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君のために贈るもの

あ、と気づいたときには手から滑り落ちて、受け止めも間に合わずにぶつかって割れてしまった。

場所も悪かった。畳の上だったらまだ助かった可能性があったが、ちょうど立ち上がって高さもあり、そして足元は床張りでは、割れるなという方が無理だ。

大事に使っていた湯呑を割ってしまった。
以前からフチの部分が欠けていたとはいえ、そこを避ければまだきちんと使えていたものなのにと残念に思いながら使わない紙を持ってきて、破片を包んでいく。幸いにも小さな破片はないようだ。

新しい湯呑は明日買いに行こうと何気なくカレンダーに目をやって、ああそういえばもう就任日が近いのだと気づく。
いま割ってしまった湯呑は、審神者に就任した頃に自分で買ったものと同じ柄だ。
当時のものは一年ほどで割れてしまい、同じ柄をある刀剣男士が見つけだして贈ってくれたものだった。
それもあって大切に、フチが欠けてそれでケガをするかもしれないと男士たちに心配されても、割れるまでは使うのだと譲らなかった。

好きな人から初めてもらった贈り物だった。
たとえあの時向こうはそう認識していなくても、自分にとっては何よりの品で。
そう言えば割れた器を修復してくれる店があったはずだと調べたが、値段の相場を見て思わず顔をしかめてしまう。
愛着は確かにあるが、さて修復を依頼するほどだろうかと考えてしまったのは、湯呑自体はさほど高いものではないからだろうか。

「……どうした、どこか痛いのか」
突然声をかけられて驚き、割れた湯呑を拾うためにしゃがんだままだったためにバランスを崩して後ろに倒れそうになったが、あぶないところで抱きとめられた。
見上げると訝しむ表情の大倶利伽羅と目が合った。

大倶利伽羅が主の元に向かっているとき、偶然にもその方向から小さいが確かに何かが割れるような音が聞こえてきた。
執務室には姿が無く、私室とつながる戸が少しだけ開いている。中から感じる気配は主だけのもので、何者かが侵入した様子はない。
それでも用心して中をうかがえば、主は彼に背中を向ける形でしゃがみこんでいた。

音を立てないように戸を開け、警戒を緩めないままそっと近づいたところで唸るような主の声がした。
痛みでうずくまって立ち上がれずにいるのかと思って声をかけたら、驚いた様子で彼の方へと倒れ込んできたのだった。

長椅子に移動して話を聞けば、心配したようなことではなかったので彼は安堵した。
目の前の低いテーブルの上には割れてしまった湯呑を包んだ紙がある。
せっかく大倶利伽羅がくれたものだったのに割れてしまった、と落ち込んだ様子の主の肩を抱き寄せ、慰めるように髪をそっと撫でた。

「割れるまでは使うつもりだったんだろう。ならもう、充分じゃないのか」

それはまだ主から想いを告げられる前のことだ。
大倶利伽羅は当番中に誤って主の湯呑を割ってしまったことがあった。
主は気にしないでと言っていたがさすがに放置できず、新しいものを買いに食器屋へと足を運んだのだが、店の棚には湯呑だけでも大きさも柄もいろいろな種類のものが並んでいてうんざりしてしまった。
けれどまあ使えるのならばどんなのだろうと良いだろうと目についた物に手を伸ばしかけて、大倶利伽羅は一瞬ためらってしまった。
それは少し前に、自分の湯呑を主が誤って割ってしまった後に同じ柄のを渡されたことや、主が審神者に就任した当初に買ったものだったと、本人ではなく燭台切光忠から聞いていたのをふいに思い出してしまっていた所為だった。

この本丸に顕現した刀剣男士は初陣後、紋の入った箸と湯呑を主から贈られる。
こちらから頼んだわけではないのにわざわざ店員に頼んで同じ柄のを探し出したことに対して借りを作ったなどと思う必要はないと自分に言い聞かせながらも、適当に選ぶことが出来なかった。
せめて似たような柄はないかと探したが、けれど見当たらずにしばらく探すために店に通い続けることになった。

『──別に良いじゃないか、主が自己満足でやったことなんだ。同じものじゃなきゃ味が変わるわけでもなし』
なかなか見つからずに食器屋通いがつづくなか、そんな風に鶴丸国永に揶揄されたこともあった。
しかし自己満足とわかっていても妥協がどうしてもできなかった。もはや意地でもあったかもしれない。
その食器屋で同じ柄が再び並ぶのは珍しいこともあってか、結局以前に主がそうしたように店員に協力してもらって、白い地に青色の枝と薄緑の花模様の柄の湯呑をようやく買うことが出来ていた。

そうして大倶利伽羅が贈った湯呑を、主はずいぶんと気に入ってくれていた。
フチが欠けて、ケガしたら危ないから使わない方がと刀剣男士たちから言われても割れるまでは使うのだと言って聞かなかった。
恋仲になって以後は、唇を切るかもしれないと大倶利伽羅が気にして「新しいのを買ってやる」と言っても、せっかく見つけてくれたものだからとやはり譲らなかった。

「……新しいのを買うのか?」
尋ねると、主はためらいを見せた。気に入ってるものだったから直して使いたい気持ちがないではない、と。
「そんなにあの柄が気に入っていたのか」
主は、柄がというより大倶利伽羅に初めてもらった物だったからもっと大切にしたかったのだと言って唇を尖らせるので、彼はその唇を指先でつついた。

「フチが欠けた時、買ってやると言ってもあんたは割れるまでは使うつもりだと聞かなかった。なら今度こそはちゃんと買ってやれるな」
借りを返すでもなく意地になった結果でもない。主のことを考えて選んだ贈り物をしたいと思ってそう言ったのだが、主は、買ってもらう理由が無いと遠慮を見せる。
大倶利伽羅はため息をついた。
「もうすぐ就任五周年だろう。それが理由では弱いか。それに去年の誕生日は何もしてやれなかった」
去年の主の誕生日の時は連隊戦の只中で、それより前にも出陣予定があって考える暇がなかった。
なのでいつものように主の元を訪ね、日付が変わった時に祝いの言葉をかけたのがせめてと彼が出来たことだった。
お祝いを言ってくれただけで充分だったのにと主は返しつつも、嬉しいとほほ笑んだ。
どんな理由であっても割れた時には新しく買ってやるつもりだったのだから、彼としては主を納得させられたのならそれでよかった。

食器屋に大倶利伽羅は主と共にいた。
相変わらず豊富な柄の食器が並ぶ棚の前で、主はどれにしようかと迷いに迷っている。
そんな様子を大倶利伽羅は眺めていたが、さすがに視線に気づいたようで主は待たせていることを詫びて、すぐに決めるからと焦った表情を浮かべた。

「焦る必要はない。ゆっくり選べばいい」
きっと以前の自分なら無為の時間だと感じていただろう。
だが主が迷っているうちは、この時間は自分だけのものなのだと思うといくらでも待つことが出来そうな気がした。

主はありがとうと答えつつもいくつかで迷っていると困惑を見せ、それらの湯呑を示して、大倶利伽羅に選んでほしいと言ってきた。
まず主が指したのは、底の方が薄い紅色で上が白のグラデーションになっている地に、桜の花びらが散った柄の物だ。
桜の柄はいくつもあるけれどこれがその中では一番気になった、と。
そして次に示したのは、先日割れてしまったものと色合いや柄が似た物だ。
どうしても割れた物と似た柄を目が探してしまって、と眉を下げる。
そして三つ目が、薄い青色の地に赤と白の椿が描かれた物だった。

「俺が選んで本当に文句はないのか?」
いくつか選んでそこから絞る時、本人の中では無意識のうちに決まっていることがある。
その可能性を考慮して尋ねたのだが、どれも素敵だしこのままじゃいつまでも決められないからと主に委ねられた大倶利伽羅は、そうだなと三つを見やって、二番目に示された物を棚に戻した。
彼の中では尋ねられた時に真っ先に除外したのが二番目だった。
どうせなら別の柄のほうが、その湯呑を見るたびに自分が贈ったものだと実感できそうだという理由からだが、口に出しては、せっかく買うのだから前と似たような柄じゃつまらないだろうと言えば、主はなるほどと納得して残った二つの湯呑を手に取って見比べ始める。
桜の柄と椿の柄のを手にじっと悩んでいたが、よしとうなずいて主は桜の柄のを戻してこれにすると言った。
「椿の柄か」
最近そう言えば椿の柄の物を選ぶことが多かったからと言うその手から湯呑を取ると、大倶利伽羅は会計してくると店の奥に向かう。

ようやく主のために買ってやれると思うと、自然と口元に小さな笑みが浮かんでいた。


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