大広間の上座にあたるところに置かれた座布団に正座し、彼女は背筋を伸ばした。
「はじめまして。今日からこの本丸の主となりました。どうぞよろしく」
──背筋を伸ばして凛とした雰囲気と表情で彼女はそう告げ、鮮やかに彩った口元を笑みの形にした。
大広間に勢ぞろいしていた刀剣男士の中で彼女の真正面に座していた山姥切国広が、膝の上に手を置いて、まっすぐ彼女を見据えて口を開いた。
「我ら刀剣男士一同、新たな主としてお迎え申し上げる」
よく通る声で彼が述べ、頭を垂れる。その場に勢ぞろいしている刀剣男士たちもそれに倣った。
本丸に顕現しているすべての刀剣男士が戦装束に身を包み、本体の刀を傍らにおいて、彼女に対して頭を垂れた光景はまさに圧巻の一言だった。
その光景に彼女の背筋を高揚感が駆け上っていく。
興奮を表に出さないようこらえ、本当に自分は戻ってきたのだと彼女は息を吐きだした。
彼女のものであった本丸に。
脳裏をよぎるのは、彼女を罠にはめて陥れ、地獄に落とした者たちの顔だ。
この本丸の主であったという前の審神者。
彼女を陥れ、彼女の愛する男を奪った、許しがたい存在。
そしてその前の主に追従して、彼女を直接苦しめた刀剣男士の鶴丸国永。
地獄の苦しみの中で、彼女はやり直したいと願った。
もう一度チャンスが欲しいと誰にでもなく祈った。
憎しみを募らせればそうするだけ苦しみが増す。
それでも彼女は復讐を誓った。
もう一度やり直せたら、今度こそは自分を陥れたやつらの思惑にはまらずに、愛する彼と幸せになってみせる。
そんな彼女の前に現れた真っ黒い人の形をしたそれは、それほどやり直したいのかと彼女に問いかけた。
男とも女とも、老人とも子どもともつかない不思議な声だった。
彼女は手を伸ばして黒いそれにしがみついた。
もう一度やり直したい。
やり直して、あいつらに復讐をしてやる──。
黒いそれは顔は見えないのに口元をゆがめて嗤い、いいだろうと彼女の耳元でささやいた。
『その記憶と感情を持って時を遡行させてやろう。見事復讐を遂げ、お前の望むものを手に入れるといい。だが……もしもやり直していることを、時を戻ったことを誰かに知られたら、その時は失敗したとみなして、代償にお前のその魂は永遠に消滅することになる』
彼女はハッと息を呑んだ。いつのまにか黒いそれは彼女の背後にいた。
『さあ、どうする。このままここで苦しみつづけるか、消滅を覚悟でやり直すか』
彼女の答えは決まっていた。
『では行くがいい。健闘を祈っている』
黒いそれはそう言って彼女をその場に開けた穴に突き落とした。
そうして彼女は時を遡行した。
「……ん、さん……リコさん!」
声にハッとして、彼女は周りを見回す。
「どうしましたか。どこか調子でも?」
そう尋ねてくるのは男性の役人で、彼女は慌てて首を振った。
周りには彼女と同じく実際の本丸で研修を終えたものの、まだ新しい本丸が完成していないために就任できずにいる見習いたちがいた。
彼女はこの日、研修先を世話してくれた政府の役人に呼ばれ、政府庁舎へ足を運んでいたことを思い出していた。
「皆さんに集まっていただいたのは、ある審神者の方からの依頼で、本丸を引き継いでくれる人を募ることにしたためです」
集まった中で若い男が手を挙げ、どんな理由で引き継ぎを募ることになったのか教えてほしいと質問する。
「その方は今体調を崩されています。そのため万が一を考えてとのことで……」
「でもそれって快復する可能性もあるってことですよね」
「そうですね。いまはまだどちらに進むかわからない状態です」
その答えを聞いてざわつく他の見習いたちを余所に、彼女はあの本丸のことではないかと感じた。
彼女はもう少し詳しく知りたいと挙手して、今の審神者は若い人なのかと尋ねる。
「若い方です。それと……あ、そういえばカズラさんはこちらで研修をされてましたね」
「えっ、あ。はい……」
役人が一人の見習いの名前を出すと、そのカズラと呼ばれた女性見習いは肩を揺らし、消え入りそうな声で答えた。
急に顔色を悪くしたカズラの様子に彼女は訝しみつつ、もう少し情報が欲しいと、最初の刀が誰かを尋ねた。この刀が山姥切国広であれば、時期と相まってかなり絞られる。
「始まりの一振りは山姥切国広で、現在は修行を経て、極と呼ばれる段階です」
昼時になったので、見習いたちは庁舎の一階の食堂に場を移していた。
「ねえ、カズラさん、だっけ。あなたの研修先の本丸ってどんなところだったの?」
トレイを持った彼女は窓際で一人食べているカズラに声をかけて同じテーブルにつくと、割り箸を割りながら尋ねた。
「どんなところって……」
「そこの審神者の名前とか、どんな刀剣男士がいたとか、建物の感じとか」
「どうしてそんなことを?決まってから調べても遅くないんじゃ」
カズラは戸惑いながらも正論を返してくる。彼女は内心で面倒くさそうな女だと苛立ちながら、立候補するにしても情報が欲しいのだと食い下がった。驚いた様子でカズラは目を丸くする。
「立候補するんですか?でも先輩……いえ、向こうの主さんが快復した場合、自分の本丸を持つのが遅れることになりますよ」
確かにカズラの言う通り、本丸を引き継ぐことになるかどうかはこの段階では現在の主の容体次第で撤回される可能性がある。
こういった引継ぎに立候補すると、完成した本丸に配属される順番が後に回されることになるので確約できない場合は誰も手を挙げたくないのだ。
「それもそうだけど、でもチャンスがちょっとでもあるなら掴んでおきたいのよ」
「……わかりました。じゃあそうですね」
カズラは彼女を不審そうに見ていたが、これ以上食い下がられるのを面倒と感じたのかため息をついてうなずくと、まずはその審神者の名前を教えてくれた。
ちなみにだがここでいう名前は本名ではなく審神者としての通名を指す。
カズラは彼女が質問をすると渋っていたのが嘘のように話してくれた。
刀剣男士は研修に行った時点で七十振り以上が顕現していたことや、寝起きしていた離れの茶室を改造した小さな庵のことなどを聞いて彼女は確信を深めた。
ひと通り話したとき、ちょうど食べ終わった彼女は箸をおいて口を開いた。
「……ねえ、そこにいた大倶利伽羅って刀剣男士はどんな感じ?」
「大倶利伽羅さん、ですか?どうしてそんなことを」
カズラは急に気まずそうに表情を曇らせた。彼女は何かあったのかと訝しみながらも、例えばの話だとつづけた。
「ほらたまに、審神者に影響されて顕現された刀剣男士の性格にも個体差が出てくるって聞くでしょ。私の研修先にいた大倶利伽羅も審神者が料理好きだったせいかよく料理をする姿を見てたから」
彼女は適当なことを言って尋ねた理由を誤魔化した。
実際に彼女の研修先の本丸に顕現していた大倶利伽羅は、養成学校で見た資料通りの個体だ。
彼女が今求めているあの本丸の大倶利伽羅と外見は一緒であっても特に大きな魅力を感じないのは、やはり自分は彼の内面、その魂にこそ惹かれて結びついているからだろうと信じている。
「……優しい方でした。ケガしそうになったのを助けてくれたんです」
カズラは口を閉ざす。まだなにか続くのかと思っていた彼女は拍子抜けした。
「え、それだけ?」
「……それだけです。それだけ」
カズラは眉を寄せ、どこか自嘲するような表情を浮かべる。
彼女の中で、これは恋に破れた女の顔だと、女としての勘がささやいた。
目の前の憐れな敗北者を見やって、わかったと話を切り上げると笑顔を向けてトレイを手に立ち上がった。
「教えてくれてありがとう」
返却口に食器を返しながら、きっとあのカズラが正式な審神者になるのは自分たち見習いの中で一番最後になりそうだと彼女は決めつけた。
あのまま大倶利伽羅と何があったのかを追及してもよかったが、それではただの弱い者いじめになってしまう。
敗北者を必要以上に痛めつけるのは未来の勝利者のやることではない。