この日、鶴丸国永は暇を持て余していた。
特に何の当番にもなっていなかったのもあって何か面白そうなことでもないかとうろついていると、一期一振と燭台切光忠が揃って主が建てた小さな厨房へと入るのを見つけた。
「なんだ、珍しい取り合わせだな」
好奇心が刺激された鶴丸は気配を消して後を追い、窓から中を見た。
中では燭台切と一期一振が共にエプロンをつけて何かの作業を始めるところのようだ。
エプロンの紐を結び終えた燭台切が窓の方を振り向き笑顔を見せる。どうやら気づかれていたらしいと知って鶴丸はやれやれと息を吐くと、厨房の扉を開けた。
「鶴さん、白くて目立つから尾行に向いてないよね」
「かといって迷彩柄とやらを身につけるのも違うしなぁ」
悩みどころだとため息をつく鶴丸に一期は笑い、もし暇をしているのならぜひ手伝っていただければ、と声をかけた。
朝食を終えたあと、特に当番にも入っていなかった大倶利伽羅は時間をどう過ごそうかと考えて馬屋の方や畑などを見て回ったが、当番以外の刀剣男士も手伝っているのを見て、特に手は必要なさそうかと自分の部屋へと戻った。
つい先日読み終わったばかりの本に手を伸ばそうとしたとき、突然部屋の戸が開いて驚いている間に鶴丸国永によって小さな厨房に引っ張り込まれ、一期一振の菓子作りを手伝う羽目になっていた。
「弟たちにお返しをしたいと思って、主殿に相談をしたのです」
そう言って一期一振はボウルの中の生地の材料を混ぜていく。
「お返し?」
「はい。二月のバレンタインに弟たちから手作りの菓子とそれに合うような酒を貰いまして。三月にはそのお返しの日があることは知っていましたし、そのことを主に相談していた矢先、あのようなことに……」
大倶利伽羅の問いに一期はうなずき、表情を曇らせる。
主が呪いにかかっていたこともあって、とてもではないがそのようなことをしている余裕は無かった。
だが無事快復したので改めて相談した一期一振は、弟たちがそうしたように手作りのお菓子で返すことを決め、主からは離れの厨房も好きに使っていいと許可も貰っていた。
お菓子を作ると決めたものの、さて何を作ろうかと今度はそれで彼は悩んだ。
そしてふと、改めて主に相談した日の近侍であった燭台切光忠に、何かあれば声をかけてくれたら手伝うと言われていたことを思い出してさっそく声をかけた。
燭台切は難しすぎず、けれど量を作れるものがいいと一緒に悩んでくれ、そして決まったのが一口サイズのドーナツとマドレーヌだった。
「……それはわかった。だがなぜ俺を巻き込む必要がある」
大倶利伽羅はため息と共に一応の納得を見せた。だが巻き込まれたことに納得がいっているわけではないと鶴丸を睨めば、白い太刀は肩をすくめ、自分も暇だったから手伝おうと思ったと言い、どうせきみだって暇していたんだからいいじゃないかと悪びれる様子もなかった。
「暇じゃない」
「きみがさっき読もうとしていた本はこないだ読み終わったやつだろ。読み返そうとしていたってことはつまり時間があるってことだ」
「……うっとうしい」
事実を指摘されて大倶利伽羅は苛立ち紛れに舌打ちすると、息を吐いてこの状況を受け入れることにした。
一期一振がドーナツの生地を作る横では、鶴丸国永と大倶利伽羅がマドレーヌの生地作りに挑んでいる。
「それにしてもこの、サックリ混ぜるってのはなかなかコツがいるもんだな」
混ぜすぎてはダメだがうまく全体に混ぜられないと粉っぽさが残る。
普段何事もソツなくこなす鶴丸が塩梅が難しいと珍しく苦戦している横で、大倶利伽羅は慣れた様子で生地を混ぜているので燭台切は目を丸くした。
「伽羅ちゃんはこういう作業が得意なのかな」
「……別に」
手際よく見えたのだとしたら以前に主の菓子作りを近くで見た記憶が役に立ったためだろうが、口にはしなかった。
オーブンでマドレーヌを焼いている間、コンロ前では一期一振がドーナツを黙々と揚げていた。
鶴丸が揚がったドーナツをホワイトとミルクの二種類のチョコレートソースに次々とくぐらせていく。
その間、大倶利伽羅は燭台切光忠に見守られながらケーキの材料を混ぜていた。
生地作り作業が終わって次の工程に移ったとき、燭台切がそういえばと尋ねてきたのだ。
「伽羅ちゃんは主へのバレンタインのお返しは決めたのかい?」と。
お返しに悩んでいたよねと告げる燭台切の口調は明らかに楽しんでいたので、マドレーヌの生地を型にスプーンで流しいれていた大倶利伽羅は反射的に顔をしかめてしまった。
「おや。乱から聞いてはいましたが、どうやら主からの本命チョコをいただけたようで」
「そうそう。しかもなかなか重いチョコだったそうじゃないか」
太刀二振りはそう言って楽しそうに笑い合う。
大倶利伽羅は主からのバレンタインのことを誰にも話してはいないが、鶴丸国永という名の相手を丸め込んで本音を引き出すことにかけては右に出るものがいない厄介な男がこの本丸にはいるのだから知られていても何の不思議もないと、知らないふりをすることはあきらめた。
主から本命チョコを貰ったことは事実で、それを否定したくなかった。
お返しを悩んでいたのも確かだ。なのにどうして素直に認めるのが癪だと思うのかと考えると、やはり明らかに面白がられているこの状況の所為だろう。
そんな彼の葛藤を感じ取ったのか、燭台切が苦笑する。
「ごめんごめん。からかうつもりはなかったんだ。まあゆっくり考えなよ。それよりあの子の大好きなプリンをお返しと快復祝いも兼ねて作ろうって思ってたから、それを手伝ってくれるかい?きっと喜んでくれると思うんだ」
「……余計な手が入ったやつじゃ、意味がないんじゃないのか。光忠の味にならない」
燭台切は目を瞬き、それは確かにそうかもと納得した様子になった。
主が喜ぶのは燭台切光忠が作ったものであって、そこに別の手が加わってしまえばそれはもう別物になってしまう。それでは意味がない。
いつだったか大倶利伽羅が食事当番の時、燭台切が楽しそうであったので同じく担当になった加州清光がどうかしたのかと尋ねていたことがあった。
その時彼は、主が食べて喜んでくれるのを想像したら嬉しくなってつい鼻歌が出てしまったのだと気恥ずかしそうにしながらも柔らかくほほ笑んでいた。
確かに食事をしている時の主はいつも嬉しそうにしていた。いま思えば、燭台切が食事当番の時は特に嬉しそうだったはずで、その時の表情を思い浮かべれば胸の奥が灼けつくようだった。
自分ではあんなふうに嬉しそうな顔をさせられないとわかってはいても、嫉妬の感情がどうしても邪魔をして簡単に納得できない自分を見出し、厄介だとそっと息を吐いて作業に戻る大倶利伽羅の目の前にそっと一枚のラミネート加工された紙が差し出された。
覚えのある字で書かれたそれは何かのレシピのようだ。
「ねえ伽羅ちゃん、主のためにケーキを作ってみない?」
きっと喜んでくれるよ、という燭台切の言葉には妙な説得力があった。
そうして大倶利伽羅はお返しのためのケーキを焼くことになった。
混ぜて型に入れて焼くだけだからそんなに難しくないと言われ、やがて出来上がったのはドライフルーツを混ぜこんだパウンドケーキだ。
確か以前に主からもらった焼き菓子の袋の中にこれと同じようなものが一切れ入っていた。
焼き色も悪くなく、見た目はその時と近いものが出来上がったが問題は味の方だ。
小さめの紙の焼き型で作った二個のうち、焼き色にムラのある方の端を切って味見をしてみる。
レシピ通りにしたためか味自体は悪くないが、どことなく記憶にあるそれよりも食感が劣るような気がして仕方ない。
そんな大倶利伽羅の無言の視線に、同じく味見をした燭台切は大丈夫だとほほ笑んだ。
「充分美味しいよ。なにより君が主のために作ったんだから」
充分熱が取れたマドレーヌを柄の付いた透明な袋に入れ、その口をシールで留める。
その袋につけるメッセージカードを一枚ずつ丁寧に書いている一期一振の横顔は真剣でありながらとても楽しそうだ。
書きあがったカードの表に、鶴丸がそれぞれの紋が入ったハンコを押していく。
「しかしこんなものまであるとはねぇ」
鶴丸は博多藤四郎の紋が刻まれたハンコを手に持って向きを確かめながら紙にしっかりと押す。
この厨房には袋やリボン、シールやカードなどラッピング用品もいろいろ取り揃えられていて、そこには刀剣男士の紋が刻まれたハンコもあった。
バレンタインの時、主は一振りずつにクッキーを包んでそれにメッセージカードをつけるのだが、そこにはそれぞれの紋が入っていたのでこのハンコを使っていたようだ。
主もこんな風にバレンタインの前日には準備をしていたのだろうかと鶴丸たちの作業を大倶利伽羅が眺めていると、ねえ、と燭台切から声をかけられた。
「リボンは何色にしようか。主の色、だと黒っぽくなっちゃうかな」
色とりどりのリボンを手に燭台切は悩ましげな表情を浮かべ、ふと大倶利伽羅を振り向くと、じっと頭から足先までざっと眺め、何かを閃いたのか目を瞠った。
そうして茶褐色のリボンと表に金色で流暢な文字が書かれたラッピングタグを素早く選ぶ。
「僕が包んでおくから、その間にこのタグに一言何か書いておいたら?」
タグの裏はメッセージが書けるように罫線が引かれていた。
「……書くって何を」
「主への愛の言葉とか?」
途端に顔をしかめた大倶利伽羅に燭台切は冗談だよと笑ったが、伽羅ちゃんにはまだまだハードルが高かったね、などと余計な挑発してきたので反射的にふくらはぎに軽く蹴りを入れたというのにこの男は微動だにしなかった。
作業台の隅で大倶利伽羅はペンを手にじっと固まっていた。
メッセージカードほど大きなものではないから書けるとしてもほんの一行か二行程度。
それでもまず最初の一文字すら書けないでいるのだ。
ちなみに一期一振は大量に作った一口ドーナツと包み終わったマドレーヌを抱えてすでに厨房を後にしている。
彼が主へ文章を書いたのは過去に三度だけ。
修行の地から定期報告として書いた三通の手紙で、あの時はそういう命令だからと仕方なくだった。
そのためだろうか、自分の出した手紙のはずなのに内容はよく覚えていない。
主への愛、と心の内で言葉にして大倶利伽羅は慌てて振り払った。
そんな文章が素直に書けていれば、主との話題選びに苦労などしていない。
就寝前に二人きりで話す時間を作りたいと自分から言い出して今では習慣化しているのに、いまだにこちらから振った話題で会話が長続きしたためしがないのだ。
主の声を聴いていられるならそれで良いと思ってはいても、開き直る気にまではなれなかった。
一緒の時間を過ごすのは退屈だと思われてしまうことだけはなにより避けたい。
ため息をつき、ふと何気なく棚の方を見た大倶利伽羅の視界に、覚えのある本が飛び込んできた。
色鮮やかな苺がふんだんに使われたタルトの写真が印象的なその本は、主の買い物に付き合ったときに見ていた。
なぜかそれに惹かれて手を伸ばし、ページをめくる。するとあるページが勝手に開いた。
そこにはチョコタルトが載っていて、まさにそれはあの日、本命チョコとして主から贈られたものだった。
勝手にページが開いたのは、癖がついていたのと大きめの付箋が貼ってある所為だろう。
付箋には主の字で、レシピそのままの分量だと名前の通り濃厚すぎると書いてあった。
確かにあのチョコは濃厚だったなと彼は思い出す。
主が自分のために作ってくれたものを残すつもりも他の刀に譲るつもりもなかった彼は無理をして食べたが、そのために調子を崩すことになった。
無理をしてほしくなかったのにと主に叱られはしたが、普段にはない親密な時間を過ごすことが出来たので彼としては悪くない思い出でもある。
主が覚えていれば、来年のバレンタインは彼が希望したものが用意されるはずだが──。
来年を楽しみにしている、とでも書くべきかと本を閉じてペンを再び取り上げたが、書こうとして思いとどまった。
それこそ今日作ったケーキを渡すときについでのように言えば済むような内容だ。
結局何を書いたらいいのかという最初の壁に戻ってきてしまい、ペンを持ったまま大倶利伽羅はしばらく固まっていた。
そんな大倶利伽羅を眺めやり、鶴丸国永と燭台切光忠は顔を見合わせて共に肩をすくめた。
翌日。午後になって大倶利伽羅は主の私室を訪れた。
昨夜会いに行ったときにケーキを渡して一緒に過ごす約束を取り付けていたためだ。
いらっしゃいと出迎える主はちょうど彼が昨日焼いたケーキを切り分けているところだった。
二人掛けの長椅子を示され、それに腰を下ろす。
結局あのタグには何も書けなかったが、書いたところで主が気づくかもわからないと考えたら書かなくても問題ないと自分を納得させていた。
それにやはり言いたいことは自分の口から言うべきだろう。
切り分けたケーキと紅茶を乗せたトレイを手に主が隣に座り、数カ月遅れのホワイトデーを過ごす二人きりの時間が始まった。
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