戻る
いっしょに帰る場所

「ねえ清光、髪飾りはこれでいいんだっけ?」
「そうそれ。こないだ見つけたやつでさ、主に似合うと思って」

新しい年を迎え、初詣に出かけるための準備に取りかかっていた。
加州清光と大和守安定に手伝ってもらってヘアメイクを終えた後は、用意していた椿柄の小紋を篭手切江に見てもらいながら以前に歌仙兼定に教わったことを思い出しつつ自分で着付けてみているところで、普段着ている白衣と袴にはない過程もあるのでなかなかに大変だった。
それでも何とか帯を締めるところまでは大きな指摘も入らずにきている。

さすがに帯の締め方は完全ではなかったので篭手切に教えてもらいつつ、前で締めた帯を後ろに回したところで思わず安堵から息を吐いていた。
そんな様子に篭手切が笑い声をあげつつ、鏡で映して見えるようにしながら形を整えてくれて、出来ましたよとほほ笑んだ。
「完了です。かなり上手に出来ていますよ、主」
後ろ、横と鏡で映しながら、手伝ってくれてありがとうと礼を言う。
褒め言葉にはお世辞が多分に含まれてはいるのだろうが、以前に歌仙兼定に教わりながら着付けた時よりは帯はともかく四苦八苦せずに済んだように思うのでその時よりは多少なりとも上達はしたのだと思いたい。

「ねえあるじさん。寒さ対策はケープにしようと思ってたんだけどこないだ羽織を新調したんだからそれを着て、このストールをマフラーとして巻くといいんじゃないかなって思ったんだけど、あるじさんはどう?」
そう言って乱藤四郎がいくつか広げている防寒具の中で選んだのは、軽くて折りたためば小さくなって収納量の少ないカバンにも入るストールで、細長く折ればマフラー代わりにもなって一石二鳥だと肌寒くなった頃に買って重宝しているものだった。
乱の提案に、良いと思うと答える声がその場の全員と重なった。
「じゃあ決まりだね!バッグは……一緒に入ってたのが結構収納量ありそうだからこれでいいと思う」

バッグに端末や財布など他必要なものを入れ、姿見に映して改めておかしなところはないかと確認しているとこちらに近づく足音が聞こえて振り向く。
私室の戸口に濃紺の紬のアンサンブルに身を包んだ大倶利伽羅が立っていた。
「わあ、大倶利伽羅さんカッコいいよ!ね、あるじさん!」
乱藤四郎が褒め、そしてこちらに振ってくるので二度三度とうなずいて少しだけ視線を下に向け、バッグの持ち手を握りしめる。
大倶利伽羅の着物姿を見るのはこれで三度目だ。
初めてのことではないのに、普段とはまた違う格好の良さに眩しさを感じてどうしても直視が出来なかった。

大倶利伽羅と初詣に出かけることになったのは、年末に鶴丸国永からどうするのかと尋ねられたことがきっかけだった。
審神者になる前から初詣は祖父母と一緒に行っていたし、就任した後も一人気軽に行っていたので今回もそのつもりだと答えていたのだが、せっかくならば大倶利伽羅を連れて行ったらどうかと提案してきた。
年末年始だけは外出許可をあらかじめ取っておかなくて構わないようになっている。おそらく政府の業務が休みだからだろう。
夏の花火大会のことを思い出しつつ、大倶利伽羅が嫌ではないようだったら考えると一応はうなずいたが実際のところ期待はしていなかった。 彼は正月だろうと何だろうと、一人で過ごしたいはずだと思っていたからだ。
けれど大倶利伽羅は了承してくれたと鶴丸は言った。
そしてこちらの知らぬ間に他の男士と話をして、着物を着せようということにまでなっていた。

それから二日後、連隊戦で出陣に忙しい中、レンタル衣装の業者から本丸に荷物が届いた。
鶴丸の名で頼んだことになっていたのでどうしたのかと聞くと、こんのすけに相談して借りることにしたのだという。
中を確認すると着物や帯、足袋や襦袢、草履など必要な一式が入っていた。

刀剣男士が現世に出る時のために衣装が借りられるようになっていることは知っていたが、実は審神者も礼服や着物などを借りることができると知ったのは花火大会のときだ。
あの時着用した椿柄の浴衣も実は借り物で、そして買い取ることもできると知って、柄が気に入ったこともあってそのまま購入している。

借りた椿柄の小紋は一目見て気に入ったが、肝心の鶴丸がなぜか納得していなさそうだった。 曰く、本当は振袖にしたかったらしい。
『だが考えることはみんな一緒ってわけで、あいにくと早々に在庫が切れたそうでな。まあでも初詣だからって振袖じゃなきゃいけないわけじゃない。正月らしいおめでたい柄の小紋だって十分だよ。それに振袖の袖は長いから扱いも大変だろうしな』
そう言って出遅れたことを謝る鶴丸に、振袖は別の機会で着られたらそれでいいからと、ありがたく着させてもらうことにした。

こんのすけに先導され、大倶利伽羅と手をつないで舗装された道を歩く。
こうして二人そろって着物姿で現世に出向くのは去年の花火大会以来だ。
前を歩く管狐の揺れる尻尾を見ていると、寒くないか、と彼の尋ねる声がした。
足元に視線を向けながらうなずく。大丈夫と答える声が少しだけ震えてしまった。
着物の上に羽織を着てさらにはストールをマフラーとして巻いているうえ、バッグの中には手元が寒かったときのためにと手袋まで用意してあるのだと説明すれば、ならいいがと彼は納得し、そしてふと足を止めたと思うと、なあと呼びかけてきた。

いくらか低かった声の響きに肩が揺れる。
なに、と答えながらも彼のほうは見られずに視線を露骨にならない程度に下に向けていると、視線を合わせるように彼がかがみ、顔を覗き込まれてしまった。
視線が合わさったことにうろたえていると、彼がため息をつく。
「調子が悪いんじゃないのか。さっきから様子がおかしいが」
そんなことないと答える声が弱々しかった所為か、信用されずに疑わしげな表情をされてしまう。

思わず肩が跳ねる。これ以上不自然な態度を取ってしまうのは心配してくれている彼に失礼だろう。
それにせっかく二人で出かけるのに帰ろうと言われてしまったら寂しいと、体は大丈夫だと答えながら恐る恐る顔を向けた。
視線が合うと、彼がほんのわずか唇を笑みの形に変えて、ようやく俺を見たなと口にする。
それだけで普段とは違う格好も相まって、心臓の高鳴りが抑えられず唇を引き結んで体を震わせ、うめき声を出してしまうのをなんとか抑えこんだが、余計に不審に映ったようで、彼の手が額に伸びてくる。
「……本当に問題ないのか」
大丈夫と慌ててうなずいて、自分から彼の手をつかんだ。
顔が赤くなっている自覚はあったが、変なところを見せてごめんなさいと精一杯の笑顔を作った。
彼は息を吐いてようやく納得してくれたようで、無理はするなよと念押しする。
「それと──」
そこで一旦言葉を切って顔を寄せて、よく似合っている、とささやいてきた。
とっさに出しかけた変な悲鳴を両手で顔を覆うことで防ぐ。
いまの響きは、以前に白無垢を着て花嫁役として写真を撮られたときのことを思い出させた。

あの時も実は、羽織袴姿で花婿役だった大倶利伽羅の格好良さに動揺せずにはいられなかったし、そして撮られている中でいまのようにささやかれたりもしたが、それでも着ていた白無垢の重さもあっておとなしく出来ていた。他の目もあったというのも大きいだろう。
本当ならその場にしゃがみこみたいくらい動揺していたのだ。
いまはあの時よりへたに動ける分、うっかりそうしてしまいそうで怖い。
着物が崩れるので何とか我慢した結果が顔を手で覆うことだった。

心なしかあの時よりもささやいた声が穏やかで柔らかかったような気がしたが、追及すると出かけられなくなりそうなのでやめておき、行こうと振り切るように足を動かした。

「本当にこのあたりに神社があるのか?」
大倶利伽羅は疑わしげに主に尋ねた。
周囲は家ばかりで、一見すると神社などどこにも建ってないように見える。
最初は主が迷ったのかと思ったがこのあたりはよく知っているから大丈夫と自信に満ちていて、訝しみながらも歩いていると、やがて大きな二軒の家が見えてきた。
その家は車は通れないような細い一本道を挟んで並んでいて、主はこの先だと言った。

不審に思いながらも主の後に従って細い道を進むと、目の前に朱の鳥居が突然現れた。
そして鳥居の向こうから聞こえる人々のざわめき。
来るたびに別の空間に迷い込んだような気分になるのだと歩きながら主が言っていた言葉の意味が理解できた気がした。


初詣ということもあってかなりの人混みを覚悟していたのだが、場所の所為もあるのか、大倶利伽羅が想像していたより参拝者の数は少ない。
主曰く、今日が二日目で元日を避けたのと、足を伸ばした先に大きな神社があるのでここはあまり混むことが無く、落ち着いてお参りが出来るのだということだった。

本殿に進み、賽銭を賽銭箱へとそっと入れる。 鈴を鳴らし、そうして二礼二拍手で手を合わせた。

大倶利伽羅は手を合わせる主をふと見やり、真剣な横顔に何を願っているのだろうと思い、そうして主の願いが叶うことを願うと共に一礼をした。

「……おみくじか?」
主の視線が社務所に向いていたことに気づいて声をかけると主は首を振って、そうではなくて刀剣男士と一緒の人を見かけたから他本丸の審神者なのかなと思ってと答えた。
ほら、と示された先の結ばれたおみくじが連なる、おみくじ結び所とある前に確かに後ろ姿でもわかる刀剣男士の姿があった。髪の色を見るに男士は鶴丸国永だ。隣にいる振袖姿の女はおそらく審神者であろう。
女が鶴丸を振り向く。その横顔に大倶利伽羅は思わず眉をひそめていた。
不本意ながらその顔に見覚えがあったからだ。

去年、主と共に行った花火大会で出会った、他の本丸の審神者と鶴丸国永だ。
横を向いていたその審神者がふとこちらに気づいて、あら、と声をあげた。

「久しぶりね。まさかこんなところで会えるなんて思わなかった」
お久しぶりですと主がその審神者と鶴丸にそれぞれ会釈し、その節はお世話になりましたと礼を言う。
「こちらこそ、危ない所を大倶利伽羅さんに助けていただいたこと、改めてお礼申し上げます」
二人して頭を下げて、そうして顔を見合わせて笑い声をあげた。

「二人はお参りは終わったの?」
うなずいてこれから甘酒をいただきに行くつもりなのだと主が答えると、彼女は自分たちもそのつもりをしていたのだとほほ笑み、どうせなら一緒に行きましょうと主の手を取った。

境内には臨時の休憩所が設けられ、そこでは甘酒を振る舞っていた。
参拝客が集まり、白い息を吐きながら紙コップに口をつけている。
美味しいから大倶利伽羅にもぜひ飲んでもらいたい、と神社に来る途中で主は楽しそうに話していた。

背のない長椅子がいくつも設置してあるそこの空いているところに主と並んで腰を下ろす。
四人分の席の確保は難しく、鶴丸と彼の審神者は少し離れた所にいることに内心でいくらか安堵しつつ、大倶利伽羅は甘酒を口にした。
さほど寒さを感じていないと思っていたが、一口飲むと体に沁みるようで思わず息を吐いていた。
「……悪くないな」
彼の反応に主は、よかったと嬉しそうにほほ笑む。
ここには祖父母と毎年初詣に来ていて、こうしてお参りのあとに三人で飲む甘酒を何より楽しみにしていたと話す柔かな声を聞きながら、大倶利伽羅は穏やかなひと時を味わった。

揃って鳥居を出て神社から少し離れたところで、その鶴丸の審神者がそうだと何かを閃いた様子でバッグから端末を取り出すと、連絡先の交換をしないかと持ち掛けてきた。
「同じ審神者の知り合いってなかなか出来なくて。演練で声をかけるにしても、どうしても刀剣男士が一緒の時だと警戒されがちじゃない?」
こんな機会でもないと交流もできないという彼女に、主はこちらこそぜひとうなずいた。

二人はお互いの名を名乗りながら連絡先を交換する。
その流れで主の名を聞いて、そういえばそんな名前だったかと大倶利伽羅はふと思った。
近侍としてそばにいた時間が短く、名前をちゃんと認識したことが無かったと気づいたのだ。

「そういえばこの近くにも神社があるけどここに来たのってどうして?」
ユキという名のその審神者がふと尋ねてくる。
主が、審神者になる前までこの近くで住んでいたのだと話すと、ユキは目を丸くし、実は自分の実家も近くなのだと言った。
今日はこれから実家に顔を出すつもりもあってこの神社に来た、と。
そこから家の住所はどのあたりかという会話になり、さらには近所にあった店や変な場所などの話で二人の主は盛り上がっていく。 話題についていけない男二人は置いてけぼりの格好になってしまい、少し離れて自分たちの主の様子を見守ることにした。

「きみの主の着物姿もかわいいな。あれはきみが選んだのかい?」
「……いや。俺じゃなく、こちらの鶴丸国永だ」
「なるほど。さすが俺だ、センスがいい」
大倶利伽羅が苛立ちもあらわに舌打ちすると、冗談だよと鶴丸が肩を揺らして笑ったが、それ以上の会話は続かなかった。

他本丸の審神者に対する興味が無い彼にとっては、社交辞令というのは縁遠いものだ。
だが主の着物姿を褒められた格好なのになにも返さないのはさすがにまずいかと考えていると、鶴丸が彼の肩を軽く叩いて、気を遣うことはないと言った。
「きみという刀を俺だってちゃんと知っているつもりさ。お互いの主のいいところなんて、自分だけが知っていればいいものだしな」
「……そうだな」
いたずらっぽく片目をつぶる鶴丸に、大倶利伽羅も肩の力を抜いて、ほんのわずか口元に笑みを刻んだ。

しばらく大倶利伽羅たちは話し込む主たちを見ていたが、会話が終わる様子が一向に無いので、二人は思わず顔を見合わせ、それぞれに主の名前を呼んだ。 主二人は自分たちの刀を振り向く。
ユキは両手を合わせてごめんなさいと謝ったが、主のほうは無言でじっと彼を見つめてきた。
その異変にいち早く気づいたのは鶴丸で、彼は突然主の前で両手を打ち鳴らす。
主はハッと何かに気づいて周囲を見回し、そうして不思議そうに首をかしげた。

「少し話がある」
そう言って鶴丸は大倶利伽羅を手招きした。
何事かと訝し気にすると、鶴丸は真剣な表情で、主に聞かれたくないのか声を潜めて話しはじめる。
「気をつけたほうがいい。さっき、きみは自分の主の名を呼んだがあまり外で口にしないほうが……いや、そもそも呼ばないようにしたほうがいいぞ」
「……何が言いたい?」
「なぜ審神者が通名を名乗るのか、きみだって聞いたことくらいはあるだろう」
問われて、大倶利伽羅は眉を寄せる。

敵に本来の名を知られて呪術の類に利用されることを防ぐため、審神者は本名とは違う名をつけるのだと確かに以前、大倶利伽羅は聞いたことがあった。
そして刀剣男士と審神者の結婚はそれを逆に利用した結びつけるための儀式が存在するのだとも。
「聞いたことはある。だがそれがどうした」
「きみが主の名前を呼んだ時、あの子の様子は変だった。もしかしたらあの子の本名の可能性が高い」
低く静かに落とされた言葉に、大倶利伽羅はわずかに目を瞠った。

「普通、本名とは違う名前なら俺たちが呼んだって様子が変になったりはしないのさ。けどあの子は……」
確かに鶴丸が自分の主であるユキの名を呼んでも、反応はいたって普通だった。
だが彼の主はぼんやりとして心ここに在らずと言った様子で、鶴丸がいち早く気付かなければどうなっていたかわからない。
そしてもし、名前を呼ぶ以上のことに主の名前を使われたとしたら──。
そう考えると背中を冷たいものが落ちたような気がした。
「ましてここは神社のそばだ。ちょっとおかしなことが起きたとしても不思議じゃない」
「……わかった」

二人が遠ざかるのを見やってため息をついた彼がふと隣を見ると、先ほどのようにどこか遠くを見ている様子の主の横顔があった。
そうして主は彼のほうを見ることなくいきなり歩き出したので、大倶利伽羅は驚き、手をつかんで呼び止めた。大きく肩を揺らして主は振り向くと不思議そうに彼を見て、どうかしたのと首をかしげた。
「あんたはいま、何も言わずに一人で行こうとしていた」
大倶利伽羅が教えると、えっと声をあげ、困惑した様子になる。どうやら自覚が無いようだ。
先ほど鶴丸に言われたことを思い出した彼は主の手をしっかりと握りしめ、一刻も早くここから遠ざかりたい気分で、帰るぞと歩き出そうとした。しかし主は足を止めたままだった。
「……どうした」
主はためらいを見せながらも、少しだけ寄りたいところがあるから大倶利伽羅はここで待っていて、と顔をうつむかせる。その態度に大倶利伽羅は眉を寄せていた。
「寄りたいところ?」
聞き返す声にいくらか剣呑な響きがこもったが、主は気づく様子もなくすぐ済むからと手を離そうとするので、大倶利伽羅は強くつかみなおして、一緒に行くと言った。
「一人で行かせてあんたにもしものことがあったら困る」

それでも渋る主に、俺がいては都合が悪いのかといくぶんか尋ねる声が低くなるが、大したことじゃないから付き合わせるのは申し訳ないだけだと首を振る。
「大したことじゃないなら一緒に行っても構わないはずだ」

彼が譲らないのを見てとったのか、主はわかったとうなずいた。

細い道を戻って住宅街に出る。
似たような家が並ぶ通りを歩いていると、初詣を済ませたあとは住んでいた家の近所を少し歩いてから本丸に戻っていたのだと主が話し始めた。用事としては大したことではないからわざわざ外出許可を取らずに済むようにこうして年に一回の初詣の時のついでくらいでちょうどいいのだ、と。
そうだったのか、と返しつつ彼は密かに安堵した。
一人で行こうとするからてっきり言えない相手と会うのではないかと、みっともなく問い詰めるような真似を危うくするところだった。

築年数が古そうな家が立ち並ぶ通りに入って進んだ先、主が足を止めたのは雑草の生い茂る空き地の前だった。周囲は杭とロープで囲まれて入れないようになっている。
その空き地を見つめる主の横顔は寂し気で、先ほどの話から察するにこの場所にはかつてが主が祖父母と暮らしていた家が建っていたのだろう。

大倶利伽羅は以前、なにかの時に主の生家はすでに無いと聞いたことがあった。
両親と住んでいた家は賃貸で祖父母と共に暮らすために解約したが、建物自体は数年後に取り壊された、と。
その時には特に何も思うことはなかったが、いまは主に寂しそうな表情をさせたくないと思う。
主にはもう家族も、そして帰る場所も現世のどこにも存在しないのだ。

ふと大倶利伽羅の脳裏をよぎったのは、鶴丸国永が主導となって立てた、彼と主を結婚させようとする計画だ。
ひょんなことからそれを知ったとき、なぜそんな計画を立てたのかと不審に思った彼に対して鶴丸は、主に家族を作ってやりたいからだと言っていた。

『きみとあの子が結婚すれば、あの子は家族を持つことが出来る。俺たちは一つ屋根の下で暮らしてはいるが、厳密には家族じゃない。たとえあの子が俺たちを家族のように思っていてくれたとしてもな』

『……そう思っているなら、自分が家族になろうとは考えなかったのか』
口にして、なぜそんなことを尋ねたのか彼自身にもわからなかった。
けれど鶴丸は驚いた様子もなく彼の肩を二度三度と叩いてきて、あの子が望んでいないのにそんな無理は出来ないだろ、と軽い調子で言った。
『あの子の気持ちはいま、きみに向かってるんだぜ。あんまり無理なことを言うなよ。それとも……きみからあの子を奪ってもいいと言うなら手加減はしないが』
そう言って目を細める鶴丸に、大倶利伽羅は肩に乗ったままの手を思いきり振り払って、舌打ちした。

鶴丸は冗談だよと笑ったが、大倶利伽羅は警戒感を露わにした。
この男が本気になればきっと主の心を奪うことなど容易いのではないかと思い、二人が一緒にいる姿を想像しただけで腹の底が炙られ、嫉妬と独占欲に体中が支配されるような感覚に陥ってしまう。
『そんな顔をするなよ。だからこんな計画を立ててきみの背中を押そうとしているんじゃないか』
『……』

しばらく沈黙がその場を漂っていた。
『なあ知っているか、伽羅坊。あの子の部屋に、審神者になる前から持ち込んだ私物は実はほとんどないってことを』
穏やかな声で話しはじめた鶴丸の表情は珍しく沈んだ様子で、大倶利伽羅は虚を突かれた。
おかげで先ほどまで抱いていた嫉妬心と警戒心が霧散している。
そして主の私物、と聞いて真っ先に思い浮かんだのはオルゴールだった。
けれどあれは元は主の母親のもので、審神者になったあとで父親から引き取って執務室に置くようにしたという経緯があるらしく、当てはまらないだろう。
ちなみにだがそれは大倶利伽羅がまだ顕現する前のことだ。

『……それがどうかしたのか』
『あの子に直接聞いたことがあるんだ。審神者になる前、暮らしていた時の荷物はどうしたのかってな。そしたら、元々そんなに自分の物は持っていなかったんだそうだ。ここで住むために多少は減らしたそうだけどな。それでも残ったのは衣服ぐらいだった、と』
だから形見と言えど、オルゴールを大事にしている理由がわかったような気がしたと鶴丸はつづけて、そして独り言のようにつぶやいた。

『あの子は、いざとなれば身一つでどこかに行ってしまえる子なのかもしれないな』

おそらくこの時から、自分の中で思いが定まり始めたのかもしれないと大倶利伽羅は考える。
もうその頃には自身に存在するいびつさを認識していたから、鶴丸がもらした思いを知って、それらが混ざり合うのを感じていた。
主にとってただ一振りの刀でありたいという彼が抱き続け、表に出さないようにしている思いは、主と結婚することで形はどうあれ果たされるのではないか、と。

「……家がいまも恋しいのか」
口にした直後、言うべきではなかったと大倶利伽羅は悔やんだが、けれど主は首を振った。
正直言えば恋しいと思う時もあるけれど、いまは本丸があるから寂しくはない、と。
そして、実はここが買われて近々建設が始まるという話を聞いていたので最後に見ておきたかったのだとほほ笑んだ。 そこにはもう先ほどまでの寂しそうな色はない。

大倶利伽羅は主の手ごと体を引き寄せて額に口づけると、そっとささやいた。
「帰るか、本丸に。あんたの──俺たちの家に」
主は顔を真っ赤にしながら、嬉しそうにうなずいた。


戻る