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一日遅れの気持ち

二月十四日。その日、朝食のために大広間に入ってきた刀剣男士たちは、長い座卓に五つほどの箱が置かれているのに気づいた。
箱にはそれぞれ、短刀、脇差、打刀、太刀、大太刀・槍・薙刀と刀種の書かれた紙が貼りつけられている。
大太刀や槍などが一緒にされているのは全体の総数のためであろう。

「あるじさんのバレンタインだ!」
嬉しそうな声をあげて、乱藤四郎が箱に駆け寄る。
そうして自分の名前が書かれたカードのついた袋を手に取る。それにつづいて短刀の男士たちも次々と自分たちの名前の入った袋を取っていく。
他の男士たちも各々手にとって、五つの箱はすっかり空になった。
新たに顕現した男士がこの行事の説明を受ける姿も含めて、今年のバレンタインもいつもどおりの光景が繰り広げられていた。

この本丸で主である審神者から刀剣男士たちにバレンタインの贈り物が用意されるようになってから、当然のように彼、大倶利伽羅のもとに鶴丸国永と太鼓鐘貞宗が部屋を訪れるようになっていた。
主から贈られるのはクッキーで、それをおやつにしてお茶の時間を過ごそうと誘われるのである。
大倶利伽羅はこの誘いを毎回断るはずなのだが、なぜか逃げられずにせまいちゃぶ台を燭台切光忠を含めた四人で囲むありさまになっていた。

もはや抗うほうがおかしいのだろうかと軽い錯乱状態に陥りながら、大倶利伽羅は袋の口を結んでいるリボンをほどき、中身を皿に移す。
「あれ、伽羅のも一緒だ。てっきり違うかと思ったのにな」
そう言って同じように皿にあけながら太鼓鐘が何気ない様子でつぶやく。
何が言いたいのかとっさにはわからず眉をひそめた大倶利伽羅に代わって、燭台切が尋ねる。
「どういう意味だい?」
「いや、主がこないだの買い物で菓子の材料用のチョコレート買ってたって乱が言ってたからさ、てっきり伽羅には本命チョコを用意してるんだとばかり」
違うのか、とどこか残念そうに肩を落とす。
「だって食べるためのチョコならわざわざ製菓用でなくてもいいはずだろ?」
何のために買ったのか気になって仕方ない、と太鼓鐘は不思議そうな表情を浮かべる。

表向きは荷物持ちだったが護衛役も兼ねて同行した買い物で、たしかに主がそれらしき物を手に取ったことを大倶利伽羅も思い出していた。

「このクッキーに使っているのはココアパウダーだから製菓用のチョコの必要がないからね」
燭台切は毎年変わらない市松模様のクッキーを手に取って首をかしげる。
「まさか実はどっかに本命でもいるんじゃないだろうな……?」
深刻そうな響きを帯びてされた鶴丸のつぶやきに「鶴さん!」と燭台切と太鼓鐘が鋭く声をそろえた。
なんてことを言うのかと睨む二人に、冗談だと鶴丸は返したが、言って良い冗談と悪い冗談があるとさすがに窘められていた。そうして三人が揃って大倶利伽羅をうかがう。

大倶利伽羅はその視線には応えずにクッキーを一つ手に取ってかじる。
気遣うような気配は彼を苛立たせたがそうとは見せずに咀嚼し、飲み込む。

あの買い物でした約束はまだ果たされていない。
主の記憶力を思えば期待しないほうが賢明なのはわかっている。
本命チョコとやらを作るつもりが端から無いのだとしてもそれは主の選択だ、何も言うつもりはない。

だが本命がいるなどという鶴丸の言葉はさすがに聞き捨てにはできなかった。
それでもいまここであからさまに反応すれば負けた気分になりそうで、大倶利伽羅はどこか苦い思いを無理やりお茶で流し込んだ。

今日は夕方に出陣が控えている。それまでにこの苛立った気分をどうにかしなければ。

だが結局、大倶利伽羅は苛立ちを抱えて戦場に立っていた。
いくさの場でこんな思いは余計な枷にしかならないとわかっているのに、消化しきれなかった。
見送る主が妙に挙動不審に見えたことが自分の意識の所為なのかどうかもわからない。
こんなことに悩まされるなどくだらないと吐き捨てる自分と、それでも主の手をもう離せないと、強く求める自分が内側でせめぎ合っていた。

もしも本当に、主に実は本命がいたのだとしたら。
その相手が目の前に現れたら、きっと斬りかからずにはいられないだろうという予感だけはあった。

そして気がつくと、大倶利伽羅は医務室の布団の上で横たわっていた。
またか、と舌打ちして体を起こす。
苛立ちや燻ぶった気分を抱えたまま戦いに出るとろくなことにならないと知っていたはずなのに。

肩にわずかな痛みを覚えながら布団を出て、机の上のノートを開いた。
主の字で、手入後に目覚める気配がなかったのでここに運ばれたことが書かれていた。

大倶利伽羅の記憶とノートの記録と壁掛けカレンダーの日付は一致している。
幸いにも失われた記憶はないようでひそかに安堵し、同時に忌々しいことも思い出していた。

主に自分以外の想う相手の存在など認めるわけにはいかない。認めたくもない。
主は彼だけを見て、彼の名を呼んで、そして彼だけに手を伸ばしていればそれでいいはずなのに。
他の誰にも心を割く必要などないのに、何を余所見をしているのだろう。

だがこんな感情を、いびつな心を抱えているなど主にだけは知られたくない。
知られるわけにはいかない。きっと知ってしまえば主は怯えて逃げようとする。
いまもし怯えられて背を向けられたら、自分がどうなってしまうかわからなかった。

行き場のない思いと苛立ちに再度舌打ちしたところで、近づいてくる足音を彼の耳が聞き取った。
主の足音はよくわかる。音は戸の前で止まった。

間違いなく主がそこに立っている気配を感じ取り、大倶利伽羅は柄にもなく緊張している自身を見出した。
そっとうかがうように戸を開けた主と視線が合う。
緊張した様子の表情は、以前のように記憶を失っているのではないかという警戒があるためだろう。
「……ちゃんと覚えている。なにも忘れていない」
言葉にしてやれば主は表情を緩めて、目が覚めてよかったと安堵の息を吐く。
中に入って、座っている彼のそばに腰を下ろした。

ほかにどこか調子が悪いところはないかと尋ねる声に、大倶利伽羅は主の体を抱き寄せて、問題ないと答えた。
抱きしめる力が強いことに主は戸惑った様子で彼を呼び、なだめるように背を撫でてくる。 主の声と手の感触に、葛藤を抱える心が揺れた。

この手が他の誰かに伸ばされるなど、許せるはずがない。
自分だけのものにしたい。他の誰にも奪わせないようにするには、どうしたらいいのだろう。

他の、誰かを……他の、刀を──。

奥底で澱んでいた泥が彼の心を覆い隠していくような、濁っていく感覚に頭痛を覚えたところで、こちらへと近づいてくる複数の足音を聞き取った。
大倶利伽羅は思わず抱きしめていた体を離す。顔をのぞかせたのは、鶴丸国永と太鼓鐘貞宗の二人だ。
「お。ようやく起きたか、伽羅坊」
「起きるのおせーぞ!みっちゃんが伽羅の分の飯を残してくれてるんだ。腹減ってんなら行こうぜ」

二人の様子に主が笑って、片付けておくからいってらっしゃいと大倶利伽羅たちを送り出した。

なかば流されるように医務室を出て、大倶利伽羅はそっと息を吐いた。
あのまま自分のいびつな思いを見つめつづけていたら、戻れなくなるところだった。


翌日。大倶利伽羅は主が彼を呼んでいると加州清光から聞いて執務室へと向かった。
しかしそこには誰もいない。場所が指定されない限りはここなのだとばかり思っていたが今回は違うようだと踵を返そうとして、背後で戸が開く音がした。

顔を見せたのは主だった。どうぞ入って、と誘われてふだん入ることのない主の私室に足を踏み入れ、示された二人掛けの長椅子に腰を下ろす。
急な呼び出しを謝りながら、主は彼の前の低いテーブルに、白い皿に載った見慣れない菓子を差し出した。
主いわく、焼いたチョコタルトなのだという。

チョコ、と認識して脳裏に昨日の太鼓鐘貞宗の言葉がよみがえる。
フォークとお茶も用意され、一日遅れだけどバレンタインだと主が照れた様子で口にして隣に腰を下ろす。
そして前に約束したタルトの試作第一号にして本命のチョコレートでもあるのだとも。

添えられたフォークを手にし、一口大に切って口へ運ぶ。
甘さは控えめだが、チョコの濃厚さが喉に絡みつくようで思わずむせそうになった。 けれどこらえて咀嚼し、飲み込む。そして二口目に挑んだ。

大倶利伽羅は、食べることに対してのこだわりをそもそも持っていなかった。
出されたものはなんであれ食べるようにしているし、たとえ不味かろうと残さない。
さすがに変調をきたすようなものは別だが、これは単なる菓子だ。
彼が悪くないと思える甘さ控えめなものと違って好みの分類ではなくても、主が彼にと用意して食べてほしいと望んだものならば、食べきるという選択肢以外は存在しない。

慣れない濃さに苦慮する表情を見せないようにしながらなんとか切り分けられたそれを食べ終えて、用意されたお茶でチョコの濃さを流し、大倶利伽羅は息を吐いた。
「……美味かった」

それは間違いのない本音だった。
その一方でしばらくチョコを口にする必要はないだろうと思うのもまた間違いのない本音だ。
けれどそうとは見せずに告げれば、隣で彼の食べる様子を見ていた主が、ありがとうとほほ笑む。そして、無理をさせてごめんなさいと目を伏せた。
どういう意味かと訝しめば、やっぱりチョコの濃さが得意じゃなかったんだろうなと思ってと主は苦笑する。

どうやら四口目あたりでほんのわずか、濃さにためらったことに気づかれていたらしい。
普段のんきなくせに、そういうところにはすぐ気づくのだから、主はいろんな意味で厄介だ。

彼がそんな風に思ったことになど気づいた様子もなく、大倶利伽羅がチョコが苦手な可能性をもっと考えておくべきだったと申し訳なさそうに主は首を振って、空になったお皿を手に立ち上がった。
流し台に皿を置く主の横顔に大倶利伽羅は不穏なものを感じ取って、立ち上がると手を伸ばしてその体を抱きしめた。
驚いた様子で主が彼の名を呼び、どうしたのと尋ねながら身動ぎする。

「別に苦手ってわけじゃない。慣れてないだけだ」
だから誤解するな、と抱きしめる力を強くする。
美味しかったのは間違いのない事実だし、主には作ったことを後悔してほしくなかった。

ありがとう、と主が彼の背に手を回す。
生まれて初めて作った本命チョコだったからつい張り切ってしまったという声に、大倶利伽羅は得体の知れない感覚を見出して息を詰め、ゆっくりと吐きだした。

奥底に沈めたいびつな思いが揺らめいているのを感じた。
きっとどうしたってこれは消えることはないのかもしれない。
けれど抑えつづけることは出来ると確信していた。
主が彼を見て、彼の名を呼んで、彼に手を伸ばしてくれる限りは。

「……さっきのは切り分けたやつだろ。まだ残ってるなら食わせてくれ」
無理しなくていいよ、と主が笑いながら彼の背を撫でるが、大倶利伽羅は、無理じゃないと断言した。

主から向けられたものは、何であっても彼だけのものだ。


なんでか病んだ。白山君はまだいない(この後に来る)頃の設定。

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