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亡失の呪い-11-

「やあ、君がいるなんて珍しいね」
そう声をかけてきたのは、源氏の刀である髭切で、彼は自分の持っていた陶器のグラスをこちらの手にあったジュースのコップに軽く触れ合わせた。

今いる大広間では鶴丸国永主催である「刀種:太刀の飲み会」の拡大版――要するに単なる大宴会が開かれていた。
すでに名前通りではなく刀種問わずのそれに、今夜は飲もうと言っていた某大太刀や某槍の男士も当然ながら参加していて、そして今は利き酒大会をしていた。
また別の一角では大典太光世と大包平が、三日月宗近や数珠丸恒次、鶯丸らに見守られながら、ジェンガに興じていた。地味な戦いながら、かなり隙間の空いた積み木の塔が絶妙なバランスで保たれている。

「そういえばそうだな。君は確か酒のにおいに弱いからこういった場には出ないと聞いていたが」
続くように弟の膝丸もやはり手にしていた酒の入った容器を軽く触れさせる。
酒のにおいで気分が悪くなってしまうのと、まだ飲酒できる年齢ではないこともあって、こういった飲み会に参加することはまずない。
ただ誤診であることが発覚して以来、おそらくこういった場が設けられておらず、毎年恒例にしていた花見も今年は出来ていなかった。
そんな申し訳なさから、今日は参加することにしたのだ。
何より、自分の回復祝いも兼ねていると言われれば断る理由はない。

「だが元気そうで何よりだ。俺も兄者も心配していたぞ」
うなずいて、ごめんなさい、と軽く頭をさげる。
「ほらまた、ちゃんと声に出さないとダメだよ」

声は出るようにはなったが、弱った足同様におぼつかないかすれ声で、相手が聞き取りづらいだろうからとこれまでどおり端末で会話をしようとしたが、そのたびにちゃんと声に出すようにと注意されていた。
おかげでたどたどしい会話にしかならない。
ごめんなさいと音にはしたものの、文字ならスムーズに理解してもらえるのに、と思ったことが顔に出たのか、そっと髭切に頭を撫でられた。

「聞き取りづらいことなんて承知のうえで、みんな君の声を聞きたいんだよ。呪いのせいで君の声が聞こえなくなってとても寂しかったからね」
「当たり前だったものが一つ欠けると、あんなにも心もとなくなるとは俺たちも知らなかった」
「たぶんそれ、彼が一番そう思っていたんじゃない?」
「そうだな」
兄弟がそろって苦笑して、ある一か所を見やる。
どういうことかと視線の先を辿ると、一人静かに飲んでいる大倶利伽羅の姿があり、ふいに彼と目が合った。
桜の木のそばでのことがよみがえり、頬に熱が集まる。
「ありゃ、主。顔が真っ赤だ」
「まさかそれは酒だったのか!?」

縁側に出ると夜風が熱気で火照った頬をくすぐり、心地が良い。
深呼吸してゆっくりと歩き出す。
お酒のにおいに気分が悪くなってきていたので、先に休むことを告げて大広間を出たところだった。
にぎやかな声がだんだんと遠ざかる。欠伸をこぼしたところで、足音がして後ろから抱きしめられた。
大倶利伽羅、と思わず呼んだ声はかすれていたので、口をつぐむ。
「部屋まで送る」
一人で大丈夫だと答えるより先に抱き上げられ、慌てて彼の首に腕を回した。

「なあ鶴さん、伽羅のやつどこ行ったか知らないか?」
酔いさましの水を手にしながら太鼓鐘貞宗が周りを見回す。酔いが回ってきたのか気持ちよさそうに眠っている男士の姿をいくらか見かけるようになっていた。
尋ねられた鶴丸は受け取った水の入ったコップを脇に置きながらフッと笑った。
「おいおいいまさらだぜ、貞坊。あいつはいつだって途中で抜け出すだろ」
「あ、そっか。そういやそうだった」
久しぶりのことですっかり忘れていたが、主と恋仲になって以降、大倶利伽羅は酒の席を途中で抜けて主の元に顔を出しに行くのがいつものことだったのだと思い出し、太鼓鐘は舌を出した。

「ようやく戻ってきた、って気分だな」
しみじみとつぶやいて、鶴丸は手にある杯をあおった。


大倶利伽羅の耳元で、ごめんなさい、と主のささやく声がした。

執務室前の縁側で、二人は並んで座っていた。
眠らなくていいのかと気遣う大倶利伽羅に、主はもう少し風に当たっていたいと言ってしばらく二人でぼんやりと空を眺めていたが、ふと主の体が彼のほうへと傾いて、そうして謝罪の言葉をささやいた。

なんの謝罪だと問いながら顔を覗きこめば、殺してほしいと言ったことだと主は唇を引き結ぶ。
山姥切国広や和泉守兼定、燭台切光忠から叱られたとうつむける顔をそっとあげさせ、大倶利伽羅は主の目元に口づけた。
「あんたに悪気があったわけじゃないことはわかっている。俺も早まった真似をするところだった」
もうこの話は済んだことだ、とささやいて耳朶を唇で食むように触れると、腕の中で主は小さく声を上げて身じろいだ。
「それより、すまなかった。あんたが声を失ったのは俺の所為だ」
どういう意味なのかと、主が顔を上げた。

大倶利伽羅はこんのすけから、主は呪いが込められた毒に触れたあと、何かのきっかけがあって声が封じられていたのではないかと聞かされた。
本来呪いが奪うのは五感だけで、声が封じられたのは二次的なものだ、とも。現に他の審神者の最初の症状に声が出なくなるというものはなかった。
こんのすけがそのことを彼にだけ告げた時点で、それは答えを示されたも同じだった。

『――あんたは、いつも騒がしいな』
ため息と共に自分がこぼした言葉がよみがえって、彼は愕然とした。

主にあの忌まわしい男が接触してきた日の夜、見回りで執務室へと向かった大倶利伽羅は、中から何かを引き倒す音を聞いて戸を開けた。
そうして書類棚をひっくり返して自身も転んだらしい主の姿が飛び込んできた。助け起こしつつ、夜中に何をやっているのかと呆れながらその言葉をかけた記憶がある。
うるさくしてごめんなさい、と申し訳なさそうな主と交わしたそれが、記憶にある一番最後の会話だ。

だが主は、違うと首を振る。大倶利伽羅の所為ではない、と。
騒がしいのも落ち着きがないと言われるのもいつものことで、呪いが無くてもその時そんなことを言われていたことすら忘れていたのだから、その言葉を特別意識したわけではない。
たまたまタイミングが悪かっただけで、きっと誰に言われたのだとしても同じようになっていたとつづけて、声が戻るのが遅かったのは、騒がしくせずに済むならこのままでもいいと思っていた所為だ、と言って顔をうつむけた。
大倶利伽羅の手が主の頬に触れる寸前、でも、と口にして顔を上げた。

望んでくれたから、せめてあなたの名前を呼びたかったからと言葉にして、ふいに痛そうな顔で喉を抑えて咳き込む。
大倶利伽羅は主の体を抱き上げ、奥の私室へと急いで運んだ。すでに敷かれている布団にそっと体を下ろして、横たわらせる。髪を撫で、ゆっくり休めとささやいて額に口づけを落として立ち上がろうとしたとき、そっと主に袖をつかまれた。

いかないで、と小さくささやく声。
薄明りの中でもわかる程度には主の顔は赤くて、そしてその目に羞恥をにじませながらも明確な意思を見つけて、大倶利伽羅は息を詰めた。
あのまま失っていたかもしれない恐れと募りに募った思いが微かな酒の酔いに刺激されて、欲求へと変化し自分の中で渦巻いていたのを彼は感じていたが、それに意識を取られないようにしていた。なのに主にいともたやすく崩されようとしている。

ゆっくり息を吐きだしながら、顔を背けた。
「添い寝が欲しいなら別のやつに頼めよ。いまの俺にあんたを襲わない自信がない」
情けない気分になりつつも正直に言えば、主は体を起こして、彼の頬に手を伸ばす。
朝まで一緒にいて、という言葉と共に身を寄せられ、ほとんど反射的に主の腕をつかんでいた。
「どういう意味か、わかっているのか」
腕をつかむ力を強くしながらも、せめて逃げ道だけは示しておかなければという理性がそんな問いをさせていた。

少しだけためらう気配に腕をつかむ力を緩めた時、わかってるとささやく声がして、彼を突き動かした。

主から伸ばされた手だ。それをつかまないという理由はどこにもない。
唇を重ね合わせながらその体を横たえた。


寝落ちにはならないはず。

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