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深く沈んで見る夢は2

十数振りが一度に寝込むという、一番慌ただしかった数日が過ぎ、本丸は日常を取り戻していた。
政府に提出するため、審神者は刀剣男士たちの症状を事細かに記録した書類や報告書の作成に追われて端末に向かっていた。近侍の山姥切国広が走り書きの記録用紙の一枚を手に取る。
「結局、発症してないのはわずかか」
寝込んだ男士の記録を眺め、山姥切国広は息を吐く。

彼自身は山伏国広と共に熱で倒れたが、それを看病してくれた堀川国広が入れ替わるように咳と熱で倒れ、戸惑いながらも山伏国広と二人で看病にあたった。
そしてその堀川国広も快癒した今、山伏国広は己の修行不足を嘆いて山籠もりの準備をしている。

記録を眺めていると、どうやら顕現して日の浅い男士ほど症状が軽いか、あるいは発症していないらしいことに気づく。
そう仮定して思い返せば、確かに自分を含めて初期に顕現したと言える男士は特に症状が重かったようだと山姥切は納得した。

あれほど熱と咳で苦しんで余裕のないにっかり青江や、お供さえ静かな鳴狐を見たのは初めてだったし、普段元気な愛染国俊が青白い顔でぐったりしている姿に、明石国行が自分も熱を出しているにも関わらずに心配するあまり自身の症状を悪化させていたのもこれまでにないことだった。
そうめったなことでは泣き言を言わない秋田藤四郎が弱気になっていたのも驚いたことであったし、くしゃみがひどくて眠れずに苦しむ五虎退に影響されてか、そばにいる虎もひどく元気がなかったりもしたが、中でも印象深いのは今剣と三日月宗近が共に倒れたつい一昨日のことだろう。

主が様子を見に行くのを山姥切は見送ったが、なかなか戻ってこないので心配して二人が寝込んでいる部屋に向かうと、二つの布団の間に主は座って両手を二人にそれぞれつかまれて身動きが取れない状態になっていた。
いわく、熱に浮かされて珍しく二人とも弱気なことを言っていたので安心させるために手をつないだらかなり強い力でつかまれ、動けなくなってしまったのだという。

顕現時期と今回の症状の程度に関係はあるのだろうか。
山姥切は首をかしげつつ、主が向かう端末の画面に目をやって、列がずれているぞと指摘した。

主である審神者の執務室の近くまで来て、大倶利伽羅は息を吐きだした。
障子戸の向こうには明かりが灯り、主の気配が確かにそこにある。

声をかけて戸を開けると、まだ仕事は終わっていないようで主は端末に向かっていた。
昨夜までなら顔を見るだけで引き返すところだが、大倶利伽羅はこの夜はそうせずに中に入ると、主の横顔が見える斜めの位置に腰を下ろした。

しばらく主が仕事をする横顔を眺めていると、大倶利伽羅は喉がひきつるような感覚に眉をひそめ、小さく咳をこぼした。
彼の名を不思議そうに呼びながら振り向く主に、何でもないと答えながら体のだるさを自覚して思わず眉をひそめる。
主にも誰にも言っていなかったが、実は昨日から咳がつづいていて、今日の夕食の時には喉に違和感があった。
自分の手の平で額に触れると昼間にはなかった熱を感じて、頭も重い。このままだと主に不調を気づかれるのも時間の問題だろう。
せっかく来たがやはり部屋に戻るべきかと思いながらも、生まれた躊躇いが彼をその場に留めていた。

就寝前に二人で時間を過ごすのはすっかり習慣になって毎夜足を運んでいたが、ここしばらくは相次いで風邪に似た症状で倒れた男士たちの対応に追われて主は忙しそうにしていたこともあって、話をすることなく顔を見るだけで部屋に戻る日々を送っていた。
いつもなら寝る準備も済んでいるだろう頃に訪ねてもまだ文机に向かっているので、彼としては仕事の邪魔にならないように、無理するなよと声をかけるくらいしかできずにいた。
それも落ち着いてきて、ようやく主との時間が取れると考えていただけに落胆が大きい。

熱のせいか思考も少し鈍くなってきているのを感じ、大倶利伽羅は息を吐きだそうとして咳き込んでしまった。
思わず丸まった背を主が心配そうに声をかけながら手でさする。
咳がおさまり、大倶利伽羅は改めて息を吐きだして、主の視線から逃れるように顔をうつむけた。

主の手が彼の頬に伸ばされ、名前を呼ばれていつから調子が悪かったのかと尋ねられた。
顔を上げて渋々、昨日からであることを認めてもう部屋に戻ると立ち上がろうとしたが、ふらついたのをとっさに主に支えられる格好になった。
額に手が触れる。大倶利伽羅はその手の冷たさに心地良さを感じ、主の肩に頭を寄せて目を閉じた。

ぐったりとしている大倶利伽羅の体を半ば引きずるようにして審神者は奥の部屋の畳敷きの小上がりまで運んだ。書類作成が終わればすぐに入れるようにと敷いていた布団に体を横たえさせ、大きく息を吐く。
成人男性相当の体格を運ぶのはかなりの体力が要る。
荒い息を整え、そうして布団をしっかりと掛けると、小走りで救急箱を取りに行った。

救急箱を開けたが、今回の風邪騒動で貼るタイプの冷却シートの在庫を切らしていた。
そういえば注文はしているがまだ届いていないことをいまさらに思い出す。他本丸からの注文も殺到しているため日数を要するらしい。
仕方なく洗面器に水を張り、タオルを浸してしっかりと絞ると、折りたたんで熱のある額に置く。
もう一枚絞り、それで首筋を流れていく汗をぬぐった。

荒い呼吸をしながら眠っている大倶利伽羅を眺め、審神者はため息をついた。
本当は誰か呼んで彼自身の部屋に運んでもらい、休ませたほうがいいことはわかっている。
ただここしばらくは二人で過ごす時間も取れず、寂しい気持ちが段々と大きくなってきていた矢先のことで、このままここで彼を看病したいと思ってしまった。
同時に自身が呪いにかかり、生還した後に熱を出したことを思い出してもいた。
あのとき、大倶利伽羅と山姥切国広が付き添い、看病してくれた。
特に世話になった二人に何かお返しが出来ないだろうかと考えていたところへ今回の風邪騒動だ。

手入後に不調を訴えることはあっても、刀剣男士は基本的に病にはかからないと聞いていたが、今回のことでそれは覆された。
ただ滅多にないことには変わらず、そうだと言うのなら彼らが看てくれたように自分もそばにいたいと考えた。
ましてや大倶利伽羅は恋人で、その恋人が風邪を引いたのならばその看病をしてみたいという欲求に心が揺れてしまったのだ。

不謹慎だとわかっていても一度考えてしまうと思考がそれに占められてしまうのは我ながら悪い癖だと思いながら、再び流れた汗を拭ってやった。

タオルを濡らして絞り直したり、汗を拭ったりしながらしばらく様子を見ていた。
枕元に座って、汗で肌にはりついた髪を梳くように撫でていると、大倶利伽羅は突然苦しそうにうめき声をあげて、何かを振り払うように頭を動かした。額からタオルが滑り落ちる。
掛け布団を握りしめながら荒い呼吸で苦しむ彼の手を審神者は思わずつかんで、呼びかけた。

嫌な夢を見てうなされているのだろうか。必死な様子で握り返される手の力はかなり強い。
大倶利伽羅の見る夢に飛び込むことも出来ないし、出来たところで彼を救える力もない。
ただそばにいてこんなふうに手を握るしかできずにいる自分の不甲斐なさを情けなく思い、審神者は必死に祈るように彼の手を両手でつつみこんだ。

やがて苦しそうな様子はおさまっていき、大倶利伽羅の閉ざされていたまぶたがゆっくりと持ち上がった。
不思議そうでいて不審そうな目で審神者を見ている。
名前を呼ぶと、大倶利伽羅は緩慢に瞬きをして、すぐに目を閉じて再び眠りに落ちていった。
握り返す強さは変わらないが、眠る顔はさきほどよりもずっと穏やかで、審神者は安堵した。


深く、深く沈んでいく感覚に大倶利伽羅は目を開いた。
目の前に広がっていたのは、以前に鶴丸国永に巻き込まれて観るはめになった映画のいち場面を思い起こさせる水中の光景だ。
深海へと沈んでいく視点の映像は、物悲しく、どこか恐ろしげでもあった。

どうして自分はこんな光景を眺めているのか。
不可解な現象に抵抗しようと身じろぎしたとき、足首を何かにつかまれる感覚があった。
視線を向けると黒い手のようなものが彼の足をつかんでいて、しかも彼を深い底へと引きずり込もうとしている。
大倶利伽羅は身をよじり、蹴って振り払おうとしたがそれを上回る力で引っ張られてしまう。
黒い手は彼の体を覆いつくそうとでもいうように全身にまとわりついてくる。
思わず上へと手を伸ばすと、先ほどまではなかった一筋の光が彼と彼に襲いかかる黒い手に差し込み、その中に彼に伸ばされる手が現れた。

その手が彼の手をつかむと、大した力が入ったわけでもないのに、彼にまとわりついていた黒い手が力を失ったように離れていくのがわかった。

彼を呼ぶ主の声が遠くから聞こえてきて、大倶利伽羅は目を開けた。
ぼやける視界に映る顔と手を握る感触に目を瞬く。その姿がはっきりするより先にまぶたを上げたままでいられずに仕方なく下ろしたが、不思議と落胆はなかった。
こうして主が手を握っていてくれるのなら、きっと何も思い煩うことはないと安堵すらできた。

再び大倶利伽羅が目を開けた時、視線の先にあった天井は自分の部屋のものではなかった。
一度だけ見た覚えのある天井にまさかと思いながら視線をめぐらせると、予想通りそこは主の私室で、そして自分が眠っていたのが主の布団だと気づいて慌てて体を起こした。
同時に勢いで頭が揺れてめまいに襲われ、手元に濡れたタオルが落ちてきた。
頭を抑えながら周りを見れば、枕元には水が張られた洗面器が置いてあり、手元のタオルと合わせて彼は自分の状況を把握して息を吐きだした。

体の不調を自覚しながらも主の元を訪ねたことや、結局主に症状が出ていることを知られたことは覚えているが、その後に自分がどうしたのかという記憶がない。
だがこの状況から見るに、主が寝かせて看病してくれていたらしい。

ならばあの、深い海の底へ沈んでいく自分に主が手を伸ばして救い出してくれた夢は、すべてが夢ではなかったのだろうかと思い、大倶利伽羅はどことなく気恥ずかしい気持ちになって誤魔化すように手の甲で熱が集まりつつあった頬を拭った。

しばらくぼんやりしていると、よく知る足音が近づいてきて視線をやれば、思った通り主が立っていた。
主の寝室は床張りの部屋の中で唯一の畳敷きの小上がりに設けられていて、主はちょうど腰掛けられる高さのそこに腰を下ろすと、体の調子はどうかと尋ねてくる。
昨日あっただるさはもう感じられないのでそのことを伝えると、主が彼の額に手を伸ばした。
熱は下がっているみたいでよかった、と安堵した様子で主がほほ笑む。

「……なんで俺はここで眠っていたんだ。誰か呼んだらよかったんじゃないのか」
大倶利伽羅の問いに主は目を瞬き、そうしようと思ったけれどと口にして視線をそらすと、頬を赤らめて恥ずかしそうな表情を浮かべる。
そうして、自分が熱を出したときに大倶利伽羅と山姥切国広が看病してくれたからそのお返しがしたかったのだと答えた。
さらには消え入りそうな声で、こんな風に恋人の看病をする機会なんてもうないだろうから、とも。

今回はともかく、確かに刀剣男士が体調を崩すということはよほどのことがなければ起きない。
手入後に調子が戻らないといっても、刀を振るう感覚がしっくりこないなどという人間と比べるのが難しい範囲のことで、どれほどの傷を負っても、刀が折れてさえいなければ彼らの傷は癒える。
だからこんなふうに人間のような不調に陥るというのはそれだけで珍しいことで。
ならばせっかくの機会と思ったとしても何も不思議ではないのだろう。

大倶利伽羅は納得するとともに先ほどの気恥ずかしい気分が戻ってきて、手元に視線を落とした。
そんな彼の態度を主はどう解釈したのか、やっぱり余計なお世話だったと声を沈ませて、ごめんなさいとつぶやいた。
大倶利伽羅は慌てて顔を上げ、うつむく主の頬に手を伸ばしてそっと指の背で撫でると、肩にかかる髪を指先で梳く。
「そうじゃない。看病してくれたのは……嬉しいと思っている。ただ、あんたの前で情けない姿を見せたんじゃないかと考えていただけだ」

不調は自覚していてもあれほど急に悪化するとは思ってもいなかった。
以前、完全に回復していない主を注意した覚えもあるから、余計に人のことをとやかく言えない状態になってしまった自分を情けなく感じていただけだ。
「……俺は、何かやらかしたか?」

彼の問いに主は首を振って、何もしてないから大丈夫だよと慰めるように大倶利伽羅の手の甲をそっとさすった。ただ途中でうなされていたからそれだけは気がかりだった、とも。

彼自身にその覚えはないが、暗い底に引きずり込まれる夢を見たので、きっとそのときに実際の自分はうなされていたのだろう。
けれどそれを主の声と伸ばされた手が引き上げてくれたのだと話すと、主は、よかった、と胸をなでおろす。
もし大倶利伽羅が夢でうなされていたのなら自分にはどうしてやることも出来ないと思っていたからとつづけながら彼の手をそっと両手で包んで、力になれたのなら嬉しいとほほ笑んだ。


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