
一体どれだけ飲んだのかとため息をついて、大倶利伽羅は辺りに散らばる酒の空瓶などを回収していった。
汚れた食器類を抱えて厨に入ると近づく足音がして、おはよう、と主である審神者が声をかけてきた。
手伝うね、と袖を上げて大倶利伽羅の手から半分ほどを取って洗い場に向き直る姿に目立った変化はない。
大倶利伽羅も横に並んで、ゴミを捨てたり、皿の汚れを紙でふき取って洗いやすいようにとしていくなかでふと主が、こうして一緒に台所に立つのはなんだか久しぶりかもしれないと口にする。
「……そうだったか?」
いまいち確信が持てなかったので疑問符がついたが、主はちゃんと覚えてるとうなずく。
貞君が、料理を作ってほしいっていきなり部屋に飛び込んできて驚いたからと主は笑い声をあげ、水切りカゴに立てかけた食器を布巾で拭き始める。
大倶利伽羅も拭いた皿を食器棚に戻しながら、そういえばそんなこともあったと思い出す。
こうして飲み会翌朝に二人で片付けて、そして朝食の準備をした。
起きてくる男士たちのためにご飯をよそったり、おかずを作ったりと忙しく動いて、もう起きてくる男士がいなくなった頃を見計らい、二人とも自分たちの分を用意することになった。
大倶利伽羅が卵焼きを焼く横で、主は自分用に具を入れずに巻いていて、彼はそれが乗った皿と自分で焼いた卵焼きの皿を入れ替えた。
自分用に具無しを作るつもりをしていたからちょうどいいとかなんとか、いま思えば理由としては苦しかったが、主は不思議そうにしながらも追及はしてこなかった。
思えばあれは無自覚ながら嫉妬していたのだろう。
主の料理の味を知っている山姥切国広への対抗心が起こさせた行動だったのだといまならよくわかる。
「そういえばあれから眠れたのか」
主は皿を拭く手を止め、頬を赤く染めながら彼を恨みがましい目つきでじっと見てきた。
なぜそんな表情を向けられたのかわからずに無言で視線を返せば、主はふいと逸らして唇を尖らせる。
大倶利伽羅は朝までいると思ってたのにとつぶやいた声は消え入りそうなほど小さかったが、彼の耳にはしっかりと届いた。
彼は一瞬襲ってきためまいに眉を寄せ、ため息をついた。
「……仕方ないだろ。あれ以上はあんたに無理をさせたくなかった。本当に朝までいたら、いまから眠る羽目になったぞ」
大倶利伽羅の言葉の意味を理解したようで、主は顔を真っ赤にした。
この数か月は出陣に次ぐ出陣で、大倶利伽羅にとっては習慣にしていた主と就寝前に過ごす時間を持つことが出来ない日が何度かあった。
とはいえ戦いに出ずっぱりというわけでもなく、他の刀が戦場に出ている間の本丸の留守をあずかっていることも、遠征に出ることもあった。
新たな刀を本丸に迎え、ようやくゆっくりとした時間が取れたのは年末からの連隊戦が終わって一日経った昨日のことだ。
夕食を兼ねた新しい刀剣男士の歓迎の宴を、彼は頃合いを見て抜けて主の元を訪ねた。
普段なら二人で時間を過ごしていても日付が変わりそうな頃には部屋に戻っているのだが、昨夜はそうせずに朝まで一緒にいたいと告げた。
主は驚いた様子で目を丸くしたが、以前に自分が同じようなことを望んだのを思い出したらしく顔を赤くしながらも確かにうなずいて、大倶利伽羅の手にそっと自分の手を重ねた。
そうして主と夜を過ごした。
日がだいぶ経っていたせいもあってお互いに手探り状態だったが、だからこそ分かち合えた穏やかさと心地良さがあったように思う。
すき間なく抱きしめ合って余韻に浸っているときには、二つの体が溶け合っているかのような錯覚すらした。
だがあまりに穏やか過ぎたからだろうか、一度だけでは物足りなさを感じた。
過ごす時間を作れなかった穴埋めをしたいという気持ちもあったし、なにより彼を呼ぶ主の声や時折慈しむように頬を撫でてくれる温かな手が欲しくて結果として何度も求めていた。
やがて主は疲労のために彼の腕の中で眠りに落ちていった。
彼自身も疲労を感じてはいたものの、無防備にさらされる寝顔や、無意識であろう主が触れてくる手に意識を奪われてなかなか眠ることが出来なかった。
同時に満たされたはずの心が渇きを訴え始めるのを感じてもいたが、さすがにこれ以上主に無理はさせられないと、手を伸ばしそうになる気持ちをなんとか抑えつけて息を吐いた。
無理に眠らずにこのまま主の姿を見ながら起きていようかと考えていると、彼の肌に触れていた主の手がなだめるようにそっと撫でて、寝言で彼の名を呼んだ。
主の夢の中に自分がいるかもしれないという妙な安堵感は気がつけば大倶利伽羅に眠りをもたらしていて、次に彼が目を覚ましたとき、夜明けが近づいていた。
主が起きるまで留まっていたかったが、そうすれば離れがたくなるだろうことは容易に想像がついたので大倶利伽羅は振り切るように布団を出て、静かに部屋を後にしていた。
食器を片付けた後は米を洗って炊飯の準備をし、すべての炊飯器でご飯が炊きあがるのを待つ間、二人は片付けのために大広間に入った。
食器や空き瓶などは回収したが、小さなゴミが畳のあちこちに落ちているし、座卓も斜めに置かれていたりとまだ散らかっているからだ。
大倶利伽羅がいくつもの座卓を端に移動させ、ホウキとちりとりを手にした主が掃いていく。
それが済んだ後は二人で並べ直して座布団を置いて行き、ようやく大広間の片付けが終わった。
「……珍しいな」
いつもの飲み会翌朝であれば、ご飯が炊きあがったタイミングで大広間に男士が現れはじめるのだが、この日は近づく足音や話し声は聞こえず、大広間の外の廊下はしんとしているので二人は顔を見合わせた。
味噌汁もすでに出来上がり、炊きあがりに合わせて焼いた卵焼きからは湯気があがっている。
ふと主のお腹から空腹を訴える音が鳴って、恥ずかしそうにしながらも、冷めちゃったら美味しくないから先に二人で食べようと提案してきた。
作業台をテーブルとして、丸椅子を並べて隣り合って座る。
手を合わせて、いただきますという声が揃ったことに大倶利伽羅は妙な満足感を覚えた。
主が卵焼きを一切れ食べて嬉しそうに顔をほころばせ、今日も美味しいと向けてきた笑顔に、そうかと返しながらも妙な気恥ずかしさを誤魔化すように汁椀を取り上げて口をつける。
味噌汁の具を何にしようかと問われたので、大倶利伽羅はあの時と同じ具材をリクエストしていた。
一口飲んで、そっと息を吐きだす。
使っている味噌は何も変わってないのに、主と二人きりだと言うだけでこんなにも感じ方が違うのかと不思議な気持ちになりつつ、大倶利伽羅は自作の卵焼きに箸を伸ばす。
そういえば、と主が口を開いて、あの時の卵焼きは大倶利伽羅の口に合っていたのかとずっと聞こうと思っていて聞けずじまいだったと言った。
大倶利伽羅が作る卵焼きはそこまで甘くないけれど自分のは少し砂糖が多いレシピだから、と。
ちなみにだが元は主の祖母のレシピであるらしい。
「……美味かったに決まっている。あれ以来、あんたは食わしてくれないけどな」
咀嚼していたのを飲み込んで、大倶利伽羅は当然のように告げた。
さらには、どうせだったら頼めばよかったとも言うと、主は戸惑いを見せる。
おそらく彼がこれほど素直に言うとは思っていなかったためだろう。そんな主を横目に、大倶利伽羅はおにぎりに手を伸ばす。
普段なら茶碗に盛られた白米だが、こんな機会もめったにないという理由で主がおにぎりを握ってくれることになって、具にはおかかが入っている。
「……美味い」
思わずそう言葉にすれば、主は、よかったとほほ笑んだ。
鶴丸国永が欠伸をこぼしながら大広間に入ると、お盆を手にした主がおはようと声をかけてきたので、驚きに目を瞬いた。
飲み会翌朝だろうと関係なくいつも遅めに起きてくる主なのに、配膳を手伝っているなど珍しいこともあるものだ。
「おはよう。珍しいじゃないか」
挨拶を返しつつ、鶴丸は食器棚から自分の湯呑と箸をとると、空いている席に腰を下ろした。
主が手にしていた大きなお盆からご飯の盛られた茶碗と味噌汁の入った汁椀、具入りの卵焼きの皿、漬物の小皿などを鶴丸の前に置いていく。
「相変わらず伽羅坊は早起きみたいだな」
いま大広間に集まっている男士は昨夜見ていた限り、酔い潰れることなく自分の足で部屋に戻っていった者がほとんどだ。ということはまだ半分ほどが布団の中だろう。
そんななかで大倶利伽羅だけはいつも途中で抜けて部屋に戻っていた。
主と恋仲になったあとは顔を見に部屋に行くためでもあるが、それでも主の元で朝まで過ごすことはまだ一度もないようだ。
そろそろ大きな進展があってもいい頃なのではないかと思っていると、その大倶利伽羅が新たに席に着いた男士の元に配膳をしている姿が目に入ってきた。
表情に大きな変化はないが、漂う雰囲気にどこか柔らかいものを感じ取った鶴丸は首をかしげつつ、いただきます、と手を合わせた。
「そういや伽羅坊、きみは朝飯どうした」
「もう済んだ」
鶴丸や、少し遅れて同じ座卓に着いた石切丸の湯呑にお茶を注いでやりながら答える大倶利伽羅の声は先ほど感じた雰囲気同様いつもより穏やかで、鶴丸は目を瞬かせた。
「……なんだ、やけに機嫌良さそうじゃないか。どうかしたのか?」
「別に」
食べ終わったのなら配膳手伝えよ、と湯呑をそれぞれに置いて大倶利伽羅がその場を離れる。
妙に気になる、と思いながらお茶を一口飲んだところで別の席に座った小狐丸と、彼に配膳をする主の会話が聞こえてきた。
「おはようございます、ぬしさま。ぬしさまはもう朝餉は召し上がられたので?」
大倶利伽羅と一緒に先に食べ終わってるから今はお手伝い、と答える主の声に鶴丸はもう一口お茶を飲んで、なるほど機嫌が良い理由はそれかと笑みを浮かべて何かを思案するように目を細めた。
「……冬の肝試しってのも乙なもんか」
鶴丸がつぶやいた声に、お茶を飲んだ石切丸が吹き出しそうになったのを慌てて抑えたためにむせ込むことになった。