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ガラスの檻と世界の果て-後編-

穏やかな日々が始まった。
銀河が竜牙のいる檻を訪れれば、ガラス越しに手のひらを重ね合わせて、二人だけにしか聞こえない互いの声で会話をする。 そもそも強化ガラス越しでは、声はくぐもってしまって会話にならない。
なのに二人がガラス越しに手を合わせると、互いの声がとてもよく聞こえるのだから不思議だ。
これは誰にも言っていない。言ってしまったら、二度とこうして会えなくなるような気がして、誰にも言わないことを二人で決めていた。

「おはよう、竜牙」
「ああ」
いつも会いに行くのは銀河で、竜牙が檻の外に出てくることはない。
なぜなら彼は銀河に対してだけ静かなだけであって、それ以外のすべてのものに威嚇をし、敵意を向けるからだ。 そのため、危険と判断されて外には出されない。 そして必要があって職員が竜牙に接するときには銀河をそばに置くようになったが、決して銀河をガラスの中には入らせないようにしていた。
何かあっては大変だから、という理由だが、それが銀河には理解できない。

「竜牙はおれにひどいことなんてしないのに、どうして中に入っちゃダメって言うんだろう」
「臆病だからだろう。俺と貴様が親しくなるのがよほど気に入らんらしいな」
「親しくなったらダメなの?おれは竜牙と仲良くなりたいってずっと思ってた」
「俺も貴様もいずれ来るだろう雌に見向きしなくなると困るのだろうよ」
「……ああ、そういやもうすぐだっけ……昨日おれの部屋の隣かたづけてたなぁ。あそこに来るんだって、おれのお嫁さん候補。なんか一角獣だって言ってた」
銀河は憂鬱そうなため息をつく。

幻想種は他の普通の生物と違って寿命が長い。 そのため繁殖のための本能が乏しいことが多いという。
竜牙の一族にしても、銀河の一族にしても数が減ってしまったのはそれが理由の一つでもあった。 寿命が長いから子孫を残さなければならないという危機感が薄いのだ。

「嫁を迎えるのは嫌か」
「いやっていうか、よくわかんないんだよな。竜牙はわかる?」
「さあな。俺は興味がない」
「でも竜牙だってそのうちお嫁さんが来るかもしれない」
そう言った途端、ツキンと刺すように痛んだ胸に銀河は不思議そうに手を当て、首をかしげる。
「それも興味がない。滅ぶ時が来るならそれまでだ。そもそも種が一つ滅んだところでなんのことがある?どうせ代わりの種が生まれるだけだ。世界が滅ぶわけじゃない」
竜牙はフンと吐き捨てる。

彼ら竜の一族は流浪の民と人間たちに呼ばれていて、何ものにも縛られない自由があった。
他と決して交わることなく細々と血を残してきた結果、王の血は竜牙で最後となった。

年老いた仲間たちを見送り、彼は一人あてのない旅に出た。 付き従う者のいない王など、もはや王ではなかったから、彼は自分の血を残すことに興味がなかった。 きっと自分さえ知らない場所で誰にも知られないまま朽ちていくのだろうし、それでいいと思っていた。 自由であり孤高であったが、さみしいなどという感情とは無縁だった。

けれど竜牙は王であることは捨てたとしても、まだ年齢的には大人ではなかった。
子供で、まだ外の世界のことをよく知らないままだった。 旅のさなか、その希少な種であることに目をつけられ、人間に捕らえられてしまった。 密猟者のアジトから救い出したのはこの施設の人間だったが、だからといって感謝などする気にはなれなかった。

解放したのなら、そのまま放っておいて欲しかったのに、よりにもよって種の保存だ繁殖だなどと言って竜牙を閉じ込めようとした。 自分たちは自由を何より尊ぶ。 一つの場所、それも狭い世界に閉じ込められることほど屈辱的なことはないのだ。

それでも、ここにきて一つだけマシなことがあったとすれば、銀河と出会ったことだろうか。
共に希少な幻想種で、この世で一人だけの生き残り同士。 銀河と話しているときだけが、窮屈な日々のなかの安らぎになる。

ここの人間たちは銀河との距離が近くなることを危惧しているようだが、竜牙には知ったことではない。
種の保存も繁殖も、竜牙が望んだことではない。人間たちが勝手に使命感に燃えて、必死なだけだ。
異物の混ざった王の血を残すくらいなら、何も残さず朽ちていきたかった。

「竜牙ともっと話したい。竜牙に触りたい」
手のひらに感じるのはガラスの冷たさだけだ。 竜牙の手のひらは温かいのだろうか、それとも冷たいのだろうか。 鱗に覆われた肌は硬いのだろうか。キラキラと美しく輝く鱗の触り心地が知りたい。 銀河の中で竜牙に対する欲求は日に日に膨らんでいく。

「俺も貴様に触れたい。その翼に、髪に……」
ささやく竜牙の声に、銀河のお腹の奥がギュッと絞られるような感覚が生まれた。 不思議に思いながらお腹を撫でて、首をかしげる。 どうした、と竜牙の声に何でもないと首を振ったところで、職員が銀河を連れ戻しに来た。

明日はとうとう銀河の嫁候補だとかいう一角獣の雌が来る日だ。
まだまだ竜牙と一緒に居て、話したいのに。だが話せることを知られてしまうのは困る。
身を切られるような思いでガラスから手を離し、立ち上がったところで竜牙がガラスを思いきり殴りつけた。 職員が悲鳴を上げる。銀河を見つめる目は苛烈でありながら、深く吸い込まれるようだった。

職員たちは竜牙が銀河にだけ態度が違うことを危惧していた。
二人の目には互いしか映っていない。それが危険なことを誰もが理解していた。 彼らはいずれ、その種を残すために近い種族の雌を迎え入れなければならないのに、あのままでは嫁を迎えても繁殖につながらないかもしれない。 何度か職員たちの間で二人を引き離すべきではないかと話があがったが、しかし竜牙をおとなしくさせておくために銀河が必要なこともわかっていたため、結論は出ないまま日だけが過ぎていく。

だから彼らはこの日を待ち望んでいた。
今すぐには無理でも、顔を合わせて互いを意識させて、準備を進めていけばいい。 銀河は素直ないい子だから、きっとやってくる嫁候補ともうまくやれるだろう、とどこかで慢心があった。
世界初の人工による天馬の繁殖が成功すれば、この施設にもっと大きな関心が寄せられるはずだ、と。

一角獣は絶対数の少ない幻想種のなかでは生態系がまだ維持されているほうで、その中で銀河と近い年ごろの雌は数頭確認されていた。 しかも一角獣の人工繁殖に成功した施設から職員がノウハウと共にやってくることになっていた。 彼らは警戒していなかった。
待ちに待った嫁候補の一角獣が、まさか爆弾を抱えてやってくるなど、思いもよらなかったことなので。

振動が、ガラスを通して竜牙に伝わる。
くぐもってはいたが、確かに大きな音が聞こえて、竜牙は寝床から体を起こした。 警戒しながらガラスに近づいて外を眺めると、人間たちが右往左往しているのが見えた。 何の騒ぎだと不快さに眉をひそめると、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。 ガラスから離れて身をかがめ、警戒をあらわにする。
ガンガンとガラスに何かを打ち付ける音がして、割れる音が続いた。

いたぞ、と人間の声がした。竜のガキがここにいる、と叫ぶ。
ガラスの檻に入ってきた人間たちの姿を認めた瞬間、竜牙の脳裏に捕まった時の記憶がよぎった。 あの時の密猟者と同じ種類の人間たちだ。

竜牙は牙を剥き、唸り声を上げた。
囲い込むように広げられた網。威嚇をしながら、竜牙はすり抜ける機会を慎重にうかがう。 遠くから、天馬の子供を捕まえたという声が聞こえた瞬間、竜牙は自分でも驚くような速さで人間たちに飛びかかり、鋭く伸びた爪で傷を負わせて割られたガラスからすり抜けていった。

――銀河、銀河どこに居る。どこに捕まった。俺の声に答えろ!

あちこちで騒ぎの声が響く中、竜牙は自分でも知らぬ間に竜の形態へと変化していた。

銀河の翼は血で汚れ、足にも腕にも鎖が巻き付いて、身動きが取れないでいた。
周りは武器を持った人間たちがいて、近くでは職員たちが倒れている。 恐怖で震える銀河を、密猟者たちはおとなしくすれば悪いようにはしないなどとうそぶいて、網や袋を持ち出して距離を詰めてくる。
「……くるな、やだ……!竜牙……たすけて竜牙!!」

轟音と共に、天地を震わせるような咆哮が響く。 銀河が思わずつぶっていた目を開ければ、目の前には白く美しい竜の姿。 鱗の一枚一枚が埃と煙のなかでキラキラと光っている。 呆然としながら周囲を見れば、密猟者たちはことごとくが倒れていた。 竜は銀河をぐるりと囲むようにして巻きついたかと思えば顔を寄せてくる。

「竜牙……?」
目の色が竜牙と同じ金色だ。彼以外にこれほど美しく威厳ある竜がいるだろうか。
銀河は信じられないような思いで竜牙の体に触れた。鱗は滑らかな肌触りだった。

「……行くぞ。もうこんなところにいる必要はない」
ゴウッと音を響かせて風が巻き起こり、その風がやむと竜牙は人の形に戻っていた。
そして銀河へと手を差し伸べる。

――ようやく触れられる距離で会えた。

ハッと息を呑んで、ためらうことなくその手を取った。
想像していたよりも竜牙の手は冷たかったが、それでも心地の良い柔らかさがあった。

互いに強く握りしめ、二人は駆けだした。 喧噪に包まれたそこを、騒ぎに乗じて懸命に走り抜けた。

二人は、施設を囲む森を振り返ることなく走り抜けた。
そして人里のある谷を目前にしてようやく足を止めた。 谷を見下ろし、竜牙は銀河を振り返る。
「銀河、ケガは無いか」
驚きで視線をはがせないままうなずきかけて、いまさらに翼にケガをしたことを思い出して顔をしかめた。 それに気づいた竜牙が銀河の翼、血で汚れた個所に触れる。
「ッた、」
痛みが走り、銀河が首をすくめると、少し待てと言いながら竜牙は自分の腕に噛みついた。 牙が刺さって肉が破れ、血が滴る。
「竜牙!」
悲鳴に似た銀河の叫びをだが竜牙は気に留めず、自分の滴る血を含み、そうして銀河の翼の傷を血に濡れた長い舌で舐めあげた。 ピリピリとしたしみるような痛みが一瞬襲いくるが、その後は不思議とスッと痛みが引いていく感覚に銀河は目を瞬いた。
「……すげー」
驚きに目を丸くして、けれど銀河は竜牙の腕の傷が気になってまじまじと見たが、血は止まっていた。
「傷、痛くないのか?」
「ああ。王の血とやらで治りは早い」
よかった、と銀河は胸をなでおろした。

先ほどは混乱のなかで気が回らなかったが、竜牙に初めて会った日に一瞬触れて以来の距離の近さにあることに改めて気がつき、銀河は竜牙の顔を見つめた。 竜牙も同じく気がついたのか、小さく笑って、いつものように手のひらを掲げた。 銀河はそれに自分の手を重ねる。
ガラス越しではない、手を握った時とはまた違う感触に妙に胸が高鳴ってしまう。
「銀河」
「竜牙……おれ、こうやって会える日をずっと待ってた」
うれしい、と合わせた手を指を絡める形で握り合わせながら勢いよく抱きついてくる体を受け止め、竜牙は銀河の髪を撫でた。

旅に出る。お前も一緒に来い。そう言って手を差し出した竜牙に、銀河は知らないところへ行くのは不安だと返しつつも、手を取ることにためらいはなかった。 どこだろうと、俺たちはもう一人ではないと返された言葉に、銀河の脳裏に父の顔がよぎった。
お前だけは生き延びろ、と。俺の息子は大丈夫だと笑う父の顔が。

にじんだ目をこすり、重ねた手を握りしめて大きくうなずいた。
勇気を出して一歩を踏み出せば、不思議と不安は消えていた。 あとはどうにでもなると思えた。
なにせ銀河は一人ではない。 希少な天馬の血を後に残すことは出来ないけれど、この世で唯一の番がそばにいるのだから。


――それから幾年月が過ぎ。

長い旅の終わり、幻想種の竜と天馬の生き残りは、世界の果てと呼ばれる場所にいた。
二人きりの旅は楽しいことばかりではなかった。 希少ゆえに狙われ、醜悪な人間や善良な人間にも出会った。 時に喧嘩をして、傷つけあうこともあった。 それでも二人がお互いのそばを離れることはなかったし、離れようと思ったこともなかった。

ずいぶんと長い間二人で居たな、と銀河が笑えば、予想以上に長くなった、と竜牙は傷だらけの手を銀河の頬に伸ばした。 頬に触れる手に銀河は自分の手を重ねる。 傷だらけで、けれどずっと銀河を守って、宝物に触れるように慈しんでくれた手だ。
王の血から傷を癒す力が失われて久しく、傷が治り切らないうちにまた傷を作った結果、すっかりボロボロになってしまった。剥がれかけた鱗が痛々しい。

ふいに銀河の背中に痛みが走り、枯れ葉が落ちてこすれ合うような音がした。
足元に散らばる、汚れてくたびれた羽根たち。 風に乗って空に羽ばたいていた翼はすっかり羽根が抜け落ちてしまい、飛ぶ力など残っていない。

二人の目の前には、樹齢は何百年、あるいは何千年かと思われる巨木が立っていた。
巨大な樹の根元にぽっかりとあいた洞。

世界の果てにそびえる大樹の洞は、全ての生物の終わりを迎え入れるためであるという。
ここを旅の終わりにしようと、互いに口に出さずに決めていた。

まるでゆりかごのような洞に二人は身を横たえる。
互いの名を呼んで、かつてほどの力はなくても、けれど離さないとでもいうように抱きしめ合い、寄り添って二人は静かに目を閉じた。


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