あ、と思わず声に出て、足が止まっていた。少し離れた先にいた姿に視線が吸い寄せられてしまう。
「どうした、お嬢」
「うん、彼が……」
鶴丸さんが声をかけてきて、そして私の視線の先に気づいたのか、お、と声を上げた。
「あれは、確かお嬢が運命の相手だって騒いだ余所の伽羅坊か?」
「うん。だけど」
「……ああ、そういえばそうだったな」
私と鶴丸さんは顔を見合わせ、彼に視線を向ける。
彼は私たちの視線に気づくことなくしばらくたたずんでいたが、やがて何かを振り切るようにその場を後にした。
「早いもんだな、お嬢の見合い騒動がついこないだのことのように感じられるよ」
昨年のことだ。まだ見習いだった私は、父と共にこの演練場に来て、そして先ほど見かけた他本丸の刀剣男士の大倶利伽羅に一目ぼれをした。
彼に運命を感じてお見合いを申し込んで顔合わせもしたが、残念なことに彼との縁はなく、その話はすでに過去のものになっている。
正式なお断りをされた後、改めて彼は自分の主さんと恋仲だったということも知って諦めることは出来たけれど、ふいに思い出して切なくなるということが時々あった。
さすがにすぐに切り替えられるほど器用ではなかった自分にも驚いていたある日、一冊の雑誌が完全に私の未練を消し飛ばした。
それは審神者向けに発行されることになったという情報誌の中のフォトウェディングの記事で、ウェディングドレスや色打掛、赤フキの白無垢の写真、そしてフォトウェディングのサンプル写真が紙面に並んでいたが、そこに写っていた花婿役が何を隠そう私が運命の相手だと惚れてお見合いを申し込んだ例の大倶利伽羅さんだったのだ。
『大倶利伽羅』という刀剣男士は本丸の数だけ存在するが、私は一目見てそれが『彼』だとわかった。
だって白無垢を着る花嫁を見つめる優しげな横顔、それこそが私が無断で写真を撮りまくるほどに惹かれた彼の横顔だったのだから見間違えるはずがない。
私の隣で見ていた清光君が、あ、と何かに気づいた様子で声をあげた。
「お嬢、その大倶利伽羅って」
「うん。彼だと思う」
「じゃあそっちの花嫁ってあいつの主?」
「たぶん」
「大倶利伽羅ってこんな顔もできるのかよ」
清光君は感心しているような、あるいは呆れているような声を出す。
私が撮ったあの奇跡の一枚も柔らかい雰囲気だったけれど、この写真にはそれにさらに甘さが加わっていて、見ているだけで理解させられてしまった。
「何見ているんだ、お嬢」
頭上から声が聞こえて頭を上げるとさかさまの鶴丸さんの顔と、ついでにその横にすでに呆れた様子の伽羅の顔があった。
「……改めて失恋したとこ」
「はあ?」
しょうもない返ししかできなかった私に代わり、清光君が説明して実際に写真を見せる。
鶴丸さんは無言で眺め、ああ、と何かを察した感じの声を出した。私は説明の間に机に突っ伏していたので表情はわからないが、多分呆れたんだろう。
のろのろと顔を上げて、私の斜め前に座った伽羅に尋ねる。
「……ねえ伽羅。前に見たのって、こんな感じだったの?」
「距離はさすがにここまでじゃないが、まあ雰囲気は近い」
「そっか」
最初から入る余地なんてどこにもなかったんだと改めて思うのと同時に、一人で空回りしていたのかなって考えるとなんだかバカみたいだ。
思わずこみ上げてきた笑いをため息で流す。
「……運命の出会いって難しいなあ」
つぶやいた私の頭を清光君が慰めるように撫でてくれた。
その後、私は正式に審神者となって最初の刀として選んだ蜂須賀虎徹と共に小さな本丸を営み始めた。
当初は父の本丸で親しかった加州清光にするつもりだったが、刀を手にする段になって気づいたのだ。
私が顕現させる“加州清光”は、私の知っている“清光君”ではない、ということを。
当たり前のことを、私はちゃんとわかっていなかった。
だから、刀の加州清光に伸ばしかけた手を引っ込めて、そして改めて五振りを見渡して、蜂須賀虎徹を選んだ。
父の本丸では、蜂須賀虎徹とは特段仲が良かったわけではなくて、いたって普通に話す相手だった。
でもこれから私のかたわらにあることになる蜂須賀虎徹とは、父の本丸とは違った関係を築くことになるだろう。
与えられた本丸の屋敷はもともと別の審神者が刀剣男士とともに営んでいた、いわゆる中古だったけれどむしろそれが気に入って、内装にもちょっとずつ手を加えて自分好みにしていっている。
これからもっと仲間を増やして、父のところのようににぎやかになればいいと期待しながら。
そして今日、前もって約束していたこともあって演練場で父や父の本丸の刀剣男士たちと再会をした。
とはいっても全員ではなくて、私の本丸の第一部隊と被るとややこしいという理由から選ばれた、鶴丸国永、歌仙兼定、大倶利伽羅、鯰尾藤四郎、加州清光、御手杵の六振りに。
「久しぶり、お嬢」
「うん、久しぶり」
手を振って笑顔を見せる清光君に私も手を振り返す。
顕現させた蜂須賀と二人で父の本丸に行って報告を済ませて以来の再会だからなんだかんだもう三か月くらい経つ。
少し離れたところでは父と蜂須賀が挨拶を交わしていた。
「どう。お嬢の本丸は?」
「うーん、まだ手探りかな。見習いでいた時とはやっぱり勝手が違うというか」
「大丈夫。主だって最初はバタバタしてたし。あのいかつい顔であわてるところとか、結構かわいいよ?」
「あはは」
試合の方は残念ながら私の本丸は一戦目は敗北。まあみんなの練度も高くなかったし、仕方ない。
気を取り直して次は頑張ろう、と蜂須賀と初鍛刀でやってきた薬研藤四郎、平野藤四郎、初めての太刀である燭台切光忠と声をかけあって気合を入れ直す。
「そういえば次は大将の親父さんとこの試合だったか?」
「あ、そうだ。応援に行かなきゃ!」
皆で連れ立って観客席に走る。ちょうど父と清光君が相手の審神者さんと部隊長と挨拶を交わしているところだ。
「……あ」
その相手の部隊長の刀剣男士を見て、思わず声が出ていた。
「どうかしたのかい、主」
蜂須賀の問いに、視線は釘付けになりながらも、何でもないと首を振った。
試合は、父の本丸の勝利だった。喜ぶべきなのに、私は相手のほうを気にしていた。
彼が重傷になったことも気がかりだったし、いろんなことも気になった。
ふと、なにやら試合場の相手方の陣が騒がしいことに気づく。
なんだろうかと平野君と顔を見合わせていると、どこからか声が聞こえた。傷が治ったのに目が覚めないらしい、と。
直後、システムが緊急メンテナンスに入る旨がアナウンスされて、演練場での試合は一時中断されることになった。
父たちと合流すると、御手杵君が不安げな表情を浮かべていた。
どうやら傷が治っても目覚めない刀剣男士というのが、私が運命の相手だと騒いでいた彼、大倶利伽羅さんのことであったらしい。確かに結構派手に吹っ飛ばされて後退させられてたものね。
「もしかして俺のせいなのか」
不安な表情だったのは先ほどの試合で、彼と対していたためのようだ。
結構グサグサ刺しちゃったしと心配そうな御手杵君を、大丈夫だよ、と慰めながらも私も不安げな表情をしていたらしいのを、鶴丸さんが慰めるように頭を撫でた。
「不安は伝播するんだぜ。ほら二人とも元気出せ」
「うん……」
この演練場では審神者の待機する陣に戻れば刀剣男士の負傷も刀装も回復するはずなのに、回復しても目覚めないなんて初めて聞いた。本当に大丈夫だろうか。
「おい、お嬢」
うつむく私に伽羅が声をかけてきた。これ、と手に何かを握らせる。
見れば、審神者が携行を義務付けられている認識票で、茶色い水晶のストラップがついていた。
「なに、どうしたのこれ」
「さっき拾った。たぶん、向こうの俺が持っていたやつだ」
伽羅は、向こうの大倶利伽羅さんが御手杵君に刺される直前にこれが弾き飛ばされて、それに彼の気が一瞬逸れたことを話した。
そのため、やっぱり俺がとどめを!?と御手杵君が余計に不安になってしまったのを慌てて大丈夫だからと清光君がなだめる。
「でもこれがあの彼のものだとは限らないんじゃ……」
「その水晶をよく見てみろ」
言われて茶色い水晶を光にかざすように見ると、うっすらと何かが彫られていることに気づく。
「これって『大倶利伽羅』の紋?」
「いずれにしてもどこかの俺の持ち物には違いないな」
「じゃあ届けたほうがいいよね?」
刀剣男士は自分の持ち物にそれぞれの紋を名入れとして入れることが多いと聞いていたし、こうやって紋が入ったストラップがついているのなら、この認識票は彼の所持品であることを表してもいるんだろう。
普通なら審神者が持つべき認識票を刀剣男士が所持しているなんてありえないことだ。
こんのすけから、必ず主さまが端末と共に所持しているようにと言われているのだから、つまりはこの認識票は──。
「前の主さんのものってことだよね」
思い出すのは一か月ほど前のこと。母から近況を尋ねる電話で、最近特に物騒らしいから気をつけなさいと注意をもらった。うちのこんのすけに詳しく聞けば、最近通り魔的に呪いをかけられることがあるのでそのことを言っているのだと教えてもらった。
さらには実は、私が見合いを申し込んだあの大倶利伽羅さんのいる本丸の主さんが、その呪いが原因で亡くなったことを知った。
犯人はまだ捕まっていないため警戒をお願いします、というこんのすけの言葉がどこか遠かった。
彼は自分の主さんと恋仲だった。そして本来審神者が持っているべき認識票を彼が持っていたということは、これは前の主さんのもので、そしていまの彼にとっては形見の品なのではないかと私が思ったことを口にすると、鶴丸さんがうなずいた。
「たぶんお嬢の考えは合ってると思うぜ。訓練とはいえ真剣勝負で何かに気を取られるなんてよほどのことだろうしな」
鶴丸さんの言葉に認識票を握りしめる私の脳裏には一人たたずむ彼の姿、その時の横顔が浮かんでいた。
「届けに行ってくる。伽羅、一緒についてきて!」
「なんで俺が」
「いいからはやく!」
有無を言わさずに伽羅の手をつかんで、私は彼の部隊の控え室を目指した。
控え室を訪ね、応対に出た向こうの加州清光に認識票を渡した。
彼は大倶利伽羅さんの様子は平気だと言っていたけれど、大事を取って本丸に戻るらしい。
「大丈夫かな……」
「これ以上はあんたに首を突っ込む権利はないだろ」
「わかってるけどさ」
それでも沈んでしまう私の頭を、伽羅は左手で乱暴に撫でた。
「ちょ、なによ……」
「さっさと行くぞ。あんたのところの光忠に余計な文句を言われたくないんでね」
「ほんと伽羅って私の扱い雑だよね!」
「俺は相応の扱いをしているだけだ」
「だから雑だって言ってんの!」
それからさらに少し経って、一部隊六振りが揃ったこともあって、私たちは演練場にいた。
あの後顕現してくれたのは、和泉守兼定と堀川国広の二振り。父のところと同じく、堀川君は兼さんの世話を焼くが、父のところと違うのは私に対してあたりが強くないことだ。
……ってことはやっぱり私、父のところの堀川君に何かしたってことでは?
身に覚えがないけれどいったい何をしてしまったのだろうと悶々と考えながら一人歩いていると、曲がり角で誰かにぶつかった。
「ごめんなさい!……あ」
慌てて顔を上げ、固まった。
ばったり、という言葉そのままに、私と彼は鉢合わせていた。
思わずまじまじと顔を見てしまう。あの最後になった顔合わせ以来の近距離での再会だ。
彼の眉がひそめられるのに気づいて、慌てて距離を取った。
「ど、どうも」
あからさまに回れ右するわけにもいかないし、そもそも私は彼にちゃんと謝っていなかった。
「その節は大変ご迷惑をおかけしまして……」
深々と頭を下げると、頭上からため息と、次いで頭を上げてくれと彼の声がした。
「もう過ぎたことだ。それに迷惑をかけたのはこちらもだ。すまなかった」
「いえ、そんな」
「それと加州から聞いた。あんたがこれを届けてくれたと。礼を言う」
彼の手にあったのはあの認識票だ。やっぱり彼の持ち物だったんだと安堵し、届けてよかったと胸をなでおろしながらも、彼の喪失感を思うと胸が痛くなった。
「父のところの大倶利伽羅が拾ったそうです。お返しできてよかった」
彼が息を吐いて、踵を返す気配がして思わず声をかけていた。
「あ、あの。先日は大丈夫でしたか!?」
彼は立ち止まり、怪訝そうな顔をしながらもうなずく。
「……こうして目は覚めている」
「で、すよね」
彼との会話は続かないって思い知っていたはずなのに、何で呼び止めたりしたんだろうと悔やみながら、けれどあの時の横顔を思い出してしまって、なんだかこのまま彼を見送るのは私が後悔しそうな気がしていた。
未練ではないと思う。どちらかというと嫌な予感が彼を呼び止めさせたと言うか。
ただ問題は私と彼の間で会話が続かないということだ。
しかもいま出せる話題なんて思い浮かばない。ただ前の主さんへの弔意だけは礼儀として口にしたのだが、ふと見た彼は、ああと答えながらも金色の目を陰らせていた。
これは彼にとって触れられたくない話題だったのだと悟る。
「……あ、ごめんなさい。考えなし、でしたね……」
とっさに謝ると、彼は首を横に振る。
「そうじゃない。ただ俺が……受け止めきれていないだけだ」
あんたは悪くないと彼は言ってくれたが、その気遣いを逆に申し訳なく思っていると、主と声をかけられた。
振り向くと、蜂須賀を始めとした私の刀剣男士たちが様子をうかがっていた。
「主。まったく一人で出歩くのは感心しないと言っているだろう」
「ご、ごめん蜂須賀。飲み物買ってくるだけだしと思って」
「……審神者になったのか」
彼の声に振り向く。
「は、はい。三カ月ほど前に正式に」
「そうか」
「はい……」
「主、知り合いなのかい?」
蜂須賀が首をかしげる。私と父のところの伽羅との関係も知っているためか、私が『大倶利伽羅』という刀剣男士に対しておとなしいのが不思議なのだろう。平野君たちも似たような表情だ。
みんなには私が彼にお見合いを申し込んだ話はしていないから無理もない。
光忠さんは彼を懐かしそうな顔で見ている。まだうちに大倶利伽羅は顕現してないためだ。
「ちょっと以前にご迷惑を……」
「そうなのか。では俺からも謝罪をさせてくれ」
そう言って蜂須賀は何の疑問を持つでもなく彼に軽く頭を下げた。そうして私に対して、あまりあちこちフラフラするものではないよ、と注意をしてくる。
どうしてそこで納得するのか。どうしてこの流れでお叱りを受けたのか。
いろいろ言いたいが、彼の手前やめて素直にうなずいておいた。
それに私と彼の間の気まずい空気が流れてくれて密かに安堵もしていた。
「さっきも言っただろう。もう済んだことだ」
そう言って彼がため息をついたとき、彼を呼ぶ女性の声がした。
「大倶利伽羅!」
大倶利伽羅さんの元に駆け寄ってきた女性は以前に遠くから見て、美人だったこともあってよく覚えている。
彼のいる本丸を引き継いだという審神者さんで、つまりは新しい主さんだ。
彼女は私を見て、そして当然のような顔で彼の腕をつかんだ。
「知り合いなの、大倶利伽羅」
「あんたには関係ない」
舌打ちと共に彼は自分の腕をつかんでいた主さんの手を払って、そのまま立ち去ってしまった。
「大倶利伽羅!」
私たちは呆然としていたが、彼女は私を肩越しに振り向いて、失礼しましたと会釈をして彼の後を追っていった。
礼儀で会釈はしてくれたけど、目は笑っていなかったし、どうみても私は彼女に睨まれていた。
同時に、短いながらも彼とのやりとりで彼女がそんな態度を取った理由を察知できてしまい、思わずため息をつく。
「君、あの審神者に何かしたのかい?すごい睨まれていたけど」
光忠さんの言葉に、私はあいまいに笑ってごまかす。
きっと彼女から見たら私は得体の知れない、自分が好きな男に言い寄る女に見えたかもしれない。そしてそれは前には事実だったわけで。
下手に会話しようとせずに素直に見送っておけばよかったなと後悔していると、うちの主がごめん、と声をかけられた。
それは彼のいる本丸の加州清光だった。先日控え室を訪ねて以来だ。
「こないだは届けてくれてありがと。あの時はバタバタしててちゃんと礼が言えなくてさ」
「いえ。彼からもお礼を言っていただいたので」
ならよかった、と加州さんは笑う。そうして大倶利伽羅さんの歩いて行ったほうを見て、大事なものだったから本当によかった、とつぶやく。
「前の主さんの、ですか?」
聞くべきではないのだろうけど口から出ていた。けれど加州さんは気分を害した様子もなく、うなずく。
「あいつにとってはあれだけがつながりだからね、あの子との」
戻っていく加州さんの背中を見送りながら、ふともう彼には会うことはないんじゃないかって思ってしまった。先ほど感じた嫌な予感も相まって、彼の背中がどこか儚く見えた気がして。
「主?」
声をかけられ、ハッとしてみんなを振り返った。なんでもないよ、と首を振る。
「──なにか甘いもの食べて帰ろっか」
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