『――第七位はかに座のあなた!今日はツイてないことが重なりそう。ラッキーアイテムは電子辞書! 雨に降られてもクヨクヨせずにいれば、最後にはとびっきり良いことが起こるかも!』
昨夜から降り始めた雨が、今もまだ降り続けている。そんな窓の外を眺めて一つ息を吐くと、緑間は玄関に置かれた傘を手に、家を後にした。 雨云々を気にして、出る直前にタオルを詰めたせいか、いつも以上にずっしりとしている鞄を抱えて絶え間なく波紋を描く濡れた道を歩きはじめた。
今日は一日中降ると天気予報で言っていた。 外周はなく、朝も放課後も体育館での練習に終始するだろうから、雨に降られるという事態は回避できるだろう。 それと学校設備の点検が入るので、体育館での練習も通常より早めに切り上げるようにと通知も事前にあった。 占いの順位が悪い日は家で大人しくしているのに限る。放課後の予定を早々に決めて、露先から垂れる雫を眺めながら、深く息を吐き出した。
放課後になって高尾と共に体育館へ向かう途中、数人の女子生徒から呼び止められた。
訝しげに振り向けば、一歩前に出た女子が紙袋を緑間へと差し出している。
「これは?」
195センチの長身から見下ろされ、差し出した女子は少しだけ表情をこわばらせて、バレンタインだから、と小さく囁く。
「あの、もしよかったら、受け取ってもらえると嬉しいなって……」
だんだんと消え入りそうな声で女子が告げる。背中を先ほどから高尾が肘でつついてくるのを足で蹴り飛ばしつつ、緑間は眼鏡のブリッジをくいと上げた。
「それは手作りか?」
「え、いえ。買ったものだけれど……」
「そうか。ならいただくのだよ。高尾、行くぞ」
緑間はそれを受け取ると背を向けて歩き出す。
高尾がぽかんとする女子に、ぶっきらぼうでごめんねと軽く謝りながらその後を追った。
「ヒュー、やるぅ」
さすがエース様、と高尾の軽口に、ふんと鼻を鳴らし、緑間は紙袋の中を覗く。
見知った市販メーカーの包装紙を確認すると無言で部室へと向かった。
「そーいや今日バレンタインだったな」
着替えながら、高尾がふと独り言のようにこぼす。ロッカーの扉を閉め、首をかしげた。
「でもさー、なんで手作りかどうか訊いたんだ?」
「万が一を考えてだ」
「万が一?」
「帝光の頃、黄瀬が言っていた。自分は手作り品だけは受け取らないようにしているのだ、と」
「あー、モテそうだもんなー、黄瀬って」
「あいつの言うことは苛立つが、確かに素人の手作りなど何が入っているかわかったものじゃないからな」
以前、市販品の包装紙に包んでいたので安心して受け取ったが実は手作りで、よりにもよってチョコから髪の毛がはみ出しているのが見えたというのだから、当時それを黄瀬から聞いて思わず鳥肌が立ったのを緑間は覚えている。
「うげ、髪の毛とか血とか爪って都市伝説じゃねーのかよ」
恐ろしー、と高尾は肩をすくめた。
「あれ、でもじゃあそれだってもしかしたら手作りじゃねーの?」
「そうだったらお前に食わせればいいだけの話だ」
「何それヒデェ!」
ひどいと言いつつ、高尾は笑いながら緑間の背をバンバンと叩いている。
それをうっとうしそうに払って、ロッカーを閉めた。
いつもよりも早めの切り上げだったこと以外は、部活での練習そのものは何のトラブルもなく、つつがなく終わった。 湿気で余計に疲れた、とほかの部員たちのぼやく声を聞き流しながら、緑間は部室のベンチに座り、指にテーピングをしていたが、どうにもうまくいかない。 いつもならスムーズに巻くことが出来るのに、途中でテープが切れたりしてしまう。 思わず舌打ちをしかけた時、手元に置いていた電子辞書がガシャンと音を立てて落ちてしまった。
慌てて拾い上げると、今度はテープが落ちる。
拾おうと頭を下げた時、通りがかった先輩部員のバッグが頭に当たった。
先輩はとっさに悪い、と謝ってくれたし、痛みそのものも小さく済んだ。
しかし苛立つことが重なったため、緑間の機嫌はあまりよくない。さらにはそこへきて……
「傘が、無い……!?」
「こりゃ誰かに間違われて持ってかれたな」
ご愁傷さま、と高尾のからかう声にとうとう緑間は切れた。
「高尾、その傘をよこせ」
「はっ、冗談!」
昇降口で傘を奪い合うバスケ部コンビの姿を、他の生徒たちは面白がって遠巻きに眺めている。
やがて通りかかった教師に騒ぐなと叱られて、仕方なく二人は相合傘状態で帰る羽目になった。
背の差もあるので緑間が傘を持っているが、だとしても体格の問題か、高尾の肩がさきほどから雨に打たれていた。
「おい緑間よぉ……もっとこっちに傘よこせよ。つかそれオレのだし!」
「お前に合わせたらオレが濡れるだろう」
「知ったこっちゃねぇわ!」
足を止めて傘の柄を掴んでにらみ合う二人。いつもならお互いがお互いを振り回し、口では言いあってもどちらかが折れるためか、口げんかに発展するということは実は少ない。
なのに今日はなぜだかどちらも譲らない。
『――今日はツイてないことが……』
ふと脳裏をよぎった言葉に、緑間はハッとした。
急に変わった様子に高尾が不審そうな目を向ける。
「真ちゃん?」
「……いや、なんでもない」
「あーあ、ったく、濡れちまった。風邪引いて練習休まなきゃなんてなったらセンパイたちに怒られんぜ」
緑間の様子に気が削がれたのか、高尾は学ランについた雫を手で払う。緑間も無言でうなずいて、そうして視線の先にコンビニを見つけた。
「お、ちょうどいいじゃん。コンビニで傘買ってけば?」
高尾の声に、緑間はそうだな、と答える。
どうせ途中で高尾とは帰り道が分かれるので、その後は緑間は雨に降られるしかなくなるのだ。
「雨に降られても、か……」
「あん?なんか言った?」
「何でもない」
とびっきり良いこと、とやらのためには、あえて降られたほうが良いだろうかとも考えて、しかし風邪を引いてバスケに支障が出ては本末転倒だなと首を振った。
駆けこむようにして入ったコンビニだったが、傘はあいにく売り切れていた。みんな考えることは同じらしい。 何か買って飲もうという高尾の提案に飲料缶のコーナーを見て回ったが、この時期よく置いているはずのお汁粉の缶が見当たらない。
「たまにはコンポタかココアにでもすれば?」
面白がるような高尾の声にうるさいと返しつつ、本当によく当たる占いだと、緑間はため息をついて気が乗らない風で缶の一つに手を伸ばす。
「ん、メールか?」
ふと高尾が携帯を手に何やら操作しているのを見て、何気なく尋ねる。
「ちょっとねー」
小さく口笛を吹く横顔に首をかしげたが、緑間はそれ以上追求しようという気分にもならず、そうかとだけ答えた。
「それより買うもん決まった?」
「お前の言葉に従うのは癪だがこれにするのだよ」
「一言多いってーの」
ココアの缶を手に答えながら、何気なしに隣の棚に視線を向けると、ストロー付きのカップ飲料の列が目に入った。
カフェチェーンのロゴが描かれたカップに表記されたバニラという文字は、緑間にある人物を思い出させる。
「……」
緑間はふと考え込んで、そうして手に取った缶を元に戻すと、バニラと書かれたカップ飲料を手にレジに向かった。
そのそばで、高尾がにやついていることなど気にも留めず。
コンビニの軒先で雨宿りとも思ったが、出入りがあるし、迷惑になるだろうということで、高尾が少し行った先のシャッターが閉まった店の軒先にしようと傘を広げ、二人は走った。
「つーか真ちゃん、どうすんの。ホントにオレ送って行ってやろうか?」
「……気にするな。タオルもあるからそれを被って帰る」
「おやまあ、殊勝なことで。でも風邪引くなよ?」
「言われずともわかっているのだよ」
傘を差していても濡れてしまった学ランや鞄をタオルで拭きつつ、緑間は高尾の申し出を断る。
殊勝だとは言われたが、たぶん今日だけだ。
きっと占いで言われた「雨に降られても」という言葉が自分に遠慮をさせたのだろう。
走って帰って、きちんと体も拭いて温かくすれば風邪を引くこともない。
体調管理も出来ないで、どうしてバスケ強豪校のレギュラーを務められるというのだ。
「ま、もしかしたら少し雨の勢いおさまるかもしれないし、ちょっと待ってようぜ」
軒先から垂れる雫を眺め、傘を持っていない人が荷物を傘代わりに走るのを眺めながら、二人は何とはなしにぼんやりと雨宿りをしていた。高尾はコンビニで買ったココアをちびちびと飲んでいたが、緑間は買ったバニララテのカップを手にじっと立ち尽くしている。
雨の勢いはおさまる気配がない。物憂げな緑間の横顔をちらと見て、高尾は視線を別方向へとやった。
「飲まねぇの、真ちゃん」
「……ん」
「そういやチョコは手作りだったりしない?」
「さあな。気になるなら開ければいい」
気のなさそうな返事をして、緑間は手にしていた紙袋を高尾に渡す。高尾はじゃあ失敬と言いながら包みを取り出し、それを開けはじめた。
「ホント真ちゃんってデリカシーないね。フツー開けさせないでしょ」
「ためらいなく開けたやつが言っても説得力ないのだよ」
「そりゃそーだ」
実のないやりとりをしながら、高尾が包装紙を丁寧にはがすと、しっかりとした作りの紙箱が出てきた。
蓋をあけると、六つほどの形が一つずつ違うチョコが、仕切られた箱に詰められていた。
「市販品だわ」
「なら異物混入の心配はないな」
「ほい」
蓋を閉めて適当に包み、紙袋に戻した高尾が緑間に返す。
「雨、弱くならねえな……つーか、電話して迎えに来てもらえば?」
「小学生じゃあるまいに、バカを言え。というか高尾、お前は傘があるのだからさっさと帰ったらどうだ」
「まあもうちょっとだけ。さすがにこの雨の中オレ一人だけ帰っちゃうのも心痛むし」
「もう少し感情を込めてからそう言う殊勝なセリフを吐け」
「テヘッ」
いまだ弱まる気配を見せない雨の降り続く空を見上げながら、二人はくだらないやりとりをしていたが、濡れた道を踏みしめる足音にふと視線を向ける。そこに、傘をさした見覚えのある顔があった。
「緑間君、高尾君。どうも」
こて、と首をかしげると、色の薄い髪がさらっと流れる。
「おー、黒子」
久しぶり、と高尾とあいさつを交わす黒子の姿に、緑間は驚いたように目を見張った。
『――最後にはとびっきり良いことが起こるかも!』
良いことが、起きた。
思わず緩みそうになる口元を慌てておさえて、そうして高尾と話す黒子の横顔をうかがう。
以前と比べると、ずいぶんと表情が豊かになったように感じる。
少し前に黄瀬から、最近の黒子はよく笑顔を見せてくれるようになったという内容のメールをもらっていた。
内心でなぜお前なんだ、そしてなぜそんなことを自分に言って来るのかと思いつつ、いつかのように「しね」と返信したのは記憶に新しい。
こうして実際に目の当たりにして、なるほど確かにそうかもしれないと思う。
そうして、自分よりも早くに気が付いた黄瀬にかすかに嫉妬心を覚え、きっと自分と黒子の関係上、遅いのは仕方のないことだろうとも思った。
ずっと苦手だと公言してきた。気に食わないと本人にさえ言った。
それでも、中学のころから自分のなかで黒子の位置は何も変わらないのだ。
一人のバスケ選手として、そして、想い人として。
「……くん、緑間君?」
「っ、なんだ」
「あの、これから時間ありますか?」
「え……」
「忙しいのなら無理には言いませんが」
「忙しくないよな、この天気だし。ほら秀徳って古いからさー。今日は体育館の整備はいるんで部活の練習だけで自主練無しで早かったわけよ。なっ?真ちゃん」
高尾が早口でまくしたてつつ、緑間を肘で打つ。
「あ、ああ」
「ほらじゃあ黒子の用事に付き合ってやれよ!」
オレは帰るわ、と高尾は傘を広げて軒先を出る。
「高尾?」
「じゃな!黒子もまた!」
「はい、気をつけて」
ばしゃばしゃと雨を跳ねさせながら駆けだす高尾をやや呆然と見送り、緑間はハッとして黒子を見る。
二人きりという状況に、思わず鞄を持つ手を握り締めた。
「そ、それで、一体何の用事だ?」
尋ねて即座に後悔した。どうしてもっと柔らかい言い方が出来なかったのか。
「あの、もしよければあのお店へ行きませんか?」
そう言って黒子が指さしたのは、道を挟んだ反対側、ビルとビルの間に建つ古そうな一軒の店だった。
そこはずいぶんと長く続く甘味処らしかった。
天気の所為か、客数はぽつぽつとしている。格子の衝立で仕切られた奥へ案内されて腰を落ち着けると、黒子がメニューを緑間へと差し出した。
「お前は?」
「ボクはもう決めてるんで」
「……前に来たことがあるのか?」
「はい、小さいころに祖母に連れられて何度か」
「そ、そうか」
尋ねるまでの一瞬の動揺は幸いにも黒子に悟られなかったようで、返答を聞くまで家族という存在がすっかり頭から抜けていたことに、緑間は内心で苦笑した。
火神、あるいは黄瀬と一緒に来たことがあると言われなくて良かった、とふと思って、すくなくとも黄瀬の可能性はなかったと思い直す。
もし黄瀬がここに黒子と来ていたのなら、あの男は頼んでもいないのに報告のメールでもよこしてくるだろうから、それが今までなかったことを思えば、黄瀬の可能性は最初から除外できた。
「こないだ近くを通りかかって思い出したので」
――だから、キミを誘いました。
告げられた言葉が頭の中に留まり、それを反芻して理解に至るまで、少しばかり時間がかかってしまった。
二度三度と瞬きをして、向かいに座る黒子を見つめると、その白い頬がうっすらと筆で撫でたように赤く染まっていて、緑間はうっかりおかしなことを口走らないように、そうか、とだけ言って眉根を寄せてメニューに見入る。
メニューの一番上にお汁粉が写真入りで載っていた。
つぶあんの田舎汁粉、こしあんの御膳汁粉、具も餅と白玉から選べる等、バリエーションが豊富らしい。
そういえば関西と関東ではお汁粉とぜんざいの意味合いが違うみたいだ、と赤司からメールがあったことを思い出す。
赤司がそんなことでメールをしてくるなんて、としばらく内容よりもそれ自体に驚愕し、次いで妙に感動した。
どことなく、もう一人の赤司の頃には伺えなかった少しばかりの気軽さというものが戻ってきたような、そんな気分だった。
「緑間君?」
黒子の声に思考がそれていたことに気が付き、緑間は顔を上げる。
「決まりました?」
「あ、ああ」
緑間は店員を呼びながら、おそらく黒子に大層なことを言った自覚はないのだろうと、ただの一言に振り回されてしまう己に苦笑しながら結論付けた。
緑間は、餅いりの田舎汁粉を頼んだ。小さな盆にはお茶と漬物の小皿も一緒に載っている。
黒子はクリームあんみつだ。器と黒蜜の入った小さなピッチャーは焼き物で揃えているらしい。
「ここのクリームあんみつってアイスかソフトが選べるので小さい時から気分で変えたんですけど」
抹茶かバニラという選択肢で、たぶん一度も抹茶を選択したことがなかったように思います、と黒子は黒蜜をかける前に、アイスクリームを一口すくって口に運ぶ。
無意識なのか、嬉しそうにほほ笑む口元に、つい緑間は視線を向けてしまって慌てて逸らした。
「……バニラ好きは小さいころからか」
思わず、と言った様子で小さく緑間が笑うと、黒子は、かもしれませんとほほ笑んだ。
お互いに食べている間は大して弾むような会話はない。
共通の話題と言えば、バスケかキセキの世代のことだ。
こないだ赤司君からメールが来ました。
そうか、オレには黄瀬からよく来るが少々うっとうしい。
そろそろテストの時期が近いんですけど、その間は部活が休みになるのがつらいです。
そう言えば黄瀬や青峰は苦労していたな。火神もどうせそのクチじゃないのか。
緑間君は余裕なんじゃないですか、うらやましいです。
普段から勉強していればどうということはない。
そんなやりとりだが、しかし長続きはしない。
もともとじっくりと二人だけで話すような間柄ではなかった。
ここに黄瀬が居ればまた違った雰囲気になっていただろうとは思うが、しかし居たらそれはそれで面倒な気がして、ならばこの雰囲気も決して悪いものではないのだろうと緑間は小さく息を吐く。
店内の穏やかなBGMに乗って他の客の会話が聞こえてくる程度の、静かすぎない適度に心地の良い空間。
時間が止まっているような錯覚に陥るが、しかし緑間は確実に終わりの時間が近づいているのを感じていた。
黒子が小さな一口で、だが徐々に器の中身を減らしていくのを見れば、それは明らかだった。
――ああ、もう終わりが近い。
食べ終えた後に会話に興じるほどの仲の良さではないのは痛いほどわかっている。
それでもまるで悪あがきのように、緑間はちょっとずつお茶をすすった。
カラン、とスプーンを空の器に置く音に視線を向けると、お茶の湯飲みを両手に持って口元に運ぶ黒子の姿があった。
「そういえば、雨は止んだんでしょうか」
ポツリとつぶやいて、黒子は店の入り口の方を注視する。
その横顔がどこかさみしげで、緑間は膝の上で拳を握り締めた。
「天気予報では一日中って言ってましたけど」
「……黒子、今更だがお前、部活はどうした?」
何か会話の糸口はないか、と考えた末、出てきたのはそんな話題だった。
「ホントに今更ですね……今日はうちのカントクの都合でお休みでした。火神君なんて、部活が休みだって聞いて落ち込んでましたよ」
「そうだったのか。しかしお前、こっちは通学路じゃないだろう。この雨の中、わざわざ……」
話しながら、ふと緑間は黒子の言葉を思い返す。
声をかけてきたとき、黒子に驚いた様子はうかがえなかった。高尾もそうだ。黒子の登場をはじめからわかっていたように、当然のような様子で。
まるで、黒子はあの場所に自分たちがいたことをあらかじめ知っていたような……。
しかしまさか、と思い直すように首を振りかけて、眉根を寄せた。無意識にお茶を一口すする。
――これから時間ありますか?
――近くを通りかかって思い出したので。だから、キミを誘いました。
そして、黒子の誘いに緑間が答える前に、まくしたてて決めてしまった高尾。
「っ!」
口に含んだお茶を飲み込むのに失敗して思わず咳き込む。
黒子が席を立って、大丈夫かと声を掛けながら背中をさすってくれた。
「だ、大丈夫だ。すまん……」
「どうしたんですか、急に」
「……いや、なんでもない」
息を整えながら、席に戻る黒子を見つめ、まさか、いやでも……という二つの言葉が緑間の頭の中でグルグルしている。
こんな雨の中、あの場所に緑間がいるとわかっていて、もし黒子が来ていたら。
「……黒子」
「緑間君、そろそろ行きましょうか」
「あ、ああ」
そう言って伝票を手に立ち上がる黒子に、緑間は遅れた。鞄から財布を取り出そうとして、緑間君、と呼ぶ黒子の声がそっとさえぎる。
「ボクにおごらせてください」
「しかし」
「あの、バレンタインってことで」
消え入りそうな声で呟いて、黒子は鞄を持って背を向けるとレジに向かう。
しかし、黒子の耳がうっすらと赤くなっているのを緑間は見逃さなかった。
「……っ」
雨はまだ止んでいなかった。
二人で空を見上げ、そうして黒子は傘を広げ、緑間に手渡す。
「家まで送ります」
「言動が一致していないのだよ」
「だってボクが傘を持ったら、緑間君の頭にバンバン当たりますよ」
悔しいですけど仕方ないです、と黒子はこくりと首をかしげる。
「それとも、一つの傘に入るのは嫌でしたか?」
「そんなはずないだろう!」
とっさに否定して、そうして緑間は動揺したまま傘を手に取り、黒子の腕を掴むと歩き出した。
「い、行くぞ」
「はい」
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