「はじめまして。今日からこの本丸を預かることになりました。どうぞよろしく」
――背筋を伸ばして凛とした雰囲気と表情で彼女はそう告げ、最後にほんのりと口元を笑みでほころばせた。
大倶利伽羅が握っていた手を開くと、彼の手のひらで持ち主を失った金属片が鈍い光を放った。
恋仲であった前の主が常に身に着けていた、審神者である証の認識票。
表面に刻まれた生年月日をそっと指先でなぞる。
刀である大倶利伽羅にとっては主の誕生日だという以外に意味のない数字ではあるが、それでもこれは主が確かにこの世にいた証明でもあった。
「なんだ、あの子のそれはきみが持っていたのか、伽羅坊」
背後からかけられた声に、大倶利伽羅は手のひらを強く握りこみ、肩越しに視線を投げる。
「……何か用か」
「出陣だ。彼女が呼んでいる」
「わかった」
腰を上げた大倶利伽羅は鶴丸の横をすり抜けるように歩いて行った。
その背を見送って、鶴丸国永はどこか痛ましい気持ちで眉を寄せた。
ある日突然主である審神者を蝕んだ呪い。
解く術を見つけることができないまま日が経ち、五感のほとんどを失い、衰弱状態にまで陥った主はとうとう先日帰らぬ人となった。
こんのすけから新たな審神者が配属されることが内定していると知らされたときから覚悟はしていたからか、誰も取り乱すことはなかった。
だからといって誰も悲しまなかったわけではない。泣き崩れる者も多く居た。
へし切長谷部は物言わぬ主の遺体に縋っていたし、兄弟刀たちと抱き合いながら涙にくれる五虎退や秋田藤四郎の姿も見た。
嘆きよりも悔しさに身を震わせていた男士もいた。
だがそこまでだった。どこかで、いつまでも立ち止まったままではいられないという思いはそれぞれにあったのだろう。 自分たちは刀、武器だ。主がいなければ刀は武器としてあることができず、振るわれない刀はただの鈍らと化す。 それを何よりも恐れる心が、自分たちの奥底にはあった。
──主を見送り、新たな主を迎え入れる準備をしよう。
三日月宗近の言葉はともすると薄情に聞こえるものではあったが、涙で目を腫らしながらも山姥切国広は異を唱えなかった。
おそらく普段の朗らかさや鷹揚さを、三日月の声色から感じ取れなかったせいもあるだろう。
悲しみに震えてはいなかったが、強さは欠けていた。
この本丸に新たに迎えた主は前の主同様にまだ若い女性であったが審神者として優秀だと鶴丸は感じているし、他の男士も同様の印象を抱いたはずだ。
誰も、新たな主である彼女の采配に不満を抱いていない。
本丸の中に笑い声が戻ってきたのが、何よりの彼女の手腕の証明ではないだろうか。
そのなかで、鶴丸国永の目には大倶利伽羅は何も変わっていないように見えた。 主が死ぬ前も、新たな主を迎えた後も。
新たな主を迎えた日の夜。
喪に服していることもあり、歓迎の宴はささやかに開かれた。
鶴丸はそのさなかで宴の大広間を抜け出る大倶利伽羅を見つけ、思わず後を追っていた。
以前ならば飲み会などの途中で彼が抜け出すのは恋仲である主の元へ顔を出しにいくからで、見ないふりをするのが鶴丸の中で半ば掟のようになっていたが、もうこれまでの主はどこにもいない。
ならばどこへ行くのだろうと、どうしてかそのままにできなかった。部屋に戻るだけだと思いながらもとっさにそれが浮かばなかったのは、きっと杯を傾ける彼の横顔にいつも以上に思考が読み取れない表情が浮かんでいたからだ。
しかし、大倶利伽羅が前の主の遺骨が置かれた離れの部屋に入るのを見て、鶴丸は足を止めた。
踵を返して大広間へと戻る道すがら、逢瀬を邪魔しようとするなど無粋の極みじゃないかとつぶやいて、ふいに泣きたい気持ちに襲われ慌てて目を瞬いた。
初めてこの本丸に足を踏み入れた時のことを、彼女は昨日のことのように覚えている。
彼女に、本丸を引き継ぐ形で審神者に就任しないかという話が持ちかけられたのは、すっかり桜が満開になって春の陽気を感じるようになった頃だ。
すでに実地研修を終え、あとは新たに所属が示され、最初の五振りの刀から選ぶのを待つばかりという時で、彼女は最初その話を受けることを渋った。
口には出さなかったが、他人のものだったものを引き継ぐというのは、あまり彼女の価値観とは合わなかった。彼女は何かを愛でるのなら、自分から手を伸ばしたものを愛でたい性質だった。
実地研修の世話をしてくれた役人が、戦力も確保され、戦績も優秀だったと言える本丸を解体するのはあまりに忍びないと言って、そしてあなただからこそこの話を持ちかけたのだと彼女を露骨におだてた。
露骨とわかっていながらもおだてられて嬉しくないこともない彼女だったが、ふと前任の審神者はどんな理由で辞めたのかと尋ねると、役人はやや言いづらそうにした。
もしや何か曰くがついている本丸なのだろうか。いぶかしむ彼女に役人は慌てて手を振った。
「実は正確に言えば、まだそこに審神者はいるんです」
「じゃあ引継ぎなんて無理じゃないですか」
この人は自分をからかっているのだろうか、と彼女は不信感をたたえて相手を見た。
「今の審神者は、病に倒れていて業務が出来ない状態です。いずれ時機を見て新しく審神者を就任させるということが決まったばかりで」
なのでいつ頃に就任できるか、と言うとまだ未定だという。
「でもそれってその審神者さんが回復したらこの話はなくなるってことでは?」
「……いえ、おそらくはそうはなりません。それに、向こうの本丸の刀剣男士たちにも新たな審神者を迎えることの提案はすでにされています」
遠回しの言葉ながら、彼女は悟った。つまりはこの引継ぎ話は、今現在病に臥している審神者がそう遠くないうちに死ぬことを前提としたものなのだと。
降ってわいた嫌悪感にソファから思わず立ち上がっていた。
「申し訳ないですけど、そんな話は受けられません」
けれど結局、彼女はその話を受けた。
何度か説得されて、下手な人間に引き継がせるよりも研修先からの評判も良かったあなたならと思ったと言われて、その言葉に揺らがなかったと言えばうそになる。
ただ同じ時期に研修を受けた見習いは自分以外にもいたはずで、彼らには話が持ちかけられていないのだろうかという彼女の疑問に、役人は困ったように眉を下げた。
「実はその件の本丸で研修を受けた見習いがいたんです。その者も評価も悪くはなかったので打診しましたが、どうしてかその見習いは絶対に嫌だと言い張っていまして」
その本丸での研修期間中にトラブルを起こしたとかいう報告は上がっていなかったので、どうしてここまでかたくなに拒否するのかわからないのだ、と役人。
報告が上がっていないからといって何もなかったと考えるのは早計だろうに、と彼女はそっと息を吐く。
さらには同期の面々はその拒否している見習いと彼女以外、それぞれにすでに本丸を持って審神者となっていると聞いて、彼女は焦りを感じた。
学校では、まっさきに自分が審神者になるだろうと周りに言われていた程度には座学は優秀だったというのに現実ではまだ見習いのままなのだ。
そうして彼女が新たな審神者として件の本丸に足を踏み入れたのは、前の審神者の葬儀から五日経った後のことだった。
世間一般で言われる喪中の期間すら明けていないのに、果たして自分が足を踏み入れていいのだろうかという恐れと、前の審神者と刀剣男士の関係は良好だったという話を聞いていたため、彼女はかなり緊張しながらそこにいた。
新しい審神者を就任させることに彼らは同意していると役人は言っていたが、だからといって歓迎するとは一言も言われていなかったことを今更思い出したからだ。
主とは認めないと言われて敵意を向けられたらどうしよう、と暗い想像に顔を曇らせる。それだけでなく、刀を突きつけられでもしたらきっと立ち直れない。
「主さま、行きましょう」
「あ、はい」
彼女の憂鬱な表情に気づいているのかいないのか、こんのすけが急かした。
大広間の上座にあたるところに置かれた座布団に正座し、彼女は背筋を伸ばした。
「はじめまして。今日からこの本丸を預かることになりました。どうぞよろしく」
礼をして、そうしてほんのりと口元を笑みでほころばせた。
内心では盛大に緊張していようと、いざその時には表情を取り繕うことが出来るのが彼女の強みだった。
新たな主の挨拶に対し、大広間に勢ぞろいしていた刀剣男士の中で彼女の真正面に座していた山姥切国広が、膝の上に手を置いて、まっすぐ彼女を見据えて口を開いた。
「我ら刀剣男士一同、新たな主としてお迎え申し上げる」
よく通る声で彼が述べ、頭を垂れる。その場に勢ぞろいしている刀剣男士たちもそれに倣った。
本丸に顕現しているすべての刀剣男士が戦装束に身を包み、本体の刀を傍らにおいて、彼女に対して頭を垂れた光景はまさに圧巻の一言だった。
そうして彼女はその本丸の主となった。