戻る
甘酸っぱい記憶

主である審神者が荷物を抱えて、本丸を増築した際に造った小さい厨房へと歩いていくのを大倶利伽羅は偶然見かけた。
荷物は重量があるのか、腕からずり落ちそうになるのを慌てて抱え直している。

主は次の出陣予定まで日が開くときは休養日を定めて刀剣男士たちを休ませ、自身はほとんど一日その厨房にこもって菓子作りに没頭していることが多い。
そういえば朝から包丁藤四郎の機嫌が妙に良さそうだったのはこれがあったからかといまさらに納得が出来た。

ふと、主の手からまた袋が滑り落ちそうになるのが見えて、大倶利伽羅はため息をつくとそちらへと近づいた。そろそろ次あたり落としそうだと判断した為だ。
無言で取り上げた袋には薄力粉と書いてあり、そして主の腕には手提げのかごも下がっている。
誰かに声くらいかければいいのにと思ったことは口に出さず、向こうに運べばいいのかと厨房の方を示す。
主は彼が突然現れたことに短く悲鳴を上げて驚いていたが、行動の理由を理解してか、ありがとうとほほ笑んだ。

「……何を作るんだ?」
抱えていた袋を作業台に置きながら大倶利伽羅が尋ねると、主は驚いた様子で目を瞬いた。
まさか尋ねられるとは思ってもいなかったという表情だ。
それはそうだろう。こんな風に荷物持ちを引き受けることはあっても、主に何を作るのかなどと尋ねたことなど無かったのだ。

修行から戻った後、大倶利伽羅は主から想いを告げられた。
それを誰にも言わなかったはずなのに、なぜか周囲ではいつのまにか主とは恋仲ということになっていて彼は困惑した。恋仲になるという感覚がよくわからなかったのだ。
主から伸ばされた手を取ったのは、他の刀の誰よりもいくさに連れて行くという言葉に乗っただけでしかなく、主との関係の変化にも進展にも興味などなかったし、行動に起こすつもりもなかった。

けれど主のほうは約束を守り、彼をどの刀よりも多く戦場に送り出すようになった。
そうなると彼としてはさすがにそばにいてほしいという主の望みを無視するのは公平ではないと思い、それらしく行動を取るべきだろうと考えた。
近侍を務めるように言われたのならそれで充分だったのだろうが、帰還後の一度だけでその気配もなく、面倒に思いながらも気が付く限りで声をかけたりするようにした。
主が一人で買い物に出かけようとするなら荷物持ちとして付き添い、今のように荷物を運ぶのを手伝ったりと、恋人らしい振る舞いというものはわからないまま彼なりにそばにいるという行動をしてきた。
だからこうして尋ねるのもその一つでしかなく、彼自身の興味からきた問いではなかった。

主は再度目を瞬いて、そうして何か納得したように小さく笑うと器具などを並べながら、オレンジでお菓子を作るつもりなのだと答えた。
旬の果物としてお店に並んでいて目に入ったのだと、かごから出した橙色の柑橘を作業台に置いていく。

それに不思議と視線が吸い寄せられた大倶利伽羅の口からは、無意識に言葉がこぼれていた。
「見ていていいか、あんたが作っているところを」

主は手のひらほどの大きさのオレンジを丁寧に洗い、皮をすりおろしたり、実を薄く輪切りにしていく。
粉類を振るい、混ぜ始めて生地を作るのを収納箱を兼ねた椅子に腰かけて眺めていると、ふとその生地の混ざり具合が気になってつい尋ねてみれば、これはこのくらいでいいのだと言う。
あまり混ぜすぎると焼き上がりに影響が出ると話しながら主は手慣れた様子で紙を敷いた型に生地を入れ、輪切りの身を乗せる。
型をオーブンに入れて温度と時間を調整すると、別の作業に取り掛かりはじめた。

オレンジの皮を剥き、何度も茹でるなどの下処理をしたあとで細く刻んでいるうちに、オーブンが焼き上がりを告げた。
取り出し、型から抜くと網の上に並べていく。
型に入れた時の量からは想像がつかないほど生地は膨らんで高さがあった。
擦った皮を混ぜ、さらには輪切りの身が乗っているためか、その焼き菓子からは甘酸っぱい香りがしている。
オレンジマフィンという名のそれに、大倶利伽羅は訝し気にした。
主の作った菓子とオレンジ、どちらもそれぞれ食べたことはあってもその両方が一つになったときの味がまったく想像がつかない為だ。

そんな彼の様子に主は笑って、味見してみる?と一個をお皿に乗せて差し出してきた。
型は一度に六個まで作れるもので、そして一つがかなり大きい。
味もわからないそれに一個丸々はさすがに多いと遠慮すれば、主はそれだったらと四等分に切り分けた。

主が味見だと言って一切れ食べる。大倶利伽羅は少しためらった末に思い切って口に運んだ。
焼きたてだからか生地はフワフワとした食感で、甘すぎない程よい酸味のさわやかな味に無言でもう一口食べていた。
飲み込んで、悪くないと言葉にすれば、よかったと主は笑った。

二人で一個分を食べ終わったちょうどその時、外から大倶利伽羅の名を呼ぶ太鼓鐘貞宗の声がして、どうやら彼を捜しているらしかった。
大倶利伽羅はため息をついて椅子から立ち上がると、もう戻ることを告げた。
すると主がちょっと待ってと呼び止め、冷ましていたマフィンを袋に四個詰めて、鶴丸さんたちとみんなで食べてと渡してきた。
「……いいのか、こんなに」
戸惑う彼にまだこれから色々作るつもりだから大丈夫だと主はほほ笑むので、大倶利伽羅は素直に受け取ることにした。

「お、伽羅。どこいたんだよ?」
「どこでもいいだろ。それより用はなんだ」
「これから大広間でみっちゃんが乱や秋田に頼まれてたパンケーキを作るんだ。鶴さんが伽羅も呼んで来いって。手伝って一緒に食おうぜ」
そんなことで捜していたのかと、大倶利伽羅はどうでもいいと息を吐く。
「なんでだよ、みっちゃん特製のパンケーキ美味いだろ?」
「誰も不味いとは言ってない。いまはそんな気分じゃないだけだ」
大倶利伽羅の答えに太鼓鐘は不満そうに唇を尖らせ、ふとその手にあった袋に目をつけた。
「なんだそれ?」
みんなで食べるようにと主にもらったのだと言えば、太鼓鐘はだったらなおのこと行こうぜと大倶利伽羅の腕を掴んで走り出そうとする。
体格差を物ともしない強引さを発揮されるともはや抵抗は無駄だった。
大倶利伽羅はため息をついて諦め、せめてと掴んでいる手を振り払う。
「わかったから腕を引っ張るな」
どのみち主からもらった菓子を鶴丸たちに渡してやらねばならないので大広間に向かうことに否はない。

先に行ってるから早く来いよ、と駆けていく太鼓鐘貞宗の姿が遠ざかるのを見やって大倶利伽羅はまったく忙しないと息を吐き、手元の袋に視線をやる。

恋人らしい振る舞いが出来たかはわからないが、主が作っている様子を見ている時間はそう悪いものでもなかったなと思ったところで、なぜか主の笑顔が脳裏をよぎった。
驚きに思わず肩が揺れ、慌てて振り払う。
そうして、らしくもないことを、と首を振って歩き出した。


戻る