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見つけてしまったもの

山姥切国広が修行に旅立った。
見送る主は寂しそうだったが、審神者の間でよく聞くという、最初の刀はなかなか見送る勇気が出ない問題とやらはこの主には縁遠いようだった。
というより主はどの男士の申し出にもためらうことなく了承し、送り出してきている。

「心配するなよ。あいつはあんたのところに帰ってくるだろうしさ」

声をかける大倶利伽羅に主はうなずいたが、それでも寂しさを拭ってやることはできないようだった。
そのことに彼は苛立ちを覚え、そして理由がわからずに困惑した。
山姥切国広を見送ったその日一日の主の様子に大きな変化はなかった。

翌日、にっかり青江と共に畑当番であった大倶利伽羅の元へ、主が昼を知らせに来た。
お疲れさま、と二人に笑顔で声をかける様子はいつもと変わらないように大倶利伽羅には見えたが、青江から見れば少しばかり空元気に映っているらしい。
馬屋で当番に励んでいるであろう日向正宗と南泉一文字の二人へと知らせに駆けていく背中を見ながら、無理をして、とため息交じりにつぶやく。
「昨日の夕食の時も無意識に彼の姿をさがしていたようだったしね」
大倶利伽羅のほうを一瞬見て、けれど返事など期待していない風で、青江は両手の汚れを払い落として歩き出した。

昼食を終え、午後の作業に戻ろうとする大倶利伽羅の視線の先で、こんのすけが主に何かを渡していた。
主はそれを大事そうに抱え、労わるようにこんのすけの頭を撫でてやっている。
管狐は用事が済むと姿を消し、そうして顔を上げた主と彼の視線が合った。
午後もよろしくね、と大倶利伽羅とにっかり青江に声をかけた主は嬉しそうな様子で執務室の方へと小走りで向かっていく。

「山姥切君からの手紙かな」
つぶやきながらにっかり青江は大倶利伽羅の横を通って畑へと歩き出した。

抜き取った雑草をバケツに放り入れ、息を吐きだす。
大倶利伽羅の知る限り、男士を修行に出した直後の主は寂しそうにはしても、戻ってくるまでの数日はいつもと変わらない。 手紙が届くと真剣な表情で読み、そして大切そうに文箱にしまい込む。
以前に言伝を頼まれて執務室を訪ねた時、ちょうど手紙を届けにこんのすけが現れて、その様子を見たことがあった。

表面上はいつもどおりに振舞っているようで、けれど男士たちから見れば空元気に映っているという状況はいままでにはなかった。

山姥切国広はこの本丸で主がもっとも信頼する刀だ。
その山姥切が主のそばにいない状況など初めてのことで、ならばいつもと違うのも当然といえば当然かと大倶利伽羅は納得したが、抜こうとしたはずの雑草をうっかり千切ってしまった。
どうしてかわからないが、感じている苛立ちの所為だった。

山姥切国広が修行に出て三日目。
大倶利伽羅を部隊長とした第一部隊は、演練場にいた。
試合の予定時間まで少しあるため、何か飲み物を買ってくると言って控え室を出た主に、付き添って来いと追い出された格好の大倶利伽羅も従っている。
戻っていいのにという主に、どうせ戻ってもまた追い出されるのが目に見えていたので、別にと返した。
そもそも主を一人で出歩かせたらこの広い演練場では確実に迷子になる。その意味でも付き添い役は必要だと大倶利伽羅がため息をついたところで、ふと主が足を止めた。

何かあったのかと主の向ける視線の先を追った大倶利伽羅は、それを認識して眉をひそめた。
視線の先にいたのは他の本丸の刀剣男士と審神者で、男士は山姥切国広だった。

その目に寂しそうな色を浮かべているのを見つけて、大倶利伽羅はなかば強引に主の肩に手を回して抱えるように歩き出す。
「立ち止まったら邪魔になる」
はっとして主は歩きながらごめんなさいと沈んだ表情を見せ、大倶利伽羅は言い知れぬ不快感に眉を寄せた。

午後は非番となっていた大倶利伽羅は林道の先の桜の木が一本だけ生えている場所に向かっていた。
そこは彼が顕現してしばらくした頃に見つけた場所で、一人静かに過ごしたいときによく足を運んでいるのだが、この日はすでに先客がいた。
大倶利伽羅がよく来ることを知っている他の刀剣男士はめったにやってこないが、主だけは猫にいざなわれるようにして足を運ぶことが多々あった。

その猫は今日は主の膝に抱えられていた。
主は片手で撫でつつ、もう片方の手にある紙に視線を落としている。
いまの時間を考えれば、おそらく山姥切国広からの二通目の手紙だろう。 文字を追う伏せ気味の目に、演練場で垣間見た寂しさは見当たらない。

途端に腹の底が炙られるような感覚に陥って、大倶利伽羅は強くこぶしを握りしめた。
おとといも昨日もだが、どうしてこんなに苛立つのかがわからない。
他の本丸の山姥切国広を見てその目に寂しそうな色を浮かべるのも、その寂しさを山姥切からの手紙が拭うのも何もおかしなことではないし、ましてやそれを不愉快に思う必要などないはずだ。

主の膝に居た猫が大倶利伽羅に気づいて飛び降り、それによって主も気づいて、手紙をたたむと懐にしまった。
主は木のそばを離れて大倶利伽羅の足元に寄ってきていた猫をひと撫ですると、お疲れさまと声をかけながら彼の横を通り抜けようとした。
とっさに大倶利伽羅は手を伸ばして、主の手をつかんでいた。

驚いた様子の主と、なかば無意識で起こした自分の行動に驚く大倶利伽羅の視線が絡む。
戸惑いに満ちた声が彼を呼ぶ。 大倶利伽羅はつかんだ手を自分へと引き寄せ、ややぎこちなくその体に腕を回した。

現世ではぐれたあの夜以来だと、漠然と彼は思った。
手をつかんだときは意識しておらず、抱く腕にためらいはあったが、こうして抱きしめるという行動に移ったことには疑問を持たなかった。

彼は主から想いを告げられ、そばにいてほしいと望まれた。
その代わりにと示された、誰よりも戦いにつれて行くという約束は破られることなく今に至っている。
だから主が約束を違えないのなら、そばにいることを望むなら、それらしい行動を取るのはなにも不思議なことではない。

けれど抱きしめた後はどうしたらいいのかわからず、次の行動を起こせないでいた。
行動に気持ちが伴っていない。あくまで彼の想像する恋人の振舞いとやらをやってみているだけに過ぎないので、当然の結果だろう。

あの夜には、多少なりとも抱きしめたことに意味はあった。
他の目が無く、捜し回る程度には心配していたことや見つけて感じた安堵を示した結果だった。
だから主も遠慮気味であっても彼の背に手を回してくれた。だがいまのこれに意味などない。

意味がないのならつづける必要はない。
ならば体を離すべきだと思うも、もう少しこのままでいたいとも思ってしまったことに戸惑った結果、固まるしかできなかった。
主もどうしたらいいのかわからない様子で、その困惑が腕を通して伝わってくる。

共に固まっていたその状況を破ったのは二人の足元にいた猫で、鳴き声を上げてすり抜けていく。
それによって大倶利伽羅は手を離したが、すり抜けたことに驚いた主が片足を浮かせてよろけたタイミングと重なった。
とっさに手を伸ばしたものの彼自身もバランスを崩してしまい、結果として主はしりもちをつき、大倶利伽羅はその上に覆いかぶさる格好で地面にひざをついていた。

体勢と視線が絡んだことで、彼は抱きしめた後にどういった行動を取ったらよかったのか今更理解した。
視線を逸らさないまま主の頬を指の背でそっとなぞると、触れたところから染みるように赤らんでいく。
その様子をどうしてか現実として感じられず、遠い場所の出来事のように彼は見ていた。

──このまま距離を寄せればいい。寄せて、触れて、重ねてしまえば。

彼の背を押すように誰かの声がする。その声は自分のようで、少し違っているようにも聞こえた。
だがそれを追求するよりも意識は目の前の主の方に向いている。

片手で頬をつつむと、ちょうど親指が主の唇に触れる位置になった。
指の腹で撫でた途端に主が肩を大きく跳ねさせたので彼は自分の行動に自身で驚き、手を離して立ち上がるとその場を立ち去った。


山姥切国広が修行に旅立って四日目。

主に対して自分がしようとしていたことをはっきりと認識した結果、大倶利伽羅は大いに戸惑い、自分自身がわからなくなって落ち込んでいた。

主が他の刀を理由に寂しそうにしたり表情を曇らせることには苛立つし、見たくない。
それが嫉妬と呼ぶべき感情だと理解できたが、けれど自分には関係ないものだと思っていた。
主へ特別に向ける強い想いなど自分の中には存在しない、と。

だが思い返せば、他本丸の鶴丸国永が主のそばにいたというそれだけで、苛立ちを覚えたのも確かな事実だ。
あの時は『鶴丸国永』だったからだと自身に言い聞かせようとして、ならばいまこうして抱えている苛立ちはどう説明するのかと考えてしまうと、行き止まりにぶつかった気分になる。

主への想いなんて持っていなかったはずなのに。

その日一日、意識をしていた所為なのかそれとも偶然なのか、食事の時間以外で主と遭遇することが一度もなかった。
昨日の自分の行動をどう解釈されたのかと思うと顔を合わせずに済んだことに安堵しながらも、かすかな苛立ちを見出して、慌てて押し込め気づかないふりをした。

山姥切国広が帰還する日を迎えた。
主である審神者は朝の時点ではいたって普通にしていたはずだが、帰還予定の時間が近づいてくるにつれて、執務室を出て門が見えるところまで何度か足を運んでいるのを彼だけでなく他の男士も多く目撃していた。
これまでなら修行から戻ってきた刀剣男士を執務室で迎えていたのに、そうして落ち着かない様子でいるのを見るのは初めてのことだ。

昼近くになって昼食の当番となっていたことを思い出した大倶利伽羅が林道から戻って厨に向かっていると、主が門柱に寄りかかっている姿を見つけた。
時々外をうかがうように首を動かし、そして落ち込んだ様子で顔をうつむかせる。

やがてしゃがみこんで顔を伏せるその様子があまりにも頼りなく見えて、大倶利伽羅は突き動かされるようにそちらへと向かっていた。
そばに立つと影が差して、主が顔をあげる。
戸惑った様子で彼の名を呼ぶ声に構わず、大倶利伽羅は主の腕をつかむと無理矢理立ち上がらせた。

「あいつはちゃんと帰ってくる。だからそんなふうに待っていなくていい」
部屋に戻って腰を据えていろと言いながら主の手を引いて屋敷まで連れていく。

「あいつがあんたの元に帰って来ないと思うのか」

ううん、と否定する声は小さかったが、握り返された手には強さがあった。

主は山姥切国広が帰ってくることを当然のこととして信じている。
それでもじっと待っていられないほどに、心配をしてしまう心だけはどうにもならないのだろう。
わかっていたはずなのに。 嫉妬する自分自身の変化を自覚してしまうと、どうにも息苦しさを感じてしまう。

主を執務室まで送って、大倶利伽羅は無言で踵を返した。

廊下の掲示板に貼りだされたこの日の出陣の部隊編成表を見て、大倶利伽羅はほとんど無意識に手にしていた刀を握りしめていた。
部隊長のところにあるのは山姥切国広の名前だ。
そのこと自体は何もおかしいことではない。大倶利伽羅は確かに主に誰よりもいくさにつれていくと言われていまの関係になったが、部隊長に据えること自体を約束したわけではない。
そもそも彼自身、その役目にこだわりなどなかった。というより彼には部隊長として他の刀を率いる意欲など持っていなかった。 それでも主が部隊長に彼を据えるのでそれに従っていただけで、ここでわずかであっても動揺する必要はないはずだ。

山姥切国広が修行から戻った。今日これからのいくさは山姥切にとっては帰還して最初の出陣になる。
だから主が山姥切を部隊長に置くのはなにもおかしなことではない。
これより前に修行に出ていた歌仙兼定も加州清光も、それ以外に新たに顕現した男士たちも、初陣では全員が部隊長になってきたのだ。
その時には何も思うことなど無かったはずなのに、どうしていまこの時自分は動揺しているのか、大倶利伽羅はそれを考えようとして慌てて振り払う。
思いがけず嫉妬の感情を自覚して戸惑っているというのに、これ以上深追いしては戻れなくなる。
主が望むならとそれらしく振舞おうとしていることに、意識が引っ張られそうになっているだけだと自分自身に言い聞かせ、踵を返して出陣用のゲートのある方へ向かった。

部隊長となっている山姥切国広が重傷となったため、部隊は帰還した。
ゲートをくぐりぬけ本丸に戻ると主が待っていた。
一瞬表情を強張らせて、そうしておかえりなさいと全員に声をかけながら、主はまず傷の深い男士に手を伸ばす。
主の手は、和泉守兼定が肩を貸して支えている山姥切国広にためらいなく伸ばされた。

その瞬間、大倶利伽羅は傷を負った場所を新たに刺されたような錯覚をして思わず息を詰め、刀を握りしめて表情に出してしまわないように気を張った。
ゆっくりと息を吐きだし、そうして向けた視線の先に手入部屋へと山姥切を連れて行く主の横顔が見えたが、その表情は彼がこれまで見たことが無いほど悲しげだった。

「大倶利伽羅、血が!」
主たちの姿が遠ざかるのを立ち尽くして見ていた大倶利伽羅は、加州清光の言葉にハッとして足元を見る。
石畳の上に血だまりが出来ていた。意識したとたん、めまいで体が揺れた。
彼自身、そこまで大きな傷を負った意識はなかった。おそらく主の目にも山姥切国広ほどの重傷には映らなかったはずだ。
早く手入部屋に行くよと引っ張られる形で大倶利伽羅が手入部屋に向かうと、主は驚いた様子で彼へと手を伸ばして、備え付けの台に横たわるよう指示を出す。
彼は倒れ込みそうになるのをこらえて腰を下ろし、主の手に刀を預けると息を吐きながら横たわった。

傷が癒えていく感覚に自然とまぶたが落ちていく直前、主が山姥切の名を呼ぶ小さな声が聞こえた。

それからしばらく経ったある日のこと。
その夜は陸奥守吉行、蜂須賀虎徹、加州清光、歌仙兼定、山姥切国広の五振りが修行から帰還したのを祝って、鶴丸国永主催で宴が開かれていた。
出陣任務や新たな男士の顕現、修行の申し出が相次いだために時間が取れなかったこともあってかなり盛大なものになった。

大倶利伽羅は、時々ある飲み会同様に一人静かに適当に飲んで、酔いつぶれるより前に宴会場である大広間を後にした。

そのまま部屋に戻ろうと思ったときにふと頭に浮かんだのは、宴の最初に顔を出して五振りの帰還を祝って、酒の匂いで体調を崩す前にと早々に部屋に戻った主の姿で。
顔が見たいと漠然とだが思い、主の執務室と私室がある方へと足を向けた。

修行から戻った山姥切国広が戦場に出て、そして重傷となって帰還したあの日。
真っ先に自分に主の手が伸ばされなかったことに愕然としたのを最初は不可解に思っていたが、別の出陣の日、その理由が理解できた。
部隊長となっていた大倶利伽羅が重傷になったことで部隊は本丸へ帰還し、主が出迎えた。
ためらいなく自分へと手が伸ばされたと理解した瞬間、大倶利伽羅は安堵し、同時に自分の中にあるいびつさを知ることになった。

目の前で、自分以外の刀に手を伸ばしてほしくない。
他の刀の誰よりも敵を斬って、殺して、血を流せば主は真っ先に自分に手を伸ばしてくれる。
主の刀は自分一人だけで十分なのだと証明できる時が来るはずだ。

このいびつさは、奥底に沈めておかなくてはならないものだと彼は理解していた。
決して表に出すことなどないようにしなければと決意をし、ふと何気なく視線を向けた庭は、灯篭の明かりに照らされて燃えているかのように鮮やかな紅葉の景色が広がっていた。
思わず足を止めた彼は池にかかる橋の上に主の姿を見つけて、顔を見たいと思っていたこともあって自然とそちらに歩き出して声をかけていた。

池に反射する紅葉に視線を奪われている様子の主を、大倶利伽羅はじっと見つめる。
酔いからくる錯覚だろうか、主のまとう雰囲気に普段とは違うものを感じた。
水面ではない、どこか別の何かを見ているような眼差しに彼は焦りのようなものを覚え、その視線をこちらに向けたいと思った。
直後、彼の思いを読んだように風が葉を揺らし、それによって主が池から視線をあげ、彼のほうを見た。
視線が絡んだ瞬間、大倶利伽羅の脳裏には自分の不可解な行動に困惑したあの日のことがよぎっていた。

手を伸ばして主を抱き寄せる。
あの日のように戸惑い、体を硬くするのが伝わってくるが、大倶利伽羅にはもう戸惑いはなかった。 意識して、抱きしめたいと動いたのだ。 片手で体を抱き、もう片方の手で主の頬にそっと触れる。
視線が確実に互いだけを捉えていることがはっきりわかった瞬間、彼はようやくあの日の自分がしたかったことを──主に口づけたかったのだと認めることができた。

彼が距離を寄せると主が少し顔を傾ける。
もうあとわずか、唇が触れそうな距離にまで近づいた時、親密な雰囲気を流すように風が吹いて、二人は同時に距離を取った。

遠くの宴の喧騒が聞こえるほどその場は沈黙に支配されて二人とも立ち尽くしていたが、三度目の風が吹いたことで共に動くことが出来た。
主は顔をうつむかせたまま小さな声で、おやすみなさい、と口にして逃げるようにその場から走り去った。

小さくなる背中を、大倶利伽羅は見つめ続けていた。


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