大広間に置かれた棚には、いくつかの映画のソフトが並んでいる。
年末年始の連隊戦も終わり、次の戦場に出るまで少し日があることもあってそろそろ本丸映画鑑賞会を開こうかと鶴丸国永は考えていた。
前回開いたのはもうずいぶん前だったなと思いながら並ぶ映像ソフトのパッケージを眺めていると、まだ包装されたままのものが一本だけあるのを見つけた。
鶴丸自身、最近買った覚えがないので主だろうかと思いながら手に取って裏面を見ると、やはり主が買ったものであることがわかった。
「鶴丸さん、何やってんの」
声をかけてきた加州清光は鶴丸の手にあるものを見て、納得がいったように眉を動かした。
「それ、主が買ったはいいけど勇気がなくて観れないって言ってたやつだっけ。封も開けてないじゃん」
「いくら好きでもそれとこれは別ってやつなんだろう」
「好きなものと苦手なものが一緒になったんだもんね。複雑だよなー」
「実はそろそろ鑑賞会でも開こうかと思っていたんだが、これ開けてもいいもんかな」
「大丈夫じゃない?集めたいだけなら手元に置いとくだろうし。てか鑑賞会とか久しぶりだね」
「連隊戦も終わったしな。次の予定まで少しばかり時間があるようだし、息抜きでもどうかと思ったんだが……これ、主は誘ったら来ると思うかい?」
「どうだろ。あ、でも案外鶴丸さんにきっかけ作ってほしいって思って置いてたりして」
そう言って加州はいたずらっぽく笑った。
二日後の夜。夕食が終わった大広間で鶴丸が本丸映画鑑賞会の準備を進めていると、戸が開いて、水筒とクッションを手にした主である審神者が入ってきた。
参加者はそれぞれ飲み物などを持参するのがこの鑑賞会で唯一定められたルールだ。
鶴丸は笑みを浮かべ、等間隔に並べた座布団を示す。
「よく来てくれた。さあ好きなとこに座ってくれ」
席には十分余裕があるという鶴丸に主は壁のスクリーンと鑑賞席とを見やって、だいぶ後ろの方を選んだ。
「いいのかい?それじゃ、きみの好きな俳優の顔がよく見えないだろう」
だが主は平気だと首を振ると座布団に腰を下ろして持参したクッションを抱えた。
その表情はこれから映画を観るというにはあまりに悲壮感に満ちている。
そんな主を眺めて、無理もないかと鶴丸は小さく笑った。
今日これから観るのは主が苦手なホラー映画だ。
だが主演が好きな俳優ということで、作品の映像ソフトを買ったはいいが封を開けることも出来なかったそれを、一人ではなく他の人と一緒なら頑張って観れるのではないかと考えたのだろう。
掲示板に知らせを貼りだしたときにはさてどうなるかと思ったが、こうして来たということはやはり加州清光の言うように鶴丸がこれを鑑賞会で流すことを期待していたようだ。
その後続々と集まった参加者によって鑑賞席は埋まり、やがて上映が始まった。
いつものように主の部屋を訪ねた大倶利伽羅は、しかし執務室に主の姿がないことに眉をひそめた。
私室の戸は少し開いていて、そのすき間から見える向こうは暗い。
部屋にいないということは外かと背後の縁側を振り向いたが、しかしあの怖がりの主が夜に出歩くわけがないかと思い直す。
あと思い当たるのはいまちょうど大広間で開かれている映画鑑賞会だが、流す予定の作品は主が苦手なホラー映画なので参加しているとは考えづらい。
とはいえ他に当てもなく、時間的にもそろそろ終わる頃だろうから様子を見に行くかと部屋の外に出たとき、燭台切光忠から声をかけられた。
「ちょうど良かった。主のこと頼んでもいいかな」
そう言って燭台切は自分の背後にくっついていたらしい主をなだめ、大倶利伽羅のほうへと押し出す。
咄嗟に大倶利伽羅は手を伸ばして迎えたが、肝心の主はクッションを抱きしめ、涙目になっていた。
反射的に燭台切を睨むと彼は両手を挙げて、誤解だと首を振った。
「僕が泣かせたんじゃないよ。主は映画を観たんだ」
「は?」
「鶴さんの映画鑑賞会に主も来ていたんだ。ただ、ね……」
苦手なホラー映画だったしと燭台切は気まずそうに頬を掻くと、あとは任せたと言ってそそくさとその場を後にした。
「なんだって苦手なものをわざわざ観たりしたんだ」
ティッシュを差し出し、大倶利伽羅は呆れた様子でため息をつく。
それで涙を拭きながら主は、勇気が出なかったからだと答えた。
好きな俳優が出ているから観たいけれど苦手なホラー映画だから怖くて一人で観る勇気がなかったのだと。
「……それで、ちゃんと目的は達成できたのか」
主はうなずき、途中でリタイアしようと何度も思ったが、そのたびに画面いっぱいにその俳優の姿が映るのでなんとか最後まで観ることが出来たと言って目元を赤く腫らしながらも嬉しそうにほほ笑む。
「そうか。よかったな」
返しながら、いくら心にもない言葉だとしてもあまりに素っ気ない言い方になってしまった自分に大倶利伽羅は驚いていた。
主はそんな彼に気づくことなく大きくうなずく。
「それより顔を洗ってきたらどうだ」
主は両手で顔を覆い、きっと涙でぐちゃぐちゃだと慌てて奥にある洗面所へ走る。
その後ろ姿を見送って、大倶利伽羅は息を吐き出した。
顔を洗っていくらか落ち着いてきたらしい主は、今日は何を飲むかと大倶利伽羅に尋ねてくる。
寝る前にこうして主の元を訪れ、お茶などを飲み終わるまで会話をするのが二人で過ごす習慣になっていた。
「……いや、もう部屋に戻る」
主は一瞬戸惑いを見せたものの、わかったとうなずく。少し寂しそうな表情は見ないふりをした。
おやすみなさいと見送ってくれる主の声に、ああと返しながら大倶利伽羅は足早にその場を後にした。
あのまま留まって主と会話をしたとしても、きっと居心地の悪い思いをするだろうと確信していた。
彼自身、主との会話のための話題を大して持っていないことをずっと気にしていて、今日のことだって話すにしても当番を手伝ったくらいで何か話になるようなことが起こったわけでもない。
結果として主のほうから話題を振ることになり、あの状態だと主が先ほどまで観ていた映画、もっと言えばそれに出ている好きな俳優のことになるのは目に見えていた。
あの主のことだから怖かった場面などには極力触れず、ただ俳優の良かったところなどを話すのだろう。
主の示す好意の種類が違うことはわかっている。
それでも、主の口が別の男のことを語るのは腹立たしいものがあるのだ。
はあ、とため息をついて大倶利伽羅は寝返りをうつ。
眠れずにいた。目を閉じると主のことばかり考えてしまって眠気が来ない。
部屋に戻ると言ったときの寂しそうな表情がよぎって胸が痛む所為だ。
目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出す。
そうして大倶利伽羅は布団を出て、静かに部屋を後にした。
執務室が近づくにつれ、大倶利伽羅は訝しんだ。
どうして障子戸の向こうがうっすらと明るいのか。
もう夜中だ。まさか主は眠っていないのかと、彼は伺いを立てることも忘れて戸を開けた。
主の短い悲鳴が聞こえ、なにかの塊が大きく跳ねた。
そうして塊は毛布を被った主とわかると大倶利伽羅はため息をついた。
「なにやってるんだ。もう夜中だぞ」
おまけに火鉢に火は入っていないためか部屋の中は寒々しい。
震える声で彼の名を呼び、主は涙目のままびっくりしたと腰が抜けた様子で座り込んでいる。
そばに寄って手を伸ばすと、主は勢いよく大倶利伽羅に抱きついてきた。
「お、おい……」
戸惑ったものの震えている体によほど驚いたのだろうと大倶利伽羅は主の肩をなだめるように撫でた。
「眠れなかったのか」
大倶利伽羅が主の頬に手を伸ばすと冷たさが手のひらに広がって思わず眉をひそめていた。
そっと撫でると、その手に甘えるように頬をすり寄せてくる。
大倶利伽羅が戻ったあとに布団に入って眠ろうとしたら、映画の怖かった場面を思い出して眠れなくなってしまったのだと主は話し、執務室なら端末もあるし仕事をしていれば気が紛れると思ったという。
そういえば今日は見回りのない日だったと大倶利伽羅は思い出し、もしも見回りの男士が様子を見に来ていたらこんなふうに主のそばにいたのは自分ではなかったかもしれないと思い、つい抱き寄せていた。
不思議そうな主に、これなら少しは寒くないだろと返す。
主は驚いたり怖い思いをすると近くに体格の大きな男士がいた場合、助けを求めるように身を寄せる傾向がある。鑑賞会が終わったあとに燭台切光忠と一緒に部屋に戻ってきたのもそのためだろう。
そんな風に怖がる主をなだめてそばにいることを、男士たちはしょうがないと呆れながらも拒むことはない。
それを認識するとどうしようもなく胃のあたりが炙られるような感覚になる。
主の口から他の誰か──特に男の話を聞きたくない。
そばに置くのも、頼るのも自分だけにしてほしい。
抱きしめる力を強くしながら大倶利伽羅はそんなふうに考えて、腹立たしさと情けなさを覚えて眉をひそめた。
これほど主に関して嫉妬深く、独占欲が強くなるとは、きっと顕現したばかりの頃の自分に話しても信じないだろう。
それでもこんな感情を主にだけはさらしたくないと必死に抑え込む。
みっともなく振舞うのだけは嫌だった。
ふと主はいまさら不思議そうに、大倶利伽羅はどうしてここへと首をかしげる。
「……あんたが怖がってるだろうと思った」
それに大倶利伽羅自身、どうしても眠れなかった。
主と話をして時間を過ごすことはすっかり習慣になっていて、それが途切れるだけでどうにも落ち着かなかったのだ。
なにより、主の寂しそうな表情が頭を離れなかった。
主は目を丸くし、怖がりな性格はなんとかしないといけないと思ってはいるんだけど、と困ったように眉を下げ、そうすればみんなに迷惑もかけずに済むのにとため息をつく。
「だったら」
何かあれば真っ先に自分を呼べばいいと言いかけて、それは現実的ではないと大倶利伽羅は口をつぐんだ。
どうかしたのと尋ね返す声に、なんでもないと首を振る。
「それよりこれからどうするんだ。眠れるのか」
主は肩を揺らし、頑張ると答えながらも表情は強張っていた。
まだ怖い場面を思い出すかもしれないという恐れがあるのだろう。
「……なら俺は部屋に戻る」
本当なら主が眠れるまでそばにいてやりたいと思いながらも、それを切り出して主に拒まれる可能性や、これ以上ここにいたら余計なことを口走りそうになりそうな予感に襲われ、振り切るように立ち上がろうとしたが、主の手が大倶利伽羅の手を掴んだ。
ただどうやら無意識だったようで慌てた様子で離すと、ごめんなさいと視線を彷徨わせる。
そうして毛布を掴むと勢いよく立ち上がり、おやすみなさいと踵を返そうとしたので大倶利伽羅は手を伸ばして抱き寄せていた。
「言いたいことがあるなら言ってくれ」
だが主は腕の中で体を硬くしてなんでもないとごまかし、昨日までの戦いで大倶利伽羅は疲れてるだろうから体を休めないと、と腕から抜け出した。
彼自身、確かにいまこの瞬間も疲労感は認識していたが、それよりも主と時間を過ごせなかったことのほうが気がかりできっと戻っても眠れるとは思えなかった。
そしていまは、主の無意識の行動の意味を知りたい欲求が勝っていた。
このまま距離を詰めて問いただせばきっと何かが変わる。
一方で、踏み出してしまえば抑えがきかなくなってしまうことも、それが主を傷つける可能性があることもわかっていた。
主が戸惑い、ためらううちは無理に踏み出すべきではないのだろう。
そう思って自分に言い聞かせていたのに、口は別の言葉を吐きだしていた。
「……あんたが問題ないなら、眠れるまでそばにいていいか」
言った直後に大倶利伽羅は自分で驚き、取り消すより前に主が目を瞬いて、そうして顔を赤くして視線をそらす姿に意識を奪われ、撤回する機会を逃していた。
ややあって主がうなずいてくれたことには安堵して、知らず詰めていた息をゆっくり吐きだした。
主の手を引いて奥の私室に入る。
増築で私室を作った際に執務室とつながる板戸に鍵をつけなかった主にへし切長谷部が色々と言っていたが、刀剣男士たちに勝手に入られても別に困らないと平然としていた。
さすがに洗面所や浴室につながる扉は内側から鍵が掛けられるようになってはいるというがそれだって気休め程度だろう。
そんな主の部屋に大倶利伽羅は入る機会はほぼなかった所為か、無意識に室内を見回していた。
床張りの部屋の中、真っ先に目に入ったのはさほど大きくない流し台。そして二人掛けの長椅子と低いテーブルとその下の敷物、扉付きの収納棚だ。
そういえば棚に入っているのはいくらかの食器や茶葉、保存のきくお菓子などがほとんどで、主の私物と呼べるものはほとんど無いのだといつだったか鶴丸国永が話していたことを思い出す。
同時に、あの子は身一つでどこかに行ってしまえる子なのかもしれないと、遠くを見るような表情で鶴丸がつぶやいていたことも。
そんな部屋の中で唯一の畳敷きの小上がりが主の寝室で、そこには仕切りとしてカーテンが下がっている。
主は小上がりに上がると敷かれた布団に腰を下ろし、枕元の照明をつける。
大倶利伽羅は段差になっているところへ腰掛け、完全には上がってしまわないように注意を払う。
横たわって布団を首元まで持ち上げた主は大倶利伽羅のほうを向いて、最近どんな本を読んだのと尋ねてくる。
「眠らなくていいのか」
ため息とともに返せば、話をしていれば余計なことを考えなくていいと思ってと笑う。
それにいつも寝る前に大倶利伽羅と話していたのに今日はそれが出来なかったから、とも。
そうかと返しながら大倶利伽羅は最近読んだ本を脳裏に浮かべて並べ、あまり面白くなかったものを選んだ。
つまらない話なら聞いているうちにきっと主が眠れるだろうと思ったからだ。
その目論み通り、さほど時間が経たないうちに相づちの声が不明瞭になり、まばたきの動きが緩慢になってやがて寝息を立てて眠り始めた。
大倶利伽羅は息を吐きだし、音を立てないように動くと枕元の照明を常夜灯に切り替えた。
そうして主の髪を撫で、こめかみのあたりに口づけを落とすと、おやすみとささやいて部屋を後にした。
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